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JACKET……レギュラー作品 TUNIC……課題作品

すべてをつなぐ銀河

 滴は大粒だった。

 それがときおり背やしりももや腕や後頭部やと、まだらに落下して肉体の背面を打った。


 パシャン…………パシャン…………


 はだに触れ衝撃でそれらはことごとく弾けて。そしてどろんと粘らせて飛散する。

 うつぶせに、裸で、私は伏していた。

 雨漏りの他にも、音。

 ちょろちょろと……微かな響きで鳴るものがある。壁と床の面いっぱいに細かな襞があるのだと気づいていた。それらをみぞにして液は流れている、恐らく天井にも……

 私はもはや覚醒していたが、しかし寝たふりを続けていた。特に意味はなかった、覚醒に向かう意識を、心地よい夢うつつの状態に戻したかったくらいで。

 記憶をたどる。どこだろう、ここは一体。

 音響だけが忙しなくて、うらはらに安穏をもたらす静謐の音楽とも感じられる、小川のような快い耳ざわりで。

 わずか六畳ばかりの密室……立方体とかれた空洞に私は居た。

 私の肉体を囲う六面は、みな同質の素材で出来ていた。というのも、それは細胞であり、しかもある特殊な生物の内壁たる肉製の密室だった。

 ただ、不思議とそれは運動性に欠け、膚を打ちつけるただひとつの変化を除けば、単なる建造物だといったほうが良かった。

 ここはまったくの密室であることがわかる。出入り可能なわずかな節穴もなくて。

 青から緑に掛かった色彩で統一されている、微妙な揺らめきに描かれた美しいグラデーションだった。錆びた青銅の色合いと陰影はひと目に雅で麗しい。

 密室、まして奇妙な肉の内壁に、どうやって私は閉じ込められたのか……


 意識は目覚めより始まって、記憶をたどることで現状を整理する他に術はなかった。

 最後の記憶……最後の…………。曖昧、思い出すことはない。はっきりと最終的な情景と呼べるものがない、というより、すべての時間が合わさったように一挙に押し寄せてしまう。記憶障害というものか?

 それに、最前の記憶、否、むしろ全体的に記憶の齟齬をきたしている。

 私が私、という認識……それが何か、なんて解らなかった。ただ、そんな問答が馬鹿らしいことだと解っている、だから、考える必要はなかった。


 渦…………


 ただひとつ、確実なイメージだけ、あった。

 その奥を覗こうとすることは狂気の沙汰だった。私は、ただその手前に渦巻く運動の様子を見ていればよいのだ。

 それはつまり、宇宙に広がった無数の銀河の顕現だ。

 微細な粒子で、灰のような色をしてグルグルと渦巻くのである。私はそれを見ているだけで満足だった。


 グロテスクな青緑色の粘膜の内壁に裸で俯せに横たわる私。密室の空気は熱く渇いていた。触れている床面だけ、ひんやりとして心地よい、目覚めて数分経つはずであるが、動く気になれなかった。

 覚醒しきってしまえば時間は通常のスピードで流れてしまうだろう…………今は引き伸ばされた時間のなかで、一瞬の知覚でも、数時間経っているような気がするのだ、つまり夢の時間感覚のように……


 パシャン…………パシャン…………


 それはやや高めになる天井からふいに現れ、こちらを覗く……それから落ちる、一連の挙動をひしと感じている……落ちたのは眼球だ、手のひらにちょうど収まるくらいのゼリー状の球体、つまり巨大な眼球。

 

 パシャン…………パシャン…………

 

 パシャン…………パシャン…………


 このリズムだけが際限なく続いていた。

 私はこの場所で目覚めた。私はどうやってここへ生まれたのだろう……あの眼球のように、この肉の地面へ落とされたのだろうか?

 はたまた、何らかの驚異的な方法で、この完全密室に運び込まれたのだろうか?

 この謎と命題が、私の抱えるたったひとつの意識だ。もはや、ここに息づく以前の意識の捜査や、ほかの些末な目的や行動など、考えるまでもなかった。  

 たった一点をのみ、考えていこうではないか……

 私はなぜここにいる?


 パシャン…………パシャン…………


 眼球はそれ自体単独な生物らしかった。突如天井に現れ、その球面はじわじわと不気味に向きを変え動いたりしているが、青銅色の肉を破りきり分離していく段階では、神経管のない完全な球体となり生み落とされるからだ。

 床に衝突して分散する眼球の飛沫は一部黒色に焦げ付かせているもののほとんどは白色にこびり付いて床を汚していた。


 パシャン…………パシャン…………


 意識がだんだん明瞭になるにつれ、床面が落下の衝突を受けるたびにひとつの厭な感触を呼び起こすようになった。床の肌を叩く時、私の肉体のどこかに、軽く平手打ちをされたような痛みがもたらされるのだ。

 それが、完全に床の刺激のタイミングと一致していると見いだし、いよいよ不快さは溢れてしまった。思考停止するほど大きな痛みではなく、意識にのぼるかのぼらぬかほどの微妙な痛さだった。それらがひっきりなしに続くのであれば痛みも増すうえに陰鬱な気分が覆い被さってとめどない。それほどに落下と衝突は頻繁であった。


 無秩序に床汚した粘着物をじっと見る、奇っ怪な、おぞましい現象が沸き起こる。汚物のなすわずかな稜線に微量ずつ、じわじわ絶え間なく、渺渺びょうびょうたる命が産まれうごめくは、うじゃうじゃと蛆のごとくに。見すえれば、それは小人ともとれた。

 不完全ではある。四肢を垂らして二足歩行の生物だった。それは一二歩いてたちまち崩れ落ち、死の間際白い煙を立て消えていく。

 海と雲雨のような循環であろうか? いずれにせよ異様で気味が悪い……


 恐る恐る、私は動く覚悟を決めた。このままでは脱出できぬまま衰弱していくばかりだろう。

 起き上がり一歩を踏み出す……平気だった……もう一歩……平気だ……ただ、一歩一歩ごとに、体の一部を、どこかしら緩やかに圧迫されているような感触が気に障った。


 壁面にたどり着く。床と同一の素材であることは見てとれる、凝視すると細かく走った筋が幾筋も。青と緑のしきいに並ぶ様々なおぼろな色合いの肌は艶やかな光沢、筋には液が湛えられ上下に昇降していた……。引き締まって見えるが、内奥へ見定めれば柔らかな素材に造られることを知らせるようでもある。

 私は壁面に魅され、惹かれた。何気なく。

 無意識。突き立て、壁の肉へ、指を突き入れようと……

「はっ……」。衝突は連綿たる意識を裂き濃密なもやとて期せずして茫漠と広がっていき……「う……うがぁああああああ…………」

 激痛! 一瞬内部へ到達した指、すぐに表面から弾き飛ばされて。

 頭蓋骨の奥の奥、脳の深部にすら届いたほどの苛烈、濃縮された疼痛とうつうが。

 突きつけられた衝撃に耐えられずに床をのた打った。痛みは数分でようやく収まっていった。地獄の蜿蜒えんえんだった……

 動悸はまだ収まらず。触れてならぬ……禁忌へ踏みこんだのか? まさか。あの壁面と、脳髄のどこかが、痛みによって結ばれているとでもいうのか………

 考えてはならぬ、考えを遠ざけるようにと、知らず知らずに駆り立てる。混迷の渦中に私は壁面を見る。


「あ……れ…………?」


 眼球が躍り出て! それは睨んでいた、どういう意図か定かならずともとにかく私はそう、直覚していた。 

 それから眼球は、ギロリと視線を斜交いにずらしていき、ちょうど対角線のあたりではたと止めた。

「何なんだ……あ、あれは……」


 ナイフ!


 あんなものが転がっていたなんて、気づきもしなかった。その場所へと。

 驚くほどに変哲もない、ありふれたナイフ。かなり上等な、肉や骨まで断てるであろう切れ味まざまざたる狩猟ナイフであった。

「なぜ、このような日用品が。こんなワケのわからない密室に……」

 この取合せは、閉ざされたこの異質さを益々際立たせるので恐ろしくて。


 しかし……


「切り裂いて進め、とでも云うのか……この、巨大な肉の壁を」

 強烈なうずきがよぎってしばらく震えていた、頭蓋の内奥の更に奥まった深い渓から湧く凍るほどの疎ましい不快感が血流に運ばれているような…………


「それでも……」


 私は覚悟を決めて、近い壁面に、ナイフを突き入れた。

 感じたことのないような感覚以前の感覚、何であるのかまったく計ることのできない感覚。理解不能と云わざるを得ぬほどの純然たる、それは無感覚であったか……

 刺さったままのナイフのハンドルをじっと眺めしばらく、私は更に、突き入れたナイフを真横に向け滑らせた……


 見事な切れ味だった。しかし……


 白い。それがすべてだ、硬質な、極限の、無……だが、氷解とともに峻烈な憤懣ふんまんが溶けだして体中を巡ってゆく……憤懣は悶絶と融け合って押し寄せるばかり、すさまじい速度で駆け、脳髄の隅々まで歪で灼熱の棘流れて、流れは頭蓋で跳ね返ってはやがて源流へ。「ああああああああああ……」重たさが内側へ肉を穿つ、ひずみが残虐にえぐり直進し、激痛右の胸から連なって腰部まで襲いかかった!


 肉の壁。

 青銅色の膚からドクドクと赤い血液が垂れ下がって……

 そして!


 痛みの宿る範囲が非情な甚だしさに裂かれてい、深い掘進くっしんに血液は無抵抗に流されるだけで……脂肪や肉や……あろうことか骨や内臓までもがおどろおどろしく剥き出しになって……

 私を包んだ密室、方形に窪んだ肉体は……私の肉体と同期していると判明していた…………


 私は手負いの右を押さえてどうにか堪えた。ここで諦めては。

 痛苦に耐え、肉塊に立つ刃へ手をかけた。

 神経が鐘を殴る、バチバチッと精密に痺れつくして末端まで……「うあああああっ」、みるみる抜けゆく精。破り裂かれた病巣、ズンズンと激化して疼きは動悸と見紛うほど加速度上げて。壁と肉内奥のはり

 更なる力を込め。足は踏ん張り鷹揚な裂け目の縁へと滑りこむ、顔は弾頭、奥へ奥へと目掛け。白が、氷解が果てなく、連鎖的に行き交う素振り、循環を仰せて。

 皮肉な怪我の功名だ。壁漏らす血液のおかげで体躯はするすると吸い込まれていくようだ。

 しかし。

 切り口に阻まれ結局は抜け道の途中につかえるのだ。


 静謐。


 じわじわ壁の内部を岩清水のように血液が染み出してはとろとろ流れている、尖鋭なまばゆい色彩の涙は寂しげな鉄色くろがねいろの深い味わいへと滑り、纏わって、私の内側に赤黒く爛れた断崖もまた同じであった。大袈裟に警戒色は目を射るので恐怖は否が応でも示されていた、肉体を境目にして内から外から私を侵す血液……迫る!

 このままでは、いかん。

 引き返すしかなかった。失血死を考慮して、少しでも生き長らえる選択を採らざるを。


 再び、青銅色の世界。完全な脱力で。


 立方体の鮮麗は詰め寄っていた。追跡が眼を閉じて、なお。深層よりけざやかな襲来、世界、眼球からの闖入は止まず。

 通常の意識から遠ざかっていくしかなく、拮抗する精力など残るはずもなく……涼やかに燃え立つ絡みついた青銅の閉塞で、私は、夢の域へ横暴に墜とされていく不可抗力感覚が、最期、の瞬刻に招かれ今や達さんとするを受け入れるほか無かった…………死は間近に迫るか……閉ざされた異様に起こされ、落とされた私という畸型の生命……このまま……何も分からずじまいで死んでいくのが……運命という非情な選択肢なのだろうか……

 ああ。このままでは終わりたくない……ここは一体どこなのだ……ここは宇宙より……隔絶された、部屋。このような部屋、一体どれほどの意識が……生命が……存在が果てていったというのだろう……

 ここはつまり……存在の……存在による……存在という名の牢獄だ……そう……ここは……自分たる意識……存在たち……それは魂の果てなき連綿……精神の涯てぬ絶望。沈痛な、悲喜劇ドラマという名の、地獄だ。


 そうか。


 魂の迷宮……その節々に刻みつけられた精神の自動律リレー……私がこの肉塊の焦眉しょうびに落とされたのは、廻蛇ウロボロスの永遠なのだろう。


 よって始まりも溶けてなくなったのだ。

 だとすればすべての鎖を断つ時が来た。

 それを果たすのだ。それが私の理由……


 ナイフ……部屋の隅に転がったあのナイフ……その意味がやっと理解できたのだ。あれは……あのナイフは……この、肉塊の壁を断つという意味でここ肉の地に生まれたものではなかった……そうではなく…………


 つまり!

 私はあのナイフで、自ら命を絶つことで、この永遠の枷鎖かさからの呪縛を解く! その為 あつらえた誕生の布石。

 この因果から逃れる、はじめての精神なのかもしれなかった。

 それは永遠の生なのだ!

 私は、肉塊に落とされたという、愚にもつかぬ残滓を打捨ててしまうのだ。つまり、たったひとつの生を、死、というたったひとつの手法で。すべての永遠へと通ずる……永遠の生を手に入れる! このナイフで!


 動悸…………剣身はギラと光沢し肉の青や緑を美しくい交ぜた。

 恐怖心。しかし、私は既に永遠の生へ続く輝かしき爾後じごの未来に取憑かれていた……恐怖は一掃された! しかして……


 ギゥチィッ! ギチ……ギチ……ギチ……ギチチ……チ…………


 鋭さは内奥まで深々、えぐえゆきて……私は幾許いくばくもなく意識を失い……しかし……すなわち永遠の生へと、生まれ変わってゆく…………


「   」


 何から何まで解悟げごしてしまった。それは冷淡な……であるが故……圧倒的理路整然たる……ひれ伏すほかはない……唯一の未来で…………

 鋭いナイフで自殺を試みている……肉を臓器も神経血管見事なまでの。

 私はじき死ぬ。臨終。眼球に写って。恐るべき……未来……運命の解答…………


 それはまさに、私が今突き刺し引き続けているナイフと同じ形状であった。

 ただ、大きさだけは違っている。

 つまり、巨大な、拡大されたこのナイフが、私の視線の先、肉塊の壁、青や緑の肉の肌、外側から侵蝕して、河原の岩のように肉塊の流れを綺麗に分かたせ移動した…………

 動きは、完全に、私のなすがまま……私の動かすナイフと、視線の先、肉塊の壁割いたナイフの動線は完全なる同期をなしていたから…………

 詰まるところ、同一人物による運命の同期。

 私は全て解悟した。


 サラサラと灰色をした婉麗えんれいなる粒子はくろがねの渓間よりおびきいった。見れば灰色でなく無上の純白で、止めどなく渦巻いた。


「銀河…………」

 最後の力で呟いた…………


 サラサラと渦巻く……宇宙の銀河。

 嬉しかった。死の間際、こんな美しいものを見れた、誤答のすえの、望まざる未来に向かいゆく私の運命において、たったひとつの光輝であったから。

 死ぬのである、永遠の生を手にすることはない。だが、答えを知れて良かったと思う。

 私はある種の肉塊の壁だった。つまり、この肉塊の壁の向こうは、もうひとつのより巨大な肉塊の壁の立方体だ。今やっと、わずかながら見通せた裂け目の奥に捉えていた。

 そして、その内側に……もうひとつのより巨大な私が立っており、それは私のようにナイフを自らに刺し入れ佳境を迎えるのだろう……もうすぐそれは幕を閉じる。

 加えて、私は私の内……私と同じ私……私を縮小した私と……縮小された肉塊の壁を感じている…………

 永遠に……肉塊の壁私の連結が……無限になされているのであり、内へも……外へも……末期まつごのない入れ子とて重層していく…………

 肉の壁である私……私である肉の壁へ……ナイフを立て…………


 朦朧としている……もうすぐ死ぬのだろう…………


 すると。

 目の前に渦巻き続けていた宇宙の銀河の数々が……ナイフにより穿たれた私の肉の内へ………私の深層……入れ子なす内奥の内奥へ………サラサラ端麗な線とて結ばれて永遠に連なっていくのを感じていた…………

 そして……視線に永遠もたらして最奥を探るほど広がってゆく……肉塊の断崖越えた奥の奥へ……銀河線の……無限の……永劫の連なりを……私の最後の風景は……描いてくれていた…………

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― 新着の感想 ―
[一言] 読みました! 「身体の外側にある身体」ですね。確かに、身体が1つだけであるのは、ただの偶然なのかもしれません。そして、この小説の場合、「身体の外側にある身体」によって閉じ込められていることに…
2015/08/17 23:52 退会済み
管理
[一言] おお、無限に続く合わせ鏡を見つめているような心持ちになりました。 あるいは、幼い頃に宇宙の外側には何があるのかというのを真剣に考えて吐き気をもよおしたことがあるのですが、その時と同じ感覚。 …
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