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10:ぐいぐい、ぼよぼよ

 宮殿から帰ったフランシスカは父の部屋を訪れていた。今日の結果を報告するためだ。

 ゲオルクに直接、女装をする理由を聞いたこと。問い返されて、母の姿を見出しているのではないかと答えたこと。そうだとして、どうするつもりだと問いただされたこと。

 そして、それに対してありのままを告げ、偽りなくありたいと思う心は真実だと訴えれば、ゲオルクは正直な気持ちだと言って答えを返してくれたこと。



「そうか、殿下はそうおっしゃられたか」



 全てを伝えると、父はゲオルクの言葉を噛みしめるようにそう言った。



「確かに、我々の理屈を殿下へ押し付けているのはそうなのだろう、まして殿下は弁えてご自分の部屋の中でしか楽しまれていないというのに……いや、それは初めからわかっていた、ただオスカー殿下は……真面目な方だから……ううん、どうしたら理解を……いや、理解されなくとも、いったいどうしたら妥協してくださるのか……」



 それから目を閉じ、今度は苦悩を噛みしめるようにぶつぶつとつぶやく。

 ここ数日で知ったことだが、父はどうやらオスカーのことになると我を忘れて苦悩してしまう節があるらしい。フランシスカにとって父は何をこなすにもそつがない、手本となるような人だ。

 それが今、己ではどうにもできないゲオルクの女装やオスカーの発熱に悩んで、こんなにも感情をあらわにしている。

 決してそういう父に失望したという思いがあるのではないが、どうにも整理し難い感情がフランシスカの中にあるのは事実だった。こうしてフランシスカが困惑している間も「これもゲオルク殿下に甘えていらっしゃるということなのか……」だの「根は甘えん坊のまま変わられないのだから……」だのぶつぶつ言い続けているのだからなおさらである。



「あの、お父様……」



 父のためには止めるべきではないか、と判断したフランシスカはおそるおそる呼びかける。すると父は我に返ったようにぱっと目を開いた。



「あ、ああ……すまない、いや、うん、とにかく、オスカー殿下へは私から伝えよう。フランシスカはもう休みなさい」

「はい……」



 フランシスカはなるべく普段の聡明な父の姿を思い浮かべるようにしながら答えて、部屋を後にした。






 部屋に戻ったフランシスカは、窓際に置いた机の前に座る。その上にはチェス盤があり、向かいには無人の椅子。そこに誰かが座る予定はない。だがその椅子はどうしても必要なものだった。なるべく環境を同じにして練習をすることで、本番でも実力を発揮できるようにするためだ。

 フランシスカはさっそく練習を始めるべくチェスの戦術書を開いた。何しろ今日も一度も勝てなかったのだ。チェスの弱いままではゲオルクに飽きられてしまう可能性が高い。これまでも毎夜練習してきたが、まだ足りないということだ。

 戦術書と盤上を交互に見ながら、今日ゲオルクに言われた助言を思い返す。

 ――戦術書に忠実すぎる。

 ――多少遊びがないとね。

 思い返したそれにフランシスカは首をひねる。遊びのある手とは、どういう手だろうか。無駄な手を打つというのか?

 考えながら一人で黒と白の駒を動かしていると、扉を叩く音が聞こえた。返事をした後に入ってきたのは、今日も大きく開いた襟元から豊満な胸を存分に見せつけた母である。

 フランシスカは椅子から立ち上がって母を出迎えた。



「どうしました、お母様」

「次に着るドレスについて少し話をしにきたのだけど……フランシスカ、あなた一人でチェスをしていたの?」



 窓際のチェス盤を見とがめた母が不思議そうに聞いた。



「これは、殿下に一度も勝つことができなかったので、もっとチェスの腕を磨こうと思いまして」

「あらそう、そういうことなら対戦相手がいたほうがはかどるでしょう、母が手伝ってあげましょうかね」



 母はそう言い、さっさと窓際へ歩いていってフランシスカが座っていた椅子に腰かけた。更には「はやくいらっしゃい」と手招きをするので、フランシスカは仕方なく母に従って向かいの椅子に腰かけた。

 盤上はフランシスカが一人で二役を務めていたときのままである。



「せっかくだからこのまま続きをしましょうか、次はどちらの番?」

「白の番です」

「では、こちら側からということね」



 母は盤上をしばし見つめ、やがて駒を一つ手に取り、動かした。フランシスカは母の一手から展開を考え、そして黒の駒を動かしていく。

 結果は、母の勝利であった。



「確かに、腕を磨く必要がありそうね。あなたったら、こちらがこう来るだろうと思った通りの手を打つんだもの」



 母の言葉は、呆れているというように聞こえた。もしかするとゲオルクも本当は呆れていたのだろうか。



「殿下にも言われました、私の手は戦術書に忠実すぎる、多少遊びがないといけない、と」

「遊び……そうねえ、確かに今のあなたには遊びも足りないだろうけれど……。フランシスカ、こっちにいらっしゃい」



 手招きをする母に、フランシスカは疑問を抱きながらも素直に従うことにした。

 椅子から立ち上がり、母の前へ行く。すると母も立ちあがり、フランシスカの腰に手を回すとその体を優しく抱き寄せた。

 ――ぼよ。

 豊満な胸に頬が押し付けられる。そのまま白く柔らかな塊に沈み込んでいくかと思いきや、ゴムまりかという弾力で跳ね返されてしまう。かと思うと母の手が頭の後ろに手をやって胸にぐいぐい押しつけるので、フランシスカの頭はぼよぼよ跳ねた。



「今のあなたに足りないのはね、ほんの少し力を抜くことよ。あなたは力み過ぎて視野が狭くなってしまうことがあるから。そういうところは旦那様に似てしまったのねえ、困ったものだわ」



 ――ぐいぐい、ぼよぼよ、ぐいぐい、ぼよぼよ……。

 母が語りかける間もフランシスカの頭は豊満な胸に押し付けられては跳ね返され、また押し付けられてはまた跳ね返される。ぐいぐい、ぼよぼよ、ぐいぐい、ぼよぼよ……。

 フランシスカはただ、ぐいぐいぼよぼよされるがまま宙を見つめていた。

 決して己にはない質量の物質を突きつけられて放心しているわけではない。絶対違う。断じて違う。

 母は昔からこうしてフランシスカを甘やかすのだ。フランシスカにとって母の行動は普通のことだった。

 フランシスカはぐいぐいぼよぼよされながら、母の言葉を反芻していたのだ。

 ――必要なのは、少し力を抜くこと。

 けれどそう言われても、困ってしまう。力を抜いたらだらしなく見える。そうしたら、また、これだから女はということを言われてしまう。力んでいたら視野が狭くなるというなら、力んだままで、視野を広く持つことを意識できればいいのだろう。そういう努力を、もっと。

 ぼよぼよと跳ねる頭で、フランシスカは固く決意をした。





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