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(五)

 K伯爵は私の曾祖父に当たる。

 とはいえ、私の祖父は伯爵の子息たちの中では妾腹の末子だったし、父も祖父の一番下の息子であったから、正統な血の繋がりを主張できる立場にはない。私自身、自分がK伯爵の血縁であるなどという話は、父や祖父がなけなしの己の権威を保つための方便なのではないかと半ば疑っていた。

 しかし、伯爵に(まみ)えてみればそれは疑うべくもなかった。私は確かにK伯爵の子孫であったのだ。

 祖父から父、私へと受け継がれた面影。鳶色(とびいろ)の瞳。

 私が伯爵の巡らせた企図の延長線上に存在していることの証。

 生まれたその日から、私は彼のために生きることを運命づけられていた。

 ——謎多き人物。それが世間のK伯爵に対する評価である。それもその筈で、宝石の輸入業や鉱山事業への投資といった公の功績の他には何ら情報が出回っていない。お蔭でK伯爵の存在は一般の耳目からはすっかり忘れ去られ、一部の鉱物愛好家たちの間でごく稀に口の端に上るくらいのものである。

 K伯爵の実像を知っているのは、我々だけだ。

 世間に隠されたK伯爵の秘密。彼の子孫たる我々は、それを代々守り継いできた。

 それは百年前のこの日へ遡る。

 世間では伯爵が亡くなったとされている日。しかし実のところ伯爵は、深い眠りについただけだった。深い眠りについたまま、肉体は老いず滅びず、生き永らえた。

 何故、伯爵は百年の眠りを選んだのか。

 理由は単純で明白だ。K伯爵が人間を愛していたからである。

 K伯爵は人間を愛していた。特定の個人ではなく、不器用で不恰好で不完全なこの生物を。不足を埋めるために栄えと滅びを繰り返してきた彼らの歴史を。そして愛する者達の姿を、己の寿命分の時間を超えてその先までも見たいと望んだのだった。

 並の人間であればそう望んだとて実行する術など持ち合わせてはいない。しかし、K伯爵は当然、並の人ではない。

 鉱物を研究する中で、伯爵は鉱物を摂取することを覚えた。初めは薬のような効果を期待した摂取だったが、実験を続けるうちに更に深淵な効果をも発見した。

 『鉱物食』あるいは『宝石食』とも呼ばれるその行為は、人体の性質を変革させる。

 老化の速度が落ち、延命効果をもたらす。少量の摂取であれば多少の延命に留まるが、継続的に摂取し、摂取量を増やし、最終的に有機物の摂取を断つことができれば、半永久的に生きる身体となる。宝石の輝きが世紀を超えて失われないが如く、肉体の生命活動は元来の寿命を超えて維持されるのだ。

 ただし、()鉱物化した状態での脳の働きは常人と同じとはいかない。血液の循環も神経の伝達も遅くなるために、明晰な思考や判断は困難になる。『鉱物食』によって実現できるのはあくまでも肉体的な延命にすぎない。覚醒したままで永い時を生きるのは、脳の機能に障害を残す可能性があり、賢明とはいえなかった。

 愛する人間の姿を愛でるには、(もや)のかかった意識ではいけない。覚醒時の意識を保つためにどうすれば良いか。伯爵が選んだのは、覚醒している時間を縮めるという方法だった。つまり、仮死状態にも近い深い眠りについたまま殆どの時を過ごし、来たるべき時機に目醒めようというのである。

 だがそれで確保できる時間も数時間程度のもので、人間の姿を愛でるのに十分とはいえない。そこで伯爵は、目醒めた後に新しい肉体へ自身の意識を移すことにした。

 K伯爵の残した手稿には次のように書いてある。


 一、血液の色に似た柘榴石(ざくろいし)を用意すべし

 二、用意した柘榴石を二人同時に摂取すべし

 三、我が血族の者のうち、我が眠れる日と同じ日付に誕生せる者にこの役を任ず

 四、その者が(よわい)三十を迎えし後、上述の法を実行せしむること


 伯爵の研究によると、血のように赤い柘榴石が覚醒を惹起し、またそれが肉体と意識の交換の媒介となるいうことらしい。そしてそれを成せるのが、伯爵が永い眠りについた日と同じ日付に生まれた伯爵の子孫だという。

 つまりは、今日。

 百年前のこの日に伯爵は眠りにつき、三十年前のこの日に私が生まれた。

 私が生まれたとき、一族の者たちがどう思ったのか、それはよく解らない。待ち望んだ伯爵の目醒めに立ち会えると喜んだかもしれないし、自分たちがそれまで血を繋いできた存在理由を失うことに怯えたかもしれない。しかし彼らから私に与えられた時間は三十年のみだと知らされたとき、私自身はこの上ない幸福を味わった。

 それまで私は生まれたことを悔いるばかりであったから。

 醜く、(いびつ)なこの私。

 私を取り巻く人の群れの中に、絶対に混じることができないと気づいていた。隣人が望む幸福は少なくとも私の望む幸福ではなかったし、私の望む幸福はこの世界には存在しないと思っていた。否、それは綺麗事にすぎない。結局のところ、彼らの手にする幸福を、自分の汚れた手で触れればその輝きを失ってしまうと恐れて、掴み取ることを諦めただけだ。

 しかし十五のとき、私の手でも触れて良い幸福があると知った。

 本家の長に呼び出され、K伯爵の手記と鍵を受け取った。そのときの高揚感と充足感といったら。

 他の誰にも生きることのできない一生が約束されている。

 誰も自分自身であることを捨てられはしない。別人に成り代わって生きられやしない。醜い殻を脱ぎ捨てることの幸福を味わうことなどできない。

 今日、この夜に、私は新たに生まれ変わるのだ。

 私こそがK伯爵。目を閉じれば、いつ終わるとも知れぬ眠りが迎えに来る。誰の目にも触れず、私はただこの男の肉体の内に留まり続ける。真の孤独。暗黒と静寂のみを友とし、安らかに。

 そして私のいない世界で、私の殻は熟れた実を得て味を変えるだろう。


 望みを叶えし君。百年後の人間たちの愚かな姿をとくと見るがいい。果たして君に愛される価値のある者たちかどうか。斯様(かよう)な代償を支払ってまで、見るべき者たちかどうか。

 嗚呼、眠い。

 これでもう、その顔を見ることもない。

 さて、そろそろ、おやすみなさい。

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