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【連載完結】姉と違って、私は貴方を見捨てたりしないわ。  作者: 逆立ちハムスター


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魔石の光に照らされたその光景は、静謐な狂気に満ちていた。

 天井から垂れ下がる無数の白い糸。その先に吊るされた繭は、どれもが大人の人間一人を包み込むのに十分な大きさを持っており、微かな風に吹かれ、音もなく揺れている。


俺は一番近くにある繭に歩み寄り、その表面に剣を当てた。

 糸は驚くほど強靭で、魔力を込めなければ刃が滑るほどだった。慎重に、だが一気に切り裂く。


中から滑り落ちてきたのは、茶褐色に干からび、骨に皮膚が張り付いた「何か」だった。

 もはや顔の造作も判別できない。全身の水分を吸い尽くされ、古い木像のようになった成れの果てだ。ただ、その指先が不自然な角度で曲がっており、生前に凄まじい苦痛を味わったことだけが伝わってきた。


俺は次々に繭を切り裂いていった。

 二人、三人、四人。

 どれもが名もなき死体だ。服の端切れからして、この屋敷の奴隷か、あるいは近隣の浮浪者だろうか。彼らは死んでからここに捨てられたのではない。生きながら繭に閉じ込められ、あの魔物の苗床にされたのだ。溶解液で内臓を溶かされ、少しずつ吸い尽くされる恐怖の中で、この場所は「処理場」として機能していた。


そして、五つ目の繭。

 他のものより一段と丁寧に、奥まった場所に吊るされたその繭を切り裂いた時、俺の手が止まった。


中からこぼれ落ちたのは、人間ではなかった。

 バラバラと乾いた音を立てて床に散らばったのは、銀の装飾が施された手鏡、刺繍の入ったハンカチ、意匠のペンダントだった。


俺は膝をつき、泥と体液に汚れたそのペンダントを拾い上げた。

 蓋を開けると、中には若かりし日のユリオスと、彼に寄り添う一人の美しい女性の肖像が収められていた。


恐らくアラクネだな。


義妹は言っていた。彼女は金を持って逃げたと。

 だが、夫との想い出が詰まったこの宝物を、わざわざこんな魔物の巣窟に捨てていくはずがない。


遺品は語っていた。

 アラクネは、自分の意思でこの地を去ったのではない。

 奪われ、消され、そしてこの闇の奥へと「廃棄」されたのかもしれない。


俺はペンダントを握りしめ、立ち上がった。


もう一度、あの女を問いたださなくては。

 泥と蜘蛛の体液にまみれたその銀の薄板は、魔石の光を反射して、まるで冷ややかな嘲笑を浮かべているように見えた。


その瞬間だった。


 背後で、確かに息絶えたはずのジャイアントスパイダーの巨躯が、不自然に痙攣した。

 俺は即座に剣を抜き直り、身を構える。死後硬直ではない。内側から何かが蠢き、膨れ上がってくるような、不気味な動悸だ。


 蜘蛛の裂け目から、眩いばかりの白光が溢れ出した。

 洞窟の闇が一瞬にしてかき消され、俺は思わず目を細める。


 光の中で、蜘蛛の外殻が、脚が、霧のように霧散していく。

 そして、その中心がみるみるうちに縮んでいき、人の形を形成し始めた。


 光が収まった後。

 そこに横たわっていたのは、魔物の残骸ではなかった。


 質の良い、だが土に汚れた白い外套を纏った、貴族のような気品を漂わせた女性。

 ペンダントの写真の女。アラクネ。


 彼女は、蜘蛛に食われたのではない。

 彼女自身が、蜘蛛そのものだったのだ。あるいは、何らかの強力な呪いによって、蜘蛛の姿に変えられていた。


 アラクネは、蜘蛛の姿の時に俺がつけた、腹部の深い傷をそのまま引き継いでいた。

 白い外套が、彼女自身の血で赤黒く染まっていく。

 彼女は瀕死だった。


 アラクネの唇が、微かに動いた。

 何かを、つぶやいている。


 俺は剣を構えたまま、警戒を怠らずに彼女の元へ近づいた。

 これは罠か。それとも、呪いが解けた最期の瞬間なのか。


 彼女の傍らに膝をつく。

 アラクネの瞳は、焦点が合っておらず、虚空を見つめていた。だが、その表情は恐怖に歪んでいるのではなく、何かを諦めたような、ひどく穏やかな、睦じい笑みを浮かべていた。


 彼女の口元に耳を寄せる。


「……あ、ありがとう……。でも……ユリオスが……危ない……妹が……自分の呪いを解くために……ユリオスを……お願い……彼を……彼を……」


それが、彼女が最期に遺した言葉だった。

 彼女は目を開けたまま事切れてしまった。俺はそっと彼女の目を手で閉じる。


アラクネは、死んだ。

 蜘蛛として俺に殺され、人としてその生涯を閉じた。


 俺は彼女の亡骸を静かに見据え、立ち上がった。

あの薬品の臭いは、ユリオスに呪いを押し付ける為に、妹がやっていた錬金の残臭だったか。


『姉と違って、貴方を見捨てたりしないわ』


確かに、そうだ。

 あの義妹の声が、脳裏に嫌に蘇る。


 俺は剣を鞘に収め、アラクネの遺品をポーチに仕舞った。

 闇の中、干からびた奴隷たちの繭だけが、微かに白い糸に照らされて浮かび上がっている。


俺はアラクネの亡骸を丁寧に抱え、洞窟の入り口へと向かう。

 湿った土の匂いの中に、はっきりと、あの女が吐いた嘘の匂いが混じっている。

 その匂いを、俺は決して忘れない。

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