第六十夜 蛆
松井が世見町のホストクラブで働いていた当時、新人の仕事として清掃ばかり押しつけられていた。
落ち葉がよく玄関先に溜まってしまうので、玄関先の清掃は仕事中でも何度か行わないといけなかったのだ。
まあやってくるお客さんに一番会うことができる場所であり、他の先輩たちも新人時代はこうして客を増やしたなどと言われてはやるしかない。松井が務めたのはこのホストクラブが最初だったので、そのやり方を信じるほかなかった。もしかするとていのいい嘘だったのかもしれないが、少なくとも後輩が入るまでの辛抱だと思っていた。
ただ、ひとつだけ。
玄関先にはいつも虫が何匹か落ちていて、さすがにそれは放っておけなかった。
玄関の掃除が新人の仕事になったのも、おそらくそれが原因だろう。どこからやってくるのかわからないが、小さな芋虫のようなものが数匹いつも転がっていた。
そんなものがいては、いくら夜は暗いといっても不快さから客が遠のいてしまう。
「風の向きとか、たまりやすいとかあるんじゃねえかなあ」
引き継ぎをした一つ上の先輩は、そう首をかしげていた。
そんなこともあって、これは新人の仕事のひとつなんだろうと思った。小さな芋虫は気をつけないと踏んづけてしまいそうなほどだったが、だいたいいつも五、六匹ほどがたまっていた。
いったいどこから来るのか。
しばらく玄関掃除を続けて、ようやく顔を覚えられるようになってきた頃。
たまたまいつもより早い時間に玄関に出ると、足下に何か黒い物体が落ちているのに気が付いた。
なんだろうと顔を近づけると、思わず飛び退いた。
ネズミの死骸だった。
「ちくしょう。誰だよ、まったく……」
まさか他の店の嫌がらせということでもあるまい。
猫でもやってきたのか。そのまま食っちまえばいいものを。
涙目になりながらネズミの死骸を片付けていると、その中でうごうごと小さく蠢くものたちの存在に気が付いた。
「……なんだ?」
グロテスクな好奇心に負け、松井はネズミをよくよく覗き込んだ。
その死骸の目元や傷口からはぼろぼろと何匹もの白い芋虫が這い出てきていた。蛆だ。
松井がいつもいつも、小さな芋虫だと思っていたのは蛆だったのだ。だがそれなら当然、どこからやってきたのか、ということになるが――。
松井は吐きそうになりながらネズミを新聞紙にくるみ、さらにビニール袋に入れてゴミ箱に放り込んだ。
それから玄関先を急いで掃き、まだそこに残る虫を片付けた。
いつもより虫は多く、ちりとりの上でうごうごと蠢く蛆は見ていて気持ちの良いものではなかった。
それが顔に出てしまっていたのか、いつもより引きつった反応になっていたと思う。それに気が付いた先輩が、ふと話しかけてきた。
「……玄関、あんまり早い内に出ないほうがいいぞ」
「えっ?」
松井はその意味がよくわからなかった。
「前に言っただろ、ちゃんと時間通りにしろって」
先輩はそう言っただけで視線を逸らした。
確かに、玄関の掃き掃除の時間はちゃんと決められている。
でもあんなのがあるなんて思わなかったし、たまたま早く行ったのは良かったのではなかろうか。女の子たちだって、あんなのがいては入り難かろう。
松井は反論もできず、もやもやとした気持ちのままその場を後にした。
それから数日も経った頃だ。
松井はそれからも掃き掃除のために玄関に出ていたが、やっぱり何匹かのウジはいて、気色は悪いがいつも通り処分していた。
いったいどこからやってくるのだろうと思っていた矢先、再び、少し早い時間に掃き掃除に出てしまった。
玄関に出た途端、足下に何かが転がっているのに気が付いた。
――猫?
毛玉のようなそれを、少しの安堵とともに覗き込んで気付いた。
――死んでる……!?
毛の感じからして、まだ死んだばかりのように思う。
しかし、猫の体には……いや、毛の間がうごうごと蠢いていた。毛の隙間から出てくるのは小さな芋虫――ウジが毛の間を絶え間なく行き交っていたのだ。
もはや好奇心を刺激するというより、不快さのほうが先に立った。
あまりのことに呆然としてしまったが、これを片付けないことにはどうしようもない。涙目になりながら、ちりとりにかかるぐっと重い感触を感じてひとまず玄関からどかす。
ウジたちは猫の体から離れまいとチリトリの上まで右往左往して、松井は思わず取り落としそうになったほどだった。
気持ちの悪さと気分の悪さを同時に感じながら、誰に向けるでもない悪態をつきながら処分する。
最後のほうにはほとんど泣きそうになりながらゴミ袋に叩き込んだ。
裏のゴミ捨て場から戻ってきた時に、松井はふと気付く。
――最初はネズミ。次は猫。じゃあ次は一体……。
松井が顔を真っ青にして店に戻ると、何人かの先輩の視線が突き刺さった。
思わず顔をあげ、あたりを見回す。その瞬間に、自分を見ていたはずの先輩たちはいっせいに視線を逸らした。
「……」
松井はそれ以上何も言えずに、後輩ができたと同時に店をやめた。
引き継ぎの際には、玄関に出るときは必ず時間通りに、とだけ告げておいた。
そもそもあんなものが、松井が早めに玄関に出た日にだけピンポイントで出るものだろうか。しかし毎日のようにあったとして、女の子たちが悲鳴もあげずに入ってくるとは思えない。
あれは偶然だったのか、松井には未だにわからない。
ただ、今もあのホストクラブは営業していて、新人とおぼしきホストが玄関の掃き掃除をしている。




