04:宮殿へ
結局あれから数日をかけて、フランシスカは女装する男性の登場する小説や演劇を、できる限り調べて読み尽くした。
彼らが女装をする理由は様々だ。
まずはもちろん、相手の目を欺くための女装。とある有名な演劇では父王を暗殺した人物に狙われる王子が身を隠すために女性の装いをする。
次に、自らの性に悩んだ末の女装。自分は男性なのか、女性なのか、異性の服装をすることで答えを探し求める姿がそこにあった。これは、厳密には女装と言えないのかもしれない。
それから、性の多様性を表現するための女装。同性愛を公言する彼らは派手な女装をして舞台で踊る。これも、ただの女装という言葉で片付けてしまうのは違う気がした。
最後に、性的嗜好としての女装。いわゆるフェティシズムというやつだ。だが彼らはなんの脈絡もなく女装へ傾倒するわけではない。精神的な傷を負い、ぽっかりと開いたその箇所を埋めるように女装という快楽に身を落とすのだ。あるいはじくじくとうずく傷から、目を背けるように。
それからフランシスカは父にも話を聞いた。父によれば、ゲオルクは女装は趣味だと話しているらしい。しかしそれ以上のことは何も言わないのだという。
また父の話だと、ゲオルクの女装は決して派手ではないということだ。落ち着いた菫色の生地に、それより少しだけ濃い色の糸で刺繍の施されたドレス。腰に結ばれたリボンも小ぶりなもので、つつましやかな美しさを見事に表しているという。
厄介なのはそれがとても似合っているということだ、と父は眉間に深くしわを刻みながら語った。長い髪を結いあげて薄く化粧を施したゲオルクの姿は、まるで彼の母である王妃がよみがえったかのようだ、と。だからこそオスカーが余計にむきになってしまうのだと頭を抱える父の姿は、忘れようにも忘れられそうにない。
とにかく以上の結果から、フランシスカは一つの答えを出した。
――ゲオルクは、自らの女装姿に母である王妃を見出しているのではないか?
フランシスカが読んだ小説の中にこんな男がいた。不幸な事故で姉を亡くして嘆き悲しむ中、鏡に映る、姉と同じ色をした自分の瞳に姉の姿を見出すという男だ。男はやがて瞳だけでは足りなくなると、髪を伸ばし、姉のように痩せ、姉の服を身にまとった。そうして姉のいない苦しみから逃れようとしたのだ。
ゲオルクは十五の年に、母である王妃を亡くしている。
父曰く、そのときのゲオルクは酷く落ち込んだ様子だったという。分別のつかない子どものように駄々をこねて、納棺までその傍から離れようとしなかったそうだ。
王妃を亡くした王は次の王妃を迎えることこそしてはいないが、王妃の死後からしばらくして愛妾を迎え入れている。それまでは一度も持とうとしなかったというのに、だ。
王妃を失った悲しみがあまりに大きかったのだろうと擁護する人間がいる一方で、薄情なことだと批判の的になったことも事実だ。それもゲオルクの傷になっているのだろうと、父は言った。
そんな状況で、母を恋しく思う気持ちが大きくなりすぎてしまうのも無理はないだろう。鏡に映る、母と同じ輝きの瞳に母を見出し、女装をしてしまうほどに……。
悲しい理由だ。
……そう、悲しい理由に違いないのだ。
頼むからどうか、悲しい理由であってほしい……!
そうでなければ、どうしてゲオルクが夜な夜な女装しているという事実を受け止められるというのか?
正直に言えば、この結論はフランシスカの願望だ。どうかそうであってほしいと願うなど、ゲオルクの意志を無視した浅ましい行為だ。理解している。
だが、フランシスカにとっては自らの女装姿に母の面影を探しているという理由で、やっと、なんとか、ゲオルクと女装を結び付けて理解することができるのだ。正直、それが精いっぱいだ。
無論今後も理解にむけて努力は続けていくつもりだが、ついに期限が来た今は『女装した自分に母の姿を見出している説』でなんとか理解して臨むしかないのだった。
――今日は、いよいよゲオルクに会う日だ。
アンネに化粧をしてもらうのは久々で、できあがっていく自分の顔を見ながらフランシスカは少し違和感を覚えていた。
鏡に映る自分は自分であって、自分ではないような。それは化粧によって美しく変貌した少女が『これが私……?』と驚くような高揚感ではない。むしろ変貌した自分に戸惑って、どこか滑稽に思ってしまうような、そういう心地だった。
それでも今はこれが必要なことだ、と割り切ってフランシスカは鏡の中の自分と目を合わせ続ける。
ゲオルクと会うのなら、きっちりと令嬢らしくしなければいけない。化粧で肌をなめらかな陶器のように仕上げ、頬は血色がよく見えるようにほんのり赤らめる。
凡庸な茶色の、令嬢らしからぬ短い髪は気合いで伸ばすこともできないので、アンネによって短いなりのアレンジが施されていた。側面を編み込んで、結んだリボンを耳の後ろから長く垂らすようだ。
化粧を終えると、訪問用のドレスに身を包んだ。久しぶりにその袖に腕を通せば、なにか居心地の悪いような、不思議な心地がした。
萌黄色のドレスは母によっていつの間にか仕立て直されていた一着だ。袖からレースを覗かせ、裾には草花の刺繍を施すのが今の流行なのだと、今日もふくよかな胸を強調するワンピースを着た母が言ったことを思い出す。
……ついでに、聞いてもいないのに「安心なさい、強調するものがないのに胸元を強調しても仕方がないから胸元はきちんとあなたに合わせてありますからね」と言い放った母の姿も思い出して、なんとなく胸のあたりに手を当てた。
フランシスカは己のふくよかとは言い難い胸に劣等感など抱いていない。だというのにどうして母は持たない者を憐れむかのような視線を向けるというのか、まったく解せない。
「ご安心くださいお嬢様、女の価値は胸で決まるものではありません、それにお嬢様はあの奥様の血を引いていらっしゃるのですもの、然るべき栄養と睡眠を取れば今からだってまだまだ望みはあります」
更には隣のアンネまで励ますような調子でこう言ってくるのだから余計に解せない。本当に。
とはいえこの場面で『本当に気にしていないから』と言えば強がりにしか聞こえないことはわかっているので、フランシスカは複雑な心地で「あ、ありがとう……」と返すしかないのだった。
こうして母とアンネによって満を持したフランシスカは、父と共に王城から少し離れた場所にある宮殿に来ていた。
広大さを誇るこの建物は、王家の住まいである。
その外装も内装も、一見して華美ではないもののよく見れば逸品とわかるものばかりだ。それはただ国王の趣味というだけではない。住まいというには広すぎる建物は、勤勉な王が多くの知識人をこの宮殿に招き、言葉を交わすためだった。外装や内装の意匠は彼らを試す意味もあるのだ。
フランシスカと父が歩くこの廊下もまた、知識がなければ見抜けない逸品である。赤みがかった色合いの中に時々黒雲母が密集して花の模様に見える箇所があるのは、良質な御影石の産地と名高いゼクサン地方で採れたものの証だった。これを他の産地のものと言ったり、高価な大理石造りにしなかった王の倹約志向を褒めたりした知識人は格が下と見られてしまう。
歩いていると、その御影石が様相を変えたことに気が付く。わずかに赤みが強くなった。
ゼクサン地方で採れる御影石でも、赤みの強すぎるものは二級品扱いである。しかしその分強度はこちらのほうが高いと言われているのだ。
使い分けた意味は、この場所が実際に王家が住まいとして利用している区画であるためだった。父の後について、そこへ足を踏み入れたことを意味する。
父はしばらく歩いて、とある部屋の前で止まった。扉を叩くと、中から使用人が出てきて頭を下げる。彼は父とフランシスカを中へ案内すると、あらかじめそうするよう命令されていたのか部屋から出ていった。
父は部屋の中を進み、さらにもう一つの扉の前に立った。
「殿下、ただいま参りました」
呼びかけると、中から「入れ」という声がする。それを受けて、父が扉を開いた。
部屋に進み入り、父が礼をするのにあわせてフランシスカも礼をする。
「来てくれたか、ベックマン」
開かれた扉の先では、一人の男性が待ち受けていた。短い金色の髪を日の光に輝かせたその人は、この国の第一王子にしてゲオルクの兄、オスカー・キンバーである。
「フランシスカ嬢、こんな姿ですまないな」
フランシスカは「いいえ」と答える。オスカーの言った『こんな姿』というのは、ベッドの上で体を起こした状態のことだった。
「お加減はいかがですか」
「ああ、昨夜はまた熱を出したためにこうして大事を取ってベッドにいるが、具合はすっかりよくなっているから心配するな」
――また熱を出した。
その言葉に隣で父が小さくうなだれる気配を感じた。オスカーが熱を出した原因をつい思ってしまったのだろう。
原因というのは、当然ゲオルクの女装である。恐らく、昨夜も部屋を訪れたオスカーをドレス姿で優雅にもてなしたのに違いない。フランシスカはその姿を想像しかけて、慌てて中断した。そんなことをしては再び理解に苦しんだうえにつまずいて転んで植木に突っ込むことになってしまう。
「さて、フランシスカ嬢、話は君の父から聞いているな?」
「はい、聞いております」
フランシスカが答えると、オスカーは途端にカッと目を見開いた。
「あのクソ弟……! 何が趣味だ! 夜な夜なそんな恰好をして楽しむなんて趣味があるか! それに何が『似合っているでしょう?』だ! 男だぞ似合うわけがあるか! だいたい俺にばれた後のあの態度は何なのだ! 何を『ゲルダと呼んで』などとほざいているのか!」
突然堰を切ったようにまくし立てるオスカーを前にして、フランシスカは既視感を覚えていた。考える必要もなく先日の父の姿だとわかる。その父はフランシスカの隣でついに「ああ殿下、おいたわしい……!」と嘆きの声をあげていた。
「俺は説教するために部屋に来ているのだぞ! 優雅に茶など淹れている場合ではない! そしてその茶が俺の嫌いなシナモンティーなのは嫌がらせなのか! 茶菓子にも毎回シナモンをたっぷり入れおって……! 俺は魔物か幽霊の類か! げっほ! げっほごっほ!」
「ああ、殿下……!」
咳き込んでしまったオスカーの傍に父が駆け寄る。オスカーは背中をさすられて咳を落ち着けたが、弟への怒りはまだ収まらないようだった。顔をあげ、肩で息をしながらここにはいない弟を睨み付けるように前を見据えた。
「くっ……あのクソ弟め……もう我慢ならん! フランシスカ嬢!」
「は、はい!」
突然大声で呼ばれ、フランシスカは肩を跳ねあげた。
「どうか……どうかあれのアレをどうにかしてくれ! どんな手を使っても構わない! いいな!」
先日の父にも勝る剣幕でまくし立てられたフランシスカが答えられる言葉は、たったひとつだった。
「はい……」