空からやってきた
とある12月の夕時、天候は晴れ。絶好の観測日和だった。
太陽が沈み、空が青みがかった黒に変わっていく。夕飯時もそわそわしていた俺は、ご飯をかきこむように食べ終わると、すぐさま部屋に戻り、一式もって庭に出た。
「うひぃー、さみいなぁ」
師走も峠に差し掛かり、涼しい秋風にそよがれ紅や黄色に模様替えした葉もすっかりと地面に落ちた。南下した冬将軍が傍若無人に猛威を振るったおかげでぐんぐん気温が下がり、早朝に霜が降りたり、水たまりやアスファルトの表面が薄い氷が張る光景も見慣れたものになりつつあった。あと一週間ほどで、今年最後のビッグイベントが控えてるが、それについては努めて深く考えないようにした。
何枚も重ねた服が水を染み込ませたみたい冷たくなって、ものの数秒で暖房をがんがんに効かせた自室が恋しくなった。
けれど、後ろ向きな気持ちも空に瞬き始めた星を見たら嘘のように消えてしまった。濃い藍色の空に浮かぶ、いくつもの小さな星たちの瞬きにほうと白い息を漏らした。
「体冷やす前に戻りなさいよ」
背中にかけたれた中に振り返ると、たまたま縁側を通りかかった母さんが呆れた顔をしていた。
「わかってる」
ふてくされながら答えたものの、そうそう退散する気はなかった。母さんもわかってるのか、強く注意がせず、ため息一つ残して去っていった。
一旦荷物を地面にそっと下ろすと、観測の準備を開始する。準備といっても大げさなことをするわけではなく、折りたたみ椅子を開き、三脚を立て、三脚の上に望遠鏡本体をセットして終わり。なれたもので5分とたたず完了した。
「さてと、適当に星や惑星が出てくるのを待つかあ」
折りたたみ式の椅子に腰を下ろし一息つく。事前に用意した魔法瓶から沸かしたてのお茶を注いで、息を吹きかけてながら一口含んだ。体の心からじわじわと熱が広がる間も、呆然と空を見上げ、時折望遠鏡を覗いて、またぼんやりと星座を見上げた。
北の空には年中、北極星を中心に北斗七星とカシオペア座が周回している。東には冬の代表的な星座であるオリオン座やこいぬ座が燦々と煌き、シリウス、プロキロン、ベテルギウスが形作る大三角形もはっきり見えた。
「そういや、オリオン座はさそり座からに逃げるように出てくるんだよな」
オリオン座の3点を見つていたら、ふと昔そんな話を聞いたことを思い出した。なんでも、狩人オリオンが高慢すぎると女神が起こって、サソリをけしかけてオリオンを殺したとかなんとか。一方で、オリオン座は、海を泳いでたところを誤って射殺されたオリオンを哀れに思って星にしたことになっている。
「神話って結構いい加減だよな」
思わず、くすっと笑った。
「おい、お前」
ちょうどその時、声が聞こえた。変声期まっさなかのような、男とも女とも言えない声だ。
「おおい、聞こえてるかぁ? あっれ、おっかしいなぁ。発音が間違ってる?? ええと、……。お、お、い、き、こ、え、て、る、か?」
また聞こえた。しかもずいぶんと下の方から。
聞き覚えのない声だ。家族のものではないし、学校の友人たちでもない。そもそもあいつらが、用もないのに寒空の下に訪ねて来るとも思えない。
「もしかして寝てるのか? おーい、こんなとこで寝てると風邪引くぞ? おいってば」
「ああ、うるさいな。ちゃんと起きてるよ。聞こえ――」
仮に泥棒や不審者なら間抜けに呼びかけないだろうと判断して、いい加減耳障りな呼び声を遮った――まではよかった。
真っ先に見えたのは重力に逆らって上に伸びた2本の筒だった。人型を想定した俺は目を瞬かせる。星明りを頼りに目を凝らし、ようやくそれが人の足らしいとわかる。
「って、足――!?」
「やっと気づいたか。そっちじゃない、こっちだ」
「下……?」
声に導かれるまま視線を下げ、足のラインを辿って付け根に差し掛かったところで、俺は慌てて視線を横に逃がした。寒空の下なのを忘れて、頬に熱がこみ上げた。
「おおい、どっち向いてるんだ。こっちだ、こっち」
「わ、わかってるよ!!」
無防備に太腿をさらす逆立ち人間の不愉快そうな声に負けじと声を荒げてしまう。
庭先の塀から地面、地面につきたてた腕や逆立つ髪と大きく迂回して顔にたどり着く。相手の顔を見るだけなのにどっと疲れた。
改まって見た声の主は女の子のようだった。丸みを帯びた輪郭、呆れたように顰めつつも幼さが残るつぶらな目。瞳の色はエメラルドグリーンで、放射線状に金の線が入っていた。
健逆立ちしている奇怪さを度外視できれば、造詣の整った可愛らしい子だ。
逆立ち少女はやっと気づいたか、と鼻から息を吐いた。その折にバランスを崩し、よろけて両手でたたらを踏んだ。図らずもまた顔が暑くなったが、気のせいだと思うことにした。
「とりあえず、逆立ちをやめろっ。話がしづらいだろうが」
「そうか? 私はこの体勢でも不都合はないけどな」
「お前に不都合がなくても俺に不都合があるんだよ!」
「……わかったよ。よくわからないな、地球人は、っと」
不承不承といった口ぶりで少女は後ろに体を倒し、地面に足をつけて起き上がった。血が上ったのか顔が少し赤らみ、重力に従って落ちた髪の毛先が肩の辺りで涼しげに揺れる。
「ふう。けど結構疲れるな。ほんのちょっとの時間でも腕がパンパンだ。手のひらも痛くなるし、地球人はよくあんな体勢で過ごせてるよな。上腕の鍛え方が違うのか?」
「いや、何に感心してるのか知らんけど、たぶん違うからな」
「そうなのか?」
いや、だから不思議そうに首を傾げられても困る。
「あと、さっきから気になってんだが、俺のことどうして地球人て呼ぶわけ? そういうキャラ付けされても、正直意味不明なんだが」
「どうしても何も、お前は地求人だろ?」
「何当然なこと聞いてくるんだ、て顔すんな。俺は確かに地球に住んでるが、そうじゃなくて俺が言いたいのはどうしてあたかも自分は地球の外から着ました、みたいに言ってるのかってのをだな、」
「実際そうだからな」
「………………、そーですか」
生返事で返すと、聞いてもないのに出身の星の名前を教えてくれた。ぼけぼけの寝言みたいにふにゃふにゃした発音で、数回聞き直した挙句、深く突っ込まないことに決めた。徹底してるなぁ、と現実逃避気味に感想を漏らす。
「いい加減、本題に戻すぞ。私たちはにゅみゃむにゃを出発してしばらく、¥*●▼●*系や、P$!&q¥惑星付近を観光してたんだ。だけど、エンジンユニットの%>w<%””が異常をきたした影響でずいぶんと流されてしまって、ここ数日は太陽系を漂流する羽目になり――」
何このSF? 俺知らないうちに3流小説家の脚本に紛れ込んだのか?
少女が語る内容は伏字だらけで頭に入ってきたが、要約すると、迷子になったら知らない人がこっちを見てて、気になったからちょっとよってみた、という感じらしい。
「なにそれ、完全に幼児誘拐じゃないか。てことは、俺捕まるの?」
うわぁ、全く身に覚えないのに前科が付くのか……、不当すぎる。
「地球人、私の話ちゃんと聞いてたか? そもそもだな――」
「あ、はいはい。わかったわかった。待ち人発見と思ってやってきたのが俺だったってことだろ。それより、”地球人”って呼び方やめろ」
「むぅ。逆立ち姿勢をやめろと言い、呼び方を改めろと言い、注文の多いやつだな」
「地球人だと、俺を指してるのか、母さんを指してるのか、はたまた顔も知らないどっかのおっさんを指してるのかわからないだろ。俺は心月だ」
「ミツキ……」
たどたどしく鸚鵡した後、イントネーションを変えながら数回繰り返し俺の名前を発声し、しっくりきたのかうんとうなずいた。
あまりに素直に受け入れらたせいで、本来聞くつもりのない問いかけが口を割って出てきた。
「変な名前、とか思わないのか?」
たいていの地球人は、”女みたいな名前”と馬鹿にする。気の置けないといえる友人たちですら、時折思い出したようにからかってきてムカつくのだ。
だから、口にした疑問に他意はない。
「そうか? 私は好きだぞ、ミツキ」
そしてだからこそ、まっすぐ過ぎる彼女の返答にも悪意を感じなかった。
「ありがと。俺も好きなんだよ、この名前」
そっけないふりをして、俺は勘違いを自重するように微妙に話しの矛先を変えた。まあ、男特有のみみっちい打算なんて、彼女には通じなかったようだが。
「にしても、どうして逆立ちなんてしてたんだよ」
「それは、船からミツキを見つけたとき、ミツキが逆立ちしてたからだ。だから、てっきり普段から逆立ちする星なんだと思ったんだ」
ほら、あれで見つけたんだ、と俺が設置した望遠鏡を指差した。おかげで理由は理解したが、それにしたって俺の家に着くまで疑問に持たなかったのかと頭を抱えそうになった。
「まあ、いつまで庭に突っ立ってるのも、あれだな。そっちが時間あるなら、縁側に座って少し話さないか」
物のついでに、俺の名前の由来となった衛星のことでも語ってやろうかと思いついた。せっかく遠出(?)までして、変哲もないとこに足を運んでくれたのだ。用はないから、帰れと追い払うよりは健全だろう。
そう思って声をかけたのだが、彼女の方は不満そうに目を険しくした。
「どうした? 門限が厳しいのか?」
「――アル」
「はい? ある……? 時間はあるってことか?」
「スバル! 私の名前だ!! ミツキは身勝手だっ。自分は名前で呼べと命令しておいて、私のことはそれ呼ばわりじゃないか!? 理不尽だ、私のこともスバルと呼べ!」
「あ、ああ。わかったから叫ぶな、近所迷惑になる」
俺は彼女、スバルをなだめようと手の平を向けたが、腕を組んでそっぽと向かれてしまう。すっかり拗ねてしまったスバルは、ちらちらと視線を向けてくる。
あからさま過ぎる、”名前を呼ばないと話もしない”オーラに、結局、俺の方から歩み寄るしか打開策は内容に思えた。
仕方がない。子供の我侭に付き合うのも大変だと肩をすくめ、俺はまっすぐ顔を見つめて彼女の名を呼んだ。
「スバル、少し座って話をしないか。もちろん、まだ時間が許すなら、だが」
要求どおりの呼びかけにスバルがぴくっと反応するも、十分な時間横目で俺をにらみ、妥協してやるといった不遜な態度で歩み寄ってきた。
とりあえず、縁側にスバルを座らせ、お茶でも出すか考える。さすがに魔法瓶に入れたまずいお茶を出すのは失礼だろと、縁側を上り台所に向かう道中、ふと振り返る。
「ああ、言い忘れてた」
「うん? なんだ?」
スバルはまだ機嫌を直してないふりして聞きてきた。特段もったいぶるような内容でもないため、俺はちらりと彼女の顔をうかがうと、ついでのように口を開いた。
「ようこそ、地球へ」
俺がそう言うと、視界の端できょとん顔が満天の笑みに変化した。