15/15 シアワセ満面
お互い見つめ合い、少ししたらまた目を逸らす。二人は顔を真っ赤にして黙り込んだままで、時計のカチッ、カチッという音だけが部屋に響いた。
「あ、あの、座れば?」
最初に口を開いたのはユウキ。
ツバメは沈黙を保ちながら、頭を一瞬上下させて承諾の合図をする。そして、アンザイの座っていた椅子に座るが、チョコンという擬態語が一番しっくりくるその座り方は、ユウキの頭をクラクラさせた。
「・・・・・・」
「・・・・・・」
再び沈黙。
(こういう時って何話せばいいんだ!?)
確かに嬉しい。嬉しいけども、それ以上に恥ずかしい。
ツバメが告白のことを全て忘れていたならば、こうはならないはずなのだが、どうも見る限り、全てはっきり、明瞭に、明澄に、鮮明に、そして確かに、覚えているようだ。
「え、えと、その、体は、どうっ・・・どう、なのよ」
ロボットの言葉のように歯切れの悪いツバメのそれは、『どう』のところで一度裏返り、フラッフラの状態でユウキの耳に届いた。
「その、生きてはいる、かな」
「何それ」
自分でも自分のことは分からない。もしかしたら一生歩けないとか、そういうところまで重傷なのかもしれない。ただ、医者とは話していないから、確信がないだけなのだ。
曖昧な回答に、ツバメは目を訝しげに細めて、そしてすぐにそれを丸くした。
「でも、生きてて、ホントよかった・・・」
「うん。俺も、お前が生きててよかった」
「・・・・・・」
「・・・・・・」
再び沈黙。
(こういう時って何話せばいいの!?)
ツバメはそう思った。きっと同様のことをユウキも考えているのだろうとも思う。窓辺での会話の時は、止めどなく話題が頭の中から溢れるが、こういう畏まった場所での会話は少し二人には不向きな気がした。
「あっ、そだユウキ・・・。ごめんね・・・。置いていったりして・・・」
(ああ。そういえば、そういうことになってんだっけ)
ツバメは、ユウキが一人でビル逃げたと思っている。つまりそれは、ツバメがユウキを置いていったということ。
本当のことを話すにはまだ早い。
もしかしたらこの先、ツバメと結婚できたならば、自分の特異な能力を打ち明けねばならないが、でもそれは、二人が一生を共にすることを誓ったときの話だ。だから、今はまだ話せない。本当の事実は、まだ。
「そんな、俺が言ったことだし。お前は悪くないよ」
「で、でも、ホントに、ごめん・・・。うち、どうかしてたよ」
ツバメは俯いたまま固まった。そして、震えだしてしまう。
また、涙を流しそうになった。
けれど、そこにはユウキがいる。生きている、ユウキがいる。
ツバメの涙の元栓をしておける、たった一人の、ユウキがいる。
だから。
「・・・大丈夫だよ」
初めからこうしたかったのかもしれない。図々しいけど。
一番これが暖かいと思う。恥ずかしいけど。
こうすることが正しいって思う。照れくさいけど。
「な、な・・・!?」
ユウキはツバメを抱き寄せ、ツバメの頭を自分の胸に押しつけた。
「ユユユ!? ユユウキ!?」
「大丈夫だから。生きてるから」
椅子は倒れ、ツバメは完全にユウキに体を預けてしまった。
急に男がこんなことをするのは、言語道断かもしれない。女にいきなり抱きつくなんて厚かましいかもしれない。
しかし、ツバメはユウキを拒まず、しばらくゼロ距離のままいた。
布越しに伝わり合う二つの熱。それはとても熱く、異様に寒い今夜にはちょうどよかった。
「あ、え、えと、その・・・」
(うちはどうすりゃいいのよ・・・)
「・・・・・・」
(やべー。勢いで抱きしめたけど、この後どうしよう・・・)
二人の鼓動のリズムが徐々に上がっていく。それに比例して、体が熱くなった。
「お、俺はさ、今こうやって生きてる。だからその、もうごめんとか、言うなよ」
「で、でも・・・」
確かな温もりがここにはある。
ユウキはツバメを抱き直した。
「・・・えっとね、うちね・・・心配、だったんだ」
ツバメがユウキの胸に顔を埋めながら、弱々しい声色で言葉を発した。
「だから体の心配ならいらないって」
「それもあるけどさ。ユウキが無事だって聞いて、その、ユウキを置いていったりして、うち、ユウキに嫌われたんじゃないかって、ずっと心配だったんだ」
ユウキは幾度となくそう思ったことがある。俺って嫌われてるんじゃないか、とか、喧嘩しちゃったよどーしよー、とか。だから痛いほどツバメの気持ちが分かった。
そして、そういう気持ちの人には、どう声を掛けるべきなのかも分かっていた。
「うちね、ほんとはお見舞いに来ないつもりだったの。面目ないというか、合わせる顔がないというか。でも、レンジがどうしても来いって言うからさ」
人が人に対して不安を抱くとき、大切なのは優しさと、少しの強引さだとユウキは思う。でも、自分より一枚上手の人間には優しさだけで十分だ。
「大丈夫だよ。俺は、見捨てられたとか、置いてかれたとか、思ってないから。だって、俺が言い出したことだしさ。謝りたいのはむしろ俺なんだ。あんな辛い決断をさせちゃって、すまん」
「・・・何か、今日のユウキ優しすぎて、逆に気持ち悪い」
「ええっ!?」
人がせっかく優しくしてやっているのになんだこいつは、とユウキは思った。
しかし、本心から気持ち悪いと思っているならば、この両手を払いのけるだろうとも思っていた。
「・・・・・・」
「・・・・・・」
再び沈黙。ユウキの胸には、ツバメの体温が感じられる。それはとても暖かく、心地よく。
「ユウキ。もう、少し、このまま、で・・・」
「・・・うん」
それからどれくらい経っただろうか。時計を見ると五分しか経ってない。しかしユウキにとってその五分は、数学の授業よりも長く感じた。
ツバメが抱きしめているわけではないから安易に動きづらい。そうやって緊張もするが、どこか落ち着くものもある。
「ユウキ、うちね、うちね」
「ん・・・?」
ツバメはおもむろに口を開いた。恥ずかしそうに、顔を赤らめて。だけど、その口元は微笑んでいて、どこか、シアワセそうだった。
ツバメは微笑んでいる。ユウキも微笑んでいる。
ここには今、シアワセな時間が流れている。
「うちね、その、ユウキが・・・」
ツバメの、大きく開いた目は潤んでいた。
瞳にユウキの姿がくっきりと像をむすんだ。
バクンバクンと高鳴る心音。血走る眼球。背中を伝う汗。
ツバメも同じ状態であったことは、ユウキは知る由もない。
「ユウキのことがっ・・・」
「下を〜見てごらん。綺麗な花だね〜。上を〜見てごらん。鳥達の群だね〜」
裏返ったツバメの声に被さるようにして、何やら歌声が。
どこかで聞いたことのある声の特徴。その歌声は一つではなく、男と女のデュエットのようだ。
さらにギターの音も聞こえる。ジャカジャカと、ゆったりとしたリズムをつくり、奏でていた。
「手を広げてごらん。気持ちの良い風だね〜。手を掲げてごらん。眩しい月だね〜」
「何なのっ!? このクソ良い時に!!」
ツバメはユウキの両腕をどかし、憤慨しながら勢いよく音のする方、つまり外の方を確認するため窓を開け放った。
刹那、ツバメは固まった。
「ツバメ・・・? どうか、し・・・うわあっ!」
「す、すごっ!! ちょっと、ほら、よく見てよ!!」
ツバメはユウキの右手を取り、強引に窓の外を覗かせた。その勢いで足を主として体の節々が痛む。ユウキの下半身に掛けてあった布団はベッドから落ち、ついでにアンザイが置いていった本も床に転げた。
しかし、外の景色を見た瞬間、そんなことどうでもよくなった。ユウキの視界に飛び込むのは、まるで地獄絵図の正反対の光景。
まさに、天国絵図だった。
「っ・・・!!」
「すごーいっ!! すごーいっ!!」
春なのに、雪が降っていた。
その雪は、星のようにキラキラ輝いていて。
「おっ!! ツバメちゃんだっ!!」
「ツバメちゃーんっ!!」
向かいには別の病棟がある。その棟の全ての窓から、怪我したオタク達も、握手会の関係者も、そうでない人も、笑顔で窓から乗り出してこちら手を振っている。
みんな。みんなだ。
みんな、笑っていた。人ってこんなに笑えるんだって、思えるくらい。
「ユウキィ!! ツバメェ!! 遅ェよッ!!」
二人が向かい病棟の方の屋上に目をやると、そこにはなぜかかき氷を持っているレンジとキリヤの姿。そして、その隣にはアコースティックギターを弾いているアンザイと、マイクを持ったカナさんがいた。
「この大地に生まれて〜、なんとなく生きてきたけど〜、失って〜気づいたんだ。身近なものの大切さに〜」
「何なのこの歌は」
「『マジカルゲッチュー』の何か、じゃないか?」
アンザイとカナさんの歌声は、マイクを通じ、屋上にあるスピーカーで増徴されていた。それに負けじと幾重にも重なるみんなの歌声。
「じゃぁ、この雪は?」
「あれ、じゃね?」
ユウキが指さす先には、レンジの横にある妙に巨大なかき氷製造機。暗くて今一見づらいが、あれは確かに自動かき氷製造機だ。そして、さらにその横にあるのは、これまた妙にデカい扇風機と、舞台一つを照らせそうなライト。
かき氷製造機で小さな氷の粒子ができ、巨大扇風機でそれを上空へまんべんなく散らす。そしてそれをライトで照らし、光輝く雪の完成。
「ホントの雪みたいだな」
「花は君を〜、彩るために〜。鳥は君を〜、導くために〜。風は君を〜、乗せてくために〜。月は君を〜、照らすための〜、スポットライト」
地上に振る星屑。止まらない歌声。どこからともなく飛ぶ、看護師の怒気。それすらも楽しさに変える、満面の笑み。
いつまでも見ていたい幻想世界。
みんな、嬉しそうだ。あんな事件の後なのに。
「友は君を〜、助けるために〜。恋は君を〜、暖めるために〜。僕は君を〜、支えるために〜。君は君を〜。君を〜」
「すごいよ・・・。みんな、シアワセそう」
ツバメは降り注ぐアスタリスクを見つめながら言った。そして、握っていたユウキの右手を、より一層強く握る。
「ユウキ・・・」
ユウキもツバメの手を握り返した。
「うちね、ユウキが好きだ」
ユウキの頭の中は真っ白になった。そしてすぐに頭のキャンバスが明るく彩られていく。驚愕ではあったが、どこか自然にも感じることができた。そして、これがシアワセってやつか、とも思えた。
幾億通りある巡り会いの中で、こうやって自分をシアワセにしてくれる人に出会えたことは、本当の奇跡のように思う。
「・・・そっか」
それはツバメだけじゃなくて、レンジもアンザイもあてはまる。
「・・・そっかって何よ」
一体どのくらいなのだろう。シアワセと出会える確率は。
多分、それがゼロに限りなく近くとも、人々はそれを探すはずだ。探すのに疲れてへばっても、どんな声も届かなくなっても、そうなるのもシアワセを求めるが故。
「えっと、あのさ・・・」
人は独りじゃ生きていけない。だから支え合うのだと思う。もし、独りで生きていけたって、そんな人生絶対シアワセじゃない。シアワセのない人生なんて、死んでいるのと同じだろう。
死ぬのが嫌だから、本気で支えてくれる人を探して、本気で出会って、本気で助け合って、本気で悩んで、本気で生きて。
本気で恋をして。
「ツバメ・・・」
運命様の試練を幾つも超えて、やっとたどり着けた『今』がある。
恋って、こんなに大変なことだったっけ。
俺は、もっと簡単なものだと思ってた。告白して、承諾してもらえばそれでいいと思っていた。
でも、どうやら恋は至極複雑なものらしい。
これからまた試練が与えられるかもしれない。その時は、一人と一人で、じゃなくて、二人で、乗り越えていこう。
二人で、シアワセを見つけよう。
「俺も・・・」
背中に担いだ過去という名の重りが、軽くなった気がした。けれど、それは過去が無くなったからじゃない。
ーーーーツバメが、力を分けてくれたんだ。
「ツバメのことが、好きだ」
「I`m sure that〜 you can love even itぃ〜」
アホくさいメロディーも、自分達を祝福してくれるラブソングに聞こえて仕方がない。
「you can love even itぃ〜 you can love even itぃ〜」
ユーキャンラブイーブニットと、皆が歌い始めた。
ユウキもツバメも、そのメロディーを口ずさむ。
オタク達は一つの窓に何人も乗りだし、腕を頭上で左右に泳がしている。
さっきまで怒っていた看護師や、まったく関係ない患者も、医者も、オタク達と仲良く声を重ねる。
レンジはメガホンで叫び、キリヤも小さく口を動かす。
カナさんはとても綺麗な声でリードし、アンザイはそれにハモるように歌っている。
「laぁ〜lalalaぁ〜 イェイイェイ laぁ〜lalalaぁ〜 イェイイェイ」
いつまでも、こんな時間が続いてくれたら。きっと皆もそう思ってる。
嫌な思い出がそれで塗り変えられるわけなんてないけれど、今はこうして皆で笑って、歌っていたい。
「laぁ〜lalalaぁ〜laぁ〜lalalaぁ〜 イェイイェイイェ〜イ」
この先、今日の事件を思い出して辛くなっても、この思い出がある限り、すぐにそんなの笑い飛ばせる。
俺にとって、この思い出は、過去は、重りなんかじゃない。むしろ、その真逆の存在だ。
それは、まるで。
「羽根、かな。チキンだけに・・・」
「ん? 何か言ったユウキ」
「いや、何でもないよ」
春に降る雪と歌声は、途切れそうな夜をつなぎ止め、百幾つの心と心を、一つにした。
*** *** ***
サクランビル近くにある大学病院で、二人の看護師が廊下を歩いている。
「はぁ〜。喉痛いわぁ。昨夜はちょっと歌いすぎたかしら」
「看護師たる者、ハメをはずしてはなりません」
「婦長も来れば良かったのに」
「結構です。梅野さん、回診に来ました。あら? 妹さんかしら」
婦長が見たもの。
それは、互いに寄り添い合い、手を絡ませて眠っている、二人の男女の姿だった。