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24:出すことのできた答え

「あの……」



 控えめにゲオルクの胸を押し返して、フランシスカは声をあげた。



「よしよし、いい子いい子」



 ……だがゲオルクの手は離れてくれない。相変わらず左手はフランシスカの右手を握り、右手は頭を優しく撫でている。握られた手から伝わる熱は心を落ち着けて、髪を梳くように撫でる手はとても心地がいい……いや、そうではなく。



「で、殿下、もう、本当に落ち着きましたので、自宅に戻って、父の指示を仰ぎたいのですが……」



 めげずにもう一度胸を押し返して主張すると、ようやく頭を撫でる手が止まったのを感じた。



「うん……まあ、いつまでもこうしているわけにはいかないよね、わかってる、わかってるんだけど……」



 だがやはりゲオルクはそんなことをつぶやきながら手を離す気配はない。

 すっかり冷静になってしまえばこの状況が恥ずかしくて仕方ないではないか。それにゲオルクの言う通り、いつまでもこうしているわけにはいかない。更に強く胸を押し返して、離してほしいと訴えなければ。

 そう、しなければ。……うん、わかっている。わかっているのだが……。

 どうしてだかフランシスカの手は、それ以上強くゲオルクの胸を押し返すことができなかった。



「殿下」



 低い声がして、突然フランシスカの体が解放された。

 えっと驚いて顔を上げると、従者が至極冷静な表情でゲオルクを羽交い絞めにしている。



「ああ……ありがとうエリオット、いや、自力じゃどうにも離れがたくてね。羽交い絞めはやりすぎのような気もするけれど、君の判断なら従おう、うん」



 ゲオルクのほうも己の従者に羽交い絞めされているというのに酷く落ち着いた様子である。更にはそのままの状態でフランシスカへ視線を向け、じっと見つめた。「フランシスカ嬢」と、低く、優しい声で名前を呼ばれる。



「また、俺とチェスをしてくれる?」



 少しだけ揺れる紺碧の目。フランシスカはその目にしっかりと視線を合わせる。



「はい、もちろんです」



 そう答えると、ゲオルクは嬉しそうに笑顔を浮かべて「ありがとう」と言った。

 ……従者に、羽交い絞めにされたままで。







 ディルク・ジャンベールが自身の甥であるニコラス・ラフーケの横領を隠ぺいしていた、という不祥事は王城内を静かに駆け巡った。『そんな、まさか』と大仰に驚くのでもなく、『官僚の恥だ』と非難するのでもなく、誰もがひとつの事実として受け止める。たったそれだけのことだ。

 それでも、隠ぺいのためにフランシスカに横領の罪を着せようとしたことについて、痴情のもつれだの、フランシスカがジャンベールを陥れたのではないかだのと噂する声もでた。だが、それはごく小さな声だ。

 そしてそんなことを囁くのは、ただの暇人である。



「とにかく優先順位を考えろ! 軍務卿殿のわけのわからん要望は後回しでいい! ルーデック殿のいたずら描きもこの際気にするな! そんな暇はない! 書類上の不備がなけりゃそのまま通せ!」



 財務室に怒号が響き渡る。地を割るかと思う迫力のそれに、肩を揺らして怯える人間は誰一人存在しない。誰もが必死の形相で机に向かっている。そしてジャンベールの席では、怒号の主であるコルトーが口と手を同時に動かしていた。

 ジャンベールとラフーケの不祥事が発覚後、財務室はその後始末で多忙を極めることとなった。

 ジャンベールによって隠ぺいされていた実態の全てを暴き、正しく修正する必要があるのだ。加えて通常の業務も滞りなく行わなくてはいけない。これが目下の上を下へというような多忙の要因だった。

 ジャンベールとラフーケ……特にジャンベールの抜けたぶんの穴埋めを、残りの人数で行うのだ。困難は火を見るより明らか。ジャンベールに代わって財務室の指揮を執るコルトーの導火線にも火がつきっぱなしである。

 その火を消していたジャンベールはもういないのだ。フランシスカはコルトーが爆発するたび実感したが、すぐに響き渡る怒声が意識を引き戻すので感傷に浸っている暇はなく、必死に手と頭を動かしているうちに時間はあっという間に過ぎていくのだった。


 そうして財務室がようやく落ち着いたころになると、王城は無慈悲なほどに変わりのない日常を送っていた。まだ裁判も始まっていないというのに、誰もがジャンベールという存在を忘れてしまったようだった。

 王城はかくも無慈悲だが、世間は官僚のスキャンダルに関心を寄せるだろう。女性官僚に罪を着せようとした、という事実にもさまざまな反応が予想される。痴情のもつれか、と面白おかしくはやし立てる声。本当は女の企みではないか、と勘繰る声。そして、傲慢な男が、立場の弱い女性を陥れようとしたことへの女性による怒りの声。

 その矛先は近いうちにフランシスカの目に見える距離に迫ってくるかもしれない。

 ルーデックから彼の執務室でそう告げられたとき、フランシスカは想像をして、それでも自分が冷静でいられる気がした。

 心配そうなルーデックにその答えを返せば、彼はくしゃりと笑った。







 その日フランシスカが王城から帰ってくると、出迎えたアンネに父が呼んでいると伝えられた。今日はいったい何だろう、と思いながらフランシスカはそのまま父の部屋へ向かうことにする。

 父は以前にゲオルクとのことは報告しないでいいと言った通り、あの日ゲオルクとの間にあった出来事を聞いてはこない。それは非常に助かっている。

 ゲオルクにママになりたいと言われたなどと、どんな顔で父に報告すればいいというのか……。思い出すだけで頭を抱えたくなるが、父の部屋の前でそうするわけにはいかない。深く呼吸をして頭を切り替え、扉を叩いた。

 部屋に入ったフランシスカを傍に呼び寄せた父は、薄灰色の封筒を差し出した。



「これを受け取るか、受け取らないかは、お前が決めなさい」



 封筒の隅に見えるのは、見慣れた、とてもきれいな字だ。つづられた文字は、ディルク・ジャンベールと読める。

 フランシスカはしばしその名前を見つめると、手を伸ばしてその封筒を受け取った。



 自分の部屋に戻り、受け取った封筒を手に机に向かう。封筒は閉じられておらず、中に入っていたのは一枚の便箋だ。ざらざらと、触り心地の悪いそれはジャンベールからの手紙だった。

 君には本当に酷いことをしてしまった、という言葉から始まる、短い手紙だ。

 自分の虚栄心のためにフランシスカを利用したこと。そして、傷つけたこと。謝罪をして許されることではないから、許してほしいとは言わない。それでも、どうか謝罪をすることは許してほしい。

 そして『これも、どうしても伝えなくてはいけないと思って手紙を書いた』と前置きをしてつづられた言葉。

 ――君の努力を評価していると言ったそれは、嘘ではなかったし、今でも、嘘ではない。

 最後の一文を読み終え、フランシスカは手紙を机に置いた。

 こんな手紙を送られたからといって許せるものか、と憤慨する気持ちはない。だが、彼の誠意を受け取り、許そうと思う気持ちもなかった。

 きっと自分は、彼を哀れんでいるのだろう。フランシスカはこの複雑な心地をそう結論付けた。

 今でも鮮明に思い出せる、フランシスカの父への妬み、劣等感を叫んだジャンベールの姿。あの姿は、一歩間違えば自分の姿であったかもしれないのだ。いつまでも誰かと比べられ、正当な評価をされていないと憤慨して、周囲の人間を憎む。

 違う人間同士を比べることの無意味さ、自分を評価してくれる人の存在、それに気が付くことができずに。


 けれど、自分が彼のようにならなかったのは。


 突き抜ける青空のような瞳。金木犀を思わせる金髪を揺らす人。

 そして……ママになりたい人。

 彼の存在があったからだ、と回想をしたかったのに、最後の情報でどうしても頭を抱えてしまう。

 ジャンベールの後始末で財務室が忙しくしている間は考える暇もなく過ごしていた。だが、その多忙も落ち着いた今、改めて直面しなければいけないのである。


 ――君のママになりたい、と言われたことに。


 それがつまり心配して、気にかけてくれるということなら、それ以上嬉しいことはない。

 ゲオルクに心配をされて、嬉しかった。まっすぐな人だと言われたことも、嬉しかった。見ている世界が違う人だから、傍に居て、彼の見る世界を知りたいと思った。だから彼の、辛い思いも、話してもらえたことがとても嬉しくて、苦しくて。

 許されるなら、ずっと、この人に寄り添いたいと思った。

 ああそうか、だから、この気持ちは、恋なのではと思ったのだ。

 受け止めきれないなら逃げてほしい、とゲオルクは言った。けれど、受け止めきれない思いはあっても、逃げようという気があるはずはなかった。

 それは、きっと、たぶん、もはや間違いなく。

 ……ゲオルクに、恋をしているからだ。



『じゃあ、結婚してくださいって言うの?』



 アーネムタイナーがふわふわの小さな羽をバタバタしながら出てきて言った。

 そんなことはしない。

 恋をしているのは間違いないにしても、それ以上のことは、フランシスカにはまだわからないのだ。恋をすると、相手を手に入れたいのか? あるいは、相手からも同じような好意が欲しいと熱望するようになるのか。確かに物語の人物はほとんどがそうだった。それは理解していても、それを自分の気持ちに当てはめることがまだできない。

 今はまだ、ゲオルクが好きだと、それだけしかわからないのだ。

 アーネムタイナーにそんな弱音を吐露すると、アーネムタイナーは六本ある足を複雑に組んで、



『恋ってむずかしいね』



 と言うのだった。







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