ゲリラ豪雨のおくりもの
いつものように駅の改札までやってきて、呆然と立ち尽くした。
大雨の影響で運休するというアナウンスが繰り返し流れ、これから改札を抜けようとする人と、ホームから引き返す人とでごった返し、振替え運行の証明書を求める人たちが駅員のいるカウンターには行列を作っていた。
平時なら発車時刻を知らせる電光掲示板には別会社の路線図画表示されていた。京王線は前線赤色で、JR、小田急線で代行するようにとの指示が点滅している。
到着した矢先で自体の飲み込めていない乗客たちがそ知らぬ顔で改札を抜けていくと、マイクを持った駅員が運休してるため引き返してくださいと声高く指示を飛ばす。もう一度PASMOを当てれば戻れます、なんて何のサービスだよとうっすら思う。その知識が増えたら止まってる電車が動くのかよ。というか、聞いていればトラブルが起きてるのは新宿の信号で、だったら区間限って運行すればいいんじゃないかと反感を覚える。
思考停止してたのは5分ほど。俺はPASMOの残金がないことを思い出し、自動券売機に足を向けた。
通学用に定期は買ってあるのだが、券売機の前を横切ってエレベータまで伸びる列に並ぶ気はさらさらなかったし、こうと決めたら即刻行動に移すのがもっとうだ。
とりあえず、1000円をチャージすると来た道を引き返した。
「JRで町田、そっから小田急に乗り換えて……」
振り返り際に伝教掲示板の路線図を視認する。小田急も大幅に遅れているというアナウンスが努めて意識の隅に追いやった。
「ったく、なんでこんなときに限って……」
平時同様、改札に向かう人並みを遡りつつ、思わず舌打ちがもれた。
今日は留学のためオーストラリアに向かう彼女を見送りに行く予定だった。
彼女は大学生にもなって見送りされるが恥ずかしいのか、しみじみとした雰囲気で分かれるのが苦手なのか、俺が見送りに行くのを嫌がった。柄にもないことをして、と言っていたし、俺自身、たかだか数ヶ月間外国に行くだけに見送るなんてがらじゃないと思う。
けど俺も、存外センチだったらしい。来週には出発すると聞いたとき、気づいたら見送りに行くと申し出ていた。
「間に合うか……?」
刻一刻と過ぎていく時間にあせりながら、JR側の改札を通り抜けた。
彼女と出会ったのは高校2年の頃だった。
1年のときからクラスが一緒だったらしいが、話したこともないし、見かけた覚えもなかったから、やはり出会ったのは2年だというほうがしっくりとくる。
期末テストも終わり、友人たちと息抜きがてらカラオケに行く話になった。
カラオケといえば、学割と会員価格で格安のジャンカラに行くのが常だった。その日もジャンカラに行くことになり、道中こそ男むさいと苦笑していたが、歌い始めると大いに盛り上がった。アニソンをかすれきった裏声で歌ったり、ノリノリで音程をはずしながらや針の曲を歌ったり、曲の最中に無駄に前髪をいじって歌い手の前をしたり、二人で熱唱したり、歌が得意でない俺もはやりのJ-POPを何曲か歌った。
ドリンクバーで飲み物を飲みすぎてトイレに立った時、彼女と出くわしたのだ。
隣の部屋から出てきた彼女に、当初俺は同校の生徒くらいに思っていたが、彼女の方が俺に気づき声をかけた。
「あれ、三沢君……?」
ふくよかな声に振り返ってみたが、誰だと目を眇めてしまったくらいだ。
その場は2言3言話して別れたのだが、翌日になって同じクラスの佐伯喜美だと知って、昨日は悪かったとひたすららあやまり倒した。
「いいよ。きっと覚えられてないだろうなと思ってたし」
何度も頭を下げる俺に呆れたのか、喜美は小さく笑って許してくれた。
その後少し話してみたが、どうやら喜美は誘われたのはいいものの、女子グループのノリに付き合いきれず途中退席したところだったらしかった。
「みんなで盛り上がるのは嫌いではないんだけど、なんだか疲れちゃうんだ」
「そういうんもんだろ。はしゃげば疲れる。だから終始騒ぎっぱなしなんてせず、適度に騒いで、適度に周囲にあわせて笑ってりゃいいよ」
「割り切ってるんだね、三沢君は」
「そういうの柄じゃねえだけだよ」
それがきっかけとなって、俺は喜美は付き合い始めた。
休み時間のたびに友達に冷やかされるのとか、連休明けに決まってどこまで進展したか興味津々と探ってくるのが正直うっとうしかったが、だからといって喜美と別れる気もなかった。
昼休みは一緒に食堂で食べ、放課後ファミレスに寄って宿題をしたり、休日はショッピングモールとか公園とかに遊びに出かけた。そうやってほそぼそと付き合いを続けた。
喜美とは別の大学に進んだ。喜美が進学した大学は海外との交流が盛んで、学生の4割は外国からの留学生だったり、外国留学を単位の代わりにできるなど、国際化に力を入れている所だ。
喜美は高校時代からオーストラリアに行くのが夢だと語っていた。グレートバリアリーフとか、エアーズロックとか広大な自然が見てみたいとかなんとか。
入学早々オーストラリアへの留学を決めたときの、喜美の満面の笑みをふと思い出す。
大げさかもしれないが、喜美にとっては晴れやかな門出だろう。留学したから就職に役に立つとか、ツテが増えるとか基盤ができるとか、そんなことはないだろうし、正直彼女が遠くに行ってしまうことに否定的な感情を抱かないでもない。
「浮かれてるな。その調子なら、男の一人や二人できるかもな」
初めて留学の話を聞いたとき、予想していたとはいえ、そんなことを言ってしまった。口にした後で後悔したが、喜美はぷくと頬を膨らまし、俺を睨んで言い返してきた。
「涼っ、なんでそんな冷たいこと言うの! 私そんな軽くないし!」
ばか、と完全にそっぽを向いてしまう。不機嫌に頬杖を付きながら、ちらちらと俺の反応を横目で確認するさまは猫みたいだった。
そんな喜美は無性に愛らしく思えて、声には出さず、がんばれと応援した。
到着予定よりも15分以上遅くやってきた電車に乗り込んだ。
遅れていた理由は大雨の影響で、町田付近にて速度を制限していたためらしかった。
遅れているせいか、俺と同じように京王線から切り替えた人が流れてきたのか、乗客は多かった。次々に乗り込む圧力に背中を押されてどんどん奥に押し込まれる。
町田の2つ手前の駅くらいでアナウンスどおり電車の速度が落ちる。45キロっていえば、車にしたって遅いと感じる速度だ。車窓から見える住宅の景色がやけにゆっくりと過ぎていく。喜美の搭乗時間に間に合わないのは確実で、焦燥が諦観に移ろっていく。
「せめてメールするか」
思い立ってポケット手を伸ばすも、満員の社内ではスマフォを手にするのも苦労した。画面のロックを解除し、メールを打つ間も周囲から冷ややかな視線を感じて居心地が悪かった。
2分とかからず打ち終えたメールは簡素なものだ。見送りに行けそうにないけど、留学がんばれよ。あまりに無味乾燥な一文を読み返し、追記しようか悩んだが他に伝える言葉も思い浮かばず、送信ボタンを押す。
待機中のアイコンが表示され、果たして、一向に送信完了とはならかなった。なぜと画面を見ると、アンテナが圏外になってることに気づいた。
「圏外て……まじか」
思わず呟くと、送信失敗というメッセージが表示された。その後、町田まで画面を眺めていたが、圏外から回復せず力なくスマフォをポケットに戻した。
乗り換えた小田急線も同じような状態だった。下りは15分遅れながらそれなりに電車が来ていたが、上りは当駅どまりばかりで新宿方面の電車がきたのは結局30分くらい後だった。
JR以上に込みこんだ車内で、俺は女性の前に位置した。こちらに越してきてからも満員電車に乗るのは稀で、女性に密着せざるを得ない状況に慣れておらず、内心焦りながら可能な限り体の前にスペースを残し、ひじを曲げて手の平の方が女性に当たらないようにする。もう片方の手でどうにか手すりを掴み、そっと頭を腕に乗せた。
「何してんだろうな」
そもそも喜美に言ったとおり、俺が誰かの門出を見送るなんて柄でもない。本来乗るはずだった京王線は止まり、替わりに乗り込んだJRや小田急も大幅に遅れている。
このまま空港に向かっても見送る相手は空の上だろう。
何のために、俺は朝早くおきて、都心に向かっているのか? 安い青春ドラマのように飛び立った飛行機に向かって、愛を叫びに行くとでも言うのか?
暗い想像が頭をよぎり、瞬間に頭が覚めていった。くだらないと冷静ぶった自分が唾棄する。次で降りて引き返すか、と後ろ向き考えが浮かぶ。
より腕に体重を載せた明記をもらしたとき、ポケットが震えた。
喜美からのメールだった。無題とだけ書かれた件名をスライドさせて本文を表示する。大雨や落雷で電車が影響が出てるけど大丈夫なの、と俺を気遣う言葉の後、数行上げてこんな一文が付与されていた。
『出発の前に涼くんと話したかったけど、しょうがないね』
無言でメールを閉じ、スマフォをしまった。
「何やってんだろな、俺」
呆れたように呟いて顔を上げたときには、気持ちは決まっていた。
ようやく空港に到着つき、壁掛けの時計を探すと、搭乗時間は当に過ぎていた。
最寄の駅を降りてから、ずっと走ってきたため、息は荒れ、意識は朦朧とし、足もがくがくゆれている。汗に濡れたシャツが気持ち悪い。息を吸ってもうまく酸素が廻らない。
しかし、そんなことより喜美だと、額の汗をぬぐうと視線をめぐらせた。
入り口付近や、荷物の受付カウンターには喜美の姿はない。当然だ。搭乗は開始されているはずで、いるとしても2階の待合室か、最悪搭乗口の先に行ってしまっているかだろう。
笑う膝を打ってエスカレータにかけた。自動に上るのを待てず駆け上がる。
俺と同じように友人の見送りに訪れていたらしい男女や、キャリーバックを持ってまさに登場口に向かうビジネスマンなど、さまざまな人たちがあふれていた。
その中で、偶然、俺は喜美の背中を見つけた。
「喜美!」
精一杯声を上げると、喜美がびくと肩をはねて、弾かれたように振り返る。他にも大声に驚いて振り返る人がいたが、俺は喜美だけを見て歩き出す。
搭乗してるはずの喜美がいることに疑問を持つ余裕は無く、ただ間に合ったことが嬉しくて、喜美に一言告げられう現実に感謝した。
驚きで目を丸める喜美の前に立つと大きく深呼吸して口を開いた。
「留学がんばれよ。3ヶ月会えないのは辛いけど。メール――は通信料が高くなるからあんまできねえか。ならツイッターとか、フェイスブックとか、あれ外国でもフォローできんだっけ……、あ、と」
つながりが絶たれる不安が今更ながらこみ上げてくる。だが、ここまできて留学やめろなんていえるはずも無く、太平洋が何だ、と虚勢を張って喜美を見つめる。
「とにかく、俺は喜美のこと応援してるから。無事に帰ってくるまで待ってるから」
情けなくも詰まりながら、自分に素直な気持ちを伝えた。あまりの恥ずかしさに顔を背けたが、いつまでも無言が続くのでおずおずと視線を戻す。
喜美と目が会うと、彼女は首を傾けて朗らかに微笑んだ。
「ふふ、ほんと柄じゃないね」
「まったくだ」
そうやって笑いあい、喜美は行くねときびすを返した。
天井からアナウンスが聞こえた。大雨のため見合わせていた便が再開し、添乗員や乗客たちも合わせて動き始める。
「まあ、たまには大雨にも感謝してやってもいいかもな」