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20:姿を現す影

 久しぶりの徹夜は、酷く応える。

 昨夜は結局流行小説を読む手が止まらず、気が付けば窓の外が白んでいた。その小説を読み始めたのは昨日の話ではないのだが、ついにヒロイン決定戦というクライマックスの巻に手をつけてしまったからなのだろう。そうなるといったい誰が主人公の寵愛を勝ち取るのか見届けるまでは本を閉じてはならない、と夢中になって読んでしまったのだ。まさか、主人公があの子を選ぶとは……これから今までの巻をすべて読み直して、どこに伏線があったのかもう一度調べ直さなくては……。

 と、流行小説のことで頭をいっぱいにしながらも、フランシスカは今日もいつもの通りに出勤してきていた。


 まだ誰も出勤していない証である閉ざされた扉を開く。

 そうして財務室に入ったフランシスカは、すぐに違和感に気が付いた。


 自分の机に置かれた、見覚えのない帳簿。仕事の依頼だろうか、しかしそれにしては書付も何もない。隅に財務室所有の印があるので、恐らく開いて中身を見ても問題ないだろう、とひとまず手に取ってみた。

 中を開くと、それは不思議な帳簿であった。

 どうやら発注に関する帳簿のようだが、同じような内容が二つ並べる形で書かれている。よく見れば片方は発注の数字が小さく、片方はそれより少し大きい。そんな項目がずっと続いていく。

 何かおかしい。フランシスカは少し考えて、ひとつの可能性を導き出した。

 ――申告したものと、実際に発注したものが、違う?

 それを比較するために並べて書かれているのだろうか。間に書かれた数字は差額ということか。どれもわずかなものだが、積もれば大きな額になる。

 もしもその差額を、誰かが自分の懐に入れているのだとしたら?

 心臓が嫌な鼓動をした。つまり、これは、横領の証である可能性が高いということだ。

 更にページをめくっていく。最後に記されていたのは、大理石の発注であった。片方はテタリオ産と他産地の大理石を交ぜていて、片方は、テタリオ産のものだけになっている。

 フランシスカは息を呑んだ。

 それから、この帳簿が自分の机にあった意味を考える。わざわざこんなはっきりとした証拠を残していて、それをフランシスカの机に放置する意味。



「おはよう、相変わらず早いな、ベックマン」



 声がして、思わず肩を跳ねあげた。挨拶をしながら財務室に入ってきたのはジャンベールだ。



「おや、それは?」



 すぐに手元の帳簿に気付かれてしまう。考える暇もなくジャンベールが傍に来て、焦るフランシスカの手から帳簿を取り上げた。

 帳簿に目を落としたジャンベールは「これは……」と途端に表情を険しくする。

 弁解しなくてはいけない。だが焦ったままで言えば余計に怪しまれる。そう思えば声が出なかった。ジャンベールの視線が向けられる。



「心配しないでいい、君の物だとは思っていないよ」



 その瞬間、詰まっていた息がすうと通り抜けた。



「誰もが認める真面目な君が、どうしてこんなことに手を出すと思うだろうか。犯人が余程間抜けか、あるいは君に罪をなすりつけようとした人間がいるのだろう」



 ジャンベールは自分を信じてくれた。それは思わず手が震えるほどの感動だった。「ありがとうございます」と頭を下げるフランシスカにかけられたのは「君が真面目であるおかげだよ」という言葉。本当に、この人には頭が上がらない。



「これは私が預かろう、君は何も心配する必要はない」



 だから何事もなかったように振舞いなさい、と言うジャンベールにフランシスカはもう一度頭を下げた。





 恋だのなんだのと、浮かれていた罰だ。父にも気を付けるよう言われていたのに。

 もしも見つかったのがジャンベールではなかったら。そう考えるとぞっとする。自分は、自分の力で無実を証明できなかったかもしれないのだ。

 いや、反省は必要だが、今はとにかく、この状況でできることを考えなければ。まずは帰ったらすぐに父に報告するべきだろう。ジャンベールからも聞くかもしれないが、それでも報告を怠ってはいけない。

 後はジャンベールに言われた通り、何事もなかったように振舞う。動揺している様子を見せてはいけないということだ。フランシスカは努めていつも通り仕事に取り組んでいた。



「ベックマン」



 午後の仕事が始まってしばらくしたころ。名前を呼ばれ、フランシスカは顔を上げた。いつも通りの穏やかな表情でこちらを見下ろすのはジャンベールだ。



「資料庫からこれを探してきてくれるかな」



 「はい」と答えてジャンベールに差し出された紙を受け取る。書類の中に小さな紙が交ざっているのに気が付く。二つに折りたたまれている。それを開いて、息をのんだ。ジャンベールの字で『例の件について』と書かれている。

 内容は、内密で話をするため指定した場所で待っているようにという指示だった。

 資料庫で十分ほど待ってから来るようにという指示だった。


 もう何か動きがあったのだろうか。そういえば午前中、財務室にジャンベールの姿はなかった。その間に父やルーデックに報告をしたのかもしれない。内密で話をするということは、まだ公にはできないのだろう。

 指示通りに資料庫で十分ほど待ってから、フランシスカは指定の場所に向かった。


 王城のずっと奥のほう。先王の時代に使われていたその場所は、今はあまり整備されておらず人の近づかない場所だった。内密の話をするにはうってつけの場所である。

 ジャンベールの書付けによると扉の前に目印を置いたということだった。きょろきょろと見回し、取っ手に黒い布が巻かれた扉を見つけて駆け寄る。

 扉を叩いて「ジャンベール様、ベックマンです」と呼びかけた。すると内側から叩き返す音が聞こえ、フランシスカは取っ手に手をかける。扉は音も立てず、素直に開いた。

 室内に灯りはない。その代わり、正面の窓からわずかな日差しが入り込んでぼんやりと照らしていた。



「ジャンベール様?」



 人の姿は見えない。呼びかけながら部屋の中を進んでいく。

 一歩、二歩。三歩目を踏み出そうとしたところで、フランシスカは「ひっ!」と叫んだ。

 背後から肩を掴まれたのだ。反射的に振り返って、息をのむ。

 正面の窓から入る日差しに照らされたのは、下卑た笑いを浮かべる男の姿だ。ジャンベールではない。咄嗟に肩を掴む手を振り払おうとするが、その手はあっけなく絡め取られてしまう。



「随分つれないじゃないか、振り払おうとするなんて」

「だ、誰! ここで何をしているの!」



 大声を出すが、目の前の男は怯む様子はなく、それどころか愉快そうに笑うだけだ。なおも男の手を振り払おうとしながら、フランシスカは考えた。

 ジャンベールではない男がいて、ジャンベールの姿が見えない。もしかして、この男がジャンベールに何かをした?



「ジャンベール様はどこ! 何をしたの!」

「ひっ、はは、ジャンベール様じゃあなくてさ、あんたに、これからナニかするんだよ」



 男はやはり笑って、フランシスカの腕を乱暴に引っ張った。抵抗するが男の力には勝てない。引きずられるように部屋の奥へ進んでいく。足元でカサカサと紙くずを踏むような音が鳴ったのが聞こえたが、何が落ちているのか確認する余裕はなかった。

 窓の近くまで来ると腕を強く引かれ、そこにあったソファに体を投げつけられる。ほこりくさいそれの上で体勢を立て直そうとするよりはやく男が覆いかぶさってきて、両手でフランシスカの服の襟元を掴んだ。

 瞬間、男が何をする気か理解した。



「や、やだ、触らないで!」



 フランシスカを襲ったのは恐怖だ。けれどかろうじて残る理性が、抵抗しなくては、と叫ぶ。手足をじたばたさせて、大声を出した。男が苛立たしげに舌打ちをする音が聞こえる。



「うるせえなあ、お貴族のお嬢様なんざぶるぶる震えてるだけかと思ったのによ」



 男は「反応がないのもつまんねーが、しゃーない」とつぶやいて自身の胸ポケットをまさぐる。ナイフで脅すつもりか。まさかそのナイフでジャンベールを?

 だが胸ポケットから出てきた男の手に握られていたのはナイフではなかった。窓から入る日差しを反射して光るそれは小さな瓶。何か、薬を飲ませる気だ。



「安心しろよ、仲良く見えなきゃ意味ねえんだからさ、ヨくしてやるだけだって」

「ど、どういうこと! 目的は何!」

「まあどうせ何も考えられなくなるんだから、教えてやるか」



 勝利を確信した男は気をよくしたのだろう、口を軽くした。



「あんたは、ここで俺と睦みあってるところを目撃されるんだよ。売れない画家に入れあげて、仕事中に王城に手引したあげく、横領して貢いだ金の中でな」



 混乱する頭を何とか動かして、男の言葉とジャンベールがこの場にいない事実が結びつく。そういう筋書きにしようと企んでいるのだ。フランシスカを横領の犯人に仕立てあげたい、誰かが。

 だとしたら思惑通りにさせるわけにはいかない。ジャンベールの安否は気にかかるが、今は何としてもこの場から逃げなくては。

 フランシスカは男の顔に手を伸ばした。思い切り頬を叩けば、男が一瞬怯む。

 その隙にソファから転がるように落ちた。だが立ち上がる前に男が背中にのしかかってくる。

 いやだ。さわるな。思うのと同時に声が出ていた。

 金木犀を思わせる金髪。紺碧の瞳。緩やかな弧を描く口元。ゲオルクの顔が頭に浮かぶ。

 ――たすけて。





「彼女に触るな下衆が!」






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