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12:シナモンティー

 三度目のゲオルクと会う休日がきた。あれからゲオルクと王城でばったり会うことはなく、先日の邂逅以降初めて顔を合わせることになる。

 この日は部屋に入ったときから違和感があったが、フランシスカはすぐにその理由に気がついた。窓際に置かれた机の上にチェス盤がないのだ。

 とはいえ、なぜチェス盤がないのか? その理由については解明することができないでいた。自分はチェスの相手という建前で来ているというのに、チェス盤がないとはおかしな話である。


 (もしかして、もう会わないという意思表示?)


 そう考えると急に焦りを感じる。前回はこれからも会うと言ったが、やはりフランシスカの言動を不快に思って心変わりをしたのだろうか?

 いや、そうか、化粧をしていない顔を見られたから。やはり見苦しかったのだ、顔色の悪い女など。それに偽りなくありたいと言っておきながら、化粧で顔色を偽っていたことも不快であったのに違いない。

 迷ったが、今日も化粧をしてきてしまった。見苦しいのが不快だったという理由なら隠さなければいけないだろう。すでに素顔を見られている状態での弁解がどこまで通じるかは、わからないが。偽っていることが不快だったとしても、ハンカチで強くこすって落とすことはできる。こちらもそれから弁解をして通じるかどうかは、わからないのだが。

 悶々と考えていると、ゲオルクが従者を連れて現れた。



「やあフランシスカ嬢、今日もよろしく頼むよ」



 紺碧の目を細めてにこやかに言い放つ。今日もと言ったが、これが最後のつもりなのかもしれない。なんとか挨拶は返したが、フランシスカの頭はそんな考えばかりがぐるぐるとめぐっていた。

 向かい合って椅子に座り、ゲオルクがチェス盤がないことにまったく触れようとしない時点でフランシスカの不安は頂点に達する。やはり、チェス盤を用意しなかったのはゲオルクの意志なのだ。

 ゲオルクは椅子に座るなり眉根を寄せてじーっとフランシスカの顔を見てきた。そして、その表情のままで口を開く。



「君の小間使いはよほど化粧が上手いんだな。顔色の悪さをよく隠してある」



 思わず頬に手をやると、その仕草を見とがめるようにゲオルクの表情がわずかに動いた。



「頬を手で隠すのは、見抜かれたと思ったからかな? つまり、顔色は悪いままということか」



 言われて、フランシスカは自分がもうひとつ失態を犯していたことに気が付いた。

 顔色が悪いままというのは、ゲオルクの忠告を無視したことになるのだ。実際のところ顔色の改善に取り組んでいなかったわけではないが、改善されていなければ同じことである。

 けれど、見苦しくても、最後まであがいてみせなくては。



「すみませ……」

「ご飯はしっかり食べているのかい? ちゃんと眠れている? 眠るといっても、ただ長く眠ればいいというわけじゃないんだ、深い眠りにつくことが大事なんだよ。そのためには眠る前にきちんと体をほぐすことも大切だ、机に向かう作業ばかりしていると体が固まってしまうからね」

「……ん?」



 謝罪の言葉を遮られ、フランシスカは目を丸くした。おまけに先日と同じように一気にまくしたてられる。とっさに状況を理解できないフランシスカに構わず、ゲオルクはさらにべらべらと言葉を続けた。



「眠る前にほぐすというのはなにも体だけのことじゃない、心もほぐさないと深い眠りは得られないんだよ、そもそも体をほぐすのも心をほぐすためだから、心をほぐすほうが大事だと言えるね。というわけで、今日はまずティータイムから始めようと思っているんだ」



 ゲオルクがそう言った途端、部屋の扉が叩かれる音がする。扉の傍に立っていたゲオルクの従者が訪問者の対応をした。どうやら訪問者は使用人で、従者は彼からワゴンを受け取ったようだった。

 従者が押してきた小さなワゴンが机の横につけられる。ワゴンの上段にはティーポットと二対のカップ。下段にはクッキーの乗った皿が二枚置かれていた。

 従者はまずクッキーの皿を机に置く。それから並べられたカップにポットの中身を注ぎ始める。最後に添えられていたシナモンスティックでカップの中をぐるりとひと混ぜすると、それをゲオルクとフランシスカの前にそれぞれ置いた。

 その光景に、あっと思う。


 (もしかして、チェス盤がなかったのはこのため?)


 ゲオルクはつい今しがた『今日はまずティータイムから始めよう』と言った。チェス盤がなかったのは、こうしてお茶とお茶菓子を乗せるためで間違いないのだろう。

 だが、だからといってもう会わないという意味ではないとは言いきれない。手切れの茶ということも考えられるのだ。そう思えばフランシスカは目の前のクッキーとカップに手を付けていいものか悩んでしまう。



「馴染みの菓子屋があってね、シナモンティーに合うように作ってもらっているんだ、何でも美味しいのだけど、今日はクッキーを用意してみたよ」



 ゲオルクの声にはっと顔を上げると彼はもう眉根を寄せておらず、それどころか笑みを浮かべている。紺碧の目に見える穏やかな雰囲気に、頭が急に冴えていく心地がした。

 もしかして自分は、何か大変な思い違いをしていたのでは?

 フランシスカは恐る恐るといったように「あの……」と声を出した。




「殿下は、不快に思われたのではないのでしょうか?」

「不快? 何をだい?」

「見苦しい顔色を殿下の目に入れたことや、化粧でその顔色を偽っていたことで不快な思いをさせてしまったのだと、思っておりました。チェス盤を用意されていなかったのは、もう会わないという意志表示なのかと……」



 フランシスカが痛恨の念で告げたというのに、ゲオルクはさぞ愉快そうに「ぷふっ」と吹き出した。



「あっはは、なるほど、それで今日は俺が入ってきたときからずっと緊張しているようだったのか。いや、きっとこの間王城で会ったときから勘違いさせてしまっていたんだね」

「い、いえ、勘違いをしたのは私の責任です」

「いや、俺はちゃんと伝えていなかっただろう? 君のことを、心配していると」



 心配。その言葉はまるで鐘を鳴らしたようにフランシスカの中に響いた。



「君の顔色が悪いからといって、不快に思うはずはない。それは、君が頑張っている証だからね。でも同時に、頑張りすぎている証でもある。だから心配しているんだよ」



 ゲオルクの口から心配という言葉が繰り返される。眉根を寄せた表情も、このクッキーと茶も、心配の証。『今日はクッキーを用意してみたよ』と言った言葉も、また次の機会があることを示しているのだ。

 つまり、自分が思っていたことは、全て早とちりの、勘違いであるのはもはや間違いない。

 ――力み過ぎて、視野が狭くなる。

 母に忠告された通りだった。ゲオルクを不快にさせたと思い込んで、心配してくれていることにも気が付かない。自分は、いったい何を努力していたのだろうか。



「すみません……私は、殿下を理解したいと思いながら、何も見ていなかったようです」

「けれど、最後には気付いてくれただろう? そして俺にちゃんと聞いてくれて、互いに誤解も解けた。勘違いしていたことが申し訳ないと言うなら、それもフランシスカ嬢らしいなと、俺はむしろ好ましく思っているよ。さあ、シナモンティーが冷めないうちにティータイムを始めようじゃないか」



 頭を下げても、やはりかけられるのは明るい笑い声と優しい言葉だ。情けなさと申し訳なさに胸は痛むが、気遣いを無下にしてはいけない。顔を上げ、努めて笑顔で「はい」と答える。

 ゲオルクがまずクッキーを口に運んでみせたので、それにならってフランシスカもクッキーに手を付けることにした。小さなそれは一口でほおばることのできる大きさだ。

 ぱくりと食べると、口の中でほろほろほどけていく。舌に感じるのは強い甘味。シナモンティーに合うように作ってもらったというゲオルクの言葉を思い返して、カップを手に取った。

 甘い香りの湯気が立つそれを一口すする。紅茶の渋みとシナモンの香りが強い甘味と混ざり合い、するりと喉へ押し流した。思わず、ほうと息が出る。常々思うことだが、温かい飲み物が体の中に入るだけで肩の力が抜けていくのは人体の不思議だ。



「温かいものを飲むだけで、肩の力が抜けるだろう?」



 思ったことをまさに言い当てられ、フランシスカは気恥ずかしげに「はい」と答えた。ゲオルクは満足そうに笑うと、自身もシナモンティーを一口飲んでみせる。



「加えてシナモンの香りは気持ちを落ち着けると言うからね、シナモンティーはまさに心をほぐすための飲み物だよ。だから兄上にもお出ししたんだけどなあ、どうしてだか怒るんだよ兄上は、まったく、いつからあんなに怒りっぽくなったんだろう」



 それは目の前でゲオルクが女装をしていたからでは……とは、口には出さないでおいた。正直でいようと決意はしたが、それでも言わないほうがいいこともある。

 フランシスカは咄嗟に想像してしまったゲオルクの女装姿を取り払うために、もう一口シナモンティーを飲んだ。





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