5 腎・生・検①
病名が判明して以来、怒涛の展開(個人的な感触として)の果て、『腎生検』という検査を受けることになりました。
ところで、『腎生検』とは何ぞや?
ごく簡単に、乱暴に言うならば。
硬膜外麻酔(脊髄の近くの硬膜外腔というところへ麻酔薬を入れる方法。腰にチクッと注射される感覚でした)をした後、機械を使って両方の腎臓からごく微量の組織を取り出し、その組織内にどれだけ『免疫グロブリンのIgA』が詰まっているのか、顕微鏡で調べる……という検査になります。
生きて活動している生身の腎臓へ、わかりやすく言うとごく微細なストロー状のものを瞬間的に打ち込み、組織を取り出すのだそう。
地質を調べるボウリング調査を、ミクロサイズで行うような感じかな?と、私は勝手に解釈しました。
……真面目に考えると、なかなかエグい検査になりますよね。
腎臓はその働き(血液を濾過する)から当然、臓器にたくさん血が集まっています。
穿ちどころ?が悪いと最悪の場合、大量出血もあり得るのだそうで、当然検査は入院して行われますし、手術して24時間はベッド周り以外、動くの厳禁(動いたせいで出血するリスクがあるので)と聞かされ、ビビる私。
そして……検査以上に心配なのは。
まだ四歳の息子。
ほぼワンオペ育児にならざるを得なかった事情もあり、乳幼児期の息子はかなりのお母さんっ子でした。
お父さんも大好きですが、日常のあれこれは母親に依存しています。
お風呂はまだしも、(乳児ではないのである程度は勝手に寝ますが)寝入るまでは傍に母親がいる状態でずっと育ってきました。
二~三泊ほど私が入院するとなると、彼の情緒が不安定にならないか心配になりました。
(……まあでも。もう赤ちゃんじゃないし。お父さんと二人で過ごすのも、きっといい経験になるよね、父子ともども。男同士の連帯を深めてくれい)
そう割り切って、この問題は目をつぶることにしました。
当日。
夫は息子の世話の為、週末を含め数日連続で仕事を休めるよう手配してくれました。
私は入院の準備にいそしみ、事情はわからないなりに『なんか知らんが、イレギュラーなことがある!』と察した息子は、意味もなく浮かれていました。
病院へ行き、入院の手続きを済ませると、そこで私は二人と別れます。
息子は少し変な顔をしていましたが(何故かーちゃんも一緒に帰らないの? と顔に書いてあった)、
「かーちゃんはな、今日から検査で入院するねん。腎臓チメ切って(つまんで切る、とでもいう意味でしょうか。彼の地元の方言なのか彼独特の言い回しなのか、そう言えばいまだに不明です~)調べやんとアカンのや!」
と、有無を言わせない勢いでお父さんに説明され、納得しないまでも息子は『かーちゃんは一緒に帰らない』と理解したようです。
帰宅後息子は、『かーちゃんチメ切った! かーちゃんチメ切った!』と、何度も言っては騒いでいたそうで、どうやら母親不在のせいかちょっとハイになっていたようです。
夫からのメールでそんな息子の様子を知り、
(……いやその。『チメ切る』のは明日なんやけどなあ。入院初日ではチメ切りませんよ~)
と、心の中でひとりごちた私。
(私の場合といいますか、この病院はそうでした)
その日は、不安からハイになってるらしい息子をなだめる為、おやつを用意したり一緒におもちゃで遊んであげたりして、お父さんも色々と頑張ったそうです。
普段なら『自分で作って食べるのなら、ご飯に塩で十分』的な食事になりがちな彼も、息子に食べさせるのならばと、ネギとたまごでチャーハンを作ったとか。
ウチの食卓はちゃぶ台ですので、私が食べさせている時もたまに息子は、私の膝の上にちょこんと座って食べることがありました。
この日はいつになく(そういえばそれまで、父親の膝でご飯を食べることはありませんでしたね~)、お父さんの膝に乗ってご飯を食べたそうです。
やはり、幼児なりに寂しかったのかもしれません。
寝る時も、かーちゃんかーちゃんとベソベソ泣いていたとメールで知り、いたたまれなくなりました。
息子に寂しい思いをさせてしまいましたが、あれはあれで、お父さんと密に触れ合ういい機会だったと後で思いました。
二日目以降の息子は、ちょっと寂しそうではあったものの、落ち着いて暮らせるようになったそうです。
お父さんの特製チャーハンを、『オイシイ』ともりもり食べ(入院中、晩ごはんはいつもチャーハンだったそう。夫は典型的な『好きなら毎日でもwelcome!派』ですね。←『昼飯ミッション外伝~昼飯戦士のひとり飯&ひとりごと~』参照 ダイマ再びw)、寝入りばなにベソベソ泣くこともなくなったのだそう。
子供というのは日々成長するのだなあ、と、思いを新たにしました。
病気や検査のことそっちのけで、ずいぶん話がそれてしまいましたね。
ちゃんとした検査の詳しい話(といいましても、私の記憶にあるだけですが)は、次回に。