8/15 嵐の前のサイレンス
屋上のフロアは少しずつイベント会場らしくなってきていた。
大量に積まれた段ボールの中には、アニメキャラクターがジャケットの妙にぶ厚いCDが詰まっている。握手会に来る人は限定百人なので一人あたり四枚以上はCDを買わないと、段ボールの中のそれは無くならないと思われる。
また、ポスターの類が落下事故防止用の柵に張り付けられていて、カメラを持った報道陣もチラホラと現れた。
ユウキとレンジとツバメは、会場準備及び清掃の邪魔にならないように、自分達の仕事の時間までフロアの端の方でたむろっていた。
「いやさァ、カナさん声優なのにかわいくね?」
「まぁ確かに」
レンジは、声優に対して所詮声だけだと偏見を持っていた。しかし今回の出会いでその誤った考えにメスが入った。ユウキも、レンジほど偏った思考回路はしていなかったが、一応の合意はしておく。
「へぇ・・・」
「ん? どーしたツバメ」
「ユウキは、そういうのが好みなんだ。へぇ・・・」
ツバメはユウキに聞こえるよう、わざとらしく大きい声でそう言った。ユウキはツバメに見上げられているはずなのに、なぜか見下ろされている気がした。
「いや、別に、そーいうわけでは・・・」
「別にいーのよ」
「あ、あの」
「ユウキの好みとか興味ないし。アンタがあの女の尻を追いかけようが、鼻の下伸ばそうが、うちにとってはど〜でもいいことだから」
「いやだから」
「好きにすればいいじゃない。何ならこっそり列に並んで握手してもらえば? きっとあのオタクCDも買えば喜ぶわよ」
大きく食い違った言葉の歯車。
ユウキは決して心からカナさんをかわいいとは思っていない。そういう思いを込めたアンニュイな表情を、レンジとの会話の中でしていたつもりだったが、ツバメには伝わらなかったようだった。
「・・・・・・」
レンジにとってこの微妙な空気は非常に虫の居所が悪かった。あ〜え〜う〜と唸りつつ、レンジは今の雰囲気の打開策は誤魔化ししかない、と思った。
「でもほらァ、あァいうタイプは裏がありそうだよな!」
「あ、ああ! 俺も思った! あれは裏あるよな! 楽屋とかでタバコぉとか言ってな!」
ユウキはレンジの言葉を、まるで待ちこがれていたもののように受け、ツバメの誤解を解こうと必死にレンジの調子に合わせた。少し言い過ぎた感じもあり、カナさんに聞こえていないか不安になったが、とりあえずこれぐらい言っておけば、絡まったツバメとの糸は解けるというものだ。
「ふ〜ん」
ツバメは口を尖らせてユウキ達を見た。その瞳にはまだ疑念を含んでいる。
そしてツバメは徐に歩きだし、ユウキ達の元を離れた。
「? どこ行くんだ?」
「トイレ」
ツバメはユウキの問いかけに軽く答え、人ごみに紛れながら階段を下りていった。
レンジはツバメの姿が見えなくなるのを確認すると、ユウキの目を見て言った。
「いやァびっくりしたわァ」
「俺もだよ。まさか誤解されるとは・・・」
「いやそっちじゃなくて、ツバメの方がさ」
「? 何のことだ?」
レンジは目を閉じ、前歯で薄い下唇を噛んだ。そしてレンジはユウキの両肩に両手を乗せ、カッと開眼する。
「いやいや察せよッ!!」
「はぁ!? だから何を?」
レンジはユウキの中にある気持ちを知っている。
だからこそ、今気づいたツバメの気持ちを、そのまま今のユウキに伝えることはどこか癪なように思えた。
恋というものは部外者が無断で入り込んでいいような、簡単で、自由で、つまらないものではない。しかし、かといって見守るだけというのも後ろ髪を引かれる思いがある。
レンジは、ユウキにそれとなく、助言のように、諭すように、そして背中を押すようにツバメの気持ちの片鱗を伝えようと思った。
「いいか? ユウキ。さっきのツバメはな・・・」
ユウキはいきなりのレンジの真顔にギクリとした。そして口に溜まった涎を一気の飲み込む。
「おい、こんなとこにいたのか。ん? 何してんだお前ら」
突然の声にレンジは話すのを止め、後ろを振り向く。ユウキは頭を横にずらして、レンジの頭でブラインドになっていた光景を見た。
「ア、アンザイ・・・。あッ! いや勘違いするなよ!」
レンジが半笑い気味に言った。
勘違いしても仕方がない状況だった。片方が片方の両肩を抱き、それはまさに男が男に告白するようなシチュエーション。確かに告白といえばそうだが、勘違いが起こるような艶めかしいものではない。
「なんだ、ユウキが受けか。普通ここはレンジが受けになる方が面白いんじゃないか?」
「だから勘違いすんなッてェ!!」
レンジは膝から落ち、両手を地面につけて叫んだ。
「つーか妙に早いなァ! 帰ってくんのォ!」
「だから言ったろ? 俺は日本一の手すりスベラーだって」
「手すりスベラーッて何だよォ!」
ユウキはレンジとアンザイの掛け合いを見つめていたが、内心ではレンジが言いかけたことばかりを考えていた。
(ツバメが・・・? 何だ・・・。ま、まさか・・・! いや、さすがに・・・な)
嫌が応でも期待を感じてしまうのは男としての性分か。はたまた宿命や運命の類か。
ただ、ユウキは一昨日の出来事から、そういうことに関しては一種のトラウマを感じてしまっていた。
(・・・期待しない方が無難、だよな)
「・・・ぃ・・・ぉい・・・おい! おい! ユウキ!」
「おわっ! な、何!?」
「何じゃねぇ。これ、着ろ」
アンザイは俯いていたユウキを呼び、意識を現実世界に呼び戻した。そしてアンザイがユウキに突きつけたのは、藍色の、本屋の店員などがよく着用しているようなエプロン。
「アルバイトはこれをつけるらしい」
「へぇ・・・」
ユウキとレンジはアンザイからエプロンを受け取り、それを着た。
アンザイもエプロンを着用すると、キョロキョロと辺りを見回し始める。
「ツバメはどうした?」
「あァ何かトイレらしい」
「ん? ところで何だよアンザイ。その小せェエプロンは」
「ああ。実はツバメのエプロンだけ一回り小さいものにしてもらったんだ」
「余計なお世話よ!!」
レンジとアンザイの会話の途中、どこからともなくツバメが現れ、アンザイの言葉を引き金にツバメはツバメ特性・足指迎撃ミサイルをアンザイに向けて放ち、それは見事にジャストミート。アンザイは左足の指、厳密に言うと革靴を押さえながらその場に伏した。
「ぐわあぁ・・・」
「ふんっ!」
ツバメはアンザイの手元からはぎ取るようにエプロンを奪い、それを着た。しかし、それはブカブカのダルンダルン。小さいサイズのはずなのにそれでもか、と思い、ユウキとレンジは声を殺して笑った。
自分の姿を見て小刻みに震えるツバメ。顔はまるで般若。今にもブチ切れそうだった。
「はぁ・・・はぁ・・・。あぁ〜痛かった」
「ふんぬっ!!」
「ぐわぁっ! なぜ!?」
指の痛みから復帰したアンザイに向けてまたしてもミサイル発射。次の標準は右足の指だった。
ユウキとレンジは、それを見て凍り付き、笑えなくなってしまっていた。
*** *** ***
「よし。もうすぐ客が来るな」
アンザイは手元の腕時計を確認。四人はエレベーターの前に長机とパイプ椅子を置き、机の上には『受付』と書かれたプレートを立てた。
受付といっても彼らは、来た人が本当に抽選で選ばれた人なのか確認するだけ。
二人ずつでエレベーターの出口の両側に分かれ、当選者を待った。
「おっ、早速来たな」
頭にバンダナ、Tシャツのど真ん中にはアニメキャラクター、そして背中に大きなリュックサック。小太りの男が二名、エレベーターの中から現れた。
その男は右の方へ一瞥を加え、高校生くらいの男子二名を確認。対して左の方にはサングラスの大男と、少女。
「こんにちわー」
小太りの二人は迷わずツバメのいる方へ向かう。レンジは敗北感に見舞われたが、決して悔しくはなかった。
ツバメとアンザイは丁重に挨拶して、その小太り二人のチケットを確認し、入場を許可した。
「・・・何だよあれェ」
「しゃーねーだろ」
「・・・ユウキ、顔すごいことになッてんぞ」
ユウキは言葉とは裏腹に、切歯扼腕して悔しがっていた。馴れ馴れしく近づきやがって、とユウキは腹話術でも使っているかのように呟き、右斜め前方を進む大きな二つのリュックサックを睨みつけた。
「ほら、他の客来たぞ」
レンジがユウキの頭を鷲掴みし、グルリと目線の方向転換を促す。しかし、次々に現れるオタク達は一人たりともユウキとレンジの元へ来なかった。
「何なのよコイツら・・・! ってかアンザイ! 少しは仕事しなさいよ!」
「だって俺の方に来ないんだもん」
多くのグッズを納めるための巨大なバックを抱えた男達はツバメの元ばかりに集まっていた。アンザイに受け付けてもらおうと思う者はいなかったのだ。
「ちょっと! アンタ達も!」
「うっせ! こっちの方に来さえしないんだよ!」
ツバメ達のいる方で溢れ返る男達の間から、ツバメはユウキとレンジに向かって叫んだ。それに対してユウキが反論。
「ヒュー、ツバメモテるゥ。なァ? ユウキ」
「けっ!」
所々から、かわいいなぁ、だとか、こっち向いて〜、だとか。中には写真まで撮ろうとしている者までいる。ユウキは精神修行をしているのにも関わらず、感情を上手く抑えきれず、その顔はまるで鬼の形相だった。
「あッ、そうだユウキ」
「あ?」
「さっきの話なんだが・・・」
仕事がこちら側には来ないと判断。レンジは、先ほどアンザイの登場で遮られた話題を取り上げ、畏まって口を開いた。
ユウキの目つきは険しいまま、レンジに向けられた。感情が顔に張り付いてしまっているようだ。
「いいか? ツバメはな・・・」
その時だった。
ユウキとレンジの前を一人の痩せた男が通り過ぎた。エレベーターを出て一直線に、奥で開会式を待つカナさんの元へ歩み寄っていた。
「ちょ、あの人受け付けしてなくないか?」
「あのォ!! 受け付けをしてから進んで下さ・・・い?」
レンジが細身の男に近づいた。そして呼び止め、受け付けをさせて。そうやって終わるはずだった。それが当たり前だった。
しかしそうはならなかった。
男は大きなドラムバックに手を入れ、無言のままに何かを取り出した。
「・・・は?」
それは紛れもない、銃だった。
ここから一気にシリアス展開です。