大切なのが何なのかわからなくなった少年の噺
初投稿です!
見辛い部分もありますが見てもらえたら光栄です!
また、誤字や脱字などがありましたら教えていただけると幸いです。
よろしくおねがいします!
僕の母は元々体が弱かった。
母は僕の学校の行事に参加したことがない。
いつも、「ごめんね」って謝ってその日はずっと家で寝ているか病院に行っていた。
僕もそれはしょうがないと思っていた。だから無理に責めたりはしなかった。そしてまた、父も行事に参加してくれなかった。父は大手会社の取締役という大きな業務あり、仕事が忙しく来てくれなかった。
入園式も、卒園式も、入学式も、卒業式も、体育大会も、合唱コンクールも…。全部来てくれなかった。僕はそのせいで色々言われたりした。
「お前のとこ誰も来ないんだな」とか「かわいそうだね」とか、色々言われた。僕はそれが嫌だったというより恥ずかしかった。
学校でもらった行事のプリントを母親に出しては毎回「絶対来てね」と言ったものだ。そして母親も「絶対行くわ、体調管理をしっかりする」と言った。だがやはり当日は来ないのだ。やがて僕はプリントを出すのをやめた。行事の話もしなくなった。だが、母親はどうせ来ないくせに「行事は?」と聞いてくるのだった。僕は知らないふりをした。あまりにしつこいときは激しく怒鳴り散らしたこともあった。それでも母親は聞いてきた。僕は無視をする。その点、父親は行事に無関心だったため迷惑ではなかった。やがて、僕と母親と父親は一言も話さなくなった。父親は仕事を優先し、家に帰ってこなくなった。母親は寝室生活か、入院生活が主要となった。一応見舞いには毎週行った。そのとき母親は「ありがとう」と言ってよく笑った。だが、僕が部屋からでると表情が曇る。きっと、もう長くないこと自覚してるんだろう。母親の元々の病気は心臓病。それだけならまだ生きる望みはあった。だが、肺癌も患ってしまったのだ。そのせいでいつも咳をしている。咳をすると呼吸困難になり過呼吸になる。そのため、家に帰ってきても気が気ではなかった。僕はそのとき高校1年生だった。本当は部活に入りたかったし、放課後友人と遊んでもみたかった。だが、僕には母親の世話があった。せっかく高校生になっても結局は中学の延長戦、あるいはただの学ぶ場所になっていた。そんな生活が嫌だったので僕は高校をやめた。母親の容態はどんどん悪化していく。母親はいつも来てくれなかったけど、家の中でたくさんの愛をくれた。だから僕が今度は返さなければいけない。
だが、16年間分を返す間もなく母親は帰らぬ人となった。
父親とは葬儀で3年ぶりにあった。父親は何事もなかったような顔で「迷惑だな」と言って会場を出ていった。僕はそれがたまらなく悔しかった。どうして、こんなことになったのか。どうして母親は死んでしまったのか。僕はそればかり考えた。そして僕は母親と暮らしてきた家の中だけで一日を過ごすようになった。買い物は母親の妹がやってくれた。だからわざわざ僕が外に出る必要はなかった。
そしてその2年後。僕が19歳になったとき父親が突然他界した。死因は過労死だったらしい。母親が死んでから気が狂ったように仕事に没頭し始めたそうだ。仕事場に一ヶ月間いることも度々あったそうだ。
父親の葬儀の場で、父親の兄を見かけた。目は疲れきっていて、どこを見ているのかわからなかった。
そんな父親の兄にいきなり頬を叩かれた。
「お前は一体親の何を見ていたんだ!お前のせいで弟は…!」と叫んで。すぐに父親の兄はお嫁さんに外に引っ張り出されていった。
僕が殺した?父親がそうなら母親も?僕がみんなを殺した?
僕はそこで気を失って気づいたのは翌日の昼間だった。
ここは母親が以前入院していた病院であった。
周りにはたくさんの医師がいて「大変言いにくいが…君は閉鎖病棟に移ってもらう。」と僕に言った。
それに、気づけば手と足が拘束されている。僕はガタガタとベッドをゆらす。だがいっこうに自由に動ける気配はしない。
僕は「どうしてですか!?どうしてですか!?」と嘆いた。だが、何も言わずに医師たちはベッドを動かし閉鎖病棟のなかにいれる。
そして自分の部屋につくと医師たちは出ていき鍵が閉められた。
僕はどうにかしてここから逃げようとポケットのなかに入れておいたスマホを体を動かして取り出した。
すぐにコミュニティアプリを起動させて幼馴染みや友達に「たすけて」と文字を打った。
幼馴染みからはすぐに返事が来た。でも、助けてくれないような内容だった。「私が助けられることじゃないと思うからごめん」って。友達は全員既読無視だった。
僕は涙を流して目を閉じた。そして「僕には家族も、友達も、大事な人もいないんだ」と呟いた。
だが、それが僕の最期の言葉になるなんて思わなかった。
僕が目覚めたのは午前3時のことだった。なぜか、起きた瞬間から吐き気がして目が回った。僕は必死に助けを呼ぼうとした。だが、声がでなかった。そして、また僕は眠りに落ちた。
僕はこんな夢をみた。
これは小学生の頃かな?
僕が走っている。それも必死な表情で。あぁ、そっか。確かこの時母親が倒れて病院に搬送されたとかで学校に連絡があって、僕は先生の話も聞かずに学校を飛び出したんだ。
あのあと母親にも先生にも怒られたな。
あれ?次は中学生?
あぁ、僕の誕生日だ。この日は父親も仕事を休んで祝ってくれたっけ。母親は体調が悪かったはずなのに僕の大好物のオムライスを作ってくれたなー。美味しかったし幸せだった。これは14歳の時だったから中学二年生か。あと三年後には母親は死んじゃうんだよな。
あっ、次は高校生だ。あぁ…母親が衰弱してる頃だ。この時はまだ高校に行ってたんだよな。次の試験の勉強をしながら看病してたんだ。あのときはとても辛かった。父親もいなかったから余計に。何もかも自分でやったんだ。
ん?最後に…あれ?この子誰だっけ?会ったことはないけどとても大事な人だ。何だか温かい。さっきまであんなに冷たくて辛かったのに、今はとても幸せだ。
母親の声がする。僕を呼んでいる。
今行くよ、母さん。
やがて鮮明に母さんの姿が見えた。隣には長い髪の女の子がいる。それはさっき誰だかわからない子だった。その子はこっちにきて「初めまして、お兄ちゃん!」と言った。僕は大体予想がついた。この子は僕が中学三年生のときに母親が妊娠して、でも胎内で死んでしまった僕の妹だ。
そっか、もうあれから六年たったから六歳か。生きてたら小学生なのか。僕は妹の頭を撫でて「初めまして、僕の妹。」と言った。妹は無邪気に笑った。母親も微笑む。
僕は思った。ずっとここにいたい。
でも、だんだんとさっきみたいに母親と妹の姿が薄れていく。
そして、父親の姿が見えてきた。
父親は僕に「ごめんな。なにもしてやれなくて。兄さんの件もごめん。お前は何も悪くないのに、全部俺のせいなのに。」と謝った。僕は許す気はなかった。でも、必死に謝る父親の姿を見て(もういいや)と思うようになった。僕と父親は握手をした。そしてその手も見えなくなった。
僕は暗い中に一人だった。そして、叫ぶ。
「僕は幸せだった。いつも独りだと、孤独だと思ってた。でも、違ったんだ。僕はみんなに愛されて、思われて、大切にされてたんだ。こんなにたくさんの人がいるんだ。僕を嫌いな人もたくさんいる。でも、愛してくれる人がいるだけで、それはとても大きなものなんだ。ありがとう、ありがとう!」
僕は拘束されたベッドで目を覚ます。
僕の横には僕を見捨てたはずの幼馴染みや友達がたくさんいた。
幼馴染みは「ごめんね。昨日のメッセージ。あれ、いつものふざけかと思った。でも違ったよね。だって、あのあとたくさんメッセージ書いたけど既読つかなかったもん。ごめんね。」と謝り僕の手を握った。
既読無視した友達は「ごめん。俺な、お前のこと信じてなかったんだ。家族を理由に全部断ってきたお前を信じられなかった。昨日もそうだった。でも、お前いつもタイムメッセージ投稿してるのに昨日はなかったからマジなんだなって。本当ごめんな。」と僕に深く頭を下げた。
僕は「いいんだ。もう。これから、また僕をしんじてくれればそれで。」と言った。
そして、友達が「今手錠外してやる!足も!待ってろ」といい色々な工具で壊していった。
幼馴染みは「この窓なら私のパンチで割れるかなっ!」と言ってニコッと笑った。
そして、いつのまにか僕の体は自由になっていた。そして幼馴染みは窓を割り外に出ていった。僕も出ようとした。だが、ずっと拘束されていたせいか、体が思うように動かない。それで、ずっとベッドに座っている僕を友達はおんぶして出ていった。
その時見た空はとても青かった。
幼馴染みと友達は「お前さ、背負い込みすぎだよ。もっと気楽に考えろ!」と同時に言った。
僕は久しぶりに心から笑った。
「ありがとう!」と言ってまた上を見上げた。
それは、ただ空が見たいだけではなく、涙を流したくなかったからだと思う。
母さん、父さん、妹。僕は今大切な人たちに支えられて生きているよ。
そして、これから僕はその人たちに恩返ししなきゃいけない。だから多分そっちにいくのはまだまだ先のことだと思うんだ。
それまで僕を見守ってください。
今までありがとうございました。
僕は心のなかで呟き前を向いた。
もう、下は向かない。前だけ向いて、大切な人たちをこれからも大切にするんだ。
さようなら、前の僕。初めまして、新しい僕。
お見苦しい小説を読んでいただきありがとうございました!
今回の作品の良いところ、また直した方がいいところを次の作品に生かせるよう努力して参りたいと思います。
本当に読んでいただきありがとうございました!
次回作にこうご期待を!!