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粗雑で優しい生徒会長

 ……迷った。

 私は眼前に雄雄しく枝葉を広げる大樹を前にがっくりと肩を落とした。私が小学生くらいの頃に流行った、この木何の木~というCMに出てきたような大きな木だ。小高い丘となった頂上で、きょろきょろと周囲を見回しても校舎や体育館はどこにも見当たらなかった

 私は今年、成城高校に進学した。県内に同名の私立大学があり、こちらは大学付属にあたる。授業の一部や、図書室などは大学の施設を間借りしているおかげで、一般の高校とは比べ物にならないほど校内は広く、土地勘の備わった上級生でも迷うことがあるらしい。

「敷地が広いとは聞いてたけど……まさか、初日から迷うなんて」

 いや、むしろ初日だから迷ったの? にしても、入学式に出席してから教室に向かう道中で迷うなんて、どれだけ方向音痴なんだろう。早速友達になった子たちとは違い、俯いて配布された入学案内や校内地図を真剣に見つめてたからって、周囲に人がいなくなったことにどうして気づかなかったんだろうか。

「どうしよう。ここどこだろう。校舎はどっち? 1時間目までに戻れるかなぁ」

 大学付属だからって、一介の私立高校にこんな大きく開けた場所ってあるのだろうか。あるいは道を反れて近くの公園に来てしまったんだろうかと疑って案内を見ると、2ページに見開きでそれっぽい木の写真が載っていた。

「へー、あるんだ」

 呆れるやら、驚くやら、乾いた笑みが漏れる。

 途方もない絶望感に打ちひしがれ頭が下がりそうになったその時、頭上の枝が大きく音を鳴らした。びっくりして上を見上げた私は、人の腰くらいありそうな太い枝に成城の制服を着た男子がいることに始めて気づいた。

 両足を器用に伸ばし、頭の後ろで組んだ腕を枕にこの木何の木に背中を預けている。今まで眠っていたのか、枝の上の男子生徒はくわっと大きくあくびした。背中を幹に押し当てるように体を逸らし、右手をあてがって首を左右に捻る。

「ん、……んあ、もうこんな時間か」

 低い声で、億劫そうにつぶやいたかと思えば、男子生徒は枝に両手をつき足の位置を変えた。そのまま躊躇することなく飛び降りる。

 ――私のに向かって一直線に。

「え、ちょっと、あ、いや――」

 気が動転して、慌てて頭を左右に振る。そうすることに意味はなく、慌てふためく間も男子生徒は私に向かって落ちてくる。男子生徒の足が迫り、後ろによろけた足がもつれて尻餅をついた。もうだめだと、反射的に両手で顔をかばう。

 すとん、と思いのほか軽い着地音は背後から聞こえた。

「あ、あれ? 痛く、ない……??」

 踏みつけられるか衝突して地面に転がる場面を想像していたため、あっけにとられてしまう。体のあちこちを触って確かめるも、どこにも痛いことも靴の足跡すらない。

 何が起こったかわからず混乱する私に、背後からぞんざいに声がかかった。

「おい、あんた大丈夫か?」

 声に反応して顔だけ振り返る。先ほど、枝の上で転寝していた男子が私をにらみつけていた。長い前髪が狼の鬣のように右目に掛かっていて、こちらを心配してるというより、俺の許可なくそんなとこにいるんじゃねえと非難してるように見えた。

 不機嫌そうな顔がすごく怖くて、今すぐ逃げたい気持ちに駆られた。

「おい、聞こえてるか?」

「ははは、はい。だ、だ大丈夫、だと思います。…………おそらく」

「そうか。なら良かった。悪かったな、着地点に人がいるなんて考えてなくてよ。ほら」

 罰が悪そうに頭の後ろをかきつつ、男子生徒は手を突き出してきた。意図がわからず、向けられた手を彼の顔を交互に見る。再び、視線を腕に戻して首をかしげていると、ああもう、ともどかしそうに声を発し、男子生徒は私の腕を引っつかむようにすると強引に引っ張った。わ、わわと惹かれるままに立ち上がる。

 立ち上がると、視線は彼の胸の辺りにあった。薄く、引き締まった胸を見て、改めて男の人なんだなと感じた。強引に引っ張った手はすでに離され、すっかり定位置になっているのか頭の後ろにまわされてを髪をかいていた。乱暴に扱われた割には腕のつかまれた場所は不思議と痛くなかった。

 顎を上げて彼の顔を見ると、彼はあらぬ方向を向いていた。はあ、と陰鬱にため息を漏らす。小声で、またやっちまったとか何とか聞こえた気がした。

 不良っぽい――それも学校や街を仕切ってるくらい凶悪な――顔つきをしているが、もしかして私を気遣ってくれているのだろうか? そう思うと、人を射殺すような鋭い目も照れ隠しに思えなくも……なくもなかった。

 怖いものは怖い。傍から見ても悪いのはあっちなのだが、謝るだけ謝ってこの場を立ち去ろうと決心する。

「ご、ごめんなさいっ。わ、私急いでますので。しし失礼しますっっ!!」

 何度も頭を下げ、うつむいたまま駆け出そうとする。

「おい、待てよ」

 しかし、願いもむなしく剣呑な声で呼び止められた。びくっと背筋がまっすぐになって、震えながらゆっくりと顔を上げた。

「あんた新入生か。大方、よそ見して歩いてたら校舎通り過ぎてこっちに抜けちまったって口だろう? だったらちょうどいい。俺もこれからクラスルーム戻るとこだから、校舎まで送ってやる」

 一方的に告げると、男子生徒はきびすを返して歩き出した。私は頭にクエッションマークを沢山浮かべ立ち尽くした。すると、丘を半分ほど降りたところで私が動いてないことに気づいた男子生徒が振り返り胡乱な目で私をにらみつけた。

「どうかしたか?」

「え、あ……いやー、なんといいますか。ええと……」

「さっきので足首捻ったか? だったら、クラスルームより保健室が先か。足が痛むようなら、肩を貸すし、なんだったらおぶってやろうか?」

「いえっ、だ、大丈夫です」

 両手を前に出して振り、なんでもないことを猛烈にアピールする。強がるような態度が気に食わないのか、男子生徒が余計に顔をしかめる。言

 いたいことがあるなら、はっきり言えと苛立ちを隠さず言った。

「どうして、私に親切にしてくれる、――んでしょうか」

 初めて会った異性に親切心を働かせるタイプには見えなかった。それよりも気に食わないことがあったら暴力に訴えて障害を跳ね除けるような、危ない雰囲気を放っている。

 ち、と舌打ちされ、思わず身をすくめた私に、彼は反対に問いを返してきた。

「あんた、今困ってるか?」

 前後の文脈を無視した問いかけに、わけがわからないという本音をどうにか飲み込んで、神妙に頷く。

 途端、彼は呆れた様に苦笑を浮かべた。

「なら、俺の管轄だ」

「え、それはどういう――」

「うちの構内で、成城の生徒が困ってる。だったら、困ってる生徒の手を引いてやるのが俺の仕事だってことだ。わかったら、大人しく手を引かれてろ」

 言いたいことを伝えるだけ伝えると、彼は突き放すように体を半回転し、再び歩き出す。他人を拒絶するような強固な背中は、一方で、後を追いかける人を待つようにゆっくりと進んでいく。

「ま、待ってください!」

 あわてて追いすがる。といっても、隣に立つと緊張と畏怖で圧迫されそうだったので、斜め後ろについて歩いていった。

 5分もせぬうちに入学式からの道すがら見かけた校舎が発見できた。思っていたほど距離は離れていなかったらしい。迷ったことに取り付かれて、即座に地図を確認しなかった自分が恥ずかしい。気が動転としてたとはいえ、ほかの人に見られてないかな、とちらりと前を歩く彼の背中を見つめた。けれども私の視線に気づく様子もなく、真実は闇の中だった。

 ほどなくして、校舎の入り口が見え、私と同じように入学式に配布された封筒を抱え、早速できた友達と廊下でおしゃべりする姿がちらほら見られた。

「ほら、一年生の教室のあのあたりだ」

「――会長!」

 彼がぞんざいに手を振って、おしゃべりする新入生たちの一角を指すところに、焦った様子の声が響いた。校舎の方から駆け寄ってくるのは、彼とは対照的な男子だった。薄いライム色のフレームをしたメガネをかけ、顔立ちは整っているが少し頼りなさを感じる。

「会長、見つけましたよ。今日は新入生歓迎のためやることが多いってことは知ってるでしょう? なのに、まぁた勝手に抜け出して」

 母性本能をくすぐりそうな人、ではなく、注目すべきことは違うだろとセルフ突込みを心の中で入れた。

「か、会長……?」

 狼のようないかつい顔をした彼を見上げ、思わずまじまじと見つめてしまう。はじめは何かの勘違いかと思ったが、先ほどから、メガネ先輩は彼を指して会長と呼んでいる。ということは、導き出せる答えはひとつしかなく、だけと素直に認めることが一番の難解で、知恵熱をこじらせそうになる。

 ことここに至って初めてメガネの先輩が私に気づき、どなたですか、と詰問するように細めた目を会長(仮)に向けた。

「進学早々道に迷って困ってる新入生だ。そこのケヤキの下で拾った」

「拾ったって……。はあ、いいでしょう。いまさら会長の性分をとやかく言っても仕方がないですし。それより、急いでください。水南さんも怒ってましたよ」

「へいへい。いきゃあいいんだろ。ったく、何で俺なんかを担ぐかね……」

 ぼやかない、と注意し、メガネの先輩は私にも一礼した。

「会長が粗相をしたと思いますが、この人は見た目がこんな通り、中身も残念な人なので、気にしないでいただけるとありがたいです」

「人を野犬みたいに言うんじゃねえ」

 牙をむいて反論すると、メガネの先輩の頭を軽くどついた。

「ぼさっとしてねえでいくぞ、十里」

 十里と呼んだ先輩を無視して校舎に入っていった彼は、一度だけ振り返った。頭をかきながら、不承不承といったしかめっ面で言った。

「あんたも今日から成城の生徒だろう。困ったことがあったら何でも言えよ」

 最後に鼻で笑い、彼は去っていった。

 それが、私が成城高校ですごした日々の始まりであり、生徒会長――冴塚響鬼と出会った瞬間だった。

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