さらば天より来たる者よ
これにて完結です。
第一王子セリオは平原に堂々と立つ戦神マグ・ゼル=アークの姿を見て、口元に不敵な笑みを浮かべた。雨風にさらされ、かえってどす黒くなった巨体は、前よりも一層、魔物じみた迫力を帯びている。
「……どれ、神とやらがどれほどのものか、試してみようじゃないか」
セリオの合図で、弩弓機と投石機が一斉に火を噴いた。轟音、土煙。視界を遮るほどの衝撃の嵐が吹き荒れ、それが収まったときには、そこにあったはずの戦神の姿は消えていた。
「所詮は木偶だな。なんだ、拍子抜けだ」
セリオは鼻で笑うと、次なる標的として、戦神の背後にあった部族の集落に照準を向けた。躊躇はない。ボルトと岩が再びうなり、家々を飲み込んでゆく。
「ドラゴンは角兎を仕留めるにも、全力を尽くす」
セリオが帝国の古い諺を口にしたその時だった。――背後が騒がしくなる。
先程通り過ぎた草原の一角にあった土饅頭が、モゾモゾと動いていたのだ。
土が崩れ落ち、その下から現れたのは――そう、倒されたはずの戦神マグ・ゼル=アークの頭部だった。
「なっ……!?」
そうなのだ。戦神は自ら平原の地面に掘った穴に身を隠し地上にはみ出た頭部に土をかけて土饅頭に見せかけていたのだ。
そのせいで軍勢はそこを通り過ぎた為に、戦神は敵の背後を取ることができたのだ。
驚愕に目を見開くセリオ。戦神は地中から這い上がり、のっしのっしと迫ってくる。その足取りは重くも速く、まるで先ほどまでとは別の存在のようだ。
「武器を、旋回させろっ!」
「弾丸が……もう無いッ!」
混乱に陥る兵たち。間もなく戦神は弩弓機と投石機をひっくり返して廻り、使用できないようにした。その速度は、まさに弩弓の矢のよう。
セリオの指示など誰の耳にも届かず、軍は瓦解し、四散してゆく。
そして命綱である兵站の荷車を奪われ、補給を絶たれた帝国兵たちは、草原をさまよいながら崩壊した。セリオを含め、生還した者は全体の三分の一にも満たなかった。彼らがどうやって飢えをしのぎ、生き延びたのか……誰も語ろうとはしなかった。
――その後、王位継承を巡る争いは泥沼化し、病に伏した国王の後を追うように、帝国は静かに崩れていったという。
だがそれは別の話だ。
時間は戻ってこの度も帝国軍が敗走した一部始終を、水鏡を通して見届けていた老婆・ハムナは、満足げに頷いた。
「やはり、天人さまのお導きは計り知れぬ……。弩弓機も投石機も、そして我ら部族には余るほどの食糧も全てこの地に残った。我らの再興は、ここから始まるのじゃ」
そして、ザルガはカザルの民を率いて元の大地へと戻っていった。
広場に戻ると、そこには戦神の姿はなく、ただかつて神の箱――アークがあった場所に、元の姿に戻ったそれが静かに鎮座していた。
ただ一つ違ったのは、アークの蓋が開かれているということ。
しばし呆然とする民たちの前に、物陰から歩み出たのは――翔だった。
「アークには秘密があります。私は役目を終えると、故郷へ戻る道が開かれることになっているのです」
そう言って、翔は箱の中へと歩いていった。
「翔さま……!」
リャーナが涙を流して駆け寄るも、翔は静かに微笑み、最後に言った。
「さようなら、リャーナ。そして……カザルの皆さん」
蓋が閉じられた瞬間、アーク全体がまばゆい光に包まれ、空へと昇っていき――やがて一閃の流れ星のように、空の彼方へと消えた。
しばしの沈黙の後、リャーナがアークの箱を見つめてつぶやいた。
「……文字が違う」
蓋の内側に刻まれていた鍵の言葉は、以前とは異なる文字列に変わっていた。
a² -- b² = ?
そして、彼女が何気なく箱の裏を覗いた時、思わず声を上げた。
「……あっ!?」
そこには、かつて天人の絵姿が彫られていた場所に――翔の姿が、精巧に彫りこまれていた。
ご愛読ありがとうございました。薫&葉裏より




