千の眼
目覚めて自分の横に誰か居たら、あなたはどうしますか?……相手次第でしょうが。
暑い。暑い……物凄く暑い。
それはそうだ。一人用のベッドに二人で寝ているからだ。だが、相手の肌は程好くひんやりとしていて、それだけは暑さを忘れられるのだが、
「……」
俺は無視する。
「……、……」
俺は無視する。そりゃそうだ。
「……」
たとえ耳たぶを白く細くしなやかな指で掴みながら、
「…………?……ッ!」
囁くように呟こうが、なぶるように執拗に繰り返そうが、
「……はぁ、はぁ……。……ねぇ、いつ目玉くれるの?」
……嫌なものは嫌なんだ。あともう少し色っぽく言ってくれ。そんなんじゃくれてやる気も出やしない。その代わりに……もう少し優しくしてやるから。
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……よくある話だけど、寝付けなくて何回も寝返りしていると、意識は覚醒しているのに、身体を司る神経は寝ている状態になるからか身体が動かなくなるように錯覚する、所謂金縛り、って奴だ。
やっと首だけ動かせて、傍らを眺められるようになり暗い中、枕の向こう側をつい見てみる。すると、俺しかいない筈のアパートの寝室に、
「……やっと気付いた。おはよう、いや、こんばんは、か?」
……女が居た。
彼女の居ない大学生、しかも酔って上がり込んでくるようなフランクなガールフレンドが出入りするような環境でも境遇でもないし、間違っても隣の部屋とかから侵入しても来ない。お互いにどんな奴が住んでるか知らない程だし。
「……まだ寝惚けているのか?……さっき見かけた時は随分とこちらを観察していたのに」
……バレてたか。そりゃそーだ。深夜のコンビニのアルバイト、楽しみなんて来店するお客さんを観察する程度しかない。全箇所に監視カメラが設置されていて唯一の非監視箇所はお客用トイレの中だけなんだし、本やスマホも見られやしないし。
そんな環境で、帰る直前にやって来た彼女の容姿は……強烈の一言だった。
短めの黒髪は自由奔放にあっちこっちに行ってるけれど、染めたこともパーマしたことも無いような健康的に艶やかで美しく、前髪はわざと長く垂らして顎の前まで伸ばしている。でも、それより更に眼を引いたのは……化粧っ気なんて全然無いのに朱の刺した目元、すっと通った形良い鼻筋から流れるような唇と顎……いや、全体はやや開き気味ながら美しく整った耳朶周り……つまり、つまり、つまり……、
……眼を奪われた……そう、一目惚れだったんだ。
だが、その容姿は首から下に問題があって、見た目のスタイルはいいのに何故かだぶついたTシャツとランニングパンツの上下で、しかも中学辺りの部活関連を思わせる単語が散りばめられた奴。そして手首から二の腕、首もとから鎖骨周辺、腿から足首に至るまで包帯で覆われていて……そう、痛々しい格好だったのだが、その手首周りに何筋かの赤黒い線が浮き上がり、俺はリスカか何かの痕に見えたのだけど……、
……ちらり、ぎろ。
……赤黒い線は唐突に膨らんだと思うと開き、そこから眼が現れて俺を見た。
「……こちらの商品は別の袋に入れますね?」
「……ぅえ?あ、あぁ……ありがと……」
……だがしかし、俺にとっては、彼女がレジに持って来た生理用品を紙袋に入れてから、別の袋を用意して入れることの方が大事だった。
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「……なぁ、普通はあんな風に睨まれたら、悲鳴の一つでも上げないか?」
彼女は俺の視線(眼に気付いた方だ)により、妖怪変化を感知出来る体質だ、つまり付け入る隙があったから容易に忍び込めた、そう打ち明けながら肘を立てて頬杖をついた。
意識的にそうしてるのは明白だろう、お陰で胸の谷間が腕の間から丸見えで、さっきのように自分を取り込もうとしている様子がありありだったので、放置した。
「……知らないし、そもそもどこから入って来たんだよ」
「……百々目鬼なんだから玄関だろうと窓だろうと関係ないさ。あと窓の一部にガラス切りで穴は空けたから先に謝っておく」
「……弁償する気は一切ないんだね」
一応確認してみると、確かに台所の小さな窓に、針金一本分の小さな穴が空いていた。取り合えずペットボトルの切れ端を捩じ込み透明なテープを貼って応急処置……って何やってるんだ?俺は。
「で、何しに来たの?夜這い?」
「……性欲が溜まってるのか?……嫌いじゃないけど、もう少し雰囲気を作ってから誘って欲しいぞ」
敢えて言ってみたのに、軽く交わされた。妙なものだけど、一度こうして相手の正体が判ってしまうと全く恐怖を感じない。いやそれよりもテーブルに置かれた袋の中身、さっきのプリンとチューハイと生理用品だよね?
「……食べる?」
視線に気付いた彼女は身を起こしプリンを手に取り、蓋を開けてスプーンで掬って一口勧めてくる。
俺は無言で首を振り、部屋の明かりを点けた。
そうして改めてやって来た侵入者を見ると、全く恐怖を感じないどころか、ただ普通の女友達のような感じで当たり前のように部屋のテーブル脇に座り、スマホを眺めながらプリンを食べていた。……何和んでるんだ?コイツ。
「聞いてもいいか?」
「……メアド交換する程の間柄じゃ、まだないからね?」
プリンで間接キスになりかけても気にしないのに、アドレスは絶対死守したいらしい。この妖怪変化は現代的過ぎる。
「何しに来たの?」
「あ、忘れてた。目玉を寄越せ」
「……はい?」
「うん、目玉を寄越せって言ったの」
「……アイバンク的に?」
「いや、角膜移植に協力してくださいな意味じゃないし」
「じゃ、廻れ右して玄関はあちらですお疲れ様でした」
「無~理~!い~や~だ~!目玉を寄越せ~!」
コイツ、スマホから眼を離さずに俺と押し問答しやがる。なのに、目玉を寄越せとか意味が判らん。
「……何で俺の眼球を食べたいとか思うの?旨いの?」
「そんなキモいことしない。私はアンタの目玉を貰って、代わりにこれをやれば妖怪変化から人間になれるの。だから、寄越せって言ってるの」
そう言って掌を広げると、お約束の目玉がギョロリと睨み付ける。……うわ、コレ……出ると判っててもビビるわ。
「それ、痛いの?」
「わかんない」
「やっぱり廻れ右をして玄関はあちらですお疲れ様でした」
「無理。だって眼が見えるヒトじゃないとやり取り出来ないんだもん」
無駄に冷静な態度でフランクな口調を維持しつつ、プリンをつまみにしてレモンチューハイを開ける彼女。あ、そーいや名前も聞いてない。
「その組み合わせ、旨いの?あと名前は?」
「……あんまり旨くなかった。名前は【どっさりプリン・270グラム】。あと名を聞くなら先に名乗れよ若者よ」
いやプリンの名前じゃないから。それにどう見ても同世代じゃない?
「あーはいはい、岡本昇太郎です。高校の時のあだ名はオカショーでした」
「ありがちなあだ名だね。彦野ショウ。高校の時のあだ名はヒコショーでした」
「ショウ?何て書くの?」
「合唱コンクールの唱……珍しいでしょ?当て字のキラキラネームと勘違いされてよく悩まされるわ。いい迷惑よね、流行の名前なんて」
「……いつから妖怪変化になったの?」
「……一年前。大学に行ったら取り憑かれた。見えちゃったから仕方ないよ」
何でも校舎の片隅に泡みたいなのが湧いていて、足先でつついたら一撃で取り憑かれたらしい。好奇心は猫をも殺す、だな。
「で、色々と判るようになったのが一週間位前から。別にひとっ跳びで屋根より高く跳べるわけでもないし、怪光線も出せないけど、見える景色は変わったかなぁ……アンタの後ろに幽霊立ってるし」
ガバッと振り向いてみても、何も見えなかった。安堵して彼女を見ると爆笑していた。ムカついた。
「ランニングパンツ捲れてパンツ見えてるよ」
「……あはははは、はぁ……別にいいもん、減るもんじゃないし」
ひとしきり笑った後、いきなり正座して土下座しながら彼女が言った。
「お願いします、目玉をください」
丁寧な土下座に心を動かされつつ、平常心を保ちながら土下座し返し、
「お断りします、欲しかったら彼女になってください」
俺は一目惚れした妖怪変化に、とりあえず交換条件を提示した。
「……え?」
「夏休みの間、彼女になってくれて、一生一緒に居たくなったら目玉をあげる」
「……一夏のお試しかよっ!!」
軽いノリでやり取りしたけれど、こうしてヒコショーと付き合うことになった。もしかすると、千個目を渡す羽目になるかもしれないけれど、一緒に居て不便そうに見えなかったら、別にいいかもしれない。就職活動に有利にならないかな。
作者ならこんな妖怪変化だったら嫁候補即認定。だって面白そうだから。全く怖くないホラーですので夏のホラー不参加です。