第一話 「あけみ」 1.かわいいオンナ《プリティー・ウーマン》
もちろん、その逆もいるけど…「アゲマン」の女っていうのは、たしかにいる。
それは、男を「その気にさせるオンナ」という意味だ。
『機能美』という点で言えば、やっぱり「ナイフ」か「銃」が、もっとも美しい。シンプルで、目的以外の余計な装飾が施されていない物が…。
そして、誰かに殺されるなら、とびきりイイ女にナイフで一突き、ニヤッと笑って死にたいものだ。たとえば…
赤いタイトなドレスを纏い、長いストレートな黒髪が、その思い詰めた表情を半分隠して、後ろ手に刃物を持って近づいて来る。そして彼女は、無言もしくは、「死んで…」と低く囁いて、俺の胸に白刃を突き立てる。
『誰かに殺されるなら、そんな死に方がしたいものだ』
俺は真っ昼間から、座イスに浅く身をあずけ、コタツ布団のかかっていないコタツに、ふんぞり返るように両足を突っ込んでは、再放送の安っぽいサスペンス・ドラマを観ながら、そんな事を考えていたのだが…
「ね〜今度、温泉行こうよ。オフロに入って、おいしい物食べて…ディズニー・ランドか上野動物園でもいいな!」
俺のそんなカッコイイ夢を打ち砕くかのように、俺の彼女「あけみ」は、俺の頭の真上から、無邪気にそう言って、同意を求めてくる。
「ディズニー・ランドなら、あそこのホテル。上野動物園なら、品川か赤坂のホテル。ねえ、どう?」
ゆるいウェーブのパーマがかかった髪は、寝グセまじりでボサボサだ。
「なに言ってんだよ。新婚旅行じゃあるまいし…。だいたい俺たちが、そんなところに泊まるって柄かよ」
個性的な目鼻立ち…クリッとした眼に、口角の上がった大きめの口に、取って付けたような鼻。けっして「美人」とは言えなかったけど、俺は個性を尊重する。それは、たとえば芸能界を見たってわかるだろう。ありきたりな「美型」より、何か特徴のある造形の方が、かえって印象が強いものだし、人気が出るものだ。それにだいたい俺は、いわゆる「面食い」じゃなかった。
「あら、ちゃんとお金払えばいいんでしょ」
オマケに少し、世間知らずな「不思議ちゃん」が入ってる。まあ、どこか憎めない取り柄だったけど…
『だからコイツは困るんだよ』
俺は思った。『一流ホテルに泊まれる最低条件は、ボーイやポーターに、さりげなくチップを渡せることだ』と、俺は思っている。いくら金があっても、そういった最低限のマナーや知識の無い成金趣味の人間には、資格が無いのだ。
だいたい今どきのニッポン。値段の付いている物なら、ちょっと我慢すれば、実現可能な事はいくらでもある。
俺の知り合いで、何の知識も下調べも無く、高級レストランに一人で、フル・コースの料理を食べに行った奴がいる。そいつは、『料理が全部出揃うまで…』と、最初に出てきたスープにまったく手をつけずに、待ち続けたそうだ。たぶん裏で、ウエイター連中の嘲りを受けながら…。
俺は、そんなのはゴメンだった。
だいたい、勘違いしている奴らが多すぎる。「お客様は神様です」なんて、馬鹿なことを言う奴がいたからだ。「貧乏神」ないし「疫病神」のクセして、『金さえ払えば、なんでもオッケー』だと思い込んでる「成金趣味」な連中ばっかりで、いい迷惑だ。
『悪趣味な冗談…ソイツを口にした奴は、前言を撤回して、世の中にたいして、きっちり謝罪してほしい』
俺は常々、そう思っていた。
「また今度な」
「今度って、いつよ?」
「そのうちさ」
「そのうちって?」
「そのうちだよ」
「う〜ん、ケチ!」
「そろそろ、仕事行く時間だろ」
俺は、参考書やテキストなんかが入ったバッグに目をやる。けっきょく今日は、中身を出しもしなかった。
「公共の電波を使ってるんだから、もっといいオトコ出せばいいのに」
あけみは、俺が観ていたサスペンスの主人公にそうケチをつけると、立ち上がって着替えを始めた。最近の俺は、昼間、ここ…彼女の部屋に、入りびたっていることが多かった。
「あしたはどうすんの?」
あけみはアパートの玄関でヒールを履きながら、そう叫ぶ。
「わかんね〜よ。電話するよ」
「わかった。じゃね」
彼女はそう言って、鍵もかけずにおもてに出て行く。
『カギくらいかけろよな。なにかの勧誘や集金が来たら、どうすんだよ』
俺は仕方なく立ち上がり、ドアをロックする。この部屋は、フローリングの四畳半と六畳の二部屋と、台所、それにトイレのついたユニット・バスのあるアパートの一室だった。駅のすぐ近くでこれだけの部屋となると、家賃も結構いい値段だろう。
俺は彼女の職業を、正確には知らなかった。水商売であることは否定しなかったが、「料金がか?」「品格がか?」わからなかったが、とにかく「あなたの来るようなトコじゃないわ」と言って、正確な所在地や店名など、いつもはぐらかされていた。
でも毎回、アパートを出る時は、大した格好をしていなかった。
「お店には制服があるし、パーマ屋さんでセットしてから出勤するから」
彼女はいつも俺の質問をかわしていたし、俺もそれほど深く追求する気にはならなかった。
『言いたくなけりゃ、それでもイイじゃん』
俺は他人の立場や考えを、すぐに認める人間だ。
「さてと」
玄関まで歩いて行った俺は、ついでに冷蔵庫から「ドクター・ペッパー」を取り出した。「クスリ臭くていやだ」と言う人間も多いが、俺はそんなところが大好きだった。真夏と、真冬の乾燥した時期、暖かい室内にいると、炭酸系が欲しくなる。そんな時は決まって…手元にあればの話だが…コイツを飲ることにしていた。
『俳優になるんだったら「変身ヒーローもの」でデビューして、「刑事ドラマ」の若手刑事役で人気を出して、最後は「時代劇」の花形スターで名を博すってのがイイよな』
俺はドクター・ペッパーとタバコを交互に口に運びながら、そんな事を考え、クライマックスを迎えつつある、先ほどのテレビ・ドラマを見続けていた。
『才能だけでできることや、好きで好きでしょうがないってことなら、苦労も苦労とは感じないんだろうな。俺にも何か、そんなものがないかな』
俺は何のアテも無いまま、漠然とそんな事を考えていた。
『これが終わったら、帰るとすっか』
俺は彼女がここに戻って来る時間には、家にいなくてはならない立場だった。
俺は浪人中だったけど、すっかり目標を見失っていた。
(もっともはじめから、そんなものは微塵も持っていなかったけど)。
高校受験の時も、そうだった。俺は決して成績が悪いわけではなかったが、皆が真剣に受験勉強を始める頃になると、ナゼかシラケてしまう。中学三年の時は、「これから最後の追い込み」という夏休み明けの二学期から、俺の試験結果の順位は逆走を始めた。
ちょっとばかり高校受験のための勉強を始めたのは、年も改まって、正月気分が抜けた頃だった。それで、そこそこの高校しか受験させてもらえなかったわけだ。
(実際、終わってみれば、学区一の公立校だって、余裕で合格できる点数だった)。
親や教師は嘆いた。
「頭は良いのだから」とか、「やれば出来るんだから」など。
でも、俺にはそんなこと、関係なかった。
「行きたくても、行けない人もいるんだぞ」
それこそ、俺には無関係だ。だいたい、頭が悪いんじゃ仕方ないけど…でも、はっきり言って、三流私立にも入れない奴なんて、普通の人間にはいないはずだ。それに今どきのニッポン、貧しくて進学できない人間など、いるはずがない。
そんなこんなで入った公立高校は、俺にとっては「楽勝」レベルの学校だった。高三の夏前までは、廊下に貼りだされる成績上位者の中に、俺の名前が無かったことはなかったが…それ以降は、また同じことの繰り返しだった。俺は普通科に通っていたので、進学希望者は大勢いた。でも、周りが真剣になればなるほど、俺はシラケていった。
『バカじゃね〜の』
俺はそう思って何もしなかったが、とりあえず、親や教師に薦められるまま入学試験だけは受けた。でももちろん、『三流大学に行くくらいなら、働いたほうがマシ』と思って受けたそこそこレベルの学校では、どこにもカスリもしなかった。
だいたい、「学歴社会」なんて言われてるけど…俺はだまされない。
あたかも進学する学校によって、まるで将来が決まったかのように語る大人も多いけど…本当に出世する人間にとって、「高学歴」なんて単なる通過点。
ましてや、この世に「生」を受けて、たかだか二十年くらいの時点で、「行く末」まで決めつけないで欲しいものだ。
「ふあ〜…」
俺は、腰掛けていた座イスの上で、伸びを一発。重い腰を上げて、あけみの部屋を出た。
そんな俺たちのそもそもの出会いは、深夜のカラオケ屋…梅雨入り前の、カラッと暑い晩だった。
「友だちんトコ泊まって、勉強してくるからさ」
俺はそう言って、問題集を片手に家を出た。
同じセリフを吐いて、「徹マン」してる奴らもいたが…もちろん本来の意味は「徹夜マージャン」だったが、「夜通しヤリまくる」という意味も持っている。麻雀には興味が無かった俺は、後者の相手を探しに、仲間二人と夜の街をホッツキ歩いていた。
「今夜は収穫なしか」
午前〇時を回った頃だった。でも三人とも、同じ口実を使って家を出ていたのだから、今さら帰ることなどできなかった。
それで、明け方まで営業しているカラオケ屋に入ったのだが…初夏の週末ということもあって、順番待ちをしなくてはならないほどに混んでいた。
「この前さ、トルコに行ったんだよ。そしたらさ、出てきたのが中学ん時の同級生でさ」
俺と同じ予備校に通う高瀬が、そう言って話しはじめる。
(まだ「トルコ風呂」という表現が一般的だった時代。ターキー側から苦情がきてからは…誰が考えたのかは知らないが…「ソープ・ランド」という言葉が使われるようになった。「なぜトルコなのか?」と訊かれても…いろいろと俗説などもあり、返答に困るけど…現代でも、アタマの悪い奴らが「風俗」の正しい意味も知らないで、「フーゾク」の事だと思っているようなものだろう)。
コイツとは、予備校で知り合った。
「顔はけっこうカワイイ子だったんだけど、高校中退してからヤバイ道、歩いたみたいでさ。ヤクザのヒモがついてるとか言って、身の上話が始まったら泣き出しちまってさ。高い金払って、人生相談で終わっちまったよ。相手がカタギなら、外で会ってもいいけどさ。ヤーさんじゃな」
細い銀ぶちフレームが、少し神経質そうに見せているが、度はそれほど強くない。デブというほどではないが、ちょっと小太り。見かけによらず(案外、見かけ通り?)、けっこう偏差値の高い大学を、マジで狙っていた男だ。
(今では「狙っていた」と、過去形になりつつある。それもこれも、続いて登場する悪い人間と出会ったからだ)。
「俺は中学ん時の先輩の同級ってのが、ビニ本やアダルト・ビデオに出演してるっていうんだよ。探してるんだけど、なかなか見つからなくてよ」
自宅浪人中の土井は、そう語る。
(まだ、CDやDVDなんて無かった頃だ。今では死語となった「ビニ本」と呼ばれる、ビニール袋で封のされたエロ雑誌。なぜか、流行らない古本屋でばかり売られていた時代だ)。
細身でラフな格好。色白で華奢な印象を与えるが、案外こういった奴がキレると、一番ヤバそうだ。たとえて言うなら、「カミソリ」といったところか。どちらかと言えば、過保護すぎてイカレちまった高瀬の正反対。放任過ぎて放蕩しているタイプだが、親分肌で仕切り屋の面も持っている。
(今どき、高校の卒業記念に、母親が灰皿をプレゼントしてくれるような家庭なんだそうだが…「隠れタバコ」で火事なんか出すより、そっちの方が、よっぽどマシかもしれない。もっとも、『受動喫煙』なんて単語が登場し、『嫌煙権』なんて言葉に発展する以前は、日本は言うに及ばず欧米先進国だって、「喫煙」は成人男子の、ごくありふれた嗜みだったが…それ以上に驚くのは、ずっと後年になってからの事だが、『世界保健機構』が「受動喫煙の弊害は実証されていない」との発表を、日本の国営放送が流した時だ。『そんな事実を公表するなんて、どちらも度胸がある』と、内心、称賛したものだが…まだスマホなんてなく、インターネットも、今ほど普及していなかった頃。二日も経てば、まったく話題にものぼらない。まるで「夢・幻でも見たかのよう」に、掻き消されていた。「喫煙」なんて習慣が時代に逆行するのはわかるが、『怖い』と感じたのは、「全世界的に『情報統制』が施かれている?」という事実だ)。
なんでも、ある調査によると、過度の保護や放任の末に問題児になる場合、出発点が違うだけで、けっきょく同じような結果をもたらす…という統計があるそうだ。最終的に行き着く先は、内にこもるか、外に向かって吐き出すか。つまり、「ひきこもり」か、「家庭内暴力」だそうだ。
まあ俺たち三人は、そこまではひどくなかった(と思う)が…。
『ところで俺は、人の目にはどんなふうに映っているのだろう?』
俺は、そこそこ内面が良かった。と言うより、自分の子供にたいする「根拠の無い自信」なのか? 両親にとやかく言われずに育った「無責任野郎」。そういう自覚だけはあった。
「都会に出て、バレないだろうって思ったんだろうけど…もう地元じゃ大騒ぎさ。マトモにゃ帰って来られないな」
そう語る土井と俺は、同じ高校出身だった。コイツはH方面にかけては、なかなかの「強者」だった。
高校の頃、仲間数人で裏ビデオを見ていた時のことだ。
『コイツ出しやがったよ!』
皆の傍らで自慰を始めた土井は、皆の眼の前で、きっちり最後までイケル奴だった。
また、聞くところによると、友達と二人でナンパして、二人ともカップルが出来上がり、二組でとある所にしけこんで、友人ペアーが見ている前で、事を始めたというのだ。
(これも聞いた話だが、仲間大勢で河原でバーベキュー。姿が見えないと思ったら、駐車中の真っ昼間のクルマの中で、連れの女と励んでいたそうだ)。
俺にはちょっと、マネのできないことだった。
(でも、「類は友を呼ぶ」と言う。俺たちはまさに、そんな仲だった)。
俺たち三人は、そんな話をしながら、長イスのベンチに並んで腰かけ、順番待ちをしていたのだが…
「見てみろよ」
右奥にいた土井が、左手の入口の方を見ながら振ってくる。
「イイ女がいるぜ。人数もピッタリだ」
俺と高瀬は、土井のその言葉にうながされなくても、ちゃんと気づいていた。
「金と美女ってのは、ある所にはある・いる所にはいるんだよ」
まん中に座っていた高瀬が、視線をはずさずに、そう言って返す。
「あと、暴走族だろ。『普段はどこに隠れてるんだろ』って思うようなクルマやバイクが、集まってくるもんな」
『こいつら二人よりは、いくらかマシだ』と思っていた俺は、そんな場違いな話題を持ち出すが…
「ああ…」
土井は、いちおう返答してくるが、あっちを凝視したまま「上の空」だ。
「あの『竹槍』とかってのは、取り外せんのかな?」
俺は、どちらに問いかけるというわけでもなく、真顔でつぶやく。
(「竹槍」とは…「東海地方」あたりの、そちら筋の族の間で流行っているという…先端を竹槍のように斜めにカットした、天をあおぐほどの高さと長さの直管の排気管のことだ。なんでも、長ければ長いほど・高ければ高いほど、「偉い」んだそうだ。アホクサ〜!)。
「ボディー直付けじゃねーの。なんたって、スプレーでカラーリングするのに、タイヤまでいっしょに塗っちゃうくらいだからな。奴らの美意識・美的感覚は…」
土井は、「そんなこと、どうでもいい」といった感じで答えるが…このシチュエーションなら、まあ当然だ。
(もっとも最近では、「旧車会」なんて表現を使い、何十年も前の「族車」が、何十万なんて値段で取り引きされているようだ。でも…ちゃんと金を払うことに異論はないが…小奇麗になった「族」なんて、もう「暴走族」でもなんでもない。おまけに、乗っているのは、バイクと同じだけ歳を重ねたオッサンだったり。土井が言ったように、価値観の違いなんだろうけど…『もうやめてくれ!』って思うのは、俺だけだろうか?)。
「でも、あのケバさは水商売の女だよな」
高瀬は、俺たちを見回しながら言う。
「そんなに厚化粧じゃないぜ」
俺は反論する。
「雰囲気だよ雰囲気。そんな空気が漂ってるだろ。仕事が終わってから、ここに来たんだよ、きっと」
高瀬は、そう推理するが…
「閉店には、早すぎるぜ」
俺が理にかなった反対意見を続けると…
「じゃ、風俗のオネーサンかな?」
(80年代なかば。未解決のままの未成年少女の惨殺事件を契機に、『風俗営業法』略して『風営法』の大改正が行われ…ディスコや風俗店の営業が、深夜0時までになった。そして本来、広義には「人の暮らしぶり」という意味の「風俗」なる単語が、広く世間に知れ渡り…たぶん、この時を境に…「フーゾク」=「エッチな商売」といった使われ方が定着することになった)。
そこに、土井のひと言。
「どれにする?」
俺たちは、勝手に品定めを始めていた。でも、いざナンパするとなったら、最初にある程度、話をつけておいた方が、後でモメなくてよい。
「あの女、ちょっとコッタンね〜感じで、ヤッててもあんな顔してそうだな」
高瀬は、向かいの白いソファーの一番左側に座り、首を右にひねって、退屈そうに出入り口の外を眺めている、ショート・カットの女を、そう批評する。
「バーカ。ああいう女のほうが、ベッドの上じゃ悶え狂うんだよ」
土井は、イヤらし気な笑みを浮かべる。
「そんなことね〜よ。あの手の女はけっこう淡白で、抱かれていても、なに考えてんのかわかんね〜よ〜な、ボーッとした顔して突かれてるんだぜ」
高瀬は、そう言い返すが…でも俺は、その娘に「ピーン」と来るものがあった。
(肌が白くてポッチャリ顔。でも見かけと違い、出るトコは出てるが、案外ヤセていることを、俺は見逃さなかった。それに俺は…先にも言ったが…いわゆる「面食い」ではなかった)。
「それは、オマエがヘタだからだろ?」
土井が高瀬にむかって、そう言えば…
「悪かったよ、下手クソで!」
野郎二人は、そんな感じで言いあっているが…「他の二人はどうだった?」って。悪いが、はっきり言って、よく憶えていない。同年代だろうが、少し年上? 水商売かどうかははっきりしないが、学生とかではなさそうだ。
とにかく二人とも…俺にとっては…印象が薄く、記憶に残っていない。
「俺は、あの女でいいよ」
そこで俺は、まっさきに狼煙を上げる。
「ヘッ?」
「エッ?」
土井と高瀬は、『意表を突かれた』みたいな表情を見せて、会話を打ち切る。
「それじゃ、さっそく…」
どちらにしろ、「好み」はダブッていなかったので…こういう事に関しては、積極的で手慣れている土井が、ハナシをつけに行く。
(なんでも「先輩に鍛えられたおかげ」なんだそうだ。とりあえず、ナンパの極意は「手当たり次第に声をかける」ことだという。きっと奴は、いずれ営業やセールスの世界で成功することだろう)。
「俺たちと合流すれば、順番待ちも早くなるよ」
順番はこっちの方が早かったので、良い手だ。
「俺たち、男ばっかだろ。君たちだって、大勢のほうが盛り上がると思わない?」
話はアッサリついた。そして部屋に入ると、サッサと怪しい雰囲気となった。
右側のソファーに座る高瀬は…左側からお目当ての娘の肩に腕を回し、冗談を言いあっては大声で笑って、顔が触れ合わんばかりにくっついている。
左側の土井の方はと言うと…ピンク色のソファーを背もたれ代わりに、赤い絨毯の上に腰を降ろし、女の娘を後ろから抱きかかえるように自分の前に座らせて、ベタベタしていた。胸に回した左手は、右の乳房を押さえ、右手はよく見ると…その娘は両膝を立てて座っていたので、よく見えなかったが…股関にのびて、ユックリとまさぐっているのがわかった。そして時どき耳元で、小声で何かささやいている。
一方の俺はと言うと…例の「ちょっとコッタンネ〜感じ」の娘と、部屋の奥の、一段高くなったステージっぽい台の上で、歌いまくっていた。
『歌うっきゃね〜』といった雰囲気だったし…それでなくとも彼女は、とてもノリが良かった。俺はポップでロックな曲が好きだったが…彼女の選曲は、「俺の好みにドンピシャリ!」な楽曲が多かった。
「♪〜♪!!!」
最初は交互に歌っていたのだが、お互い知っているような曲ばかりだったので、途中からはデュエットで…と言うより、ツイン・ボーカルで…次々と歌いまくっていた。
『ボーカルは女にかぎる』
常づね俺は、そう思っていた。
突き抜けて行くような女性の高音。マイクを通してでも伝わって来る、ちょっと甘ったるいような息遣い。俺はそういったものに、エクスタシーにも似た興奮を覚えるのだ。
(洋楽モノは、たしょう男性ボーカルも聴いたが…邦楽に関しては、そのほとんどが女性ボーカルのもので、男の曲はカラオケ用に、自分のキーで歌えるものだけしか聴かなかった。それに女の曲は、何オクターブか下で、ちょうど俺の音程に合っていることが多い)。
しばらくすると、高瀬の相手の娘が「ちょっとトイレに」と言って、部屋を出て行く。「俺も」と言って、高瀬も彼女の後を追うように出て行く。そして二人は、それっきり戻って来なかった。
でも、まったく気にもとめないで、俺たちは歌い続けた。俺たち二人は、ノリノリだった。キュートな歌声。彼女には、案外「小悪魔的な魅力」があった。
「ふう〜!」
いいかげん歌い疲れた頃、荒い息をしながら俺たちは、フト思い出すように土井たちの方を見ると…
「?」
女の娘は長い髪で顔を隠すように、うつむき加減で目を閉じていた。土井の奴は、口を半開きにして、焦点の定まらない目をし…早い話が「恍惚の表情」を見せて…一心不乱に、小刻みに両手を動かしている。今にも、事をし始めそうな勢いだ。
視線を戻した俺は、共演(競演?)者と目が合う。彼女は「見てられない」と言わんばかりの、ちょっとテレ臭そうな顔をした。
「ヤベー雰囲気! 出ようか?」
俺がそう言うと、彼女はコクンとうなずいてマイクを置く。
「先に帰るよ」
俺は土井たちの前を通過しながら、そう声をかける。
「ああ…」
ボーッとした顔のまま、奴はそう返事をする。
「どっかで休もうか?」
カラオケ・ハウスを出た所で振り返った俺は、彼女に向かって、そう言ったのだが…
「あたし、まにあってます!」
キッパリそう言われてしまった。
(一番アタマに来るのは、「自意識過剰な醜女」だが…この女は、「不細工」と言うほどじゃないし、むしろ「個性」と言うか「特徴」とでも言うか…何か「印象に残る」ものがある)。
「そういう意味じゃねーよ」
俺はそう切り返したが、当然「そういう意味」もあった。
「深夜営業のファミレスとか、あるだろ」
もちろん、このままバックレても構わなかった。まあ美形とは言わないが、嫌いなタイプじゃないし…それ以上に、「なんだかほっとけない」雰囲気がある女だった。
「普段は何して遊んでるんだい?」
俺は、ラーメン・セットのラーメンをすすりながら、そう尋ねる。
「えー、べつに。ひとりで街をブラブラしてたり…」
というわけで俺たちは、深夜営業の「チョットはマシ」な店で、夜食を食べていた。
(夕方から早朝にかけて営業しているこの店は、出勤前や仕事帰りであろう「お水」風のオネーチャンたちや、マトモな仕事はしてないが「ヤクザ」とも違うようなオニーチャンたちが、よく飯を食っている所だ)。
「ショッピングか?」
レンゲでスープをすくいながら彼女は…
「うーん。あたしダメなのよね、貧乏性で。欲しい物があっても買えなくって…」
そう言って、スープをすする。
「それで、黙って持ってきちゃうんだろ?」
そんな俺のツッコミに…
「そうそう」
悪びれずに返してくる。
「ホントかよ?」
俺がスープをすすりながら、上目遣いで見上げると…
「半分ね」
彼女は、そう言ってニヤッとする。まんざらウソでもなさそうだが、そんな事はどうでもいい事だ。
「よく行く所は?」
続いて麺を、ハシでひとつかみ。
「あたし、友達あんまりいないから、いつも独りでプラプラしてるわ。CDやDVD借りてきて、ひとりで見てることが多いな」
そう言いながら、彼女もひとつかみ。
「さっきの子たちは、友達じゃないのかよ?」
そして、麺を口に運べば…
「前に働いてたトコの仕事仲間。ブティックでマネキンやってたの」
彼女も、同じ仕草。
「んぐ…ブティック? そんなトコで働いてたんだ」
飲み込みながら、そう訊けば…
「へへ。ブティックって言うほどでもなかったけど…でも何だか合わなくてさ」
むこうも飲み込みながら、そう返してくる。
「どおりで一人だけ、浮いてると思ったぜ」
飲み込み終えて、そう言えば…
「ゴボッ…どういう意味よ?」
咳込みながら、不満顔。
「君が一番カワイかったってことさ」
彼女の顔を見つめながら、そんな言葉を吐けば…
「バーカ!」
器の方に、視線をそらす。
「ところでさ、DVDって、どんなの観てるんだい?」
俺はその後、何気なくそのレンタル屋の所在を聞き出す。俺はそこに行ったことはなかったが、『たぶん、あそこだ』くらいの見当はついた。
『通勤や通学の経路の途中でもない限り、もっとも料金や品揃えの良し悪しもあるだろうが…わざわざ遠くの店まで、足を運ぶことはないはずだ』
俺は、そんな予測を立てた。きっとこの娘は、その近くに住んでいるのだろうが…
『なんで、こうなるんだよ!』
アテがはずれた俺は、心の中で嘆く。
『チェッ!』
その店を出る頃には、もう明るくなり始めていた。もうすぐ、一年で一番陽の長い日がやって来るのだから仕方ない。俺はその事を、すっかり忘れていたわけだ。
『こんなんじゃ、ムードもヘチマもねーよな』
俺たちは、近くの、かなり広い面積を持つ公園で、二つ並んだベンチを見つけた。
「フイ〜ッ!」
急速に明りが差し出したこの頃には、もうすっかり夜も明けていた。この季節・この時間の公園は、かなりの人出だ。散歩をするジイサン・バアサン。ジョギングをするオッサン・オバサン。なかには「太極拳」みたいなものを始めるグループもあったが…
「ラジオ体操じゃなくて、よかったよ」
俺は小声でそう唸って、左側の木製ベンチに、頭を右にして横になった。
(つまり、朝から…「朝だからこそ」なのだが…あの耳障り旋律を聴かなくて、ホッとしたという意味だ)。
さえずり回る小鳥たち。こんな早朝から、朝日を受けて銀色に輝くジェット機が見えた。音も無く、遠くの空をフーッと移動して行く。
「飛行機が、あんな鉄のカタマリが空を飛ぶなんて信じられないとか…鉄の船が、水に浮くなんて考えられないなんて、バカげたことを言う奴っているじゃない」
俺が、「ひとりごと」のように呟くと…
「だって実際、飛んでるし、浮いてるじゃない」
頭上側になる隣りのベンチから、そう返ってくる。
「そうだよな! そうだろ。事実を素直に認めないなんて、どっかおかしいよな。そういう考え方って、なんかヘンだろ? そういう奴らのほうが、よっぽど信じられないよな」
俺たちは頭上をあおいで、目でそのジェット機を追う。
「空を飛んでみたいな。気持ちイイだろーな。もー死んでもいいってくらい。でも、そういう願望持ってる人間って多いじゃない。どうしてなんだろうな? よく考えるんだけど、わからないんだよ。人類って、鳥から進化したわけじゃないのにさ」
俺は前々から、そう思っていたのだが…
「わかんなーい。そんなに深く考えたことないもん」
彼女は、さすがに疲れている風だった。軽くアクビをしながら、両手足を伸ばす。
「俺は空を飛ぶ夢を見た時は、目覚めがいいんだ。女が空を飛ぶ夢を見る時は、性的欲求がある時なんだってな。映画の題名にもあったろ」
俺が構わずに続けると…
「知らなーい。それに最近、夢なんて見ないもん」
面倒臭そうに答える。
「それは、老化が始まってるってことだぜ。夢っていうのは、かならず見てるんだってさ。ただ、それを憶えていられなくなるんだってさ、老化が始まると」
話がそこまで進む頃には、さっきの飛行機は、もう見えなくなっていた。
「あたしバカだから、何も考えてないからじゃない」
俺は半身を起こしながら…
「あー、そうかもしんない」
首を右にひねって、彼女の顔を見ながら言う。
「ひっどーい。はっきり言うわね」
でも、本気で怒っているふうではなかった。
「人間が、なんで老化するか、知ってるかい?」
首や肩を回しながら、そう問えば…
「知らないわよ。だから言ったでしょ、あたしバカだって」
そこで俺は…
「進化のために必要だからって言うんだ」
まず答えを述べてから、続ける。
「アメーバみたいな単細胞生物は、細胞分裂くり返して、どんどん新しいカラダになっていくけど、新しくなるってことは『元の木阿弥』。つまり、一からやり直さなくちゃならないってことなんだ。人間の場合は…ってか、動物全部なんだろうけど、それまでの経験を遺伝子に記憶させて、子孫に受け継がせるために老化するんだってさ」
そう言ってから、俺は背筋を伸ばす。すると…
「ふ〜ん。じゃ、あたしみたいに何も考えてないバカは、年を取らないのね」
そんなふうに返してきた。
「キャハハ! わかってるじゃん。でも、それがわかるってことは、まんざらバカでもないんじゃないの?」
でも俺は、そんな彼女のリアクションが気に入った。
「失礼ね。フン!」
彼女はそう言って、フクレッ面を見せる。
「でもさ、どうせなら、もっと効率良く遺伝させて欲しいよな。たとえばさ、このさき自分の子供ができたとして、学校行ったり試験受けたり…今まで自分がしてきたのと、同じようなことをやっていかなくちゃならないと思うと、かわいそうだよな。どうしてテープをコピーするように、簡単にいかないのかな。人間なんて生き物、非合理的・非効率的だよな」
それが、俺の感想だ。
「そうよね、かわいそうよね…」
彼女は何かを思い出すようにして、ポツリとそう言った。
「いいの。あたし、子ども産まないから。あたし、子ども嫌いなんだ」
彼女は、組んだ両手を伸ばしながら、上体を前に折る。
「自分が子供だからだろう?」
そんな彼女に目をむけながら、そう茶化せば…
「うるさいわねー」
そんな反応に…
「でも、子孫保存の本能には逆らえないだろ? どうしてアレが気持ちイイか、知ってるかい?」
ここでチョイと、話題を変えてみた。
「あなたって、見かけによらず、理屈っぽいわね」
『人生とは何ぞや?』
だいたい俺は、徹夜明けなんかで意識が朦朧としているくらいの時のほうが、そういった「こ難しい考え」が頭に浮かぶ人間だった。
「気持ち良くなきゃ、わざわざそんな事をしてまで子供作ったりしないから、神様が気持ち良くしてくれたんだってさ。そう考えると、神様もまんざら悪い奴じゃないよな」
これが、俺の自説・持論だ。
「ヘンなのー」
あたりが、車の騒音などで騒がしくなってきた。そろそろ朝の通勤時間だ。
「それじゃ、またね」
彼女は、そう言って立ち上がる。
「ちょっと待てよ。連絡先教えろよ」
俺はベンチから起き上がりながら、そう言ったが…
「あたし、電話持ってないの」
彼女は振り向きもせず、そう返してきた。
『まっ、いいか』
俺はそう思って、彼女の後ろ姿を見送った。
『しまった! 名前も聞いてなかったよ』
俺はまだその時、彼女にたいして、さほど興味を持っていなかった。
※ ※
「お前の場合、いつも最後のツメが甘いんだよ」
土井は、そう解説を始める。
俺たち三人は、タバコが吸いたかったので、予備校からチョットはなれた自販機の前でタムロし、前回の戦果について報告しあっていた。
(「宅浪」の土井の奴は、ここの予備校生でもないくせに、目の前のパチンコ屋に入りびたっては、ちょくちょくここに顔を出す)。
「たとえばさ、ワンピースのボタンをひとつずつ、下からはずしていくだろ。でも、一番上のボタンをはずさなきゃ、脱がせられないわけだ」
俺は、あの娘と別れた後、適当に時間をつぶして、日曜だったきのうは、一日家でゴロゴロして過ごした。
「つまりお前の場合、攻める方向が違うんだよな。一番上からはずしてきゃ、最後の一個くらい残っていても、服を脱がせられるだろ。ヤルときゃ、最初っからそのつもりで行かなくちゃ。『お友達から』なんて、まどろっこしいマネしないでさ」
奴は独自の理論を展開するが、どっちにしろ俺は、関係を持った女のことについて…自分の事だけならともかく、相手がいなくちゃできない事だ…ベラベラと口外するような人間ではなかった。
『真実は黙して語らず』
たとえ周りの人間も公認の仲だとしても、それが俺のやり方だ。中には、自分の付き合っている女の「ベッドでの行状」を、得意気にしゃべる奴もいるけど…
『周りの連中が、どういった目で自分の女のことを見てるか、気にならないんだろうか?』
俺には、そんな奴の気が知れなかった。俺は、そのお相手の秘話をバラしまくるなんて、相手に対して失礼だと思っていたし、『この女が例の…』なんて顔して皆に眺め回されるのも嫌だから、せいぜい「ヤレたかヤレなかったか」くらいしか話さないことにしていた。「ヤレたかヤレなかったか」を明らかにするというのは、「所有権」や「優先権」を主張するために必要なことだからだ。
「はあ〜! でもヤッちまったらヤッちまったで、なんかムナしいよな」
高瀬は、缶コーヒーを飲み干しながら、そうこぼす。たしかにそうだ。
『なんで、こんなコトやっちまったんだろ』
俺はコトが終わった後の、そんな「空しさ」「虚脱感」がイヤだった。
「男なんて終わっちゃえばシラケちゃうけど、それでもまだ愛しいなら、本当に愛してるんだろうな。いつまで続くのかわかんないけど、そんな女に出会えたら、その時は結婚してもいいよ」
今度は、そう言ってボヤく。
「なに寝ぼけた事ぬかしてんだよ。お前ら、まだまだ甘いよ。じゃ、『究極の選択』だ。超ブスと、最高に気持ちいいオナニーをする方法があったとする。たとえば、この世にその超ブスと二人っきりになったとして、どっちかを選ばなくちゃならない。お前らなら、どっちを取る?」
そんな土井の振りに…
「最高に気持ちいいオナニー!」
高瀬は即座に反応し、脇で俺もうなずく。
「はーっ! だろうな、お前たちなら。俺はどんなにブスでも、実際にヤルほうがいいもんな」
コイツなら、きっとそちらを選ぶだろうと思っていたが…
「でもさ、同じ意見は持てても、まったく同じものを見てるか・見えているかは、チョット疑問だよな」
俺はタバコをフカしながら、そう語り始める。
「たとえば、みんなが『赤』というものだって、本当におんなじ『赤』が見えてるとは限らないだろ。目の悪い奴ならボヤッとした『赤』だろうし…もしかしたら、生まれた時から『赤』って教え込まれたから、それが『赤』だと思ってるだけで、ほかの人間にしたら、俺の言うところの『黒』かもしれないし…」
「なにワケのわかんねーこと、言ってんだよ」
土井は空缶を捨てながら、そう言って俺の言葉をさえぎった。コイツにとっては、そんな細かい事は、どうでもよい事だったが…
「ボケた人間に何が見えてるのか、見てみたいよ」
俺の話を受けて高瀬が、空缶にタバコの灰を落としながら、ポツリとつぶやく。
(彼からは度々、同居していた「死んだおばあちゃん」の、ボケている時の言動を聞かされていたが…話の端々に「おばあちゃん子」だった事をうかがわせ、案外コイツは「意外と優しいヤツ」だという事が推察できた。もっとも、じゃなけりゃハナから『ツキアイを持とう』なんて、思わせないだろう。そういう意味じゃ「土井」だって、実のところ…女にだけはダラシが無いが…「熱い正義漢」な面もある。たとえば、こんな事があった。混雑しているコンビニのレジで、「お客様は神様だろ!」と店員にからんでいる、タチの悪い客がいた時の事だ。「おい貧乏神! いんや、疫病神かな? 後ろにもたくさん、他の神様たちが並んでんだよ。いつまでもクダ巻いてんじゃねーぞ」。そうスゴんで、その場に居合わせた『八百万の神々』の「満場の拍手の喝采」を浴びたことがあった)。
「そうそうそれと、女の快感っての、いっぺん味わってみたいよな。男が体験したら、死んじまうほど気持ちイイって話だぜ」
高瀬の振ったそんな話題に…
「あと、お産の痛みだろ。男が経験すると、死んじまうくらい痛いっての」
土井も、そういう話ならノッてくる。
「けっきょく、究極はいっしょなのさ」
俺が後を受ける。
「熱すぎるものと、冷たすぎるものを触った時、一瞬それが熱いのか冷たいのか、わかんないだろ」
土井は「はあ?」といった顔をするが、かまわず続ける。
「快感と痛みの感覚も、それと同じさ。感覚の上限を越えた究極まで行くと、区別がつかなくなるんだよ、きっと」
高瀬は、少しはマジメに俺の話を聞いているようだ。
「つまり、死んじまうほど気持ちイイ女の快感を味わったことのない女が、死んじまうほど痛いお産をすると、ほんとに死んじまうことがあるってことだ」
俺は、前々から持っていた持論を述べる。
「だから女は、男みたいに最初っから快感を味わえないのさ、死なないようにさ」
俺がそこまで言うと…
「な〜るほど!」
土井と高瀬はハモる。どうやら、納得してくれたようだ。
「気持ち良くなきゃ、わざわざそんな事をしてまで子供作ったりしないから、神様が気持ち良くしてくれたんだってさ」
俺は、あの晩…と言うか、あの早朝、あの娘に話したセリフを思い出していた。
「女は、死ぬほど痛いお産をしなきゃならないかわりに、死ぬほど気持ちイイ快感を与えてもらったってわけさ」
俺は結論めいた言葉を吐いて…
「そう考えると、神様もまんざら悪い奴じゃないよな」
彼女に言ったのと同じ文句で、最後をしめる。
「でも女には、男の気持ちなんてわかんねーんだろうな。終わった後の、あのどうしようもない虚脱感。お互い、絶対にわかりあえないんだろうな。同じ人間なのに、どうしてこうも違うんだろ。同じ快感・同じ気持ちを共有できれば、少しは離婚や失恋も減るんだろうな」
高瀬はそうボヤきながら、道ばたにタバコを投げ捨て立ち上がる。俺たち二人は土井を残し、予備校の方を目指して、ダラダラと歩き始めるが…
『こいつら、まったく無責任だよな』
俺は自分のことを棚に上げて、そう思った。
俺はコイツらが相手にした「あの娘の友達」から、彼女についての情報を得ようとしたのだが…しかし二人とも、ヤル事だけヤッときながら、電話番号はおろか、フル・ネームすら聞いていないのだった。でも「一夜かぎりの恋」なら、お互いそれも仕方ないことだ。
(もっとも、いったん事を起こしてしまったら、それ以前まで時間を巻き戻しでもしない限り、完全に責任を取ることなど不可能だ。だから俺は、やたらと「責任が」「責任が」と語る奴が大嫌いだった。そんなに「責任」が怖いのだったら、何もしないで、黙って目をつむって、家で寝ていればいいのだ)。
『ま、いいか』
特定の相手がいなかった俺はただ、一番ヤレる確率が高そうだったから、彼女の所在を確かめようとしただけだ。
その後、俺たちは、けっきょく予備校の講義はシケて、俺と土井、高瀬の三人に、もう一人加えて、両親が留守にしている予備校のダチの家に上がり込んで、麻雀を始める。
でも俺は、トランプ、マージャン、花札にサイコロ…そういった類いのものには、ぜんぜん興味が湧かなかった。だからルールも知らなかったし、おぼえる気もなかった。だいたい俺たちは、そういう世代ではなかったと思うのだが…
『今どきマージャンなんて!』
俺はそう思っていた。退屈は嫌いだけど、ヒマつぶし的なものじゃ熱くなれなかった。
『そんなことができたからって、それがなんだっていうんだよ?』
指先で器用にペンを回したり、ジッポーのオイル・ライターさばき等のお遊びを、わざわざ練習してまで習得しようなんて奴らの気が知れなかった。そんな事をするくらいなら、何も考えないでボーッとしていたほうが、よっぽどマシだと思っていた。
(俺の古い友人の中には、モデル・ガンにガン・ベルト。「早撃ち」の練習をしている奴もいたけど…まあ、役者でも目指すっていうんなら話は別だ。なにしろ「すべては芸のため」。なんでも「こやし」になるんだから、良い世界だ)。
『その日・その時・その場が楽しければなんて奴ほど、案外ぜんぜん楽しんじゃいないんだよ。悪い奴らじゃないんだけど、感性の鈍いバカばっかりで、けっこう退屈』
それで俺はポツンと独り、離れた所でボーッとしていた。でも、頭の中をカラッポにしていたわけではない。俺は、ある事を考えていた。
※ ※
「よし!」
俺は一人、小声でそう掛け声をかけて立ち上がる。昨日・今日と予備校にも顔を出さず、まっすぐにそのファミレスにむかった俺は、駐車場のむこうに見えるレンタル・ビデオ屋に入って行く人影を確認すると、モーニング・セットの代金を支払い…もう昼に近い時間だったが…その店にむかう。
『!』
彼女はCDコーナーで、何かを探しているようだ。一心不乱にのぞき込んでいる。
「何をお探しでしょうか?」
俺は右横に並びかけながら、声をかける。
『アレッ?』
こっちを振り向いた彼女は、そんな表情を見せるが、視線を正面に戻しながら…
「あなたは何を探してるの?」ときた。
「僕は君を探しにきたのさ」
たまたま目にとまったCDを手に取りながら、わざと気取ってそう応えれば…
「バーカ」と「オウム返し」に返ってきた。
「その『バーカ』ってのが、口ぐせなんだな」
重ねて俺がそう言えば…
「大きなお世話!」と、そんな調子で、やがて…
「あたしん家まで、ついて来る気じゃないでしょうね?」
俺は黙って、彼女の後ろを歩いていた。
「冷てーな。せっかく再会できたっていうのに…せめて名前くらい教えろよ!」
「あけみ! アンタは?」
「モトハル」
そういうわけで俺たちは、その近所の小さな公園のベンチにいた。
昼前のこの時間。園内には母子連れが二組と、老人が数人いるくらいだが…初夏の明るい太陽の光りの下で見る「あけみ」は、数年前までは、満面のニキビ面だった浅黒い俺とは違って、純白の綺麗な肌をしていた。
「ところでアンタ、何してる人?」
「ワタクシ?」
俺がフザケた調子でそう言いながら、自分で自分を指さすと、あけみはコクンとうなずく。
「なんに見える?」
さらに、トボケた素振りでそう問えば…
「学生」
即答で返ってきた。
「どうして?」
「無責任そうだもん、すべてにおいて」
「そうかい?」
まあ、なかば図星なので、反論の余地はない。
「でも、そんなにアタマ良さそうじゃないから、無試験・受付順で入れる専門学校ってトコかな」
たしかに「予備校」なんて、先着順ではいれる「専門学校」みたいなもんだが…実のところ、これでも一応「浪人」という立場に、多少は引け目を感じていたし、先ざきに不安を持っていたことも確かだ。
「それに軽そうだし…働いてるとしても、アルバイターってとこね」
(「フリーのアルバイター」が転じて『フリーター』。でもまだ、そんな言葉は誕生していなかった)。
あけみは、そう続けるが…
『うーん』
俺は、このまえ行った居酒屋で、「今さら学生なんてね!」と、酔って声高に話しをしていた俺よりチョット年上の、OLっぽい女がいたことを思い出していた。
『どうする?』
『身分をあかすべきか、ウソをつくべきか?』
『もしあかすなら、いつ・どのタイミングで?』
俺は、そう考えはじめていた。
「金持ちのボンボンで、遊び人」
そこで、ひとまず間をもたすために、そう言ってみた。
「ウッソー! 遊び人かもしれないけど、ボンボンってのはウソでしょ?」
「そういう自分こそ、何してんだよ?」
この前の初めての出会いで、以前の仕事は話題にのぼったが…いま現在、彼女が何をしているのかは、聞いていなかったはずだ。
「OL」
「ウソばっか!」
「お互いさまでしょ!」
「ホントはしがない浪人の身さ」
俺はそこで、突然アッサリ、真実を告げた。
『なんだか、そんな気分だったから?』
そうでもない。俺は案外、嘘をつくのが苦手だったし、見栄を張るのも嫌いだった。「根は正直だから」なんて理由ではない。
「ウソをつき始めたら、ウソで固めていかなくてはならない」
「いったんミエを張ったら、張り続けていかなくてはならない」
そんなのが面倒だったからだ。
(だいたい俺は、すぐバレるような嘘をつく連中の気が知れなかった。バカのクセに、ウソをつくからいけないのだが…中には考えるより先に、嘘が口をついて出てしまうクズもいる)。
そして俺に興味の無い女の、この後の反応はたいていが…
「ちゃんと勉強してる?」
あるいは…
「予備校いかなくちゃ!」
多かれ少なかれ、そんなリアクションが返ってくるはずだった。しかし…
「かーっこイイー!」
「へ?」
俺は、そんな彼女の反応にビックリした。
「何もしてないってことは、これから何でもできるってことじゃない」
「?…」
そんなふうに考えたことは、一度もなかった。
「夢を持ちなさいよ!」
「はあ…」
逆に、勇気づけられてしまった。
『ヘンな女』
俺はそう思ったが、そう言われてみれば、そうかもしれない。
「俺は大きな挫折感を味わったことがない」
まだ本気で何かをしたことが無いのだから、当たり前だ。
「自分に何がしかの適正があるのか? 何にむいているのか? わからない」
試したことが無いのだから、わかるはずもないが…でもまだ、時間はたっぷりあったし、『何でもできる』『何者にでもなれる』。漠然とだが、そんな気がしてきた。
「もしかしたら、とんでもない才能を秘めているかもしれない」
「世間知らず」と言われるかもしれないが…実際その通りだが…俺にはまだ、「若さ」という武器があった。
(でももしかしたら、ただの「馬鹿さ」かもしれないが…)。
「こんど飲みに行こうぜ?」
「未成年のクセに」
「自分だってそうだろ?」
両親と一緒に住んでいる俺は、とりあえずベルの番号だけを教え、頃合いを見計らって家に帰る。
俺は「ポケット・ベル」を、小学生の頃に親から持たされて以来、所持し続けていた。
「まだそんな物があるのか?」なんて言われそうだが…しかし、よくよく考えてみれば、「小学生の頃」って言ったって、まだたかだか6〜7年しかたっていないわけだ。実際、いとこの病院勤務の検査技師さんは、「宅直」の日の急な呼び出し用に、今でもポケベルを持たされている。
(実のところ、「ポケット・ベル」のサービスが終了したのは、21世紀になってしばらく経った頃。それまでは、存在していたことになる)。
それに俺は、大の「電話嫌い」。見知った人間ならともかく…むこうの顔が見えないのが、最大のネックだが…きっとテレビ電話でも、初対面の相手とは、うまく話せないだろう。
(だから「電話」以前に、要は「気が合うかどうか」なのかもしれない)。
「俺も、まだまだ若いよな」
俺は家に帰る途中、「あけみ」に似ている女性ボーカルの写真が載っている雑誌を買った。俺はその写真を見て…ヌードどころか、水着でもないのに…独りで励んでいる自分に、(自分で)感心していたわけだ。
でも、身分を白状した後の、「あけみ」のあの態度からすれば…
「まあまあ脈ありかな?」
そんな期待が残った再会だった。
※ ※
「なんだよ! 人がたまにマジメに授業出てりゃ…」
その日、俺は珍しく予備校の講義に出ていた。震えるベルを止めて、番号を見る。
『知らねーな」
番号の入れ間違いというのは、結構あるものだ。
土井から聞いた話だが、深夜、「ベルに番号入ってたんですけど」といって、知らない女から電話がかかってきた奴がいる。その後どうなったかは知らないが、とにかくそれで、待ち合わせの約束をしたそうだ。そういう仲を『ベルダチ』あるいは『ベル友』と言う。
(最近の『メル友』などと似たようなものだろうが…今のメール機能では、そういった『幸運なハプニング』は起こりっこないだろう)。
俺は休み時間、予備校の中にある公衆電話から、ベルに入っていた番号にかけてみる。
「モトハル? あたし」
「アタシって誰だよ?」
「あ・け・み」
「ああー」
「元気?」
「ああ。で、どっからかけてんだよ?」
「家」
「なんだよ。電話持ってないって言ってたじゃないか」
番号を見れば、それが固定電話の物なのは一目瞭然だったが…
「そんなこと、言ったっけ?」
「ああ」
「ケータイ電話は持ってないって言ったけど、電話が無いとは言ってないわよ」
「そうだっけ?」
「女房はいるのに、彼女はいません…って言う男みたいなものよ」
「まあいいよ。なんだよ?」
翌々日。俺は土井に借りたバイクの後ろにあけみを乗せて、郊外にある動物園に行った。
俺は「中型二輪免許」は持っていたが。バイクは原チャリしか持っていなかったので、土井のアメリカン・タイプのバイクを借りたのだ。
(「中型」とは、今で言う「普通二輪」のことだ)。
「図書館行って、勉強してくるからさ」
教習所に行く金のなかった俺は、高校三年の夏休み、そう言っては家を出て、セッセと運転免許試験場に通って、バイクの免許を取った。
(一学期の「球技大会」の日に早退して「原付免許」を取った俺は、空き地でコイツで練習しては、試験場に向かったワケだ)。
Vツインのエンジンのマフラーを交換してある400ccの排気音は、かなりウルさい。
(俺の通っていた公立校は、都合の良い意味で「放任」だったし…どちらにしろ高三にもなれば、免許取得は黙認だった)。
「あたしって…動物に好かれるのよ!」
半キャップをかぶった俺の耳元で、あけみは叫ぶ。
「ふーん」
「よく、オス犬にからまれるの!」
「はあ〜?」
「おいで・おいでなんてすると、寄ってきて…あたしの足に抱きついてさ…そのうち興奮してきて、腰振りだすの!」
「キャハハ! なにか…オスを引き寄せる匂いでも…出してるんじゃねーの?」
俺は叫び返す。やがて…
『ここに来るのは、何年ぶりだろう?』
平日ということもあり、人影はまばらだった。それに年季の入った施設は、寂れた感じだったが…俺は、そんなところが気に入った。
だいたい俺は、人混みでゴッタ返している所は大嫌いだった。それに、自主性も理由も無く流行を追いかけるようなタイプでもなかったし、「最先端で最新」といって、偉そうな顔をしている連中も、ちょっと遠慮したかった。「懐古趣味」というワケではないが、もともと「うらぶれた感じ」「落ちぶれた雰囲気」「寂れた空気」が好きな人間だった。
『「侘び」や「寂び」の世界?』
俺は案外、『日本人』なのかもしれない。
(ひとつ注意しなくちゃいけないのは…日本の学校教育の、「教え方」が悪いからだろうか…中世イタリアの『文芸復興』を、「郷愁」と勘違いしている奴が多いことだ。『ルネサンス』とは、中世ヨーロッパにはびこった諸悪の根源「キリスト教」のせいで忘れ去られてしまった、それ以前の優れたギリシャ・ローマの思想や科学等を、それが残っていたイスラム世界などから再翻訳するという活動のことで、けっして昔を懐かしむ事じゃない。まあそんな経緯があったから、太古の昔には『アトランティス』とか、「超古代文明があった」なんて話が生まれてきたのかもしれない)。
「コイツら、このへんに捨てられた犬なんだろうな」
俺たちは、自由に触れる仔犬が放された柵の中にいた。おびえた顔をした犬ばかりだった。なかには、それがナゼなのかわからなかったが、ブルブルと震えている犬もいる。
「このあたりは、イヌやネコを捨てていく奴が大勢いるんだってさ」
「かわいそう」
あけみは、子犬を抱いては、撫でたり頬ずりしたりしている。
「かわいいよ。アナタもダッコしてあげたら?」
あけみは、そう言うが…
「連休明けとかには、たくさん死ぬんだってよ。みんなに触られまくって、『ストレス死』ってやつだな」
俺がそう言うと、あけみは黙ってソイツを放した。
(最後のオチは、「トラやライオンのエサになる」という都市伝説だったが…そんなあけみの姿を見ていると、さすがの俺でも、そこまでは言えなかった)。
それから俺たちは、動物たちの入れられたオリやカゴを見て回った。そんな時、俺が口にしていた話題は…
「新聞か何かの投書に出てたな、芸能人のオバチャンのボランティアに対する批判が…」
『金持ちのする奉仕活動なんて、信用がおけない』といった内容だった。
「どうもその意見によると、どっかの駅前あたりで募金を募ってる怪しげな連中のほうが、マシってことになるらしい。あんなのこそ、金がどこに行っちまうのかわからないのにな」
だいたい、その日の自分の食い扶持もままならないような奴の方が、よっぽどウソ臭い。
「まだ世間を知らない、中学生の女の子だったからな。金持ちに対して批判的だし、世の中の『仕組み』がわかってないんだろうな」
アメリカあたりでも、何かで金持ちになり、有名になった後、次に奴らが求めるものは、社会的『地位』や『名声』だ。そのために奴らは、寄付やボランティアに熱心になる。まるでそれが、『義務』でもあるかのように。
「でも、黙ってても税金で持っていかれるんだったら、誰かのためになるんだから、決して悪いことじゃないよな」
俺がガキの頃からあるその小さな地方の動物園は、幾度か経営危機に陥り、そのたびに経営者が替わったそうだが、いまだに存続していた。
「ウォルト・ディズニーやアルフレッド・ノーベルは、まだマシだよな。みんなに夢を売ったり寄付したりしてるんだから。マイケルも、自分の家の庭に遊園地つくって、ひとりでセコく遊んでないで、みんなにタダで開放すればいいんだよ」
「でも、うらやましいじゃない、自分家の庭に遊園地があるなんて。ディズニー・ランドって、貸し切りできるのかしら?」
「営業時間外なら、できるみたいな話、聞いたことあるけど…」
「いくらくらい、かかるんだろ?」
「ん〜千万単位らしいぜ」
「やっぱそうか。そうよね…」
そこで俺は、「ガッカリそうなあけみを元気づける」というつもりじゃないが…
「もし俺が本当の金持ちになれたら、遊園地と動物園と水族館を経営するんだ」
なんだか急に気分が高揚して、大きく出た。
「もうかんないよ、そんなの」
当然のことながら、あけみはそう返してくるけど…
「だから、『本当の金持ち』って言ったろ。採算抜きのボランティアさ。ディズニー・ランドなんて目じゃないぜ。なんたって、観客よりぬいぐるみの数のほうが多いんだから。働く方も、そこで働くことが楽しくてしょうがないって感じで、いつも心からニコニコしてるんだ」
(実際、TDLが開業した時に、「お金なんかいらないから働きたい」と語る同級生の女子がいた。雇い主にしてみれば、こんなにありがたい社員はいないだろう)。
「わあーっ、それってイイかもしんない。早くお金持ちになってよ」
…とまあ、人には聞かせられないような会話を交わしていた「バカップル」だが…高瀬が本屋で遭遇した同世代のカップルに、こんなのがいたそうだ。
バイク雑誌を開いていたバカ面の男と、アホ面な連れの女。
男∶俺もハーレー買おうかな。
女∶あんた、バイクの免許持ってないでしょ。無免で捕まったらどうすんのよ?
男∶だってハーレーだぜ。
女∶あっ、そうか!
(つまり、「ハーレー様に乗ってれば、ケーサツだって止めっこない」って意味らしい)。
俺たちは、そこまでではないだろうが、『その投書の中学生の女の子とは、変わらないレベルだな』と、後で思った次第だ。
「こっち、こっち」
ひと通り園内を一周した後、あけみに手まねきされて向かった木陰のベンチ。
「なるほどな」
ポツンとひとつだけ空いていた、据え付けのコンクリート製テーブルの横には、犯人不明の巨大な山盛りのウンコ。
「う〜ん?」
仕方なく、陽当たりの良すぎる売店前の広場のイスに、腰を降ろす。
「なに食べる?」
あけみは、食欲ありげに訊いてくるが…
「水族館で、水槽のサカナを見て「うまそうだな」ってつぶやくオッサンを見たことがあるけどさ…」
ウマそうに「焼き鳥」をほおばるあけみを見て唖然。
『このオンナ、あんがい肉食系?』
鳥カゴを出たすぐ後で「鶏肉」なんて、食う気になれなかった俺は、キャベツと青ノリと紅ショウガくらいしか入ってない「焼きソバ」に、梅干しの「おにぎり」で昼飯。
食後、幼児向けの遊園地で、乗り物や観覧車に乗ってから、そこを後にする。
※ ※
動物園から戻った、夜も早い時間。俺たちは、俺があけみを待ち伏せしたファミレスで、お茶していた。
「男の人ってさ、あたしが『別れよう』っていうと、かならず『どうして?』っていうの」
「まー、そう言われたんじゃ、しょうがないよな」
「でしょ!」
「でもさ、何の前ぶれも無く、いきなりそんなこと言われりゃ、そう訊くしかないだろ」
「だから、前もって言っとくことにしてるの」
『それほどの女かよ?』
俺は腹の中で、そう思ったけど…
『?』
そのファミレスを出て、俺が駐輪場の方へ向かおうとすると、あけみは左側から俺の腕を取り…
「ひとりじゃ寂しい夜だって、あるでしょ」
まっすぐ俺の方を見上げて、そう言ってきた。
『そういうことか』
俺は彼女がナゼ、さっきの話をしたのかわかった。とりあえず俺は、「今晩の相手」としては認められたようだ。
『まあいいか』
俺は組んだ腕を引かれるように、あけみの棲家があるであろう反対方向へ向けて歩き出した。バイクはそのファミレスに置き去りだか、24時間営業の店だから大丈夫だろう。
『?』
玄関のドアを開けると…まず目に入ったのは…フトンの掛かっていないコタツの上に、小さな花瓶に花が一本挿してあった。
「なんか、もの悲しい風景だな」
俺はあけみの部屋に入るなり、そう感想を述べた。でも確かに、そんな光景だった。
「毎年かならずこの日には、お花を上げることにしてるの」
「どうして?」
「今日は、お父さんの命日なの」
「…」
「あたしのお父さんは、競輪選手だったの。でも、あたしが小さい頃、競技中の事故で死んじゃったの」
自転車競技では、踏み込むばかりでなく、引き上げる力も得るため、足を「トウ・クリップ」で固定する。
(当時はまだ、ワン・アクションでリリースできる機構など無く、簡単にはずれないベルト・タイプだった)。
ブレーキも無く…おまけに、競技用の自転車は、「ピスト」と呼ばれる後輪直結タイプ…足がペダルに固定されている『競輪』は、転倒した際、自転車もろとも転がっていくので、とても危険だ。スピードだって、かなりのもの。死人が出る話も、聞いたことがある。
「ひとりじゃ寂しい夜だって、あるでしょ」
俺は、ついさっきの、あけみの言葉を思い出す。
『なるほどな』
でも…
『ちょっと重すぎるぜ』
俺は多少後悔したが…
『しょうがね〜な』
腹を決め、あけみと並んでテレビを正面に見るコタツに腰を下ろし、いつも観ているというドラマを観はじめる。
「荷物は、ためこまないようにしてるんだ」
そう言うあけみの部屋は、俺が想像するような「女の部屋」と違って、いたって質素だった。
「なに食べる?」
よく頼んでいるという店から出前してもらった店屋物で夕食を済ませ、テレビを見たりしながら時間が過ぎてゆく。本当なら、もう帰らなくてはならない時間だった。でも、彼女を独り残していく気にもなれない。
『俺もバカだよな。せっかくのチャンスなのに』
俺はそう思ったが、そんな気にもなれないでいた。
「…?」
やがて、観ていたテレビ番組が終わると…俺の左隣りに座っていたあけみは、唇を求めてくる。
「いいのかよ?」
「いいの。どうせあたしなんて、大した女じゃないし…」
「そんな言い方するなよ」
「いいの」
俺たちは、そうしてしばらく抱き合っていたが…
「お父さんに見られてるようで、そんな気になれないよ」
俺は、妙にかしこまった言い方をする。
「じゃ、午前0を回ったら…」
「うん」
俺は、軽くうなずく。
「シャワーでも浴びてくる?」
俺は無言でうなずいて、立ち上がる。
俺があけみのアパートを出たのは、もう夜明け近かった。