鍵は閉まっているか?
……おいおい俺よ俺。嘘だろ俺。なあ、俺よ。覚えているか?
そうだ。この前な、お前は歯医者に行ったよな?
「虫歯です! 奥歯に穴があるんです!」って神父にどうか私をお救いくださいってな気持ちで、先生にそう言ったよな?
んで何て言われた?
「ああ、これ溝ですね」
だよな? その後、笑顔でこうも言われたよな。
「前にも同じこと言いましたよね」
ナイフで刺された気分になったよな? 血を流す代わりに、顔真っ赤にしてお前は小さな声ですみませんって謝ったよな。
その後の、まあ来たんだしってやった歯石取りは気持ちよかった……って、それはどうでもいいんだ。俺よ俺。聞け。
だから俺が言いたいのはな、あまりそう不安がるなってことだよ。なあに、大したことはない。心配しすぎさ。俺は結構、しっかりやってる。偉いぞ俺よ。さ、一度しか聞かないぞ? いいな?
お前は……家の鍵を閉めたよな?
……わからない。
かっー! 俺よ俺! ほーら、よーく思い出せ! な? いいか? 落ち着けよ俺。うんまだ会社には間に合うぞ。うん、全然大丈夫だ。だからな、こうして道端で考えていてもいいんだ。
そうだぞ、だからよく思い出せ。鍵は……閉めたな?
……わからない。
そうだよな俺よ。俺は俺だから聞く前から俺がわからないということはわかっていたんだ。こうして脳内で一人二役やっても思い出せないよな。
うんうん、いいんだ俺よ。こんなこと何回繰り返すんだ、と。今日に限った話じゃないぞ、と。ああ、確かにな、医者のもとに行けば、迫真の病名をつけられるだけじゃなく、何かアドバイスもくれるかもしれない。
でもな、俺はこう思ってるんだよな。たかが鍵を閉めたかどうか不安になるくらいで、医者に診てもらう必要あるのかってな。それにやっぱりちょっと怖いよな。ただのうっかり屋さんでいたい気持ちもわかるぞ。
だから、そうだ。お前は確認したよな。あのクソアパートのドアの前に立ち、ドアノブを握り、引っ張ったよな?
……引っ張った。
それでどうなった?
……開かなかった!
イエス! イエス! イエス! コングラッチュレーションだ俺よ! そうだ、今ドアの鍵は閉まっている! さあ、駅に行こう!
ん? どうした俺よ?
……その後、ガスの元栓閉めたか気になって鍵を開けて中に入った。
おーい! 俺! 俺! 俺っー! ああ、わかっていたさ! 俺がそう考えていることは!
だからな、聞くぞ? その後、お前は鍵を閉めたか?
……閉めた。
おおい、おいおい、俺なのに戸惑うぜ。ふぅー、あっさりと回答をありがとよ。
さあ、スッキリしたところで駅に……行かないんだよな。
そうとも俺は俺だからな。俺の考えはわかるよ。さあ、言ってみろ。何が気になっているんだ?
……エアコンがつけっぱなしか確かめにまた部屋に入った。
うん、うんうんうん。うんうんうんうんうん!
そうとも、確認は大事だ。で、エアコンはついてなかった。それでまた部屋を出た後、鍵は閉めたか?
……。
首を傾げちゃったな俺よ。そうだな。わからないからこうして記憶を順に辿っているわけだ。
だからって落ち込むことないぞ俺よ。そうとも。こんなこと大したことないし、世の中にはもっと出来ない奴だっているんだ。お前は立派な社会人だ。そうだ胸を張れ! 背筋を伸ばせ! さあ、どうだ?
……閉めた!
いよおおし! ゴオオオオール! お前は今、ゴールテープを切った! さあここからはウィニングランだ! 観客に手を振り、駅まで走れ!
……テレビつけっぱなし……いいや! してない! 音で気づけたはずだろう? そうとも大丈夫! さあ行こう! 時間やばいぞ!
……窓の鍵。
あー……俺よ……戻ろっかぁ……。
もう大丈夫だよな……? 忘れ物か何かは知らないがもう戻ってこないよな?
クソッ、朝の空き巣こそ案外、見つからないもので、これまで上手くやってきたが、今回は怪しまれたか?
そうだよな。でなければ六回も家に戻ってこないよな?
でもまた見つからずにすんだ。やはり、ただの偶然? 忘れ物? また戻ってこないうちに逃げるか?
いや、もし今戻ってこようとしていて、鉢合わせたら? ……なんて考えていたせいで逃げ損ねたんだ。もう行こう。玄関は……やめておこう。
よし、やはり窓から……クソッ、また戻ってきやがった!
ああもう! 一体何回戻ってくるんだこの家主は! せっかく鍵を開けたのにまた押し入れの中に逆戻りだ!