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ほおずき譚  作者: pinkmint
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彩芽のほおずき

☆この作品はフィクションです

 六話完結予定です

 どんな平々凡々な人生を送っている人にも、おいそれとは人に話せない、話したくない秘密が一つや二つ、あるものだと思う。

 それは社会的に許されない恋だったり、法に触れる事だったり、説明のつかない超常現象だったり。人によってさまざまだろう。


 ここに思い切って少女時代の記憶を物語として書こうと思ったのは、何か形にしないと、何もかも勘違いの幻で済まされてしまいそうなのが嫌だったからだ。

  有象無象の思い出の中で、これは残さなきゃ、と思ったのは、たぶんこの経験が人生の核になると、大人になって再度思ったからだ。そしてそう、それはわたしの、人生の美しい核となっている。

  または、そう思い込んだ子供の思い出話として、聞いてほしい。



  網目模様の、ほおずきの袋の中に宿る赤い実。

そのまあるいあかりを眺めるのが好きで、少女はよくほおずきが出るころの花屋の前で立ち止まったものだ。


 12歳の真樹彩芽はその日、ひとつの赤いともしびのような体温を、ぼろぼろの布のリュックの中にたしかに抱きしめていた。


 世界がどんなに自分に冷たく残酷であっても、自分にとって全世界が寒風吹き付ける砂漠のようであっても、今、愛するものとともにあること。それが彼女の持つ「幸福」という名の財産のすべてだった。

 膝に前抱っこしたリュックの上から覗く子犬の茶色い目は、不安に震えながら、彩芽に向かって細い声で鳴き続けていた。

 彩芽はリュックごと子犬を抱きしめると、そのほのかな体温に語り掛けた。

「次だよ。次のバス停。そこでピンポン押したら、歩いてすぐのはずだよ。あと少し、頑張ろうね」

 知らない街の、知らないバスの中。少女は運転席の上に映し出される次の停留所を凝視した。

「柳楽公園前」

 力強く指で押す。

 ぴんぽん!

 何度も確かめたから間違いはないはず。道も調べた、お金も持った。この全身全霊をかけて、今わたしは、あなたの愛しい命を助けるために歩いていく。

 「次、止まります」

 車内放送にさえ、彩芽はありがたくて泣きそうになった。止まってくれるんだ、ありがとう。運転手さん、乗客の人たち、落ち行く夕日、世の中のすべてに祈る。世界中でどんな残酷な紛争が起きていても、こんなちっぽけな命であっても、神様、どうかどうかわたしの大事な子犬を守ってください。


「本当に本当に、先生方にはよくしていただいてありがとうございました。お礼のことばもございません」

 中年の女性が、猫が入っているらしいキャリーを抱きながらなんどもなんども、二人の医師に頭を下げている。

 ネモフィラがテラコッタの鉢の中で満開に花開いていた。そこに、アマリア動物病院という看板からスポットライトが浴びせられて、花灯りのようになっていた。

 どうやら本日最後の患者のようだ。

「いやいや。いい結果が出てよかったです」と答えたのは年配のお医者さん。

「痛くてつらかったのに、よく通って、よく頑張ったよね。この子をいっぱい褒めてあげてください」 そう答えたのはメガネの青年。

「もうもう、いくつもの病院に断られて絶望しておりましたところに、半分顔の崩れたこの子を完治させていただける病院があるなんて、信じておりませんでした。栗原先生、そして桑名先生、一生感謝いたします」

「いやあの、僕は助手なんで」

「わたしには世界一の名医です」

 桑名と呼ばれた若い青年は照れ臭そうに笑って、差し出された婦人の手を握った。


 少女は数歩離れたところで、夕闇の中、その光景を見ていた。

 あの背の高い年配の人が多分、院長の栗原先生。そしてかなり年若い眼鏡の青年が、助手とは言いながら凄腕と言われている、桑名先生。ネットで名前は確かめてある。

 ついに会えたんだ。

 彩芽は穴が開くほど二人の顔を見つめていた。

 さあ、次は、わたしの番だ。

 女性が去ると、先に少女に気が付いたのは、院長の栗原先生だった。

「あれ、きみは、もしかして……」

 彩芽はぴょこんと頭を下げた。

「はい、何度もお電話した真樹彩芽です。うちのミニチュアダックスを診てもらいたくて、来ました。M市から」

「……」

 メガネの青年は何かひどく驚いた顔をして少女を見ていた。少女のほうはそれどころではなく、リュックを前に抱いたまましゃべり続けた。

「ここが特別な病院だと、ネットで調べてたどり着いたんです。どこで見捨てられた病気でも、治るって。でも、お電話したら、予約がふた月先までいっぱいと聞いて、それじゃ死んじゃうって、泣いてお願いしました。そしたら、とにかく連れてきて、診療時間外にちょっと診てみる、と言っていただいて、あの……」

「わかったわかった。あんなに泣かれたんじゃねえ。正直この時間の診察はイレギュラーだから、まあ手術の予定が入ってなくてよかったね。それで…… えと、連れてきたのはきみ一人で?」年配の医師が問う。

「はい、一人で来ました」

「きみ、小学生かな」

「はい、六年です」

「とにかく、中に入って」

 本日の診療終了と札のかかったドアを、中から優しそうな女性の助手さんが開けて待合室に招き入れてくれた。

「親御さんは、きみがここに来ること知ってるの?」若い方の、桑名医師…いや助手、が聞いてきた。20代半ばぐらいに見える。

 少女はうつむき加減に答えた。

「この子は、わたしの子だから。それじゃだめですか」

「じゃあ本当に一人で来たんだね」

「迷子の子犬を飼うのだって、最初は母も大反対だったんです。餌代だって惜しいのにこんな時にって。でも、こいつ寂しいんだよ、いいんじゃねえかって、お…おじさん、が」

「おじさん?」

「半年前から、お母さんが一緒に暮らしてる人。お金は、今までのお年玉をためたもの全部を持ってきました。これで、診てもらえますか」

 二人の医者は差し出された封筒の中を見た。中には一万円札が15枚ほど入っていた。

「ずいぶん貯めこんだね。まずは十分だよ」院長は呆れたような声で言った。

 リュックから顔を出したミニチュアダックスをひょいと抱き上げて、頭をなでながら桑名は言った。

「うん、女の子か。七か月かそれぐらいかな。名前はなんていうの」

「はい、きなこっていいます。捨て犬なので年齢はよくはわからないです」

「怖がりさんだね。お尻がぶるぶる震えてる。それで、どういう具合なの」栗原医師が尋ねた。

「あの、三週間前ぐらいから口の中にできものができて、それがどんどん腫れて、まともにモノが食べられなくなっちゃって。体も弱ってきてるみたいで、丸まって寝ていることが多くなりました」

 栗原医師は診察台の上で痛がる子犬の口を開けさせると、ああ、とため息のような声を漏らした。ピンク色の形の崩れたできものが歯を埋めるように膨らんで、膿が流れている。そこを桑名が覗き込んだ。

「これはつらいね、喉の奥まで腫れてるな。ご飯も食べられないんでしょ。まずは給餌と、水分も点滴しないと」

「あの、病名、何でしょうか」

「今の時点では何とも言えないね。ただの口内炎ではなさそうだけど、まずは精密検査しないと」栗原院長が答えた。

「精密検査……」

「最悪の事態を考えて、レントゲン、エコー、血液検査、細胞診。まずは二日ほど検査入院しないとね。でもね、親御さんの承諾がないってのがなんともなあ……」

 少女はきっと顔をあげた。

「子どもが連れてきたんでも、お金があれば、診てはもらえますよね? この子はわたしの子なんです。あんたが飼うならいいわよって、そう母に言われたので、自分のお金を持ってきました。この子はわたしの子なんです。わたし以外、助けられないんです!」

 メガネを押し上げて桑名が言った。

「うん、その子の命はその子のものだ。きみの犬だというなら、きみが治してあげることに何の問題もない。ですよね、栗原先生?」

 彩芽の顔がぱっと輝いた。栗原先生は顎に手を当てたまま、まあうーん、と小さな声で言った。

「治してくれるんですか」

 彩芽は身を乗り出すようにして栗原医師に聞いた。

「ま、来てくれたからには、できることはしよう。結構時間かかるけどね。で、きみ、こんな時間に一人きりで、ご両親…… お母さんは心配しないの。もう七時まわってるけど」

「ママ…… 母は、夜も遅くまで仕事に出ているので、大丈夫です。手紙も書いてきました」

「じゃああの、えーとその、おじさんは」

「あの人わたしのことなんてどうでもいいから」

 吐き捨てるように少女は言った。

 どうも複雑な事情の家庭のようだ。

 少女は震える犬の背中を抱きながら言った。

「あの、余計なことかもしれないけど、ここに来るまで、ネットで色々、似たような症状を検索してました。そしたら、怖い病気の名前ばかり出てきました。皮膚の悪性腫瘍。口内にできると、切除の必要がある。特に猫の場合は予後が悪い。この子、もしかしてそうなんですか。だとしたら、できることはあるんですか。もう駄目ですか」

 しゃべりながら、少女の眼もとには涙が膨らんできた。青年助手が口をはさんだ。

 「もう駄目だとか手遅れとか、そういうことはいわないようにしよう。今はたとえ腫瘍でも治療方法はいくつもある。同じ病気でも犬よりも猫の方が厳しいけどね。で、ここだけの話だけど、きみはいい病院を選んだよ。治しようがない状態に見えても、ここでは不可能も可能になる。心配しなくていい」

「ほんとですか!」涙をこぼしながら、彩芽は顔を輝かせた。栗原院長が複雑な顔でおいこら、と一言言った。少女は先を聞かずに言葉をつづけた。

「あと何回ぐらい、くればいいですか。あ、このまま入院ですか。持ってきたお金はわたしの全財産です。あれを置いていきますから、あれでできる限りのことをしてください。足りなくなったら、言ってください。どんなことをしてでも、かき集めてきます」そして手首でほほの涙を拭いた。

 桑名は、背をかがめて、きなこを抱きしめる少女に語り掛けた。

「きみみたいな年齢の子が、簡単にお金かき集めるとか考えちゃいけない。それでも、見捨てはしないから心配しないで。でもわかってほしい。この子と同様の犬や猫、ほかの病院でもう手の施しようがないと言われた子たち、たとえば扁平上皮癌の子の飼い主さんたちが、ここを探してやってくる。きみは幸運にも待ち時間を飛び越えての特別待遇となったけど、待っている人にとっては正直、アンフェアだ。みんながだれかの、かけがえのない命だ。だから、とにかくね、いったん預かって検査して、治療はそれからだ」

「ていうと、平等にするには、あと、二か月待たなきゃならないんですか、治療まで」

「いやいや、そんなには待たせないよ」

 そこで栗原医師が口をはさんできた。

「きみの家には事情がありそうだし、ご家族も協力的ではなさそうだね」

「だから、今はこのお金を」

 栗原医師は少女に渡された封筒をそのまま少女の手に返した。

「ちゃんとした治療費が計算で出るまではこんな大雑把なもらい方はできないよ。この子はあと二日ほどまずは検査入院で預かるから、お金は持って帰って。支払いは検査の結果が出た時でいい」

「それ、あの、だめなんです」少女は言いにくそうに言った。

「だめ?」

「あの、うちは狭くて、貧乏で、お母さんはとても厳しくて、おじさんは気まぐれでお酒のみで、うちにお金があるとみんな持ち出しちゃうんです。このお金も、公園の地面の中に隠していました」

「……」

「だから、ここに置いておくのが一番安全なんです。置かせてください。わたし今信用できる大人の人、先生お二人だけなんです。わたしと、きなこを大事に思ってくれるひと、神様みたいに大切なんです。お願いします。預かってください」

 少女の懸命な声に、栗原医師は困惑したように桑名青年を見た。

「さてと。どうするかね」

「僕が決めていいですか」

「ああもう、こうなったら若い君に任せよう。その代りどうなろうと責任は取ってくれよ」

 桑名は真剣な表情で少女のうるんだ目を見つめた。

「わかった。ここは一種の貸金庫のようなものだとしておこう。このお金は預かる。そしてだ、これも特別待遇だけど、いいかい、誰にも内緒だよ」

「……はい」彩芽は真剣な表情で頷いた。

「この子に関しては、これ以降の治療費は、出世払いとしよう。つまりだ、いくらかかろうと、きみが独り立ちしてお金を稼げるようになったら、ローンのような形で月々払ってくれればいい。払えればの話だよ。今のきみは子供なんだからまずは学校に行って勉強しなくちゃだめだ。あとのことは任せて」

「ほんとに? 本当にそれでいいんですか?」

 彩芽は桑名の後ろの栗原医師を見た。黙って静かな微笑みをたたえている。見ようによっては、苦笑しているようにも見える。彩芽はひんひんと不安そうな声をあげるきなこを再び抱きしめた。長い鼻づらの先で、子犬は少女の鼻をぺろぺろと嘗めた。

「じゃあ、じゃあ、紙と、ボールペンを貸してください!ちゃんと、出世払いのお約束のこと、今から文章にして書きます!」彩芽は意気込んだ。止められる勢いではなかった。さっきの綺麗な助手の女性が紙とペンを持ってきた。ぶつぶついいながら、彩芽は一生懸命、おとなになって、お金が稼げるようになったらきなこの治療代を…… と丁寧に書き込み、支払い約束書、と書いてからサインをして栗原医師に渡した。

「これコピーとってください。わたしも一枚、大人になるまで、なくさないように持っています!」

「先生、いいんですか」「ああ」気乗りのしなさそうな栗原医師の返事を聞いて、女性の助手さんがコピー機のほうに歩いて行った。

「じゃあこちらとしても治療費の預かり証を書かないとね」と桑名がいうと、

「それはだめ。誰にも内緒にして。その紙が家で見つかっただけでもう大変だから。お金は必要な時そっと使ってください。あとで明細書見せてくれたらいいです。ここはわたしにとって、秘密の公園の地面みたいなものだから」

「きみがお金を埋めていた場所だね」

「はい」

「きみは、どんぐりの隠し場所を覚えているかしこい子リスちゃんなんだね」桑名が言って、にっこりと笑った。

「……あれ?」

 そこで彩芽は首を傾げた。

「桑名、せんせい、どこかで、いつかあった気がする」

「そうかい? 僕は初めてだけど」

「気のせいかなあ」

「マスクしてるし、鼻から上だけなんて似た顔は結構いるよ」

「うん。でもね、わたしが今まであった人の中で、桑名先生、一番イケメンだよ!」

「あはは、それは印象でしょ。たぶん大事な犬を助けてくれるから、雰囲気イケメンに昇格」

「あの、栗原先生も、イケオジです」

「とってつけたように言わなくていいよ」白髪交じりの、なかなかダンディーな栗原医師は苦笑いしながら頭をかいた。

 少女の瞳から、また涙がポロリとこぼれた。

「ここにきて、よかった。本当によかったです。きなこを、どうか、よろしくお願いします。携帯は持ってるので、結果が出たら連絡下さい」そしてまた栗原に深々と頭を下げた。

「ああ、安心して任せて」

 少女は折り曲げた尻尾をお尻の下に入れておびえているきなこの頭を抱きかかええた。

「大丈夫だよ、すぐお迎えに来るからね。おうちでずっと、祈ってるからね」

 


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[良い点] 犬種がヒキョー、かしこい女の子ヒキョー、イケメン医師がひきょーすgイケオジですか?これはあざといです素晴らしい!
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