第6話 走る喜び
……
夜が明け外は日が昇り始める。小屋の窓から朝日が差し込むと、気持ち良さそうな顔で寝ているモウガスの顔に当たり始める。やがて目の部分へと当たり、その眩しさに耐えかねたモウガスが目を覚ます。
「ふわあー……あ、あれ?何時の間にか寝てたのか俺?」
寝ぼけながらも昨日の記憶を思い出そうとする。アンナと会話をした所までは薄らと覚えているが、具体的な時間は分からなかった。それもその筈でアンナの使用した魔法スリイープの杖でモウガスは強制的に寝かされていたからだ。
だが他にもおかしい点にモウガスが気付く、朝食の時間なのに釜土からアンナが朝食を作る音と、その匂いがしないのだ。
寝ていたベッドからゆっくりと起き上がると、目を擦りながらモウガスがアンナの姿を探し始める。
「おーい、アンナ!どこにいるんだ!」
小屋の広間を見回してもアンナの姿は無かった。何か用があって外出してるのだろうと思った時、机の上に透明の液体の入った小瓶と、その下に書置きの洋紙が目に入る。
それを見た瞬間、モウガスの目の色が変わる。アンナの姿がない理由、依頼が終わった今日、書置きと小瓶、それらを見たら鈍感なモウガスでも気付く。
モウガスの心臓が激しく動くと一気に全身に血が巡り、寝ぼけていた頭がすっかりと晴れ、急いで扉を開けると外へと飛び出す。
「アンナ!アンナーーーーーー!!」
巨大な木の傍でモウガスが大声でアンナを呼ぶが反応は無い。辺りには小鳥のさえずり声と巨大な木の葉がそよ風に揺られ葉同士が擦れる音しか聞こえて来ない。
モウガスの嫌な予感が的中した、理由は分からないがアンナは自分の役目を終えるとここから去って行ったのだ。仕方無く、小屋に戻り椅子に座ってアンナの残して行った書置きを手に取ると寂しい顔で読み始める。
『モウガスへ、悪いけど湿っぽいお別れは苦手でね、書置きを残す事にしたよ、分かると思うけど小瓶が万能薬だ、ここで飲む前の注意点も書いておくからしっかり見ておくれよ、まず飲んだら半日から1日は動けないから事前にしっかりと水分を取る事、扉はしっかり施錠する事、寝床に横になってから万能薬を飲みきる事、それだけだよ』
途中までは万能薬の使用方法についての説明だったが、その後はモウガスに対してのアンナの感謝の気持ちが綴られていた。
『モウガスと初めて会ったあの日、死んだ息子が帰って来たと思って、出会った時から天にも昇る気持ちだったよ、たった1カ月だったけど、とても懐かしくて楽しかった、こんな婆に夢をありがとう、もう会う事もないだろうけど、遠くであんたの活躍を祈ってるよ』
文字の最後が滲んで読めなくなる。モウガスが目から大粒の涙がぽろぽろと書置きに落ちていた。まだまだ言いたい事はあったのに、一方的に居なくなって、それが出来なくなると分かった途端に感謝の気持ちと寂しい気持ちが混じり合い、涙が溢れて止まらなかった。
「もう会えないって何だよ、くそが、お礼を言いたいのは俺の方だってのによ……」
涙を指で拭うと手紙の最後に一言、追記があるのに気付く。
『あたしの歴代最高傑作と言っていい万能薬だから安心しておくれ』
この言葉の真意は後に分かる事だが、例え傑作でなくてもモウガスにはもう迷いは無い。
「見ててくれよアンナ、あんたの期待に応えてやるさ」
書置きを読み終えて立ち上がるとアンナの言う通りに扉を施錠して水瓶から小さい桶で直接3杯飲み込む、そして万能薬を手に取り、今まで寝ていた寝床へと腰を掛ける。
万能薬の小瓶を見ながらアンナとの1カ月間の記憶が蘇る。親の居ないモウガスにとってアンナは短い間であったが、家族も同然であった。もしモウガスに親が居たのならこの様な気持ちの良い平穏な日々が続いたのだろうと懐かしむ。
懐かしんでいると再び感情が込み上がってくる、それを抑えながら目を大きく開き覚悟を決めると万能薬の小瓶の蓋を取り、一気に飲み干す。
「んぐっ……ぷはあ」
飲み切るとアンナの言い付け通りに寝床に仰向けで寝そべる、間もなく金縛りにあった様に体が動かなくなる。
(か、体が動かねえ……)
口も動かないので言葉も発せない、最初は抵抗しようとするが無駄だと悟ると、次第に体が受け入れ始め瞳が閉じて行く、やがて意識が遠のいて行く。
これは夢なのか、モウガスが生まれてからの記憶が頭の中を駆け巡る様に過ぎ去って行く。
母親らしき女性が悲しい顔で涙を流す姿、孤児院での楽しい生活、青年になってから騎士団に入団、厳しい訓練に過酷な実戦、告白に失敗して失恋した事、酒場で同僚に慰められた事、他領の騎士団との合同訓練、公爵家の子息の初陣の魔獣討伐、怪我をしてからの騎士団での療養生活、退団後の冒険者登録、薬草採取の日々、そしてアンナとの1カ月……。
全てが過ぎ去った最後には暗闇の中に小さく輝く星達が現れ、モウガスが宙に浮いている様な感覚になる。少しづつ、少しづつ輝く星も消えて行き、暗闇だけが残って行く。
………………
…………
……
『まさか……こんな事になっちまうなんて……でも、あんたなら大丈夫さモウガス……』
どこからともなく聞き覚えのある声が聞こえる。それはアンナの声色に似ていた。近くに居るのなら会って直接お礼を伝えたい、こちらこそありがとう、と。
その伝えたい気持ちが強まるにつれて暗闇の中にに光が差し込む。
少しづつだがモウガスの目が開いて行く。
意識が戻ると真っ先に指先を動かし、手を動かし、腕を動かすと、次につま先から膝、太腿も動ける事を確認する。アンナの説明にあった金縛りはどうやら終わった様だ。
のっそりと上体を動かし窓の外に目をやるとまだ明るい。さらに窓に寄って空を見上げると日が傾き始めていた。
「本当に半日は動けなかったんだな……んっ?」
アンナの書置き通りに体が動かなかった事を口にすると声色が普段に比べ妙に声が高く透き通っていた、すぐにモウガスが違和感を感じる。
「あー……あー……これも副作用か?」
何度も声に出すが声色は変わらない、副作用の一部だろうと考え鈍感なモウガスは特に気にする様子も無く、ベッドを下りて立ち上がる。すると肌着がずり落ちてくる。
「うおっと、なんか服が大きくなってるな」
ぶかぶかになった肌着を片手で抑えながら、薬草を吊るす為の予備の紐を取ると、簡易的だが紐で肌着を縛って体に固定する。
肌着を固定して体が自由になると、肝心の右膝を包帯の上から手で擦ってみる。
応急処置後も時折感じた染みる様な微かな痛みも無い。右足を上げて片足立ちになると、膝下を前後に揺らす様に動かしてみる。
今まで感じていた右膝の違和感が一切無い事を確認すると、モウガスの不安だった顔が一気に明るくなる。
「痛みを感じねえ!やったぞアンナ!俺の右膝が治ったんだ!やったぞー!!」
胸から溢れ出る喜びを狭い小屋の中でモウガスが飛び上がって表現する。
怪我をしてから1年、モウガスがこの時をどれ程待ち望んでいたか。それも全てはアンナとサラの強い後押しがあったからこそ最後まで諦めずに来れたのだ、どちらが欠けても今のモウガスは無かったと断言できる。
しかし飛び跳ね続け着地する度に、今度は胸に違和感を感じる。モウガスの胸は締まった大胸筋が二つあった筈だが妙に揺れるのだ。
「なんか俺の自慢の大胸筋が揺れた様な、足元も見えないし……まあ前も大胸筋で見えなかったけど」
大胸筋の盛り上がり具合はアーマー職にとって名誉なのだ、鍛え方も生半可では無い。以前と変わりない事が分かると鈍感なモウガスの頭から胸の違和感は消えて行った。
また小屋を見回すと、いつもと視線が違う事に気付く、頭一つ分下がった様な感覚だ。改めて腕と足を見ると太腿以外が以前より、細くなっているし毛が生えていない、それを見てモウガスの表情が少し暗くなる。
「アンナの言った通りか、副作用で能力値が下がって筋力も毛も落ちたんだろうな……また鍛え上げないとな」
副作用の説明は事前に受けていたので特に気にする事なくモウガスはありのままを受け入れる。特に筋肉は鍛えれば鍛える程に付いて来る、悲しむ暇があれば鍛えろの精神である。
だが身長は筋肉に関係無い事にモウガスは気付いていなかった。本当に鈍感にも程がある。
次に愛用していた重装鎧を装備しようとするが、体に取付け用とすると肌着と同じくするりと地面に落ちる。
ガキィィィン!
「あー本当かよ!鎧も再調整しないといけねえのか!」
他にも鉄兜を念のため被ってみるが、大き過ぎて前が見えないし、隙間だらけで頭に合わない。しかも良く見たら髪の毛も長く伸びていて視界に入って来る。やたらと目にチクチクと刺さるので紐を使って前髪の毛を抑える。
他の防具も試すが、大盾以外の防具一式が全て合わないのを確認するとモウガスの顔が暗くなる。
「頭も剃らないといけないし、商売道具の防具は全部調整か……お金が……無いっ!!」
この1年モウガスは【薬草採取】しか行っていない、もちろん蓄えも無い。防具一式の再調整にはお金が掛かるのだが、その料金が高い事を知っていたので頭を抱えて落胆する。
だからと言って大枚をはたいて購入した防具一式を置いて行く訳にもいかず、仕方なくベッドの布を拝借して風呂敷代わりにして包み込む。
一通り荷物を片付け整理を終えると防具一式が入った荷物を背負い、足に合わない靴の紐をきつく縛り固定、小屋の扉の施錠を外すと外に出る。鎧が無い状態で肌着のままだが、カルラナまでは人通りは殆ど無い、それに男のモウガスの肌着をじろじろと眺める者も居ない。
外はすでに夕暮れ時に差し掛かっていた。小屋の前の野原にモウガスが立つと巨木に寄り添った主の居ない小屋を振り返って眺める。
(長い様で短い1カ月だったな、アンナ……この恩は一生忘れないぜ、必ず俺は戻るからな)
モウガスが頭の中でそう呟くと、懐かしい思いを振り切るかのように背を向ける。そして1カ月前に通って来た道を辿って地方都市カルラナを目指し始めた。
~
来た時は右膝の痛みを堪えてゆっくりと進んでいた山道を今は全力で走っている。それも想像以上の物凄い速さでだ。まるで足に翼が生えたように軽く、以前の右膝の怪我が無かった時よりも早い。
「うっはー!こりゃすげえや!走るのが気持ち良い!」
モウガス本人も1年振りに全力で走る、しかも前よりも早いから楽しくて仕方がない。それに走っても走っても一向に疲れが来ない、大陸の端から端まででも走って行けそうな気さえする。
来る時は渡るのに時間の掛かっていた沢も、岩を足場に大きく跳躍して飛び越える。足場の悪い下り坂の山道だって、転倒する事無く魔獣の如く器用に勢いが乗ったままに下って行く。
思いっ切り走れる自由を楽しみながら走り抜けると、日が落ちて辺りが暗くなった頃に馬車を下りた場所に辿り着く。
「4日掛かった道がたった数時間かよ……しかもまだ疲れてない」
さすがに鈍感なモウガスがおかしいと思い始めるが……。
「よーし、今度はカルラナの町まで走るぞ!」
すぐに考えるのを止めた。すでに頭の中には溢れ出る元気を走る事で表現する子供の様な状態だ。ちょっとした準備体操をすると、開拓地に続く街道をカルラナ方面へと走り始める。
「風がきっもちいー!ははははは!」
山道と違い、平地なので速度も上がって行く。そしてその顔は万遍の笑みである。傍から見たら狂気に満ちた姿だろう。
途中、馬に乗った老騎士とすれ違うがモウガスの目には映っていない。そのままモウガスが駆け抜けると老騎士が驚きモウガスの後ろ姿を目で追う。
「な、なんだあれは……人なのか?馬より早いではないか……」
驚嘆する老騎士の鎧にはロンフォード公爵家の紋章が刻まれていた。
モウガスの速さに驚くも、少しして我に返り本来の目的を思い出す。老騎士が馬に吊り下げた鞄から地図を取り出し、辺りを見回す。どうやら何かを探している様子だった。
「しかし、森の魔女の所在はこの辺りの筈だが……どこにも道が無いではないか」
モウガスが下りてきた山道はいつの間にか消え、草木に覆われていた。老騎士がしばらく周囲を探索するが、暗くなった中での探索は無謀と諦め、来た道を引き返して行った。
~
翌朝、地方都市カルラナの職人地区にある数ある鍛冶屋の一つ【覇者の剣】。その店の前にモウガスの姿があった。
朝日が昇り始めると【覇者の剣】の主人の男が店の扉を開けて背を伸ばす。
男は中年で長い黒髪を首の後ろで紐にまとめ、頭に覆う様に黒ずんだ白い頭巾を巻き、同様に煤けた肩掛けの白い布の服に、革製の腰の前掛け、表情は眉間にしわを寄せ常に怒っている様な顔だ。
背伸しが終わるすると店の入口の横で大きい風呂敷を枕に寝ているモウガスに気付く。男がしかめた顔をしながらモウガスを見つめる。
「なんだあ?この汚ねぇ奴ぁ?田舎から出て来た冒険者希望か?」
「オヤジどうしたの?」
主人の男の声に気付いた年の若い女が続いて店の入口から顔を出す。
「うっわー汚い格好……」
若い女は赤い長い髪を後頭部で紐にしばり、温厚そうなゆったりとした顔をしている。服も主人の男と違い、胸にハートの刺繍が入った白い前掛け、半袖の衣服に、材質の強い青い下穿き、という格好をしている。
年の若い女の言う通りモウガスの姿は酷かった。
衣服は白かった肌着がうっすら黄ばみ、走り続けて受けた風切りによって布の端は擦れて縫い目が解けている。 下穿きに至っては走り過ぎて股周りが破けて短い下穿きの様になりつつあった。それを雑に紐で縛り付けた上に、靴も底が捲れてつま先が露出している。そして紫色の髪の毛は風に揺られ続けボサボサで埃まみれある。
誰がどう見ても第一印象は汚い。モウガスが居るだけで商売の邪魔になるのは明らかだ。
「これ、どうする?オヤジ」
「大桶に冷たーい水を汲んで、ぶっかけて起こしてやれ!商売の邪魔だ!」
「はーい」
主人の男と若い女が一緒に店の中へと戻ると、若い女が主人の言う通りに大桶一杯に入れた水を持ってくる。それを店前で気持ち良さそうに寝ているモウガスに向かって勢い良く水を掛ける。
「そーれ!」
バッシャアアアア!!
「んっがー!ぢべたいいーーー!!」
一気に冷たい水を掛けられたモウガスが驚き情けない声を上げ飛び起きる。その様子を若い女が冷たい視線で見ると手を払う仕草をしてモウガスをあしらう。
「ほら、君!商売の邪魔だからどっか行ってね」
若い女がそう言うと店へと戻り扉を閉める。
目が覚めて朦朧とする意識の中、モウガスが少しづつ周りの状況を把握していく。
「あー……やっと朝か」
昨晩、馬車で2日間掛かった街道を夜通しで走り抜け、夜が明ける前にカルラナに到着した。まずは体に合わなくなった重装鎧の調整をして貰おうと思い、馴染みの鍛冶屋である【覇者の剣】の入口で開店するのを待っていた。しかし膝が治った安心感を感じると気が抜け、急激な眠気に襲われて眠ってしまったのだ。
「しっかし、いくら汚いとは言え常連に水を掛けるなんてよ、酷えなあ……」
家無しと間違われる位に汚いモウガスが悪いのだが、自分の今の姿をまだ見ていないので気付いていない。
掛けられた水がよっぽど冷たかったのか愚痴をこぼしながら濡れた顔を袖で拭うと、気を取り直して風呂敷を背負って立ち上がる。
「よっし!行くか」
そして汚い姿のままモウガスが鍛冶屋【覇者の剣】の店内へと入って行く。




