第三十八夜 鉢植え
「アンリちゃ~ん! 誕生日おめでとう~!」
贔屓の男性客がそれぞれ花束やプレゼントを手にして笑いかけてくる。
「えええーっ、どうしたんですか、いいんですかあ!?」
戸川は実際に驚いたのも本当だが、それ以上に大げさに言ってみせる。
アンリというのはもちろん源氏名だ。
本名は戸川真帆といい、まったく違う名前を使っているわけだが、戸川はこのキャバクラという仕事場ではアンリだ。それ以上でも以下でもない。年に一度の誕生日イベントは、水商売の人間にとって一年の集大成でもある。
イベントを嫌がらず、且つアンリにいい顔をしたい客が酒を注文したり、プレゼントを次々に持ってくる。
「でも、良かった。実は今日ここに来る前にちょっとお店に寄ったのね。そしたら変なお客さんがいて」
「ええ? 大丈夫だった?」
「せっかくの誕生日が、気分が最悪になるところだったの」
「アンリちゃんにちょっかいかけるなんて最低だなあ。今日はお酒飲んで忘れよう! 高いやつ入れちゃう!」
お店といっても世見町近くのコンビニで、単に騒いでいた客にガンをつけられたというだけの話だ。でも、不快で恐ろしかったのは事実だし、それっぽく脚色してもわからない。
「本当!? ありがとう~!」
戸川のいるコーナーでは大いに盛り上がった。
お客さんの顔も潰すことなく立ち回り、まさに大成功といってよかった。おかげで気が付いた時には、マンションの部屋の中でぐったりとスーツのまま倒れ込んでいた。
「ううん……」
さすがに頭がクラクラする。
近くにあった肌色の布をおもむろに拾い上げる。化粧を落として肌色になったメイク落としのシートだった。服の積み重なった部屋のゴミ箱にポイと棄てる。
頭を掻きながらあたりを見回すと、昨日貰ったプレゼントが乱雑に置いてあった。倒れて横になった袋を足蹴にしつつ、ほとんど何も考えないまま身なりを整えるために動き出した。
一時間足らずでバスルームから戻ってきた彼女は、部屋の中を改めて見直す。
すると、見慣れない鉢植えがぽつんとあるのが見えた。
――あれ?
花束の類もいくつか貰ったが、ほとんどは棄ててきたはずだ。
プレゼントの類も、きちんと包装されたもの以外は棄ててきたはずだ。もったいないと思うかも知れないが、こういう客の中にはとんでもない客もいて、「手作り」と称して自分の一部を入れた食べ物を持ってきたり、盗撮カメラや盗聴器を仕込む客もいる。
「これ……誰からだったかな」
戸川は記憶を探る。
確か、客の一人だったような気がする。記憶の中に、ニコニコとした男が映った。
一人だけ花束じゃなかったし、いつも気前のいい人なので覚えていたのだ。大体、ある程度記憶力が良くなければいつまでも続けていられない。お客さんの顔や名前を覚えるのも仕事のうちだ。
まあ別にこれぐらいいいか、と戸川はその鉢植えを邪魔にならないところに置く。
「どうせすぐ枯らしちゃうだろうし」
戸川はコップで水を持ってきて、鉢植えの土にかけた。
翌日からは、戸川はイベントで客に浪費させた分を取り戻すのに苦労した。
客といっても、戸川を贔屓している客の全員が戸川のためにお金を使ってくれるわけではない。彼らにも生活があるし、そのあたりを無視すれば今度は客が来なくなることもある。イベント時は余計なお金を使わされるから嫌だとしばらく隠れる客もいるくらいで、誕生日は集大成であると同時に、翌日からどれだけ持ち直せるかの試金石でもあるのだ。
いつもより慎重になるぶん、疲労も溜まっていく。
客足もどこか遠のき、戸川は長い我慢を強いられた。
反対に鉢植えはなかなか枯れず、すくすくと成長した。
つぼみも次第に膨らみ、戸川の成功を歓迎しているようだった。つぼみは赤く膨らんでいったが、結局何の花なのかはわからずじまいだった。
ネットで調べてもそれらしいものが出てこず、戸川は首をかしげたが、疲れもあって気にしないことにした。
そんなある日のことだ。
「やあ、アンリちゃん」
「あ! こんにちはあ~!」
やってきたのは、戸川に鉢植えをくれた男だった。
「誕生日の時にお花くれましたよね? 元気で育ってますよお!」
「そうかあ。それは嬉しいなあ」
はにかむような男の笑顔を見ていると、どこかホッとする。
ブランド物のバッグや財布ではなかったが、気が利いているとさえ思った。
事実、バッグや服に埋もれた部屋の中では清涼剤扱いだ。
「それじゃあ、景気づけにお酒一本入れちゃおう」
「本当ですか!?」
このところこれほど景気よくお酒を入れてくれる客もいなかったので、戸川は喜んで相手をした。
実際のところ戸川の顔は疲れ切っていて、同僚にも心配されるようになっていた。
もちろん内面のほうではどう思っているかわからなかったが、事実指摘されるくらいには戸川は疲労していた。
休みの日でもぐったりと部屋に閉じこもることが多くなり、相当体にきているなと戸川は考えた。
仕事がある日でも体が重く、既にナンバーワン争いからもやや遠のき始めていた。
店の中では「誕生日会から立ち直れなかった」という評価もつきはじめ、焦れば焦るほどに客足も遠のき、苛々としはじめる。そんな態度にまた客が遠のくという悪循環に陥っていた。
――どうしてこんなに?
戸川は鉢植えを見ながらぼんやりと考えた。
花のつぼみはこんなに綺麗なのに、自分は……。
ふうっとため息をつき、開きかかっている花を見つめる。なんだかグロテスクだなと思ったけれど、きっと花が咲けば美しくなるだろう。
そのときまでがんばろう。
しかし妙なだるさはどうしても取れず、一度寝転がってしまうと起きるのも億劫になってきていた。
戸川はみるみるうちに、店の中でも隅っこに追いやられていた。
時折来る鉢植えの男だけが救いで、彼はどんどん瓶を開けてくれた。あまりに彼ばかり来るので他の客が遠慮するようにすらなっていた。
だるさを抱えつつ、その日も戸川は碌な集客がなかった。
ふらふらと世見町を歩いていると、横から「ヒッ」という小さな声がした。
思わずそちらのほうを見ると、世見町に店を出している占い師が、驚いたように口元に手を当てていた。
「……あの、私に何か?」
尋ねると、占い師はまじまじと驚いたように戸川を眺めた。
「あんた、良くないものが憑いてるよ。最近妙なもの貰わなかったか?」
「……妙なものって?」
普段ならこんなもの無視するのだが、今の戸川には助け船に映った。
「ううん、土とか、家に関するものだと思うけど……」
「土、ですって?」
うちはマンションなんだけど、と反論しようと思った矢先、占い師はこんなことを言い出した。
「そう。プランターとか鉢植えとか、そういう小さなものだよ」
「え……」
「心当たりはないかい? もし心当たりがあるなら、せめて土を総取っ替えしたほうがいいね。その中に良くないものがある。そいつがあんたの……」
占い師の言葉が言い終わらないうちに、戸川は家にすっ飛んで帰った。ばたばたと物音を立てながら鉢植えの前に立つ。
横に立てかけてある鏡を見ると、自分はなんとも青白い顔をしている。対して、鉢植えの不気味な赤い花は今にも咲きそうだった。
くしゃくしゃとした赤い花はまるで男の顔のように見える。それはどこか、記憶の向こうのあのニコニコと笑う男を彷彿とさせた。
その笑顔は、今ではぞっとするほどだ。
戸川は一も二もなく鉢植えを持ち上げ、床にたたきつけた。
息を整えるようにして見ていると、ふと床に散らばった乾いた土の中から妙なものが出てきているのに気が付いた。
――何これ?
目をこらす。
それが大量の髪の毛と爪だと気付いた瞬間、戸川は小さな悲鳴をあげた。




