1 目が覚めたら
「一輝、ねぇ、一輝ってば。おーい、天鷲一輝くーん」
初夏なんてとうに過ぎ去って日に日に蒸し暑さが増していく中、できるだけ体力を失わないように机に突っ伏していたのだが、誰が俺の名前を呼んでいる。
面倒ながら首を起こすと、目の前にある女子生徒の顔があった。
名前は大原七海、俺の前の席の女子生徒で少々俺に対して暴力振るいがちな、活発な子だ。
「……んだよっ。省エネ中だったんだけど」
「相変わらずの貧弱」
七海はそう言ってくるが、この暑さにおいては貧弱もクソもない。
気温何度だと思ってんだ。三十七度だぞ? おまけにまだエアコンも効いてない教室だ。この暑さを耐え忍ぶには、出来るだけ動かずにダラッとする他思いつかない。
「あっ、そういえば昨日流れ星見たんだけどさ、一輝は見た?」
七海は唐突に流れ星の話をしてくるが、いつ流れるかわからない偶然の産物を狙って見ることなんてできるわけがない。
もし見れたのなら俺にも願い事の一つくらいあったのだが――。
「いや、見てないけど。なんか願い事とかしたのか?」
「それが急な出来事だったから間に合わなくてさ。でも一気に四つくらい流れてさ、それも結構空から近い位置で。凄くない?」
そう、そうである。仮に俺が偶然流れ星を見れていても、願い事を祈るのは絶対に間に合わない自信がある。流れる事を信じてただひたすら待っていれば、僅かに可能性があるかもしれないが、そんな忍耐力は俺にはない。
それにしても、一気に四つとは流星群かなんかでは? と、思ったりもしたが、流星群が流れるなんて聞いてない。もし流れるなら、話題になってたはずだ。そもそも、空から近い位置ってそれ、ホントに流れ星だったのか? という疑問も抱いたが……。
「ふーん、よくわかんねーけどなんか凄そうだなそれ。——あ、そういえば流れ星といえば今日こんなもん拾ったんだけど」
「何さこれ?! 星形、ホントに星みたい」
ズボンのポケットに入れておいた、ほんの僅かに焦げ目? のようなものがある、直径二センチくらいの小さな黄色い石を取り出し見せると、七海は目を輝かせた。
俺自身も、目こそ輝かせてはいなかったと思うが、珍しい物を見つけた気がして無意識に拾ってしまった。だからといって、この石に何か特別な思い入れがあるわけでもない。
「やろうか?」
「いいって……! 自分で見つけたんだから大事にしなよ」
七海は遠慮気味にそう言う為、無理に押し付けるのは良くないと思って石をポケットに仕舞った。
「それよりどこで拾ったわけ?」
「今朝、弓谷神社で」
「――ど、どうしてそんな場所行っちゃったのさ?!」
逆に聞きたい。なんでそんなに驚く? 神社くらい誰だって行くよね?
とはいえ、別に俺が用があったわけでもないのだが。
それにしても七海の驚き方、もしかしてあの神社には何か不吉な言い伝えとかあるのかもしれない。そうだとしたらちょっと気になる。
そういえば今朝、パトカーが何台か停まってたのはなんだったのだろう。近くで事件でもあったのか?
ま、それはひとまず置いといて――。
「妹が今日幼稚園のお遊戯会で主役をやるんだってさ。それの願掛けについて来たら学校まで車で送ってくれるって母さんが言うから」
このクソ暑い夏の朝、徒歩で学校まで行かなくて良くなるなんて願ったり叶ったりだし、俺は大喜びで願掛けに付いていったのだ。
「あぁー! 妹ちゃんそんな大役やるんだぁ。上手くいくと良いね」
「おう。それで、さっきはなんであんな驚いてたんだ?」
結局気になって聞いてしまった。できれば、可愛い妹に不吉な事は起こって欲しくないし、先程の考えは杞憂に終わってくれると良いのだが――。
「あー、えっとね……昨日の夜、突然その神社の娘さんがいなくなっちゃったんだってさ」
「へー」
聞いておいて何だが、特に興味が湧くようなことではなかった。
あー、だからパトカーが停まってたのかぁ、程度の感想しか出てこない。あとは、少し不謹慎かもしれないが神社に不吉な言い伝えとかがあるわけでもなさそうで安心したくらいだ。
「なに、そのどうでも良さそうな反応はさ……!」
「えー、だってその人の事知らないし、別に俺関係ねーなっ思って」
と、気怠げに答えると七海はやや怒った表情を浮かべた。
「同級生の子が行方不明になっちゃったんだから、普通ちょっとは心配するでしょ?! 場所だって結構近いわけだしさ。そうゆうところ、ホントサイテー!」
七海は一方的に俺を罵ってくるが、そうは言われてましても……。
「おいおい、そうゆう事は先に言えよ。今頃になって親近感湧いてきちまったじゃねえか」
そういう事は予め言ってからにしてほしいし、そうだったら俺の感想も少しはマシになったはずだ。
「つーか、どこでそんな情報仕入れたんだよ。いなくなっちゃったの昨日の夜なんだろ? 情報早すぎない? まさかニュースとかになってるわけ?」
「まだニュースとかにはなってないんじゃないかなぁ。どこで聞いたかっていうと風の噂で」
噂かよっ……信憑性に欠けるな。
と、一度ツッコミたくなったが、警察も来てたわけだし本当の事なのだろう。
「とにかく! 誘拐かもしれないわけだしさ、一輝も気をつけてよ!」
そうか、その線もあるのか。それなら確かに気をつけるべきだ。
連続誘拐犯とかだったら自分が当事者になる可能性も少なからずあるかもしれない。当然男の俺も気をつけるべきなのだが……。
「七海はもっと気をつけろよ。絶対男より女の方が狙われやすいぞ」
「わかってるって! でも大丈夫、結構強いしさ、あたしって」
うん、痛いほど知ってる。日頃暴力紛いな事受けてるからね。
そう呆れながら心の中で呟いたところで、担任教師が教室に入ってきた。
◇◇◇
「あら、おかえりなさい」
学校が終わり、家に直帰した俺を母さんが出迎えてくれる。
「ただいま。お遊戯会はどうだった?」
「上手くいったわよ! ただ今は疲れて寝ちゃってるけどね」
「そっか……! 良かった」
七海からあんな事を聞いた手前、あの時は安心こそしたが、それでも心のどこかで不安もあったようで、まさか不吉な事が起こったりしてないだろうなと思い聞いてみたのだが、今度こそ本当に安心した。
「じゃあ俺部屋にいるから、夕飯できたら呼んで」
そう母さんに告げてから自室に戻り、制服のままベッドの上に寝転がる。
あーあ、ホント、物騒な世の中ですこと。誘拐犯はどうして誘拐なんてするのでしょう? 妹誘拐したらただじゃおかねーからなっ!
まだ誘拐と決まったわけでもないのに、七海との会話を思い出し、自然とそんな感想が出てきた。
ズボンのポケットから石を取り出しそれを見つめていると――。
「あーあ、こんな世の中じゃなくて、俺の理想のお姫様がいる世界とか、どこかにねーのかなぁ」
——無意識に自分の理想のお姫様を思い浮かべてそんな事を呟いていた。
髪は金髪で、澄んだ碧眼に程よい肉付きで上品な言動。それが俺の理想のお姫様像だ。
けど、そんな奇跡的な存在なんてそうそういるわけがないから、理想で止まったままなのだ。
時間は午後五時過ぎ。さてと、このままちょっと昼寝でもしますか。
石をポケットに仕舞い、あくびをしてから目を閉じ、再び理想のお姫様を思い浮かべ、こんな子に会ってみたいなぁ、なんて思いながら、そのまま眠りについた。
◇◇◇
「……んんぅ」
目が覚め、半開きになった目蓋の中に光が差し込んでくる。
眩しさから両目を擦り、今度はしっかりと両目を開けると――そ、外?! なんで……?
「――っ?!」
驚いて立ち上がると、石ころでも踏んだのか左足の裏に軽い痛みが走り、そのまま後ろに尻餅をついてしまう。
俺が起き上がった場所……硬いし、間違いなくベッドではない。というか、普通に地面。
何がどうなってるのか、いくら状況を整理しようとしても頭が混乱して追いつかない。
俺は部屋のベッドで昼寝をしていたはずなのだと頭を抱えていたところで、目の前に馬車のようなものが停まった。
恐竜みたいな見たこともない生物が引いているようだ。
か、怪物だ……あっ、わかった! これは夢か、夢に違いない。
そうでないと説明がつかないのだが――。
今さっき石を踏んだ時に感じた痛み、尻餅ついた時に感じた痛みは夢では感じることなどできるはずもない。
顔の血の気が引いていくのがわかる。
なんで夢なのに体調が悪くなっていくんだ……? なんて考えていると、目の前の乗り物から中年くらいの男性が降りて駆け寄ってきた。
「おいどうした兄ちゃん、朝っぱらからこんな町はずれの地面に座り込んで」
男性が心配そうに顔を覗き込んでくる。
「あっ、えっと……」
突然の見知らぬ男性からの問いかけに、状況を整理し切れていない俺は何も言えず言葉に詰まってしまう。
「だいぶ顔色が悪いな。ん……? 靴も履いてねぇじゃねえか。ちょっと待ってな」
そう言って男性は乗り物に戻っていくと、何かを抱えてすぐにこちらにやってきた。
「ほれ、新品の靴だ。多分サイズはそのくらいで丁度いいだろ。履きな」
「え……? あ、ありがとうございます」
冷静になって足を見てみると、靴下は履いていた。学校から帰ってきてベッドに倒れた時の身なりだ。
親切にも男性は靴をくれると言うから、有り難く履かせてもらうことにした。
「気をつけろよ兄ちゃん、靴も履いてないような身なりだと、一文無しだと勘違いされて奴隷として捕らえられちまうかもしれねーぞ? まぁ、兄ちゃんは質の良さそうなもん着てるから、そうは勘違いされねえだろうけど」
「ど、奴隷……?」
今まで生きてきて全く馴染みのなかった言葉が故に、反射的に口が動いた。正直言って聞き心地がいい言葉ではない。
「なんだ兄ちゃん、エトワールの人間じゃねえのか? ならしょうがねえな。王都エトワール以外じゃ奴隷に馴染みはねぇだろうし」
いや、そういう問題ではなく、そもそも王都? エトワール? とは何のことなのか。言葉は理解できるのに、言ってることが意味不明なのが大きな違和感だ。
「お、顔色もだいぶ良くなってきたみたいだな。――おっといけね! 悪りぃな兄ちゃん、そろそろ開店の準備に行かねーと。気が向いたらうちの店にでも来てくれや!」
男性は小走りで乗り物に向かいながらそう言ってきて、そのまま乗り物に乗り込み、怪物がそれを引っ張って動き出す。緩やかに加速し、結構な遅いスピードで段々と離れていく。
摩訶不思議な光景。馬ならわかるんだけどな、馬なら。
それより、店の場所も教えてもらってない。もっと聞きたいことがあったのだが――。
時すでに遅し、馬車のような乗り物はもう視界にはなかった。
◇◇◇
しかしこれからどうしようか。
とりあえず先程の、親切な男性曰く町はずれから、人通りの多そうな中心地っぽい場所まで歩いてきたのだが――。
所持品はポケットに入っていた、スマホにハンカチに黄色い石くらい。まんまベッドに倒れこんだ時に持っていた物だけ。
スマホはいくら開いても圏外で、着信、メッセージ共に受信なし。使えないし、充電が無くなったらもしもの時困るかもしれないから電源を落とした。
「――うがあぁぁ! どうなってんじゃこりゃあっ!」
どれだけ考えても状況が掴めず、頭を抱えて叫ぶと周囲の視線を集めてしまった。あ、恥ずかしい……と、大衆の注目から外れる為にいそいそと歩き出す。
どうやら言語は同じらしい。周囲から聞こえてくる会話から日本語である事はわかる……が、しかし、そこら中に貼られてる紙になんて書いてあるのかわからない。ローマ字っぽいんだけど、微妙に違うような……何文字? なのだろうか。
「夢なら覚めてくれ……いい加減そろそろ頃合いだぞ? 母さん、早く起こして……」
と、ぶつぶつ呟いてみたものの、さっきから無駄に触覚が冴えている。何度頬をつねっても痛い。
とりあえず、こういった場合は早く警察に連絡しなければならないと思い、
「すいません、交番ってどこにあるかわかりますか?」
噴水広場で腰掛けている老婆に尋ねてみた。
こうゆう時、変に若い人に聞くより親切に教えてもらえそう。これ、俺の勝手な印象だけど、多分正しい。
「交番? なんじゃねそれは? 聞いた事ないねぇ」
老婆は困った顔をしてそう答えた。
「えっと、じゃあ警察は……?」
「それも聞いた事ないねぇ」
「そ、そうですか……」
「すまんのぉ」
少しばかり申し訳なさそうな顔をする老婆だが、きっと意地悪で教えてくれないわけではなく、本当に知らないのだと思うし、それならそれで仕方がない。
「い、いえ……こちらこそすいませんでした」
と、一応頭を下げてからこの場を立ち去ると見せかけてぐるっと半周回って腰を掛ける。
それにしても、怪物に引かれた乗り物はチラホラ見かけるのに、肝心の車は一切見かけない。それどころか、全身武装した人だったり、はたまた、全身武装というわけではないが武器と防具みたいなのを装備したハンターみたいな人も結構見かける。
おまけにさっきの親切おっさんが言ってたこと、奴隷が本当なのか、ボロッボロの布切れみたいな衣類に身を包んだ人が首輪みたいなのを付けられ、死んだ目をして普通の身なりの人に付き従っているのを見かけたりもする。
いよいよこうなってくると、認めざるを得ない。残念なことに要素は揃ってしまった。
……どうやら俺、地球じゃない別のどこかに来てしまったようです。
こうゆうの、アニメとかで見た事がある。俗に言う異世界転生とか、転移とかそういう類のものだ。まさかホントにあるとは……俺も行ってみてー、とか思ったことあるけど、いざこうなるとマジで困る。
そもそも、転生って死人に起こる事だよね? は? まさか俺って死んだの? やめてぇー、なら転移にしてくれ。
――どっちにしろ嫌だわっ……!
父さん母さん心配してるだろ、これ……妹なんて喚き散らしてるだろ、これ……。
はぁ……帰りたい。
大体さ、こうゆう場合、それなりに初期装備くらい揃ってるもんじゃないわけ? マネーも無いし、不親切すぎませんかね? 何ですか? 所持品、スマホ、ハンカチ、石って。バカにしてんのか?
と、文句しか出てこない。
とりあえず立ち上がり、何をするわけでもなく、途方に暮れながら辺りを彷徨った。