複雑な二重混合モデル
分かってからかけよとなるが、かなり混乱したまま書きたい。細かい個々の人骨のDNA調査が進んだためまさにその細かいことが分かってきた。そんなの些細な事だろう?とならない。この細かさが大きな謎を呼ぶ。
アメリカ先住民ともつながるのだが、アメリカ先住民に以前からアボリジニに近いDNAが南米の一部の集団から核DNAの分析から出るのが分かっている。父系母系共に直系ハプロから痕跡も出ない。旧人の発見とよく似ている。ごく少量の場合こうなるケースが多々あるのかと。これが日本人につながってる?
以前から極東の少数民族であるウリチ族から縄文人に近い遺伝子が出るのが分かっていたが、過去の悪魔の門の集団からも一部これらの遺伝子が発見された。ウリチ族はその末裔であるため当然これらのものがルーツになってるのでは?と考えている。そして、韓国人のルーツでもある。韓国人に発見される縄文系の遺伝子はこれがルーツではないのか?との考えも出てしまう。
以前私は日本の九州から来た集団のものだと書いた。土器からそれが推測できるためである。それ自体は事実なのだが、韓国人に今ある縄文系の遺伝子は、いったいどこがルーツなのか?が良く分からなくなってしまった。もちろん両方である可能性も十分ある。土器から韓国南部での新石器時代の集団は明らかに九州からの移住であると考えられる。
だが、ウリチ族のものはどうか?南米のものはまだ分かってないが、推測すると、アジア南部から北上した縄文集団が大陸と日本に分かれた可能性が高い。その途中に残してきたのが悪魔の門、ウリチで、行くところまで行ったのが南米の集団だと考えられる。
ただ、過去東北地方にはヒエが大陸から持ち込まれている。これは弥生ではなく縄文だとされている。そのため日本海側とロシア沿海州当たりの海岸と交流があった可能性が有る。他にもちらほら大陸のものが持ち込まれてるのもあり、日本の栗栽培が、遼河文明の栽培と似ているとの指摘も出ている。
もう1つおかしな点として、対岸に当たるウリチ族の地域以外の民族には縄文人の痕跡が全くない。ランダムドリフトの結果と言うよりも、過去アメリカ大陸に進んだアボリジニに近いアジア南部集団があったのは事実だが、現在その集団の痕跡は消えてしまっていると。ウリチ族はたまたま追加でアメリカ大陸移住後の縄文時代に日本の縄文人が移住して混血したためじゃないか?とも考えられる。
過去大陸の海岸沿いに縄文人に近い集団が北上した過程で周辺住民と混血したのは事実だが、今残るそれらの集団は、多分後の時代別個に日本からの移住者の追加の混血である可能性が高いと見ている。
韓国人に関しては朝鮮民族全体で見てほしい。もし南部に偏ってるなら、旧石器時代の痕跡じゃないと分かるので。これについては調査した分析が無いためいったん保留にしたい。ただ、新事実として、ウリチ族のルーツである悪魔の門の集団からも出たというのはかなり大きなことだと思う。
私の見方としては、韓国の縄文系のルーツの大半は九州からの移住者による追加だと見ている。悪魔の門はデータが少なすぎる。一部の個体で高く出すぎただけじゃないか?とも見ている。九州からの移住者は、土器などの発見もあり骨自体が縄文人に近かったものも見つかっていて、こちらの追加の移住者の影響の方が高いと感じ取れるからになる。
次の話に移ろう。弥生時代の細々したデータから分かったことは、縄文と弥生のばらつきが個体地域でかなり激しい点。これが何を意味するか?となる。半島から直接すでに混血された集団が来たならこれは明らかにおかしい。これらの結果は混血が縄文薄い集団と濃い集団でじわじわと混じっていたのが正しい見方だと分かる。
すでに大陸には様々な根拠から縄文人に近い集団と混血した弥生集団があった。これらは、縄文人が直接移住したものから、原縄文人が分かれて、大陸を北上したものと日本列島に向かったもの2つのケースがある。これらが分岐したのは他の遺伝子的証拠から判明してて、ATLウィルスが南米やフロリダと日本が姉妹系統になってるのが判明してて、これらは縄文時代のさらに前の時代に分岐したと思われる。
ここで以前の2重混合モデルを複雑に考える必要が出てきたと見ている。半島には様々なルーツですでに縄文人が混血した集団が居た。だが、彼らは何らかの理由で現代人より低い混血比率になっていた。そのため、都合よく現代日本人の割合になるように追加で本土の縄文人と混血した。
これともう1つ、弥生後の古墳までを含めた長いスパンでより薄い集団が入ってきて弥生期の濃い縄文色を薄めたという見方になる。実際、今わかってるのは、現代人よりも濃い縄文人が多量に九州にいて、これがさらに本土に広がったらさらに濃い個体が増えてくると思われる。だがそのデータが無いため今は保留だが。
私はこの2つ両方だと見ている。その理由が稲作にあると見ている。
比較的縄文色が現代人に近い集団が半島南部に住んでいたが、これらに熱帯ジャポニカを持った集団が混合して縄文色が薄められて弥生後日本にやってきた。これらは全くの妄想じゃない。宮本氏の日本の文化発展モデルに従った結果になる。4段階の文化発展があり、大体は農業の発展で読み解ける。
第一段階の雑穀民が日本に曽畑土器をもたらす原因となる。おそらく父系Nの韓国の原初集団だと思われる。これらが半島南部に住んでいた縄文人と混血して曽畑土器を生み出す。第2段階に熱帯ジャポニカを持った集団が雑穀民として中国南部から北上してくる。彼らが元居た半島南部の混血集団とさらに混血する。
この時点で、現代日本に近いとされた釜山の人骨の集団の縄文色は薄められる。ただ大事なのは純粋な弥生人と言うのは多分日本にあまりいなかったのじゃないか?と私は見てて、この基本モデルは継続される。第3段階として山東省をルーツとする集団稲作農業を伴って日本に南部集団が移住する。
最後にこれらの稲作を伝播した元の集団が、青銅器などを含めたさらに進んだ文化集団として渡来が弥生を超えて古墳まで続いていくと見ている。
このモデルで無理なく追加の薄められていく縄文色が分かるようになる。重要なのは時代的に最初に釜山で見つかった集団は稲作民を含まない雑穀民であろうって分かればいいかと。後の問題は、3段階目が文化伝播で遺伝的な混合が薄かったと見てる点になる。何故これが重要になるか?と言うと日本の問題でかなりやっかいな言語の問題を無視してるからになる。
この言語に都合がいい。残った集団が朝鮮語のルーツになったとすると日本語と朝鮮語がかなり分断されたものであるのが綺麗に説明がつく。元々集団が違ったのだすればいいからになる。
もちろん全く混血が無かったとは思ってない。ただ、追加でやってくる集団の縄文色に大きな差があるとすると都合がいいと言うのがある。同一集団だとすると綺麗に説明できない。そして、かなり重要なのは半島に熱帯ジャポニカがほぼ残ってない点。逆に今より弥生時代には熱帯ジャポニカだらけだったのが分かってる点。
これは温帯ジャポニカの日本の稲作が文化伝播じゃないと説明しにくい。明らかに元合った熱帯ジャポニカに追加したのが分かる。