(六)
百年ぶりのこの街は、随分と様変わりしていた。
退屈そうな人々を墓石に似た建物が囲い込み、頭上を窮屈な空が覆っている。
狭い空をいくら見上げても、息が詰まる。
歩くだけで疲れてしまって、私は路地を入った先の喫茶店に逃げ込んだ。薄暗い照明に革張りの椅子が設えてある店内は、まだ、私の知っている時代の空気を残しているような気がして、妙に落ち着く。そんなところで落ち着いていては百年も待った甲斐などないではないかと自嘲してしまうが、まだ目醒めてから日が浅いのだ。致し方ないと自分を甘やかすことにする。
からん、と店の扉が開く音がすると、年若い男が入店してきた。薄茶の地に格子模様の背広姿で、気障だがよく似合っている。この時代の人間にしては私と趣味の合いそうな風貌だ。不思議なことにその男は席を一通り見渡してから、真っ直ぐ私のところへ歩み寄った。
「Tさん、お久しぶりです。奇遇ですね。こんなところでお会いできるなんて」
どうやら私の知り合いらしい。
しかし当然、誰だか判らないので曖昧に会釈を返す。
男は当然のように向かいの席に腰を下ろした。
「先日のガーネットはお気に召して頂けましたか?」
訊かれて成る程、と合点がいった。あの苦礬柘榴石を手配してくれた宝石商か。
澄んだ赤い光の煌つく柘榴石は、一噛みで強い覚醒と酩酊を同時にもたらす。あれだけ強い快楽はなかなか味わえるものではない。実に良い品だった。
「ええ。とても」
本当に美味しかったので、私は莞爾としてみせた。
男は怪訝そうな表情で私を凝視している。
「…何か?」
尋ねると、男は暫く思案した挙句、口を開いた。
「——貴方、誰です」
私は一瞬、瞳孔が開きかけるのを抑えた。
「誰って、貴方もよくご存知のTですよ?」
「そう。そうですね。外見は間違いなくTさんだ。でも何だか、別人を相手にしているみたいで」
「可笑しな人ですね」
ふふと不安を隠すように笑ってみせる。
男はがたりと席の上で姿勢を崩した。
「ああ、いや、やはり」
そうか。私は己の美点を憎んでいたのだったか。
この反応は私らしくない。否、私らしい。それで何故いけない? 私はもう私のものだ。
男は頭を抱えて、悶え苦しむ。
「あの人はそんなふうには、笑ってくれなかった。いつもどこか寂しげで、自信がなさそうで。けれどそれも、あの人の優しさの裏返しだと、私だけが気付いていたのに」
ふうん。成る程。可哀想に。
しかし、百年ぶりに見た人間の中では一番、——面白い。
「貴方の大好きな私はもういませんよ」
私の一言に男は顔を上げる。
「だって私が食べてしまったのですから」
血の色の柘榴石と一緒に。この身体を我がものに。
彼の眼に映る絶望は、何色と呼べばいいのだろう。
「貴方は私のことを知っているつもりになっていただけなのでしょう。私はこの世から消えてしまいたかった。特に貴方のような自分に自信のある人を目の前にするのは辛かった。だから、喜んで身を差し出したのです」
男は絶望に憤りの涙を滲ませている。
「最後に会ったとき、あの人は笑ってくれました。私はそれが嬉しくて、未だ忘れられない。なのにそれは、自らを失うことの喜びがさせた表情だったというのですか」
「そう。私は貴方に想いを傾けたり致しません。私が心を許すのは、唯一、私だけ。私達の間には、何人も割り込めやしない」
親、兄弟、友人、恋人、妻でさえも。
同じ日に生まれ変わった者同士の絆には触れられない。
「はは、は…」
男は乾いた笑い声を立てて顔を手で覆う。
「生まれて初めてです。こんなに手の届かない人に焦がれるなんて」
見目の良い男だ。他者からの嫉妬は向けられたことはあろうが、自らが求めて拒まれることは滅多にあるまい。
ならば諦めずに求め続けるといい。本当に欲しいというのなら、己を顧みずに求めなければ手にはできない。
況してや可愛い可愛いこの私を、そう易々と余所者に触れさせるものか。
「せめて、貴方を肯定する者が一人いるということだけでも、伝えたかった」
「きっと拒絶しますよ」
「構いません」
「それでも会いたいと?」
「ええ。叶うなら」
迷わず肯くその純真さに、愛しさが込み上げた。
「方法は、ないわけではありません」
男は顔を上げた。
涙に濡れた双眸。まるで少年のような眼差し。
絶望から希望を一縷見つけ出したときの輝き。
どんな宝石の色も敵わないほど、美しい。
「百年の時を生きる覚悟はおありですか?」
私の問いにこの男がどう答えたか。
無論、私の期待通りの答えであったことは疑うべくもない。
久々の幻想文学路線、如何でしたか?
テーマは「誕生日=新しい自分に生まれ変わる日」。
自分の誕生日をきっかけに書いたお話でした。一月の誕生石であるガーネットを題材に、「自分らしい」要素を色々と盛り込み、楽しく書かせていただきました。