02:殿下と、女装と、発熱と
「……何だか、よくわからない間に大変なことになった……」
自分の部屋に帰ったフランシスカは、机の前で頭を抱えた。
――ゲオルク殿下が女装で、オスカー殿下が発熱で、女装がオスカー殿下……ではなく、ゲオルク殿下で……、発熱がゲオルク殿下……いやオスカー殿下で……。
頭の中は二人の殿下と女装と発熱が無秩序に錯綜していてまるでまとまりがない。まさにカオスだ。それでもフランシスカは何とか頭を動かし、とにかく情報を整理しよう、と考えた。
父は、ゲオルク殿下は夜な夜な女装をされている、と言った。
オスカー殿下はそれに酷く腹を立てていて、毎晩怒り散らされるから熱を出されて、寝込んでしまう。――ちなみに、父が近頃宮殿に泊まり込むことが多いのはそのためだったらしい――
父はそんなオスカー殿下を見ていられない。
オスカー殿下はゲオルク殿下が女装する原因を、女性を知らないことの裏返しだと考えている。
だから父は、自分にゲオルク殿下に近づくよう言った。
「……いや、だから」
――夜な夜な女装してるって、何?
フランシスカは声には出さず、頭の中だけでそうつぶやいた。そもそもすべての情報の前提となっているその条件がわからないのだ。
『女装』という言葉が一般的に指す意味はわかる。わかるのだが、それが我が国の第二王子と結びつく段階になると一気に理解が困難になるのである。
フランシスカは冷静に、ひとつずつ情報を整理することにした。
まず女装とは、男性が女性用の衣服や装飾品を身に着けることだ。多くは身を隠すための変装として用いられる手段である。
対するゲオルク・キンバー第二王子は御年二十六歳の青年だ。彼は軍人として兄であるオスカー第一王子所有の連隊に所属している。
その容姿は若きころの王にそっくりだという美貌に、亡き王妃から受け継いだ紺碧の瞳。後ろでひとつに束ねられた長い髪は兄オスカー第一王子と揃いの金髪で、金木犀を思わせる色のそれがゲオルクの歩調に合わせて揺れると甘い香りが漂う錯覚を起こすとさえ言われる人物だ。
それほどまでの甘いマスクを備えた彼だが、ひとたび軍服に袖を通して剣を握れば精悍な顔つきになり、勇ましさをその身にまとう。細いながらも鍛えられた体から繰り出される、流れるような剣捌きはまるで舞っているようだと評価されるほどである。
そのゲオルクが、夜な夜な女装をしている。
「……いや、やっぱりわからない……えっ、どういうこと……?」
冷静に情報を整理してみたが、フランシスカはやはり頭を抱えた。どうしてもゲオルクと女装を結びつけるところで盛大につまずいてしまう。それどころかつまずいた後に思い切り転んで顔面スライディングしている。
それでもフランシスカは再度、冷静に情報を整理することを試みた。
女装は多くの場合身を隠すための変装として用いられる手段だが、父の言うことにはゲオルクは夜な夜な、自分の部屋で女装をしているということだった。いったい自分の部屋で、何から身を隠す必要があるというのか? つまりそれは、ゲオルクの女装をする理由が、身を隠すための変装という手段ではないということなのだろうか?
「……いやいや、だから、えっ? いや、わからない……」
フランシスカは三度頭を抱えた。
ゲオルクが女装をする理由は、身を隠すための変装という手段のためではない? だとしたらなぜ女装をするというのか?
いくら考えてもわからない。しかしわからないからといって考えることを放棄するわけにはいかない。つまずいて思い切り顔面スライディングしても、あげく勢いよく植木に突っ込んだとしても。鼻を擦りむき、膝から血が流れ、髪のあちらこちらに枝が刺さっていても、フランシスカは諦めるわけにはいかないのだ。――これはあくまで精神面の例えであり、実際に傷を負ってはいないし、そもそも顔面スライディングもしていなければ植木にも突っ込んでいない――
そうして諦めずに再び考え、フランシスカはふとひとつのことを思う。
――そもそも理解する地盤が自分にはないのではないか?
すると、カオスだった頭の中にわずかな秩序がもたらされた気がした。
「そうだ……勉強、勉強しないと……」
人が変装という手段以外で、女装をする理由。それを自分は知らない。だから理解することができないのだ。
知らないことがあるなら、資料を探して、読んで、勉強する。難しいことではない。フランシスカはずっとそうしてきたのだ。どうしてこんなに悩んでいたのだろう。
――不安になるのは、勉強が足りないせいだ。悩んでいる暇なんてない、勉強しなければ。
そう思えばのんきに座ってなどいられず、フランシスカは机に手をついて立ち上がった。
「そういうことに関する本、資料……心理学? いや、それよりも小説がいいかもしれない……」
古今東西女装をする男性が登場する物語は存在する。小説だったり、あるいは演劇だったり。もちろんフランシスカは知識のひとつとしてそれらを読んだことはあるが、物語の全体像を把握するだけで、登場人物に注目して読んでみたことはなかった。書庫に向かえばかつて読んだ古典がそこにあるはずである。
全て読もう。書庫にあるものだけで足りなければ、もっとかき集めて、それらも全て読もう。そうすれば必ず答えにたどり着く。
フランシスカはそう決意をして、部屋を出るのだった。