時空を繋げる図書館
その図書館には、奇妙なうわさがあった。ブラックホールと言う名の図書館。普通は想像しない。それは図書館ではなと思う。天体であって、図書館ではない。中へ入ってしまえば終わり。そう思っていた。
玄関から靴を脱ぐ音を聞く。ぼんやりと浮かんで来る景色に後ずさりをするかのように、私は意識を降下させた。
時折自分ではない、誰かの夢を見る。自分ではない誰かの顔を見る。様々な顔が浮かんでは消え、浮かんでは消える。それはとても鮮明で、まるで見てきたかのようだ。
自分がどこから来てどこへ向かって行くのかを考える。私はここにいるべきではない。私はこの世界に属しているわけではない。私は何かを求めてここにいるわけではない。ただ繋がりを感じてしまうことかもどかしい。誰かと繋がりたくてここに来たわけではない。ここは私の世界ではない。ここは夢の世界ではない。
社会は停滞している。酷くいびつに歪んでいる。保守的趣向から離れられない。空気に溶け込むかのように、暑さと共に溶け込む不快な臭い。誰もが願った場所で生まれたわけではないのに、自分が生まれた場所をアイデンティティとして定めることを当たり前としている。
誰もが繋がりを求めているから。繋がりの中でしか生きていけないから。だから私は嫌でも繋がりを意識してしまう。自分が求めて作った繋がりではない。誰もが最初からどのような人間と付き合うべきかを考えて、その場所へ行ってからは取捨選択ができるわけではない。
嫌なことがあっても、それ以上に何かがあるのではないかと期待して、自分を削って集団に馴染むことを選ばないと、集団と繋がることなんて出来やしない。だからそんな世界は嫌だった。自分を削ることが嫌だった。自分を削って、削って、丸くなるのを通り越して、自分の形すらも失くしてしまうことが嫌だった。
だから完璧な関係性を妄想して、それができないと知るや後ろへと下がる。意識は沈んでゆき、自分は一人となる。例え足音が近づいてきても、反応することを拒む。
それでも夢を見る。願ってもないのに夢を見る。時には別の世界にいる。時には別の国にいる。別の人間となる。自分ではない誰かとなる。境界線を越えて、願いやまない遠くへとたどり着く。その景色は忘れられぬもので、それにたどり着いたなんて願いなんぞ最初からなかったのにも関わらずそれへと繋がってしまう。
その点に関しては夢もまた意識の在り方を示していると言えよう。誰もが自分でない自分を夢見ると言うのに、文字通り夢からそう繋がると言うのに、今いる場所から離れることを想像しようとはしない。
私の人生は常に遥か遠くをなぞっていた。ここではない。ここじゃない。時に昨日は随分と不思議な夢を見たものだ。
世界はいつも以上にうすぼんやりと浮かんでいた。視覚ではない別の感覚で物を捉えて動いて、常にふわふわと漂う。声のようなものが伝わってくる。
あそこにチャージされたプラズマの断層があるよ。そこに向かってみよう。そうやってふわふわと浮かんではプラズマの断層へと向かう。この世界には怒りも憎しみも悲しみも苦しみもない。ただふわふわと浮いて、チャージされたプラズマが漂う場所へと向かうだけ。
そこに何があるのかな。行くと体が温まる。気持ちよくなる。自分もろとも光ってしまう。誰かに食べられる心配なんてしなくてもいい。誰も食べようとしないから。私は食べているわけじゃない。皆も食べているわけじゃない。螺旋状に浮かんで、薄く光る白い太陽を眺める。
私たちはプラズマの断層を求めている。チャージされた粒子を取り込んで、それで体が温まる。薄く光る太陽はどこまでも冷たくて、黒い大地は何処までも続いている。
意識を浮上させ、自分が経験していた事象を考える。その惑星の太陽は白い中性子星だった。強い電磁場が形成され、チャージされた粒子が大気を漂う。鮮明で大きなオーロラ。そこから高エネルギーの粒子を食べて、エネルギーを補充する。地球とは違って、その惑星に捕食者はいなかった。捕食する存在がいない世界では、すべてが平和で、ラジオの周波数で語りあった。
地球は捕食する側と捕食される側で分けられている。捕食する側がいないと捕食される側の数が調整できない。だから常に捕食する側の存在がいないといけない。それは人間社会でも同じだ。支配する側がいれば支配される側がいる。それは立場が逆転したって根本的な意味でその仕組み自体がなくなるわけではない。どのシステムであっても、仕組みを利用できる側は常にそこからアドバンテージを得て、好き勝手なことができる。
それを矛盾と呼ぶか、歴史が与えてくれる残酷な教訓と見るかの違いはあれど、それ自体が常に存在している状況は変えようがない。それが人間だからだ。ここでの惑星の恵みは有機物を作りそれにエネルギーを蓄える側と、その蓄えたエネルギーを消費する側で分けられている。
だから私は夢を見るのだろう。そうでない世界の夢を。
日々が過ぎて、また様々な事柄が浮かんでは消え、浮かんでは消える。好奇心で突き動かされるにも限界があるというもの。なのにも関わらず、私はまたどこかと繋がる。自分を削って、形を失くしてしまう。
愛に飢えていた時期もあって、それしか考えない時にも、渇望しようとも、どうにもできないことはどうにもできない。
一つずつ諦めると、世界の形が浮かんで来る。久々に昔別れた彼と出会って話をした。相変わらず純粋で、目の前のことで一喜一憂して、自分がどこに向かっているのかより、掌に乗せられた小さな玩具で遊ぶことを考えている。それを愛おしく思っていた。
今でもなぜ彼が私を好きになったのかがわからない。彼は私のような大人しい女性が好きだと言ったけど、人は言うほど簡単ではない。世の中に溢れた大人しい女性から私だけを選んだ理由は何だったのかと。そうやって好きと言われたから好きになったわけでもなかった。それはまるで意識を降下させた時に浮かんでは消える景色のように、彼の顔も声も私の記憶にしっかりと焼き疲れていた。
彼となら自分を削らなくてもいい、彼に気持ちをぶつけることを躊躇わなくてもいい。自分の形をわざと崩さなくてもいい。むしろ今までなかった、ぼんやりと浮かんでいた自分の形が彼といる間なら浮かべてくる。
そうやって自分を形作ることさえできれば、自分を削らなくてもよかったら、その人を好きになるのだと思う。彼との話は楽しかった。他に好きな人ができたのかどうかもわからない。そこまで深く踏み込みたいわけじゃない。彼が幸せならそれでいい。恋とか愛とか言葉に縛られず、こうやって物事を考えるのが私は好きなのである。
また深いところに潜ると、世界の形が浮かんで来る。今夜はブラックホールに吸い込まれてしまった。
最初は真っ赤で、徐々に赤から黄昏の色に変わる。ヒッグス粒子が世界を形作ることを辞めてしまう場所。質量はそのまま情報を吸い込み、すべてが繋がる。過去と現在が特異点の重力に押しつぶされて繋がる。過去の形状が徐々に崩れるも、まるですべてが現在かのよう。
私たちの情報はブラックホールに吸収され、流されない時間へと封じ込まれる。そこでの繋がりは漠然としているのに永遠へと誘う。それこそが現実の形であると囁く。
例えるなら記憶の図書館。本のページは決められていても、流れない時間の中ですべては均一に蓄積されている。もつれた量子はブラックホールを通して過去と現在を繋げている。
だから現在に意味がないわけだ。現在も過去も未来も等しく繋がっているのであるのならば、すべては地平の向こうでもう何となく決まっている。何となくブロックの形を取って、時空を繋いでいるわけなんだから。
それが浮かんで来る記憶と夢の景色を証明だったのかは定かではない。人は未来に希望を抱くわけではないと思う。根本的な意味で、希望なんて生存戦略に等しい。未来に自己象を投影しない人間は生き残れなかった。未来に自己像を投影できた物だけが生き残り、遺伝子へとその傾向が刻まれてしまった。
それこそが真実であるはずなのに。結局のところ、考えてみればわかっていることだった。未来と現在と過去がブラックホールを通じての塊であるのであれば、人は未来に希望を抱くのではなく、文字通りの夢からそれを体験している。
未来が常にあることを知っているから、戸惑うこともしない。だからまるで知っているかのように振舞って、まるでそうなると決まったかのように受け入れる。
自分を削る経験をしてでも探し求めているのは、もうそこに最初から存在していた未来だったんだから。また瞼を閉じて、夢に浸る。
そこに何かが見えることを期待して、そこに浮かんだ景色は嘘じゃないと信じていたいから。私はただ、そう、あの中性子星を漂うその生命体のように、時の川を揺蕩い、知識のオーロラに身を任せるだけ。
そうすると体が温まって、生きていられる。
次に見た夢がまた美しい景色であることを期待して。
今日出会った彼のことを思い出す。当時付き合っていたころは、互いに連絡をしたい時が繋がっていた。まるで私たちの間を量子のもつれで同時に繋がられたかのように。冷たい環境でしか安定しない量子のもつれ。ただその冷たさは特に私たちの体を繋げるそれではなくても良かったと思う。
赤いブラックホールの事象の地平線を超え、黄昏を超え、深い深淵へと潜ると、そこには秩序正しくすべての情報が並べられている。そして情報はもつれて繋がっている。そこに入ってくるものは永遠と続くかのような図書館へと記録され、私たちの記憶を再生する。
そこで再生された記憶はここでもまた再生される。そうやっていくつものの段階を経て繋がる。その繋がりの中で私たちは生きている。
その繋がりは消したくても消せないもの。自分が所属しているちっぽけな集団から得られるアイデンティティは永遠ではなく、逆にそのアイデンティティに拘ることで自分の形に自分から限界を付ける。それで心の安定を求めても、それはまやかしでしかない。
私はそれを知っている。そのまやかしに溺れようとも、一度私たちを生まれさせた世界は、永遠へと続く過去と未来の繋がりからは離れられない。
それとも、最初から自分の形を作れなかったから、欲望に飲まれてしまっていたから、どこかの時点で形を求めてしまうのだろうか。自分の形を決める要素を想像してみる。それが如何にも毅然としていたもので、またもはや希薄なものかという事実を考える。
宇宙は神話のようにまとまっている。世界はそれを考えるように出来ているのだと思う。
そしてブラックホールには奇妙なうわさが纏わりついている。例えばそれは巨大な図書館ではないかと言ううわさだ。すべてを誰もが意図しない形で勝手に繋げているのではないかと言ううわさだ。図書館の本棚はずっと続いている。地球と書かれた本棚は特に膨大な本で埋め尽くされている。奇妙な生命体から始まり、徐々に形が定まっていく。そうなるまで、数多くの生命体がそこに生を刻んだ。そして彼らの形は奇想天外なものからある程度定まったものへと収束していった。
惑星全体の環境が生命体によって作り変えられた。地殻の内側へ入ってしまった死体は炭素となって弾けた。それが地形に模様を凹凸を刻んだ。酸素の濃度は常に変化し、ある時は絶滅を引き起こし、ある時は巨大化させて繁栄を約束してくれた。
海の循環が緩やかとなった時代には恐竜を生み出した。それはどこまでも続く記憶のように思えて、いつかは終わりを迎えた。彼らは希望を目にしていたんだろうか。それとも刻まれた時間の中をただ揺蕩っていたんだろうか。
時を刻む記憶の図書館でまた一つの本が書かれる。現在へと続く流れで、生命体は別の歌を歌い始めた。別の本を書き始めた。それは心の歌。どこまでも響く歌が奏でる旋律は時代を超えて反響し、時を超えて心を繋いだ。
本を閉じる。玄関から靴を脱ぐ音が聞こえて来る。
今度は沈む代わりに浮かんだ。自分と時空間が繋がってしまった人の顔を見に玄関へと向かった。彼は穏やかな顔をしていた。互いの温もりを確認して、それ以上は考えないことにした。
「大丈夫?」
彼の言葉に心が温まる。
「大丈夫だよ。」
そう、大丈夫。
私は笑顔を浮かべた。




