01:殿下は夜な夜な女装をしている
フランシスカは、酷く緊張していた。
なぜなら話があると言ってフランシスカを部屋に呼んだ父が、二人きりで話がしたいから、と執事を部屋から追い出したからだ。つまり父はこれから、執事にも聞かせられない話をフランシスカにするつもりだということである。
それはいったい何か。父に命じられた執事が部屋を出て行く短い時間に、フランシスカは考えを巡らせた。
(もしかして、叱られる?)
フランシスカは王立の大学を主席で卒業し、王城の文官として登用されて三年目になる。慣れてきたと思って気を抜いているように見えたのかもしれない。あるいは近頃王城に蔓延している噂が父の耳にも入って、それを叱られるのかも。
けれどそれなら、執事を追い出す必要があるだろうか。
フランシスカがそこまで考えたところで、父の声が聞こえた。
「フランシスカ、これから私が話すことは、決して誰にも知られてはならない」
どうやら叱られるのではないようだ。
しかし父がこれから話そうとすることは、叱られるよりもずっと緊張する話のようだった。フランシスカはごくりと唾を呑みこむと、真剣な声色で「はい」と答える。
「では話そうか。……ゲオルク殿下のことだ」
父は慎重な声色で、この国の第二王子の名前を言った。
それを聞いたフランシスカは驚いたりはしなかった。父が『誰にも知られてはならない』と言った時から、きっと王家に関することだろうと察していたからだ。
フランシスカの父、トーマスを当主とするベックマン家は今の王家をその興りから支え、盛衰を共にしてきた忠臣の家である。文官として王家を表から支えるのはもちろんのこと、裏では『誰にも知られてはならない』案件も数多くこなしてきた。今父が話そうとしているのは、そういった話である。
ついに自分も、それに関わることができるときが来たのだ。
フランシスカは一字一句聞き逃してはいけないと、神経を研ぎ澄まして父の言葉を待った。
「ああ……その、殿下は十五のお年に王妃であられた母君を亡くされた。ご兄弟に姉君はおらず、兄君であるオスカー殿下がいらっしゃるだけだ。通常男性の王族につく従者には女性はおらず、また殿下は今まで特定の女性と親しくされたことはない。だから、その、つまり殿下がそれをやめないのは、女性というものを知らぬことの裏返しではないかと、オスカー殿下は考えていらっしゃる」
第一王子の名前まで出てきた父の言葉は、聡明な父にしては珍しく要領を得ないものである。フランシスカはもしかして自分は試されているのだろうかとも思うが、父をよく見てみればその表情は苦悩に満ちているようだった。
それに、言葉の中に「その」などと意味を成さない単語を頻繁に入れるのも父らしくない。試されているようには感じられなかった。
「お父様」
「……うん、どうしたフランシスカ」
「発言をしてよろしいでしょうか」
「……ああ、許そう」
「では、ゲオルク殿下がおやめにならない『それ』とは、何のことでしょうか」
フランシスカの質問に、父は沈黙した。父の眉間にはさらに深くしわが刻まれ、より一層の苦悩が見て取れる。しかしフランシスカは質問を撤回することなく、じっと答えを待った。
父はこの質問を待っていたのだ。自分から言い出す言葉の枕が思いつかずに。
だから自分はどれだけ待つことになろうがその答えを聞かなければいけないし、父はどんなに苦しくともそれを言わなければいけない。
やがて、父はその重たい口を開いた。
「……ゲオルク殿下は、夜な夜な、ご自分の部屋で、……女装を、されている」
フランシスカは父の言った言葉を一字一句違わず頭の中で繰り返した。理解できるまで、何度も。何度も繰り返した。
そうしてフランシスカは真剣な表情のままで
「……は?」
と言った。
「ゲオルク殿下が夜にご自分の部屋でドレスを着ていらっしゃったところを、返事も待たずに部屋に押し入ったオスカー殿下が見てしまわれたのだ……! その後のオスカー殿下の乱れようといったら、ご自分が不躾にゲオルク殿下の部屋に押し入ったというのに烈火のごとくゲオルク殿下に怒り散らされ、よせばいいのに大声を出すので咳が止まらず更には熱まで出されて、散々たるものだった……!」
父はようやく言えたことで何かがあふれたのか、堰を切ったようにまくしたてた。なぜだかオスカーに対していちいち余計な一言がある気がするが、フランシスカにはそれよりも気にするべきことがあった。
父は、はっきり『ドレスを着ていらっしゃった』と言った。それはつまり、先ほどの父の言葉にあった”じょそう”が”助走”とか”除草”ではないことを明らかにしている。フランシスカは今一度、先ほどの父の言葉を頭の中で一字一句違わず繰り返した。
(ゲオルク殿下は、夜な夜な、ご自分の部屋で、『女装』をされている)
そしてまた真剣な表情のままで『は?』と思う。
「その後もオスカー殿下は、よせばいいのに、毎晩ゲオルク殿下の部屋に赴き女装をやめるよう怒り散らされるのだが、ゲオルク殿下は女装をやめる気はまったくない。それどころか近頃は女装した姿で優雅に紅茶やお茶菓子を用意してオスカー殿下を待ち受けているそうだ。それがオスカー殿下の神経を逆なですることは間違いなく、それでもよせばいいのにオスカー殿下は毎日ゲオルク殿下のお部屋に通われるものだから、怒り散らして咳が止まらなくなって熱を出されて寝込んでの繰り返し……! ああ、もう見てはいられない……! フランシスカ!」
「は、はい!」
父が突然大声でフランシスカの名前を呼んだので、フランシスカは驚いて肩を跳ねあげた。
「いいかフランシスカ、お前は、オスカー殿下の健康のため、そして兄弟仲を案じる国王陛下のため。ゲオルク殿下に近づくんだ!」
フランシスカの脳裏には『夜な夜な女装してるって何?』とか『いや本当に、女装してるってどういうこと?』とかいった疑問があった。しかしそれらは父の初めて見るような剣幕に慌て戦き、とてつもない速度ではるか彼方へ逃げ去ってしまう。
その結果、フランシスカが言えたのは、
「はい……」
というごく短い一言だけであった。