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19:参考にならない母の話

 答えのない問題に直面したフランシスカは、やはり本を読み漁った。決してそこに答えがあるわけではないことはわかっているが、本に頼らずにはいられないのだ。

 恋愛を主題とした古典、現代文学、果ては流行小説まで集め、夜な夜なそれらを読んでいる。

 特に重宝するのが、意外にも流行小説であった。今の主流は鈍感な主人公が同時に複数の異性に思いを寄せられるものらしい。登場人物が多いぶん一冊で様々な人間の心理が見られるのでこれはなかなかいい。それに文体も読者の好奇心をあおるようにできていて、ページをめくる手が止まらなくなってしまうのだ。

 だが部屋の扉を叩く音が聞こえると、フランシスカはその手を止めざるをえなかった。返事を返せば、入ってきたのは母だ。



「そろそろあなたの新しいドレスを一着仕立てようと思って、意見を聞きに来たの」



 母は言いながら窓際のテーブルへ向かう。そうして椅子に腰かけ、手招きでフランシスカを呼んだ。どうやら長居する気らしい。本の続きは気になるが仕方がない、とフランシスカは母に従ってその向かいに腰かけた。



「なにか希望の色はあるかしら?」

「希望の色ですか……」



 言われて、考える。

(そういえば、殿下は藤色が好きだとおっしゃっていた)

 と思ったのに気が付くと、はっとした。自分の希望する色を聞かれてゲオルクの好きな色を考えるとは。おかしな思考だ。

 ……いや、ついさっき読んでいた小説にそういう女性が出てこなかっただろうか。

 主人公の男性とその女性が買い物をする場面で、彼女は「好きだって言ってたから」と相手の好きな色の髪留めを選ぶのだ。その後も「好きだって言ってたでしょ」と相手の好物を用意したり贈り物をしたりと、彼女はひたすら相手の好きなものに興味を傾けていた。――ちなみに先ほど手を止めたのは、ちょうど彼女が鬼気迫る顔で「好きだって言ってたよね? ねえ? そうでしょ?」と主人公に詰め寄る場面だった。この後どうなるのだろう、気になる――

 今の自分も同じように、ゲオルクの好きな色を考えてしまった。これは、恋であるという証なのだろうか?



「フランシスカ?」



 母の声が聞こえて、はっとする。考え込むあまり黙ってしまっていたのだ。母は笑って「そんなに、何を考え込んでいたの?」と聞いてきたが、フランシスカは答えることができなかった。

 恋とはどういったものか、わからないなら母に聞けばいい。だがなんとなくためらってしまうのだ。このおかしな気持ちは覚えがあった。

 ゲオルクに心配していると告げられた日。ゲオルクとの間の出来事を、父に報告するのをためらった日。

 ――恥ずかしい。

 もしかしてそう思うことも恋の条件? ということは、あの日からすでに自分は、恋をしていたのだろうか?



「フランシスカったら」



 また母の言葉で我に返る。慌てて「すみません」と言えば、母は優しく笑うだけだった。

 ええと、何を聞かれたのだっけ。そう、新しく仕立てるドレスの、希望の色だ。だからそれは。



「藤色が……」

「まあ、藤色、ステキね、いいと思うわ」

「えっ? あれ? あっ、違います、違うんです、それは殿下が好きな色だというだけで……」



 あっ、と口を閉じるが遅かった。母が「あら」と笑みを深めるのが見える。

 顔が熱い。なぜ? どうして? こんな簡単に口を滑らせてしまったのか? 自分で自分がわからない。

 いや、そういえば、さっきまで読んでいた小説には、こんな女性も出てこなかっただろうか。普段は冷静で、クールと評される女性が、こと色恋に関してはびっくりするほどのぽんこつぶりを露呈する。例えば、思ったことをつい口にして、それを想い人に聞かれ、あわあわと焦ることしかできない。――そういうのをギャップモエとか、レンアイノウとか言うらしい――

 だから、つまり、これも恋のせい? やっぱり、殿下に恋をしている?



「フランシスカ、落ち着いて」



 汗のにじむ手に、母の手が触れる。はっとして顔をあげると、こちらを見る母と視線が合った。



「様子がおかしいと思ったらそういうことだったのね、ふふ、そうよねえ、フランシスカも年頃だもの、恋の一つや二つ、して当たり前だわ」



 恋とは、一つも二つもするものなのだろうか、わからない……。母の笑い声を聞きながら、フランシスカはもはやこれまでと思って目を伏せた。



「……わからないんです」

「わからない?」

「どれだけ本を読んでみても、どれだけ考えても、確信に至ることができなくて……いったい何が正しくて、何がそうではないのか、どうしてもわからなくて」

「そうね、恋とは何かというのは、とても難しいことだものね」



 母の言葉に少し落胆する。恋とは何か、それは母にも難しい問題なのだ。伴侶を見つけ、結婚をしている母でさえも。

 そう思うとひとつの疑問が浮かんだ。



「お母様は……お父様に、その、恋をしたのですか?」



 自然と疑問を口にしていた。すると母は嬉しそうに、ふふと笑う。



「実はね、娘にそう聞かれるのは夢だったのよ」



 母は「そうねえ」とつぶやくと過去へ視線を向け、語り出した。



「私たちが若いころはね、年に二、三度、宮殿の庭園で貴族の子女を集めたお茶会があったの。自分で言うのもなんだけれど、人気だったのよ?」



 そう言って胸元に手を添える。どうやら豊満な胸への自信はそのころからあったらしい。



「だから毎回ひっきりなしに声をかけられてね、さすがに疲れてしまって、その日は胸元のしまった地味なドレスを着て、会場の中心からは少し離れた場所にいたの。男性って現金よね、胸をしまっただけで誰も私に気が付かないんだもの。確かにゆっくりはできたけれど、ちょっとプライドを傷つけられたわ」



 不満げに語るエピソードに、フランシスカは乾いた笑いで返すしかなかった。母はそんなフランシスカの態度を気にした様子はなく、不満げだった顔が一転、懐かしそうに目を細める。



「旦那様に出会ったのはそんなときだったのよ」



 いよいよ父の登場である。



「顔色の悪いご様子だったから声をかけたの。そうしたら……女性に慣れていなかった旦那様は慌ててしまってね」



 おかしそうに、ふふ、と笑う。



「足をもつれさせて、私の胸に倒れ込んできたのよ」



 曰く、文字通り倒れ込み、豊満な胸に顔を埋める形になったのだという。

 ……そんな展開を何度か読んだ気がする。男性の主人公が転んでしまうとき、なぜかそこには女性がいて、胸に顔を埋めたり、スカートの中に頭を突っ込んでしまったりするのだ。――それはラッキースケベとか言うらしい――

 父は流行小説もびっくりの主人公ぶりだったようである。



「不思議なことにね、不快ではなかったの」



 母はさぞ腹を立てただろうと思いきや、頬を染めてそんなことを言う。どうやらこちらもたいがい流行小説の登場人物さながらであったらしい。



「旦那様があんまり慌てていたせいかしら、自分よりも慌てている人がいたらむしろ冷静になることってあるでしょう? ひとまず人目のない場所へお連れして、わざとではないのだから気にしていない旨を告げればようやく落ち着かれたようだった。それからせっかくだからと、少しお話をしたの」



 父は自分から話をするのは苦手なようだったものの、こちらから質問をすれば整然とした答えが返ってきたのだという。



「こういう場……特に女性が苦手だけれど、お母様に行ってらっしゃいとせっつかれたそうでね、それで顔色を悪くさせていたみたい。まあ、ベックマン家のご嫡男となれば誰しも放っておかないでしょうからと思ったのだけれどそうではなくて、幼いころに同年代の少女によくいじめられていたことが原因だったみたい」



 母が話をよく聞けば、それは好きな子をいじめる心理ではあったものの、父にとっては苦い思い出でしかなかったようだ。その後彼のコンプレックスを解消するような女性に出会うこともなかったようで、女性への苦手意識を克服しないまま青年にまでなってしまったそうだった。



「お話を聞いていく中で、この方は自分に自信がないようだと思ったわ。あなたはベックマン家のご嫡男なのだからそんなに卑下することはないと言ったのだけど、旦那様は頑なに首を横に振るのよ。周囲の自分への評価は、所詮ベックマン家の嫡男だからというだけで、いつでも覆される可能性があるのだと。だからこそ、これで充分ということはあり得ないと言ったの」



 それは、フランシスカもかつて父から言われたことだった。きちんと頭の片隅に留めておきなさいと。



「ベックマン家のご嫡男といったら、品行方正、頭脳明晰で、王家の覚えもめでたい、将来を約束された人だわ。けれどそれは、努力の賜物なのだと知ったの。私は、そんなことを思うこの人を、傍で支えたい、そう思った」



 そう語った母の表情が穏やかになったのに気が付いて、あっと思う。傍で支えたい。その気持ちが、恋なのだろうか。



「そのときに、恋をしたと思ったのですか」



 フランシスカが聞けば、母は穏やかな表情のままで笑いかけて「そうねえ」と言った。



「この人に恋をしたと思ったから、その場で婚約を申し込んだわ」

「えっ?」



 思わず声をあげてしまった。



「そ、その場でですか?」

「ええ、そうよ。翌日には正式な約束を交わしたわ」

「翌日ですか?」

「お父様は私に甘かったから、ほら、お爺様は今でも私を小さな子どものように扱うでしょう?」



 貴族の間でも恋愛結婚が主流になってもう久しい。母の時代はすでに浸透していただろう。とはいえ女性から、しかも即日で婚約とは、とんでもない行動力である。

 それを後押ししたのは父……フランシスカにとっては祖父の、母への溺愛だ。隠居先の田舎から時々出てきては母だけではなくフランシスカにも大量のお菓子と人形と宝石箱を与えようとする祖父の姿を思い出して、フランシスカはどこか遠くを見つめたい心地になるが、なんとか気を保って母の次の言葉に耳を傾けた。



「でも婚約をしたからといって、全てが順調に進んだわけではなかったの。旦那様は私の胸に顔を埋めたことの責任を取らせるつもりなのだろうと思っていたみたいでね、そのせいでたくさんすれ違いもあったわ。それに、幼いころ旦那様をいじめていた女狐……女性も現れて、旦那様の幼いいとこまで押しかけて……更にはお茶会で私と人気を二分していた妖艶のカティナ嬢まで面白がって首をつっこんできて……それはもう、壮絶な女の戦いだったわ」



 ……やはりそんな展開を読んだ気がする。一人が主人公に対してアプローチを始めたなら、次々と主人公に好意を寄せるという人物が湧いて出てくるのだ。

 父はどこまでいっても流行小説もびっくりの主人公ぶりだったようだ。

 そして、豊満な胸に手を当てて「けれど旦那様が選んでくださったのは私」と言う母もまた、見事壮絶な女の戦いに勝利を収めたヒロインの顔をしていた。おほほ、と笑う姿は勝者の貫録すら感じさせるではないか。

 知られざる両親の波乱万丈な過去に、フランシスカは今度こそ遠くを見つめた。





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