14:変化
今日のことをどう父に話せばいいのか。フランシスカは非常に頭を悩ませていた。
顔色が悪いことを心配され、シナモンティーとクッキーでもてなされ、拷問かと思うような健康法を実践をもって伝授されたと、正直に伝えるべきなのか? いや、そうするべきなのだろう。
特に、父はゲオルクに寄り添ってほしいと言ったのだ。だから『君は俺に寄り添ってくれているよ』と言われたその言葉を報告しなければいけない。
それはわかっている。
だがなぜだか、父にありのまま起きた出来事を伝えるのをためらってしまうのだ。なんというか、父とはいえ第三者に話したくないというか、自分の中に留めておきたいというか……。
――恥ずかしい。
結局ありのままの出来事を父に報告する中で、フランシスカはそれが理由だったとようやく気が付いた。そしてそんな心情がばれたのか、途中で父に報告を止められる。
「あー、その……もう、殿下とのことは報告しなくていい。これからのことは、お前と殿下の間だけのことにしておきなさい」
そう言った父は何を思っているのか。なんとなく、知りたくない気がした。なぜかはわからない。ただひとつ確かなのは、今は父の言葉に救われたということだ。フランシスカはぎこちないままで「……はい」と答えた。
父の部屋を後にしてもまだ、フランシスカの頭の中を占めるのはゲオルクのことだ。
――君にも同じように、休息をとってほしい。
そう言われたのだから、今日ははやく眠らなければ。
就寝の準備に部屋を訪れたアンネにその旨を告げれば、とても驚いた顔をされてしまった。
彼女が驚く理由には心当たりがだいぶ、いや、とても、いや死ぬほどあるので『そんなに驚かなくても……』という文句は言えない。しかし顔に出たのか、アンネがはっとして謝ってくる。それでも表情は信じられないと言わんばかりのままだ。
そこまで信じられないだろうか? いや、まあ……その気持ちもわからないではないが。
「それは、とてもうれしゅうございますが……いったいどのような心境の変化がおありになったというのですか?」
聞かれて、どきとした。
アンネにだってゲオルクとのことをありのままに話すのは恥ずかしい。少し考えて、体調を心配されたことだけ伝えればアンネは納得したようだった。
そうしていつも通りに就寝の準備を終え、アンネが部屋を出ていく。
暗闇は落ち着かなくて、サイドテーブルのランプはいつものように灯りを灯した。柔らかな光がぼんやりと手元を照らす中、フランシスカはベッドに座って自分の手のひらを探る。
(このあたりだったかな)
探し当てた箇所を、ぐいと押した。鈍い痛みがじいんと広がる。だが、ゲオルクに押されたときの痛みほどではない。その代わり、押した後のすっきりとした感じもゲオルクのものに比べると物足りなかった。
他人に押されるほうが効果的なのだろうか。それならアンネに押してもらうのがいいかもしれない。しかしどう説明するべきか。
そんなことを考えながらしばらく押していたが、眠れそうだという気にはなれない。そのうちに手のひらを押す指も止まってしまう。眠れる気がしない。かといって、眠らなくてはと思うのもダメだと言われたのだ。どうしたものかと考えるフランシスカの目には枕元に積まれた本が映る。
考え事をしてしまうよりは、こっちのほうがいいかもしれない。なんとなくそんなことを思って手を伸ばす。
そうしてこの日も本を読んでいるうちに、いつの間にか眠ってしまうのだった。
翌日はアンネに声をかけてみた。
「ねえアンネ、ちょっと、こう……手のひらを指で押してほしいのだけど」
「手のひらを、指で、ですか?」
アンネは不思議そうにしながらもフランシスカの言った通りにしてくれた。フランシスカがこのあたり、と言った箇所をアンネの働き者の指がぐいと押す。
だがやはり、なにか違う。力が足りないのかと思い、両手で押すように頼んでみた。指示に従ったアンネによってより強い力でぐいぐいと押される。あ、痛い。だが、やはり何か違う。
言葉にはしなかったその思いを覚ったのか、アンネが申し訳なさそうな顔をする。
「ご期待に添えなかったようですね、すみません」
「ううん、アンネが悪いんじゃないの、ありがとう」
アンネは主人の気遣いに応えるように笑みを浮かべる。その笑顔に、ふと気が付いた。
ゲオルクだけではないのだ、心配してくれていたのは。いや、むしろアンネはゲオルクよりもずっと前から、長い間心配してくれていた。それなのに自分ときたら口うるさい世話焼き屋などと……。
「……ねえアンネ、今まで、アンネの忠告を聞かずにいて、ごめんなさい」
思いを告げれば、アンネは驚いたような顔をした。ああ、こんなことを言って驚かせるほど、自分は今までアンネの忠告を聞いていなかったのだ。
「私がかろうじて健康でいられたのは、アンネが私を心配して、こっそり安眠する術を仕込んでくれていたからだわ。私、ちゃんと眠りたいと思うの、手を貸してくれる?」
アンネは、久しぶりに見たなと思う程の嬉しそうな笑みを浮かべて「もちろんです」と言ってくれた。
「お嬢様が心身共に健やかでいらっしゃることが、アンネの幸せでございます」
七つのときから一緒にいる友の笑顔はフランシスカの胸を打ち、少しだけ涙が出そうだった。
ちゃんと眠りたい、と宣言したものの、長年の習慣はそう簡単に変えることはできないようだった。ゲオルクに教えられたツボ押しを毎夜続けても、アンネによる安眠メソッドを実践しても、なかなか夜更かしをやめられない。
そんなフランシスカに変化が起きたのは、数日後のことだ。
その日も眠れず、暗い部屋の中ベッドに座ってろうそくを灯したランプの明かりを頼りに本を読んでいた。
ふと、あくびをして中断する。
(そろそろ、寝ようかな)
己の頭に浮かんだ言葉に、フランシスカはえっと驚いた。
眠れないから本を読んでいたはずだというのに、そろそろ寝ようかなとはいったいどうしたことだろう。
(今なら、眠れる?)
フランシスカは本を閉じると、枕元に置いた。それからランプのろうそくを消してベッドの縁から中央へ移動する。横になる前に、自分の手に触れた。まずは右手で、左手を、自分の手のひらを探るように触っていく。教えられた肩こりやさまざまな不調に効くというツボを押して、最後には手首にある安眠のツボを押す。
ただ無心でぐいぐいと押していると先ほどよりも眠気が増した気がした。
それを手放さないうちに横になる。眠たいなあ、と頭の中でつぶやいた。それからなんとなく、ネムノキを数えはじめる。
ネムノキが一本……ネムノキが二本……ネムノキが……おや、ネムノキの陰から覗いているあれは……ああ、ネムノキの陰から飛び出してきて、柵を飛び越え始めた……。アーネムタイナーが一匹……アーネムタイナーが二匹……アーネムタイナーが……。
まもなくうとうととしてきたのがわかって、その感覚に揺られているうちにフランシスカは眠りに落ちた。




