22:ちょっとまってください?
ゲオルクに手を引かれて、ひきずるように足を前に出す。王城から馬車で移動してきたこの場所は、見慣れない入口ではあるが、黄土色の外壁は確かに宮殿のようだった。
ゲオルクが自ら扉を開いた先で待っていたのは、彼の従者だ。
「エリオット」
「彼女は石英の間に通しました」
「ああ、ありがとう」
二人の会話が耳を通り抜けていく。固くつなぎ合った手を見つめて、フランシスカはただ手を引かれるままに歩いた。
ゲオルクの手は熱くて、触れたところがずっとしびれている。その手を、一人で歩けるから、と離してもらうように言うことはできなかった。離してほしくないし、離したくないのだ。
ゲオルクはやがて一つの部屋の前で止まった。後ろからついてきていた従者が扉を開く。その先で出迎えたのは意外な人物だった。
「アンネ……」
思わず名前を呼んだ。目が合うと、途端に安堵感が胸に広がった。
「まずは着替えないといけないからね、エリオットに彼女を連れてきてもらったんだよ」
着替え、と聞いてフランシスカは無意識に自分の腕を掴んだ。それに気付いたゲオルクが手を強く握る。
「大丈夫、だから、その服を着替えてしまうんだ」
諭すような低い声。それは手から伝わる熱と共に、フランシスカが思い出してしまった恐怖を和らげた。自分の腕を掴んだ手の力が抜けていく。
ゲオルクはアンネに顔を向けると「それじゃあ、フランシスカ嬢を頼むよ」と声をかけた。そうしてゲオルクの手が、フランシスカの手から離れようとする。
咄嗟にその手をぎゅうと握った。ゲオルクの驚いた顔が見えてあっと思うが、力を抜くことも、何か言うこともできなかった。
「俺もこの手を離したくはないけど、女性の着替えの場にいるわけにはいかないからね。大丈夫、俺は扉のすぐ傍にいるから」
笑いかけられると少しだけ我に返った。「すみません」と言って手の力を緩める。ぎゅっと強く握られてから、するりと熱が離れていく。それからもう一度フランシスカに笑いかけて、ゲオルクは従者と共に部屋を出た。
扉を見つめるフランシスカの傍にアンネが来て、肩にそっと触れる。フランシスカが振り返って「お願い」と言えば、彼女は笑顔でうなずいてくれた。
いつもとは違う部屋で、いつものようにアンネがフランシスカの衣服を整えていく。袖を通した淡い桃色のドレスは見慣れないものだった。アンネに聞いてみればこんな答えが返ってくる。
「殿下がご用意したものです、とても……お似合いですよ、お嬢様」
袖の裾には藤色の糸で花の刺繍が施されている。ゲオルクが好きだと言った色。それを見つめながら、フランシスカは次第に冷静さを取り戻していた。
そうするとつい先ほどから今までの行動すべてを思い出して急に恥ずかしくなる。己の無力さゆえにジャンベールに利用され、そのショックで冷静な判断が何一つできず、ゲオルクに甘えきってしまった。
離されそうになった手をぎゅっと握って引き留めてしまったことなどはその極みではないか。アンネとゲオルクの従者もいたというのに。更にはこんな、可憐なドレスまで用意されてしまって。
これがゲオルクの優しさだということはわかっている。その優しさに救われた。そのおかげで、もう冷静になれたようだ。
ゲオルクが入ってきたら謝罪と感謝の言葉を告げよう。それから、どうするべきだろう。王城に戻ったとしても自分にできることはあるだろうか。むしろ迷惑をかけてしまうかもしれないことを考えると、自宅に戻って指示を仰ぐのがいいのかもしれない。ドレスは……ひとまずは借りるしかないだろう。
アンネが脱いだ服と共に部屋を出ていくと、入れ替わりにゲオルクが入ってきた。
「うん、とても似合ってる」
先ほどまではその笑顔に安心したが、今は複雑だ。もちろん安心するし、嬉しくも思う。だがこれ以上甘えてはいけないだろう。
「あの、殿下。大変ご迷惑をおかけしました、それから、ありがとうございます、おかげで落ち着くことができました。後は自宅に戻って父に指示を仰ごうと思います。この服も……ご用意くださりありがとうございます、今はありがたくお借りしますが、すぐにお返しを……」
「待ってくれ、無理をすることはない、しばらくここで休んだ方がいい」
ゲオルクはそう言って遮るが、フランシスカは「いいえ」と首を横に振る。
「殿下が心配してくださることはとても嬉しく思います、けれど、その好意に甘えてばかりでは……」
再びゲオルクによって言葉が遮られた。しかし今度は言葉によってではなく、フランシスカの手を取ることによってだった。
熱い手。しびれるような熱。
手を引かれると、フランシスカの体はゲオルクに一歩近づいた。
それからもう片方の手が強張る肩に優しく触れる。その手は次に繊細なものを扱うように凡庸な茶色の髪を梳いて、フランシスカの頭をそっと引き寄せた。
頬が、ゲオルクの胸に押し付けられる。
その力は決して強くはなくて、突き放せば簡単に離れることができるだろうが、フランシスカはそうしようとは思わなかった。それでも戸惑い気味に「殿下」と声を出す。
「いいんだ、君は何も気にしなくて、いや、お願いだから気にしないでくれ、何も言わずに、こうされていてほしい」
返ってきたのは優しい言葉。フランシスカを甘やかす言葉だ。
甘えてはいけない。すがってはいけない。わかっている。わかっているのだが、突き放すことができない。
自分の中の、理性というものが、形を失っていく。
「君は、俺をママだと思って、甘えてくれたらいいんだ」
……寸前で、踏みとどまった。




