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百話奇談Ⅱ ―眠らぬ町の怪―【コミカライズしました】  作者: 冬野ゆな


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第四十夜 ごきかぶり

 男はスナックの片隅で安堵のため息をついた。


「はー、ようやくだよ」


 世見町の片隅にある「スナックやよい」には、今日も何人かの常連客が訪れていた。

 貴子ママが類沢を見て笑う。


「あら、どうしたの?」

「ああ、ママ。聞いてくれよ。貸した金がようやく返ってきたんだよ。ほんと、疲れた。たかだか十数万だけどさ、金なんて貸すもんじゃないって痛いほど思い知ったよ」


 彼は知り合いの中川という男に金を貸していた。最初は三万からはじまり、金の無心は少しずつ増えていった。

 最初は律儀に向こうから返してくるのを待っていたのだが、次第に中川が自分以外からも借金をしていて、それを踏み倒し続けていると知って堪忍袋の緒も切れた。男は仕方なくあまり関わりたくない先輩から誘われていた話をもちかけ、金を稼がせた。


「それで、どうしたの?」

「ついでに縁も切ったよ。本当はそのまま手切れ金代わりにしてやろうと思ったんだけどさ、金が返ってきたのは本当に運が良かった」

「そうね。お金の恨みは怖いもの」

「ママのところでも、そういう話はあるの?」

「そりゃあたくさんあるわよ」


 あえて話を伏せたが、その言葉に何かを感じた男は酒を注文した。


「ママも飲みなよ」


 それからほどなくして、貴子ママの機嫌が目に見えて良くなっていった。酒が入り、アルコールがまわってくると、スナックにいる全員の期待が集まった。


「そういえばこんなことがあったわねえ。名前は……そうね、ルイって言ったのだけど」


 酔った貴子ママの話が始まると、全員が黙り込み、耳が其方に向いた。


「彼女は一時期、このスナックで働いてたのよ。

 そう、従業員だったの。

 この世見町のアパートの一つに住んでいたの。


 母親と二人暮らしで育って、そのうちに母親が彼氏と暮らすからと、いくらかのお金を貰って追い出された。世見町までやってきた彼女は、そこから水商売の世界に入ったのね。本名なのかわからないけど、ルイという名前で仕事をしていた。まあ、どこまで本当なのかは知らないけど、この町に住んでる人たちなんてそんなものよ。


 そのアパートっていうのが古い家でね、一階には大家さんが住んでいて、二階がそれぞれの部屋になっていた。そういう変わった作りだったの。

 大家さんは高齢のお婆さんだったけど、これがまた偏屈な人でね。入るまでは優しくて、帰りが遅くなりますとか言っても「いいよいいよ」って言ってくれるような人だったんだけど、一度アパートに入ると急に厳しくなる人。

 ほら。そういう人いるでしょう。

 外面はすごくいいのに、身内には妙に厳しい人。


 おまけに、そのアパートにはやたらと……えーとね、お店でこういう言葉を言うのもどうかと思うけど……、ゴキブリが出たの。

 ゴキブリって大昔は、食べ物のあるお金持ちのところにしか出なかったっていう話があってね。ほら、童謡のコガネムシっていう歌、知らない? コガネムシは金持ちだっていう歌よ。あのコガネムシは実はゴキブリのことだったっていう話……まあほんとは違うみたいなんだけど……あれを信じていたらしくてね。

 だから、虫除けとかバルサンとか焚くなとまで言われてて。

 結構、迷惑な話よね。


 そのくせ、お婆さん本人は本当に結構なお金持ちでね。

 畳の下とかに色々とため込んでいたらしいの。噂の域に過ぎなかったけど、何しろお婆さんは誰かを罵倒するときに、よく『この貧乏人が』って言うから、頭にきたアパートの住人が言い返したらしいのよ。そのときに、私はお前らとは違って金があるって絶叫したらしいのよね。

 それ以降かしら。金を貯め込んでるって話が出たのは。


 ……話を戻すとね、ルイも結構バカにされていたのよ。

 最初のうちは良かったけれど、だんだんと夜中に帰るのを咎められるようになって。咎められるまではいいけれど、親がいないとか、中古品とか、彼氏の容貌だとかまでバカにされるようになった。

 それに対しては、彼氏のほうが怒ってたわね。


 ある日、ルイの部屋に泊った彼氏が言ったの。


『なあ、あの大家のばあさん。結構な金を持ってるって話だが、実際はどうなんだ』

『そういう噂があるってだけよ。本当はわかんないわ』


 ルイはそう答えた。


『あ、でも――』

『なんだ?』

『実際にお金を隠してるのは事実みたいね。この間、下の階を通りがかった時に、入り口が開いてたのよ。そのときに見ちゃったのよね。あのばあさんが、一枚、二枚、ってお金数えてるとこ……』


 この彼氏っていうのもお金に困ってたのは事実でね。

 いくらかの闇金から借金してたっていうのよ。もうすぐ首が回らなくなるんじゃないかってくらいで。それである日、こんなことを言い出した。


『なあルイ、そのばあさんをやっちまったらよう、俺たち、大金持ちになれるぜ』


 ……まあ、切羽詰まった人の考えそうなことよね。

 ルイはもちろん反対した。


 何言ってるのって。

 そんなことしたら警察に捕まるじゃない、って。

 だけど彼氏のほうは、本気なんだか冗談なんだかはぐらかしながら、ルイを説得してるように思えた。

 大丈夫だから、俺がなんとかするから、絶対守るから、バレない方法でやるから。

 とうとう最後のほうになると、ルイもちょっとその気になった。

 ほんの少しその気になったのを見逃さず、彼氏のほうはすぐに準備を始めたの。


 やり方は簡単。

 彼女の家賃は直接手渡す方法だったから、そのときに家に入り込んだ。彼女が話して気を引いている間に、睡眠導入剤を入れたの。それから彼氏がそっと入り込んで、頭をがつんと一発やる。

 睡眠薬を多量に飲んでふらふらしているうちに、頭を打って、その打ち所が悪くて――みたいな風に仕立て上げたのよ。

 凄く馬鹿みたいなやり方だけどね。


 でもね――。


 幸か不幸か、殺すところまではうまくいってしまったのよ。


 死体を横に、二人はお金を捜した。

 それこそ古いタンスの中から、畳の下に至るまでね。あらゆるところを引っかき回した末に、いくつか古い鞄が出てきた。中には大量の札束がそのまま入っていたの。どうも銀行が信用できない人だったみたいで、タンス貯金してたみたいね。

 二人はその中に入っている札束を全部ちょうだいした。


『すごい! すごい!』


 お金は数百万にも上ったの。

 声を殺しながら、二人は一万円札のお風呂に入るみたいにしてはしゃいだ。ほぼみんなくしゃくしゃの古いお金だったけど、かまわなかった。

 端から聞いたら、お楽しみ中のカップルにしか聞こえなかったでしょう。


『こんなにため込んでたなんて! アパートくらい作り直せばいいのに』

『おう。しばらくは慎ましくして、ばあさんの葬儀が終わったら出ていくんだ』

『そうね。とっとと出て行きたいところではあるけど』


 もちろん順調とは言いがたかったわ。ルイも神妙な顔で、部屋へいって手を合わせたけど、警察も事件の可能性を否定できずにウロウロしていたしね。

 すぐに親類だって人がやってきて部屋の中をかき回していたけど、出てくるのはよくわからない骨董とかそういうものばかり。

 実は、お金の保管してあったところには、部屋の中の適当なものを突っ込んで鞄だけ戻していたのだからね。

 此処にお金があるって話だったけど、ガラクタしか入ってない、ってことになってしまってるのよ。だから時間がかかった。

 お金は無くて当然だわ。みんな二人が持ち出したんだから。


 ルイはもう少しぐらい大人しくしていたかったけど、彼氏のほうはそんな慎ましさなんて無かった。

 ある日にお金を持ち出したかと思うと、世見町で派手に遊んできたの。それが一日、二日と続くと、とうとう一週間になった。

 そこまで続くと、さすがにルイも不安になった。


 こんなに急に派手になって大丈夫かしら。

 いつ世見町から移動するのかしら。

 いつ警察に捕まってもおかしくないのに……。


 そんな不安はさておき、一度大金を手にすると、彼氏のほうはもう戻れなくなってたのよね。もともと借金までして遊んでた人だし。お金はルイの部屋に保管してあったんだけど、彼氏のほうは少しずつ盗んで、別の女のところに持っていってたみたいよ。


『ねえ、あたしたち……いつ此処を出られるの?』

『あ? もうちょっと待ってろよ』


 そんな会話があったのかもね。

 二人はそんな小さな会話から、次第に言い争いになっていった。

 もとはといえば二人のお金じゃないのに、あのお金はどちらのものか、とまで話は及んだ。彼氏のほうはといえば……殺したのは俺だから俺のものだ。けれどお前も共犯だ、という無茶苦茶なことまで言い出した。

 さすがにこれにはルイも閉口したみたい。

 勢いよく立ち上がって、自首しようとした。


 けれど焦った彼氏は、そのルイの腕をひっつかんで頬をひっぱたいた。


『ここまでやってやったのに、全部台無しにするつもりか!』


 あまりの剣幕に、ルイも思わず息を呑んだ。

 そのときよ。


 がさがさっ。


 ……って音がしたのは。

 あまりの大きな音に、ルイだけじゃなく彼氏のほうも怪訝な表情になった。


『……ねえ、これ何の音?』


 不意にルイが尋ねると、彼氏のほうは微妙な顔をした。


 がさがさっ。がさがさっ。がさがさっ。


 そういう変な音がしていた。ビニール袋がこすれる音っていったらわかる?

 そんな音が部屋中から響いていたのよ。


『ね、ねえ。何これ。何なのこれ?』


 ルイがパニックを起こしかけた途端に、がさりと部屋の隅からゴキブリが一匹現れた。途端にそいつが音の主だったと判明する。


『な、なんだ。ただのゴキブリじゃ……』


 でも、それは一匹どころじゃなかった。

 二匹、三匹……三十匹どころか、それ以上にうじゃうじゃと部屋の中を占拠しはじめた。二人を囲むようにして、黒い大群がうずたかく積み上がったかと思うと――二人へ向かった襲いかかった。

 ルイの絶叫が響いた。

 どこからやってきたかわからないゴキブリたちにたかられているんですものね。そりゃあパニックにもなるわ。悲鳴をあげようと口を開けると、その中にも入ってこようとする。服や下着の中にも侵入してきて、やがてゴキブリの海の中に埋まってしまった。

 息も絶え絶えになったころ、そのうちの一匹を見て、ルイは再び絶叫した。

 ルイの眼前に迫った頭部は、おばあさんの顔をしていたのよ。

 その口がぱかぁっと開いて、小さなすり減った歯の隙間から、うめき声のような声で言ったの。


『あたしのお金、返せえ~っ』


 ……ルイは命からがら部屋から出ると、警察に駆け込んでみんな白状した。

 お婆さんを殺したこと、彼氏が呪い殺されたこと、お婆さんがゴキブリになって復讐しにきたこと。


 もちろんその中で信じられるのはお婆さんを殺したことだけだったんだけど――あとから現場に入った警察官は驚いたみたい。

 何しろ、彼氏の体には信じられないくらい多くのゴキブリがかみついていたんだから。死因はショック死ってことにされたけど、本当はどうだったのかしら。


 ルイはそのあと、警察の精神病院に入れられた。一応刑罰は受けたとか受けないって話だったけど……もう心のほうがどうしようもなくなってたの。

 ゴキブリをやたらと怖がって、暗い物陰なんかも駄目になってしまった。


 ああほら。

 飲食店でこんな話、どうなのかしらね。


 知ってる?

 ゴキブリって、本来は臆病な虫らしいの。だから人のいるところに出てくるのは稀なんですって。人の気配がすると隠れちゃうらしいのよ。ってことはやっぱり……。


 え、うち?

 うちは一応対策はしてるから大丈夫よ。


 あの子のことは……残念だったけどね」

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