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(一)

「こちら、お約束の品です」

 ケースを開いて中を(あらた)める。天鵞絨(ビロード)の敷布に収まる一粒。何片もの角が光を反射し、また透過する。暗赤色の中に烈々と(くれない)揺蕩(たゆた)う。

「確かに」

 私は満足げに頷いた。

柘榴石(ざくろいし)

 目の前の男がその石の名を口にする。

「と、何故呼ばれているか、ご存知ですか」

「いいえ」

「原石の結晶が柘榴の実のように粒立っているからだそうですよ」

「色は関係ないのですか」

「実は赤くないガーネットもあるのです。緑色とか。とはいえ、昔の人は赤いものを珍重していたと思いますから、色も無関係ではないでしょう」

 色のせいなのか形のせいなのかはっきりしないが、どうやらこの男も(たま)には宝石商らしい蘊蓄(うんちく)を語るらしい。

「突然連絡をくれたので驚きましたよ。しかも、血のような赤のガーネットが欲しい、だなんてね」

 そう。年が明ける前。彼に連絡を入れたときに、そう伝えていた。どうしても、今夜、この柘榴石が必要だったからだ。ここ数年付き合いのあるこの男なら、きっと見つけてくれるだろうと思った。ただ、彼に頼むのは最終手段だと考えていた。自分でどうにかしようと手を尽くしたが納得のいく品は見つからず、結局はその手を借りることになってしまった。

 どうせ頼むことになるなら最初から頼んでおけばよかった、という後悔はある。しかし最初からこの男に頼むことは許さない、という矜持もあった。

「Tさん、私を頼りたくないと思ってるでしょう?」

 この男はそう言って私の矜持をせせら笑う。

「そんなことはありませんよ。ただ、いつもこちらが望む以上のことをしてくださるから、申し訳なくて」

「好きでやってるんですから、気にしなくていいんですよ。そんなこと」

 整った鼻梁、彫りの深い凛々しい眼差し、力強い眉。それだけでも気後れしてしまうというのに。

 その上に向けられる優しさ。こちらが心を開かなくてもそのまま抱擁されそうな、遠慮のない優しさ。

 私はそれが苦手だった。

 しかし今回ばかりはその優しさを利用してでも、この石を手に入れなければならなかった。矜持を捨てて得た成果には満足している。

「お気に召しましたか? 血のような赤」

「ええ。とても」

 本当に嬉しかったので、私は莞爾(にこり)としてみせた。

 男は意外そうな表情で私を見返している。

 その目がまた無遠慮なので私は慌てて笑みを殺した。

「では、僕はこれで」

 ぱちん、と音を立ててケースの鍵を閉める。

 男は帰り支度を始める私を引き留めるように声をかけてきた。

「あ、今日って、Tさんのお誕生日ですよね? この後、お時間ありません?」

「——すみません。先約がありますので」

 目の前の美丈夫に辞儀をして、私は席を立つ。

 男は溜息をついて、小首を傾げた。

「これはもう、諦めるべきですかね?」

 この男の誘いを、私はもう何度も断っている。

「さあ。どうでしょう」

「そういうところ、意地悪だなぁ」

 悔しそうに笑うその目はしかしまだ諦めていないようで、私は物好きな奴だな、という彼への印象を更に深くした。

 他に声をかけるべき美しい華々は其処此処(そこここ)にいるのに、何故か私に(こだわ)る。猫背の根暗とはかけ離れた端麗な容姿のこの男に、私に拘るべき用向きなどあるはずもないのに。

「またのご利用、お待ちしております」

「ええ。また」

 私は彼の商う店を後にして、街に出た。

 歩いているのは、新年の祝賀ムードも落ち着いて、急に引き戻された日常に疲れ始めた人々。

 私もまた、昨日まではその中に紛れる一人に過ぎなかった。

 しかし今宵は、彼らの中から脱け出せる。

 満月でも新月でもないけれど、私にとっては特別な夜。

 ——つめたい。

 薄墨色(うすずみいろ)の空から白い欠片(かけら)が舞い降りた。

 頬にふわりと付着したそれは、すぐに融けて消えてしまった。

 この日に雪が降るのは何年ぶりだろう。

 それだけで今宵の出来事が楽しみになる。

 早く、帰ろう。

 帰って身支度を整えよう。

 迎えの時刻に遅れてはならない。

 (ようや)く待ち望んだあの人に会えるのだから。

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