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アズとは、お昼の休憩時間に会っていた。お互い、話す事は少ないけど一緒に居ると、何だか安心する。
アストラ様と呼んでいた時は、ただ怖かったのに、アズと呼ぶようになってからは、彼の表情が豊かになった。
そんな日々も、アズの休暇が終われば、もう会う事も無い。
離縁した事も聞いて。私は行方不明となっているのに、今さら帰る場所など残されてはいないのだ。
「帰る前に、一緒にあの湖へ行って欲しい」
アズが最後のお願いをする。私は彼が王都へ帰ったら、二度と会わない事を告げるつもり。
「ええ、私もアズと一緒に行きたいわ」
きっと、私が何を考えているかが、分かっているのだろう。先に目を反らした私の頭をサッと撫で、明日、迎えに来る。そう言って立ち去った。
湖へ行く日。休みなので、昼食を入れたバスケットを持ち、アズが来るのを待っていた。
貴族に見えないように、庶民が着る服だけど、背が高く美丈夫な彼は、街の女性達にチラチラ見られている。
「ごめん、待ったか?」
「大丈夫よ、私も今来たところ」
スッと、バスケットを持ち手を繋がれてアズを見上げると、イタズラが成功したように、ククッと笑った。
「今日が最後なんだろ?これ位は許してくれ」
前を向いたアズの表情は分からない。でも、最後だと、やはり気付いていたのね。
「そうね。これが大人になってから、最初で最後のデートだわ」
私の言葉に、握られた手がギュッと強くなる。
湖近くの森までは、馬車で向かった。ずっと手を握ったまま二人共、話す事はせず。ただ、馬車の揺れに身を任せた。
「ティンは、道を覚えている?」
馬車から降りて森の入り口でアズに聞かれた。
「覚えて無いけど、大丈夫よ」
この森が教えてくれる。私は何故か、そう思った。すると、小さな声で、
『こっちだよ』
ふふ、やはり草花が案内してくれるのね。
私はアズの手を引っ張って歩き出す。アズも何も言わず私と一緒に歩いた。
途中の草花が、キラキラ陽の光に輝いて嬉しくなった私は、手を離し両手を広げて空を仰ぎ見た。
「見て!みんなが喜んでいるわ!」
そんな私を、眩しそうに見つめるアズも、笑っている。来て良かった。
寄り道をして、やっと湖へたどり着くと、バスケットから、サンドイッチを取り出し二人並んで食べた。
水面が光を反射し、ほとりには草花が風に揺れて。あの夢と同じように美しい。
「一緒に来てくれて、ありがとう!」
今なら、素直に言える。私を閉じ込めたけど、不器用な彼なりに守ってくれていた。
二度と同じ道は歩めないけど、幸せになって欲しい。
「ティン。俺も一緒に来れて幸せだ」
あぁ、思い出した!アズの笑顔。私は彼の笑顔が大好きだったわ。
泣きそうになり、私は湖へ歩き出す。
「ティンキー!!やっと見つけた!」
近付いてくる人影、そしてこの声は…
「オースティン様……何故…」
振り向きざまに手を引かれた私は、オースティン様へ倒れかかる。
「ティン!!おい、ティンを離せ!」
アズが私をオースティン様から、引き寄せ抱き締めた。
「アズ、待って!この方は!」
私が話す前に、アズの屋敷で何度も見た女性が、目の前に居た。
「ティンキー様、今は平民のミナでしたか?
私が貴女の為にオースティン様をここへお連れしたのよ。
離縁した女がいつまでもアストラ兄さまに付き纏わないで下さる?」
「ルーナ!!貴様!」
私から離れアズは、ルーナと呼んだ女性へ手を伸ばし。私はオースティン様に腕を掴まれ動けない!
「アズ!止めて!私は大丈夫だから、オースティン様も手をお離し下さい」
「ティンキー、何故逃げた。私はずっと探していた。このルーナ嬢から話を聞いて、ここまで来た。一緒に帰ろう」
オースティン様が私を見つめる。
「私はオースティン様とも行けません。どうぞ、私の事はお忘れ下さい」
オースティン様の、掴んだ手が緩む。しかし、アズはルーナと呼んだ女性から離れ私へ向かう。
「その女はバケモノなのよ!なのに私よりバケモノの方を選ぶなんて許さない!」
ナイフを持って女性がアズへ向かう!
「ダメ!!」
走ってアズを突き飛ばすと、女性が持っていたナイフが私の胸に突き刺さった。
「兄さまの身代わり?バケモノも死ぬのかしら?」
倒れた私の胸からナイフを抜くと、馬乗りになり、何度も女性は私へナイフを突き刺した。
口の中は血の味がして。刺された胸からは血がドクドク流れ落ちるのが分かる。
遠くでアズとオースティン様の声が、聞こえるが、もう意識が保てない。
「私を忘れて…」
******
「ティン!!しっかりしろ!」
俺は、ルーナを突き飛ばし、ティンを抱き寄せたが、何度も刺されたティンは既に意識が保てないようだった。
駆け寄ったルーナと一緒に来た男も、ティンの手を握り名前を叫ぶ。
「私を忘れて…」
この言葉を最後に、ティンは死んだ。
「ルーナ!!お前がティンを殺したんだ!」
ティンをゆっくり寝かせ、ルーナを殺してやろうとした俺を、男が止める。
すると、草の上に寝かせたティンの身体に蔓が巻き付き、ティンをどこかへ連れて行こうとしてた。
「待ってくれ、連れて行かないでくれ、お願いだ!」
必死でティンの身体へ巻き付いた蔓を手でむしるが、間に合わない!
ダメだ、ダメだ、ダメだ!!
男がまた俺を止める。目の前で蔓に包まれたティンは、湖の中へ消えて行った……
何故だ、何でティンが死ななければならない。
男に押さえられ、湖へ飛び込む事も出来ない!
「離せ!行かせてくれ、俺をティンの傍へ……お願いだ…」
「彼女は、プランチェの愛し子だ。湖の中へ消えたのは神の意思。すまん、俺はキミの事を誤解してたようだ。
あの女の言う事を信じなければ……」
そう言って。男も湖を見つめ泣いていた。