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18:答えのない問題

 もはやチェス前のティータイムは恒例になり、机にチェス盤が用意されていないのは当然の風景であった。

 だからその日、フランシスカがようやくいつもと違うと気付くことができたのは、ゲオルクが姿を現したときだった。



「やあ、フランシスカ嬢」



 いつものように後ろに従者を伴ったゲオルクの言葉がどこかぎこちなく聞こえる。いつもと違う、と感じた通り、ゲオルクはそのまま後ろで結んだ髪を揺らして歩きながら椅子を勧めてくることはなかった。扉の傍に立ったままで、やけに重たそうに口を開く。



「今日は、君についてきてもらいたい場所があるんだ」



 それはどこか、とは、フランシスカは聞こうとしなかった。ただ「はい」と答える。今だけは聞かないことがゲオルクに寄り添う術だと感じたのだ。





 御影石の廊下をゲオルクの後について歩く。彼は何もしゃべらないので、固い靴底が床を打ち鳴らす音だけが聞こえていた。ゲオルクの金木犀を思わせる髪が彼の歩調に合わせて左右に揺れる。ゆらゆらと、なぜか儚く見えて、フランシスカの胸をしめつけた。

 宮殿を奥へ、奥へと進み、着いたのはまったくひと気のない場所だった。

 現れたのは半地下へ降りる短い階段。その先には大きな南京錠で施錠された、頑丈な扉があった。



「エリオット」



 ゲオルクが従者を呼び、彼から鍵を受け取る。重々しい、開錠の音が石壁に響いた。従者が扉を開くとゲオルクが中へ入る。それから従者に促されてフランシスカも扉の中へと入っていった。従者は、中へはついてこないようだった。

 扉の奥は更に道が続いていた。丁度人間一人が通ることのできる幅であるため、ゲオルクの背中で先は見えない。それでも黙って歩くゲオルクの後を追うフランシスカの心には、行き先がわからないことへの不安はなかった。

 ただフランシスカが不安に思うのなら、それはいつもと違うゲオルクの様子に対してのことである。言葉もそうならいつものきらきらしい笑顔も少しぎこちなく見えた。今、背中と揺れる髪しか見えない彼は、あの裏側でどんな顔をしているのだろう。そんなことを思えばまた胸がしめつけられた。

 歩いていくと、ゲオルクの向こうから光が差してくるのが見えた。この細い道の果てに着いたのだ。ゲオルクに続いてその光の中へ出る。

 そこは四方を高い壁に囲まれた小さな空間であった。天井はなく、燦々と降る日差しが緑の芝を輝かせている。そしてその中心には、平らな石碑が地面から顔を出していた。

 ゲオルクが進み出て石碑の前に立つ。



「この場所を知っているのは、俺の父と、ルーデック殿、それからトーマスだけだよ」



 石碑を見下ろし、ゲオルクはようやく言葉を発した。限られた人間しか知ることのない、秘密の場所。そこへフランシスカを連れてきた。

 だとすれば彼が見下ろす石碑は、ただの石碑であるはずはない。



「これは、俺の妹の墓だ」



 ゲオルクの口から石碑の正体が明かされる。

 王家に姫がいたことは公表されていない。つまり、ゲオルクに妹がいたことも公表されていない事実だ。フランシスカは当然驚いたが、ゲオルクが話す邪魔にならないようにその気持ちは押込めた。



「母はね、俺を産んだその直後に、もう一人産んでいたんだ。けれどその子は、産まれたときから息をしていなかった。俺が母からその話を聞かされたのは十五になる年だ。……母が、亡くなる直前だった」



 フランシスカに見えているのはゲオルクの背中だけだった。だから彼の表情はわからない。だが、きっと、悲しい顔をしているのに違いない。



「俺は、もう一人、その命を奪って生きているんだと思ったよ」



 その背中が低くつぶやいた言葉に、フランシスカは小さく息をのんだ。



「母は俺を産んだ後から寝込むようになった。十五年は生きたけれど、もしかすると俺がいなければ、母はもっと生きられたのかもしれない。父と母が望んでいた女の子だって、俺のせいで母の体が弱っていなければ……そもそも俺ではなく、この子が生きていれば……」



 ゲオルクの声はそこで途切れてしまった。その姿を見つめながら、フランシスカの頭の中では情報がぐるぐると錯綜する。

 共に成長するはずだった双子の妹。

 その妹と母の代わりに生きている自分。

 今、そこに見える墓碑に刻まれた名前は『ゲルダ』だ。

 シナモンは古来より魔術に使われる、魔物や幽霊を実体化するためのツール。

 ぐるぐると回っていた情報が一直線に並ぶと、かんと頭が冴えた心地になる。

 彼が女装をする理由。それは母の面影を探しているなどと単純な理由ではなくて、もっと、複雑なものが絡まって発露したことなのかもしれない。

 もしも母が健康な体でいたら。そして女の子を産んでいたら。もしも無事に産まれたのが、妹だったら。その妹が、成長していたら。


 胸がぎゅうとしめつけられて、苦しくなる。

 その背中に手を伸ばしたい。一歩足を踏み出して、ゲオルクがしてくれたように、体に触れて、気持ちを安らげたい。けれどフランシスカの体は、どうしてだかなかなか動かなかった。

 そうしているうちに、ゲオルクが振り返る。



「突然こんな話をしてごめん。でも、君に聞いてほしかったんだ」



 小さく笑みを浮かべたその顔は穏やかだ。けれど確かに悲しさをはらんでいるように見えるのは、気のせいではないと思った。



「私に、ですか?」

「やっぱりこういう胸のつかえって、誰かに聞いてほしくなるものだろう? でも、誰でもいいわけじゃない、この人になら、聞いてほしいと思える人じゃないと」



 それが、フランシスカだと。ゲオルクの言葉はつまりそういう意味だった。

 嬉しい。涙が出そうになるほどに嬉しい。だが聞かせてくれたゲオルクの胸のつかえを思い出せば苦しくもなる。そうなるとフランシスカは、笑みを浮かべることはできなかった。それでも精一杯気持ちを伝えようと「ありがとうございます」と言った。



「それからもうひとつ。俺は、君に謝らないといけない」



 続いた言葉にえっと驚く。いったい何を謝るというのか。



「女装をする理由はわからないと言ったけれど、本当はわかっていたんだ、でも、俺はそれから目を背けていたから、あのとき、君には言えなかった」



 女装をする本当の理由。目を背けていたのは、ゲオルクにとって苦しいことだからなのだろう。それでも、話してくれようとしている。フランシスカは苦しくなる気持ちを必死に押込めて耳を傾けた。



「俺はずっと、母になりたいと思っていた」



 母になりたい。それはゲオルクの母への思いを聞かされた今、とても複雑なものをはらんだ言葉に聞こえた。



「けれど俺は、母にはなれない、たぶん、そんな葛藤から逃げるためだったんだろう。ドレスを着て、化粧をしていれば、なんだか落ち着いたんだ。そのうちに、これで落ち着いていられるなら大丈夫だって、葛藤を乗り越えた気でいた」



 ゲオルクは淡々と言葉を続ける。



「兄上にばれたとき、さすがに潮時かなとは思ったんだ、でも、今日だけ、あと一日だけと先延ばしにして、いつまでもやめられなかった。俺は葛藤を乗り越えてなんかいなかった、目を背けていただけだと、君のおかげで気が付いたんだよ」



 謝罪から始まった告白は「ありがとう」という感謝の言葉で締めくくられた。

 嬉しい。でも、やはりゲオルクの葛藤を思うと苦しかった。

 フランシスカが笑顔を見せられずにいると、ゲオルクが明るく笑う。



「でも、ドレスを着た自分が美しいと思って純粋に楽しんでたのも本当だよ? だって考えてもみなよ、父の美貌と母の美しい目を受け継いだこの俺が、女装をしてどうして似合わないと言うんだい?」



 わざとらしく手を薙いで少し肩を竦めてみせる。笑わせるつもりなのか、それとも本心なのか。わからないが、ただなんとなくおかしくなって笑ってしまった。



「そうですね、私も一度見てみたいです」

「一度だけでいいの?」

「え?」



 ゲオルクが芝を踏みしめて近づいてくる。そうして驚くフランシスカの手を掬い上げた。



「君になら、何度でも見てもらいたい、フランシスカ嬢、俺は……」



 紺碧の目がじっと見つめる。時が、止まったような気がした。

 ゲオルクの唇がゆっくり動く。何かを言おうとして、それを飲み込むように一度口を閉じると、ふっと吐息を漏らして笑みを浮かべた。



「俺は、本当に、君に感謝しているよ」



 ありがとうございます、と言おうとして、息が足りずに大きく吸った。止まっていたのは自分の呼吸だったらしい。改めて言葉にした「ありがとうございます」は、思いのほか震えてしまった。



「さあ、戻ろうか、今日はマドレーヌを用意してもらったんだ」



 手を引かれて、また細い道を歩き出す。ここを歩いてきたときの不安はない。

 不安はないのだが、フランシスカの胸はまるで不安でも感じているかのように脈打っていた。


 ――ゲオルク殿下に、いっぱいドキドキしたでしょ?


 頭の中のアーネムタイナーが、体を覆う固いうろこを日の光にちらちらと反射させながら笑う。

 ドキドキした。ドキドキ、している。

 恥ずかしい。緊張しているということだ。


 あるいは。……あるいは、もしかすると、これが世に言う、かの有名な、音に聞くあの。

 ……恋、と名のつく感情かもしれなかった。

 けれど違うかもしれない。そもそも恋とは、理屈で説明のつく事柄だろうか。そうではない気がする。なぜならそれは、先人が途方もない時間をかけても、揺るぎのない、たった一つの答えなど出せない問題であるからだ。

 そして、たった一つの答えがない問題は、フランシスカの最も不得意とするところだった。






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