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2019年/短編まとめ

一月の先人は未来を見据えたりしない

作者: 文崎 美生

「明けましておめでとう御座います」


揃った姿と声に、俺は笑みを見せた。

「はい、おめでとう」見慣れた顔ぶれだが、ほんの少しみたいだけで大人臭さを増したように思える。


「相変わらず、こういう時には揃ってちゃんとしてるなァ」


俺がそう言えば、いつもの水色の髪飾りを和柄に変えた(サク)ちゃんが「挨拶は大事だよ」と言った。

まァ、確かに、と思う間に面倒臭そうに着物の裾を整えるオミが「新年だしな」と言う。

俺が頷くよりも前に、真っ赤な長い髪を高く複雑に結い上げたMIO(ミオ)ちゃんが「やるべきことは、ちゃんとやるべきだよね」と笑った。


俺は感極まって、右手で顔を覆う。

「今日も俺の弟妹が良い子だなァ……」和装も可愛いし、元日、なんて素晴らしい日。

しかし、次に来るのは「愚兄は今日も愚かね」という、新年一発目の辛辣な言葉だ。


玄関先に待たせていた三人から、廊下側へと振り返れば丁度自室から出て来た、実妹の美生(ミオ)が顔を顰めている。

美生もまた、和装でその手には下駄もぶら下がっていた。


「お前も良い子だから、拗ねるなよ」


俺を押し退けて玄関に下駄を下ろした美生。

頭を撫でながら、俺も着込んだ和服の袖口からポチ袋を取り出す。

「ホラ、お年玉」わざわざ、札を折らずに入れられる大きめのポチ袋にしたのだが、美生は俺の手を払い除け「普通に触らないで欲しい」と二発目の毒を吐く。

その割には、払い除けた瞬間に、俺の手からポチ袋を抜き取っている。


「貰うけど」


ひらりと揺らされたポチ袋は、静かに美生が持っていた巾着へと滑り込まされる。

作ちゃんはこの言動をツンデレ、と称するがツンデレの定義がいまいち分からない俺からすれば、良く分からない話だ。

それでも、思春期だなァと甘ったるい目で見られるレベルには、実妹を溺愛している。


「ホラ、三人も」


三枚を扇形に広げるように突き出せば、三人は顔を見合わせた。


「うーん。毎年思うけど、おにぃってお金の使い道間違ってるよねぇ」


すいっと右端からポチ袋を抜き取ったのは作ちゃんで、小首を傾げながらも続け様に「貰うけど」と目を細める。


「キャバ嬢に貢ぐイメージだよな」


真ん中からポチ袋を抜き取ったのはオミだが、なかなか辛辣な言葉の後に「貰うけど」と続いた。


「わぁい!ありがとう、おにぃ!」


勢い良く左端から抜き取ったMIOちゃんは、両手を上げてお礼を口にする。

皆違って、皆良い。

三者三様、十人十色、そんな違う反応を見せられることは一度で二度美味しいと同じだが、だが。


「年々、風当たりの強さが増してるなァ」


反抗期か。


***


実家から可愛い弟妹を引き連れて出て、神社までやって来たが、見渡す限りの人人人。

毎年のことだが、溺れ死しそうになるレベルの人波だ。


「しっかし、何と言うか」


人混みの中に押し込められたような俺達。

オミはMIOちゃんの首根っこを掴み、作ちゃんは元々白い顔に青みを増やしている。

そんな中、美生が眉を寄せて「……何」と俺を見た。


「人混み嫌いな割に、毎年揃って行きたがるなァと思って」


約束をしているわけでもないが、自然と毎年元日の昼過ぎには揃い、そのまま初詣へ向かう流れが出来ている。

俺としては成人しても、可愛い弟分妹分と過ごせる時間があるのは非常に嬉しいが。

俺が疑問符を浮かべていると、美生よりも先に作ちゃんが、ぷぅ、と頬を膨らませて答えた。


「人混み嫌い」

「――って言ってる間に流されるなって」


人と人の間に流されていきそうな作ちゃんを引き寄せれば、袖口から覗く嫌に白い手首に目がいく。

俺の視線に気付いているのかいないのか、作ちゃんは両手をぐっと空に振り上げて、体を伸ばす。


「んー、人混みは嫌いも嫌い、大嫌いだけど」

「だけど?」

「毎日顔を洗うみたいに、当たり前に皆で初詣って決まってるからだよ」


小さく背骨が音を立てる。

それでも、静かに腕を下ろした作ちゃんは、横へ流した前髪のお陰でよく見える黒目で、オミを、MIOちゃんを、美生を見た。

僅かな曲線を描く瞳を見ながら、俺は「決まってるから、かァ……」と呟く。


「おにぃは、嫌?」


思春期でも反抗期でも、変わらずに『おにぃ』と呼び続けてくれる可愛い妹分の問い掛けに、俺はまさか、と首を振る。


「俺は楽しいよ。普段は仕事で四人といられないからな」


と言っても、だ。

二十八にもなって未だ実家暮して、似たような年頃の兄妹に比べれば、顔を突き合わせる時間は多い。

勿論、良く遊びに来る作ちゃん達とも、いつかの同級生よりも良く会うが。


それでも減ったなァ、と学生服に着られていたその頃を思い出す。

そんな俺の手首を掴んだ作ちゃんは、大きな黒目を細めた。

顔に落ちる影はほのかに青い。


「そうだね。それと一緒だよ」

「あ?」

「ボク達だって、子供じゃ無くなるんだよ」


手首から手の平を掴んだ作ちゃんは、俺の手を振るように揺らしてそう言う。

俺がぞんざいかつ、乱暴な相槌を打っても慣れた様子こそ見せても気にした様子は見せない。


「おにぃと一緒」前の方を歩く三人を見る作ちゃんは、時折、欠伸を噛み殺すように歯を噛み締める。

とろりと落ちそうになる目尻のまま、作ちゃんは俺を見上げて「ずっも一緒って、今まで通りにって、そうはいかないから」そう続けた。


和柄の髪飾りによって肩口で結えられた黒い髪が、冷たい冬の風で小さく揺れる。

素朴な石鹸の匂いが微かに鼻腔を擽った。

甘酸っぱいような気分にはならず、俺は黙って作ちゃんを見下ろす。


黒い髪と黒い目を際立たせる白い顔。

感情を削ぎ落としたような声も表情も、反論を許さないものだった。

酷く大人びた、と言ってしまえば簡単で、そんな簡単に大人の視点を手に入れなくて良いのにと思わせる。


そんな俺の心情を読むように「だから少なくとも今」とわざとらしく声を弾ませた。

長い間、可愛い可愛いと猫可愛がりのように見守ってきただけあって、それはMIOちゃんを手本にしたものだと分かる。


「今まで通りに出来る事を、今まで通りにやるんだよ」


作ちゃんと知り合ったのは美生達が未だ小学校に上がる前、だったか。

その頃俺は、もう中学と高校の間ほどか。

随分歳を食ったものだと思う。

ならば、作ちゃん達が成長するのも当然だ。


俺は、揺らされる手に力を込めて同じように揺らした。

大きく振れる作ちゃんの細腕は、肩からスポンと抜けそうだ。


「口に出さないだけで、三人とも分かってるんだよ」

「……」


腕を振られながら、作ちゃんは歯を見せて笑った。

珍しい笑い方だ。

白く並びの良い歯が眩しい。

それと同時に、嫌というほどに変化を見せ付けられてしまう。


俺の身丈の半分も無かった頃から知っている、可愛い女の子と男の子。

妹のように、弟のように可愛がってきた。

――実妹には可愛がり過ぎた結果として、若干疎まれているが。


「ハハッ、これはこれは」自然と足を止めてしまい、作ちゃんの足も当然のように止まる。

長い時間をかけて、作ちゃんは瞬きを一つして見せた。


「また随分と、達観して……」


俺は美生達が高校へと進学する際に、それぞれに個別で志望校を聞いたのだ。

アンタに関係ないでしょう、と言い出しそうな顔をした美生は今よりももっと反抗期だった気もする。

それでも、全員から志望校を聞き終えると、俺は心底ホッとしていた。


四人とも、近所の公立校への進学を決めていて、変わらず四人一緒にいるのだと思ったのだ。

そんな過去があったせいか、何となく、有り得ないことに、俺は作ちゃん達が自然と同じ進路を歩むと思い込んでいた。

そんな訳はないんだよ、と渦中の本人から聞かされれば、我に返ると同時に冷水を浴びせられた気分だ。


「……なァ、作ちゃ――」

「あぁーーー!!!」

「……」


俺が作ちゃんに呼び掛けたその声は、周辺の人が揃って振り返るような大声によって掻き消される。

「MIOちゃん?」作ちゃんは俺から視線をずらし、声の方、MIOちゃんを見た。

MIOちゃんの前には成人済みの男女が一組いて、MIOちゃんはその二人を指差している。


犬塚(イヌヅカ)センセと、大蛇(オオミ)センセが一緒に、二人で、初詣してるー!!!」


良く通る声だなァ、と感心する俺に対して、作ちゃんはすっかり腕を振るのを止めてしまい「凄い、誇張してるじゃん」と笑った。

俺もそれは分かったので「アレは態とだなァ」と頷く。

悪意はないが、悪戯心はあるようだ。


髪よりも少し深い赤の袖を振り回すように騒ぎ立てるMIOちゃんに、オミが一つパシリと宥めるように頭を叩く。

それを前にした一組のうちの男の方は、細いフレーム眼鏡の奥で切れ長の目を細めた。


「誰が好き好んで、こんな奴と二人で初詣に来るんだ。俺は、猫宮(ネコミヤ)と来たんだよ」


こんな奴、のところでしっかりと隣の女の方を見ていた。

そんな男を前に、作ちゃんはゆるりと俺の手を離し、踊るように二人の前に出る。

着物の裾が僅かに翻り、オミから咎めるような呼び掛けが出ていた。


「でも、猫宮先生、いないじゃないですか」

「はぐれたんだよ」

「犬塚センセ、迷子?」

「俺じゃなくて、猫宮が迷子なんだよ」

「……迷子って、必ずそう言いますよね」

「新年早々、ムカつくな、お前ら」


作ちゃんに続き、MIOちゃん、終いには美生まで、煽る煽る。

見事に青筋を立てた、犬塚先生とやらは、怒りを沈めるために深く息を吐いていた。


その横では、女の方――消去法で、大蛇先生とやらだろう――が、口元に手を当てて笑う。

「あらあら、仲良しねぇ」と楽しそうだ。


「いや、どう見てもアイツ等がおちょくってるだけですよね」


オミがそう言ったので、俺は一人、確かに、と頷いた。

神社の出入口で、わぁわぁとしている面々を前に、俺は二人を見つめる。


犬塚先生と呼ばれた男の方は、神経質そうな顔立ちをしているが、わぁわぁきゃあきゃあ、と三方向から何を言われてもその全てに返答をした。

まァ、神経質といえば神経質だが、それは同時に丁寧な対応とも言える。


黒く真っ直ぐな髪は耳が僅かに隠れる、ミディアム程度に整えられ、良く良く見てもピアスの穴は確認出来ない。

切れ長の目は、目付きが悪いと言ってしまえばそれまでだが、細いフレーム眼鏡は理知的とも言える。


着ているものも、黒いロングコートにグレーのマフラーと、黒いショートブーツ。

シンプルイズベスト、という言葉が良く似合う出で立ちだ。

細身の体に良く似合う格好だった。


それに対して、大蛇先生と呼ばれた女の方は、酷く楽しそうに作ちゃん達三人に囲まれて絡まれる犬塚先生を見つめている。

俺はそれを見て、底意地の悪そうな笑みだと思う。


黒混じりの茶髪だが、太陽の光に当てられて金色の光が見える。

よく細められる瞳は滑らかな弧を描き、口角もよく引き上げられて、表情豊かだ。

だが、その目は嫌に真っ直ぐに相手を見て、それは誠実なものではなく、観察するようなものだと感じる。


身に付けているものは、ブランド品が多いか。

パイソン柄のコートが嫌に派手だ。

冬は足場が悪くなることも多いが、ピンヒールのブーツでもある。


俺が二人のことを見ていると、大蛇先生とやらは作ちゃん達が新年早々四人揃っている理由が恒例行事と聞いて「あら、じゃあ、家族ぐるみのお付き合いね」と笑う。

口元に添えられた手には手袋を付けておらず、これまたパイソン柄の爪が派手だ。


「まぁ、家も近所ですからね」


そう答える美生は、ちろり、と俺を見た。

静かに黒い縁眼鏡のブリッジを押し上げているので、俺は笑みを浮かべる。


「それなら、そっちは……」


犬塚先生とやらが俺を見る。

俺の笑みを見て、僅かに眉を寄せ、眉間に小さなシワを見せた。

美生もそうだが、目の悪い人間は相手を見る時に目付きが若干悪くなる。


「あぁ、文崎(アヤサキ) 美生(ミオ)の兄で文崎 一生(イツキ)です。いつもウチの子達が、お世話になってます」


前に出ながら挨拶をして、ついでに美生の頭を撫でれば、にべもなく払い落とされる。

乾いた音に作ちゃんが乾いた態とらしい笑い声を漏らして、MIOちゃんがあーあ、と言いたげな目を向けた挙句に、オミが目を逸らした。


大蛇先生とやらは、一瞬目を丸めただけで口元を隠すが、犬塚先生とやらの方は俺の顔をまじまじと見て「保護者がいるのは、喜ばしいな」と心底安心したように一度二度と頷く。

俺はそれだけで何となく、四人がどんな評価を受けているのか分かってしまう。


しかし、作ちゃんははて、と首を傾げて「ボク達、そこまで変な事しましたっけ」と言った。

きっと屋上や窓から飛び降りたりしているのだろう、中学から俺は知っている。


犬塚先生とやらは、そんな作ちゃんを一睨みした後――作ちゃんは肩を軽く竦めただけだが――俺の方へ向き直った。

大蛇先生とやらも、俺の方へ笑みを向けている。


「犬塚 千尋(チヒロ)です。四人の担任と部活の顧問を引き受けて、生物を教えてます」

「大蛇 (ヒソカ)です。美術を教えています」


犬塚先生の生物という教科については、やはりな、と納得してしまう。

そして大蛇先生は美術か。

少なくとも俺が高校の時には選択科目の中に含まれていなかった教科なので、中学以来の縁遠い存在だ。


「まぁ、世話と言っても俺が何かをしなくても、既に世話を焼かれている状態でしょうし」

「……何で、ボクを見て言うのですか」


むぅ、と唇を尖らせて見せた作ちゃん。

当然、確かに、と思うところだ。

しかし「あははっ、まァ、でも、手の掛かる子ほど、可愛いとも言いますしねェ」と、俺は作ちゃんの丸い頭を撫で回す。

抵抗の少ない作ちゃんは、そのままぐりんぐりんと小さな頭を左右前後へ揺らす。


「何だろう、これはディスかな?ディスディスかな??」


頭を揺らす作ちゃんは不満げだが、俺は楽しい。

近くにいたMIOちゃんの頭も撫で回せば、んふふ、と笑い声が聞こえてくる。

ほら見ろ、俺の妹分はこんなに可愛い。


「……ところで、作間(サクマ)さん」

「はい?」


大蛇先生が作ちゃんを見て、俺は手を離す。

ふるふる、と自分の首の可動域を確かめるように振った作ちゃんは、その頭上に疑問符を一つ浮かべた。

美生もMIOちゃんもオミも、揃って何だ、と言いたげな顔になっている。


崎代(サキシロ)から、お誘いはなかったの?」


柔らかな問い掛けに俺は、MIOちゃんの頭を撫で回していた手を止める。

ここに来て、また知らない名前だ。


「……無いですよ。だって、崎代くんは知ってますし」

「あら、そうなの。残念」

「……何が残念なのか分かり兼ねます」


すっとぼけるような大蛇先生を前に、俺は作ちゃんの言葉を頭の中で反芻した。

崎代、と聞き覚えのない名前が出て来たが、作ちゃんはそれに敬称として『くん』を選んだ。

不満げな顔を作った作ちゃんと、笑みを絶やさない大蛇先生の睨めっこを前に、俺は一人「崎代くんって?」と、素直な疑問を口にする。


一向に進まない参拝。

何なら、出入口付近の鳥居から動けていない。

俺が首を傾ければ、何故か美生もMIOちゃんもオミも全く違う方向、階段の方へと視線を向けている。

そっちは帰り道、と俺も視線を寄越せば、男の子一人と女の子が二人、丁度階段から上がって来るところだった。


「え、何、その反応」


俺の疑問に、MIOちゃんは「アレじゃない?」と言う。

オミも「……っぽいな」と頷き、美生まで「……そうね」と続ける。

えっ、間の抜けた声が俺の口から出たところで、作ちゃんが小さく「嗚呼」と相槌を打つのが聞こえた。


「崎代くん!」

「やっぱり……」


MIOちゃんの呼び掛けに答えたのは、二人の女の子に挟まれるようにして歩いてきた男の子だった。

吐き出した息がクリーム色のマフラーにぶつかり、赤い縁眼鏡を曇らせる。


ふわふわとした綿毛のような髪の男の子が崎代くん、とやらであることは間違いない。

その両脇の女の子達は名前を呼ばれることこそないものの、それぞれ全く別の反応をして見せた。


右隣の、崎代くんとやらに似た髪質の女の子は、ススッと崎代くんとやらに寄り添ってこちらをジト目で睨め付けている。

人見知りのする親戚の子供を見ているような気分になるのは、新年だからだろうか。

目に見えて分かる警戒心だ。


左隣の女の子の方は、オドオドと視線をさ迷わせて小動物のようだった。

事の成り行きを見守るようだが、ほんの少しでも声を掛けようものなら及び腰になり、言葉に詰まりそうだ。


「えっ!なになに、ハーレム?!」

「悪意のある言葉選びはやめて!?」


着物のお陰で小股になるMIOちゃんは、パタパタと音を立てて三人に寄っていく。

右隣の女の子は小型犬のような唸り声を上げそうで、下からMIOちゃんを睨め付ける。

それに気付いているのかいないのか、崎代くんとやらは、MIOちゃんに困ったような八の字の眉を見せた。


「あら、でも、案外……ねぇ?」


そんなところに更に油を注ぎ込むのは、大蛇先生だ。

先程から思っていたが、凡そ教師とは思い難いマイペースな発言だ。

口角を上げて、にんまり、と笑っている。


そしてそれを止めるのは「オイ。生徒を弄ってんじゃねぇよ。止めてやれ」と後ろから大蛇先生の首根っこを掴んだ犬塚先生だ。

若干の粗雑さを含みながらも、こちらの対応の方が教師らしさが垣間見える。


「えぇ?」と懲りずに笑う大蛇先生。

それに対して、犬塚先生は眉間のシワを深く刻んでいく。


「……でも、オミくんもこの流れで言えば、ハーレムってるよね」

「変な用語作んなよ。後、どこがだ」

「男女比的な話じゃないの」


作ちゃん、オミ、美生、とこちらもこちらでマイペースな会話を紡ぎ出す。

因みに、俺もオミがハーレムっていることには納得だ。

俺も同い年なら、と何度思ったことか。


好き勝手な会話を前に、崎代くんとやらの右隣の女の子は「……ねぇ、かな」と呼び掛け「早くお参りして、甘酒飲みたい」と不満げな声を出している。

丸みを帯びた目と髪質、若干の色素の違いはあれど良く似ていることと、その親しげな様子から兄妹か、と察しが付いた。


左隣の女の子は辺りを見回し「私も、友達と合流……」と呟く。

こっちは、まァ、妹とかそういうのではないのだろう。

多方、クラスメイトか何かで、たまたま道すがらに出会って、目的地まで共にして、ここで巻き込まれている、といったところか。


俺も含めて計十人。

俺はその九人を前に、白く細く、長い息を吐いた。


大きな変化を感じている。

美生達も今年で高校を卒業して、それぞれ割と勝手に大人になっていくのだろう。

大人なんて、自覚がなくとも勝手に時間が流れて成人してしまうものだ。


しかし、俺からすれば目の前の可愛い妹分弟分が大人になってしまうというよりも、知らない世界でそれぞれの場所を新しく築くことに、上手く言い表せない感情の動きがある。

目を細めたところで、作ちゃんが振り向き、俺を見た。


「おにぃ」


静かな声に、俺は口元に笑みを浮かべる。


「うん?はいはい、どうした?」


作ちゃんは小さな歩幅で俺の方へ寄ってくる。

昔は美生にベッタリだったのになァ、と思考が飛んでしまう。

何があっても絶対に離れない、という意志の強さのように美生の服を掴んで離さなかった頃が懐かしい。


「あっちの男の子が崎代くん。同じクラスなの」

「……友達?」

「うん?うーん……うん、そうかな」

「うんうん」


不思議そうに、左右へ首を振った作ちゃんだが、最終的には頷いた。

俺もそれに頷き返す。


「で、その隣にくっ付いてる方が妹」

「あぁ、やっぱり」

「うん」

「でも何で睨まれてんの」

「ボクの事、嫌いみたい」


ジットリと据わったような目で作ちゃんを見ている、崎代くんの妹ちゃん。

作ちゃんは軽く肩を竦めて見せる。

着物の襟ぐりが微かな衣擦れを立てた。


「ボクは結構、好きなんだけど」


珍しく人好きのする笑みを作った作ちゃんが、ひらりと軽く手を振ったが、妹ちゃんは、フンッ、と効果音付きで顔を逸らした。

これは確かに、相当嫌われてるな。

一体何をしたのか、聞く気もないが、言う気もないらしい。


「それで、今こっちを見てない子が崎代くんの後輩」


キョロキョロ辺りを見回している子を指し示され、俺は頷く。

崎代くんの後輩ということは、一応作ちゃん達にとっても年下ということか。


「因みに、崎代くんは美術部だよ。大蛇先生が顧問の」

「へぇ、美術部」


うん、と頷こうとした作ちゃんの背後から白い手が伸びて来て、その頭を引っ掴む。

「美術部の冬のコンクールでは、作がモデルをやってたわね」と美生が言う。

頭を引っ掴まれた作ちゃんは、特別に抵抗することもなく引き寄せられるままに、美生へと寄り掛かる。


「え」俺は間の抜けた声を出す。

そんな俺を見ても作ちゃんは、緩やかに首を左右に振る。


「態々、言わないでよ。ボク、本当はモデルとかするの嫌なんだから」

「え」

「間抜け面」


溜息を吐いた作ちゃんに、俺は追加で間の抜けた声を出した。

それを美生が笑うが、俺が反応するよりも先に作ちゃんの方から「(アヤ)ちゃん」と咎めるような声音が転がり出る。


俺は自分の頬を掻きながら、ツン、と顔を逸らした美生の見る先を見つめて「作ちゃん」と呼び掛けた。

幾分、低い声が出たものの、作ちゃんはいつも通りの抑揚のない声で「うん?」と俺の言葉の続きを促す。


「その、お付き合い、とかは……?」

「は?」


今度は作ちゃんが間の抜けた声を上げた。

その横で美生が面倒臭そうに肩を竦める。

昔の作ちゃんは迷いも疑いもなく『文ちゃんと結婚する』って言っていた。

美生の方は、決して『お兄ちゃんと結婚する』とは言わなかった。


ふっくらとした頬に手足、無邪気な声とその顔を思い出して泣きそうになるが、作ちゃんは表情を変えずに俺を「おにぃ」と呼ぶ。

刺すような冬の風が黒い髪と遊んでいる。


「別にボクと崎代くんは、そんなんじゃないよ」


横へ流していた前髪が落ちてくるので、作ちゃんは白い指先で前髪を掻き上げる。

見兼ねた美生がもう一度横へ直し、その髪を整えた。

昔から良く見ていた、女の子らしい光景だ。


「……そうか。そうだったな。友達って言ってたなァ、うん」


夢見がちな方ではないものの、俺は作ちゃんと美生が結婚して作ちゃんが本物の妹になってくれれば嬉しいと思っていた。

寧ろ、今でも思っている。

女同士とか、そんなものは関係なく、俺は昔からベッタリだった二人を、大人になってもベッタリとくっ付けたまま、俺の可愛い妹と猫可愛がりしたい。


俺のみっともない思いを見抜いて、美生は深い溜息を落とした。


***


結局その後、初詣は何となく中弛みした空気で終えた。

まともな挨拶をした崎代くんは、確かに、美生達が友達と言うだけあって悪い子ではなかったが。

相変わらず、作ちゃんは妹ちゃんの方に睨まれていた。

そして、行き同様に、帰りは別々になった時、オミが静かに俺の隣で歩幅を合わせた。


「あんまり、踏み込まない方が良いっすよ」


声を潜めたオミは、進行方向を向き、美生達女三人の小さな背中を見ていた。

俺が成人した辺りから、オミは何かと気を使ったように敬語や敬称を使おうとしていた記憶がある。

勿論、それは止めさせたが、その代わりに今のような酷く不格好で曖昧な言葉遣いが増えた。


俺はオミの言葉遣いに、未だ消えない違和感を覚えながら、瞬きをする。

オミの端正な横顔を見れば、深い青の瞳が細められていた。


「馬に蹴られる上に、文からは冷たい視線、MIOから聞かされる話は留まることを知らないって地獄絵図だから」


そう言って、オミは静かに目を閉じた。

俺はその横顔を見て口元を引き攣らせる。


時間は絶えず流れ続け、抗うことは許されずに進むだけだ。

実際、俺もそうやって大人になった。

可愛い実妹である美生だって、可愛い弟分であるオミだって、可愛い妹分であるMIOちゃんだって作ちゃんだって、そうやって大人になっていくのだろう。


こうして揃える時間は後どれ程か。

作ちゃんは口に出したが、それはちゃんと四人で話し合っているのか。


揃った足並みが乱れて、分かれ道に立つ。

そんな四人の頼りない背中を思い浮かべて、俺は馬に蹴られるくらいなら、なんてことはないはずなんだよなァ、と思う。


俺は静かにオミの頭を撫でた。

振り払われはしなかったが、無反応もそれはそれで悲しいと知って欲しい。

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