可愛い妹と手榴弾
「正直、妹を抱ける抱けないで言うと、余裕で抱けるね俺は」
この世界どころか、生物の秩序さえ揺るがしかねない大問題発言に、人々はこれをジョークとして捉えた。
しかし、言った本人は至って真面目な様子で更に、
「だって単純に可愛いからな。でも、普通はずっと一緒にいると何とも思わなくなるって言うだろ? 俺はそうならなかったね、いつ見ても可愛いと思う。あいつはあれほどの魅力を持ちながら、更に知れば知るほど魅力が出るタイプなんだよ」と、言った。
そこで一人が恐る恐る手を上げ、このイカれた兄に質問をした。
──なら、実際に付き合ってみたいと思いますか?
この問いに対し、兄はクビを振った。
「それは無いな。理由は、
妹の意思が──では無い。そんなもの、付き合ってる内にどうとでもなる。むしろ妹を知ってるだけに他の人より有利だと思ってるぐらいだ。
社会的な目を気にして──でもない。慣れだよ慣れ。そんなものは時代が解決してくれる。例えば、昔はオカマってだけで村八分みたいになってたんだろ。それが今はテレビにかかせない存在にまでなってる。だから近親和姦が当たり前の時代も来るんじゃねえかな。AV業界涙目だ。
もちろん道徳に反するからでもない。道徳の授業とか小学校で習ったっけな。そこに妹を愛してはいけないって書いてなかっただろ。いや、多分だが」
この発言で、皆の疑問が更に大きくなった。
──そこまで考えておきながら、何故付き合おうとは思わないのか?
「そうだな、俺が妹を好きだと思う気持ちは大きい、けれど……」
この男はゆっくりとため息をつき、遠くを見ながら、
「それ以上に、まだ死にたくはないんだよ」と、言った。
人々は最後の発言の意味が分からず、結局タチの悪いジョークということで片付けた。
そう、悪いジョークであってくれと願った……
松苗市では3年前から同じ事件が立て続けに起こっている。それは手榴弾での爆発事件である。
手榴弾とはいってもニュースで目にする、海外で死人が出るような威力ではない。被害者が数ヶ月入院する程度なのである。
そして偶然か必然か、後遺症も全員残っていない。
しかし警察にとってはそれが逆に事態をややこしくさせていた。死人が出れば総動員で動けるものの、この程度の怪我では動きにくいのである。
更に言うと、被害者に女子供はいない。男性で、それも生粋の不良が多い。
要するに何かいざこざがあり、自業自得では無いかという見かたが多数なのである。
現に、被害者に加害者の顔を見たかという質問に対し、皆が下を向いて黙っていた。
そういうこともあって人々は特に気にすることもなく、夜も普通に出歩いている。結局イライラしているのは警察だけであった。
夜11時、基本的に治安の良いこの町では皆が寝静まっている。蛍光灯の薄い明かりが夜道を照らし、虫の音が規則正しく響き渡り、それがまた心地よい眠気を誘う。
しかしそんな中、一人場違いな男がいた。金髪でアゴヒゲを生やし、肌を中途半端に黒く染めている。名を橋本一郎という。彼はほとんど学校には通っていないものの、高校生である。
一郎は地元で名のしれた不良であり、沢山の部下を従えており、喧嘩では生涯を通じてほとんど負けた事が無く、もはや喧嘩を売られる事も無くなっていた。
──そんな彼が今、何かから逃げるように汗を吹き出すほど全力走っていた。着ているタンクトップも乱れており、息を荒らげ前を向きながら、
「クソ……、クソクソクソっ! なんでこんな目に合わなきゃならねえんだよ!」と、怒りにも似た愚痴をこぼしていた。
彼は先ほどまで3人で行動していた。そして3人で一緒に何かから逃げていた。が、既に2人はもういない。逃げ遅れた順に、爆発音と共にいなくなってしまった。
一郎とその2人は仲が良く、何をするにもずっと一緒にいる3人であった。だが、2人を助けに行くことが出来なかった。一郎は「くそ……、本当にすまねえ……、見捨てる気なんか無かった……」と、泣きながら言った。
友情よりも生存本能が勝ったのである。
そして一郎は限界まで走り終え、近くの公園へと足を踏み入れた。この公園はそこそこ大きく、昼は子供やお母さん方の憩いの場になっている。しかし今は人通りが無く、普段を知っているだけ逆に不気味にも思えたが、路上にいるよりはマシだと判断した。ガクガク震える膝を抑えながら「はあ、はあ、ここまで来たら大丈夫だろ」と、言った。
一郎は一度ベンチを見たが、座ることはしなかった。下手に休むと立ち上がれなくなると思ったのである。
目を閉じながら一郎は膝を折り、立ったまま屈んだ状態になった。じっとしているだけ、ただそれだけの事が疲れのピークである一郎には、普段感じたことのない幸せであった。
だが、そんな時間は長く続くかなかった。一郎の元へゆっくりと歩み寄る影が、
「こんばんは、そしてお久しぶりです」と、感情の無い声で囁いた。
一郎は初め、一体何が聞こえたのか理解が出来なかった。あまりの恐怖による、脳が自己防衛のために現実逃避をしたのである。
一郎はそれでもゆっくりと、確認するためにそれを見た。
それは残念ながら……一郎が必死になって逃げている何かであった。
辺は暗く、それは中学生ぐらいの体型であろう影しか見えないが、どこか不気味に微笑んでいるように思えた。
一郎は目を見開いたまま、完全に動きが止まってしまった。
そして、極度の披露と錯乱状態に陥った一郎がかろうじて搾り出した声は「な……なんで……お前が……あ……」と、本人にも何を言ったのか分からない物であった。
しかしその影の声は淡々としたもので、
「そうですね、走り方に問題があったかと思います。マラソンの基本は体の動きをいかに小さくして走るかというのが基本でありまして、あなた、えーっと名前は忘れてしまいましたが、あれほど風を切るように走っては、すぐに疲れるのは当たり前ですよ」
と、少女の口調であった。一郎にはそれが、今まで感じてきた物の中で最も冷たいものに思えた。
──そこに感情が全く入っていない。まるでこの展開に慣れているかのような
続けて少女は「ごめんなさい。でもこれが一番綺麗な終わり方なので、納得していただく他がないですね」と、まるで教師が生徒に勉強を教えるかのようなトーンで言った。
その少女はかばんに手を入れ、ゆっくりと小さく丸い物を取り出した。この時点でもう、男の視界は全てがスローモーションに見えていた。
少女は慣れた手つきで丸い物体から細い針金を取ると、ピンっという甲高い音が鳴った。そしてそれを一郎の方へと転がした。
「リア充は爆ぜて下さい、なんちゃって」
男は腰が砕けて座ってしまった。そして丸い物体は大きく弾け、辺りを光が包んだ。
爆風と爆発音と共に。
5分後、それを聞きつけた一人の警察が駆けつけてきた。
そして爆深部を見て一言「今日も寝れない夜か……」と、呟いた。
その警察は本署に連絡を入れ、応援要請をだした。
今の警察は非常に優秀で、5分後にはパトカー3台が集まった。静かな市街地で場違いなサイレンの音が鳴り響く。
──さあ、今夜も無駄な聞き込みをしようか
新沼祐介は朝になってもぐっすりと眠っていた。布団は大きく乱れ、体は大の字を描くような、豪快な体勢である。
前日に趣味であるネットサーフィンを深夜までしていたのもあり、ある意味今が一番深い眠りの状態である。
そんな祐介を見ながら、ゆっくりと腕をさする少女がいた。
「兄さん、起きてください」
祐介の妹、新沼乙音である。乙音は優しく、どこか心配するような声で言った。
「起きてください。朝ですよ。ご飯も作りました……って、反応が全く無いですね。よいしょっと」
普通に起こしても無駄だと判断したのだろうか。乙音はゆっくりとベッドの上まで上がり、更に兄の近くまで詰め寄った。
祐介はただならぬ気配を感じとり、目を覚ました。
すると、すぐそこに妹の顔があった。
少しの間、2人は無言になった。
そして妹は息を吐く程度の声で「兄さん、おはようございますー」と、言った。顔はにっこりと笑顔である。
祐介はそれで完全に目を覚ました。
「ああ、おはよう乙音。それで悪いが、少し離れてくれないか」
「はい」
こちらを見ながら少し照れた顔をして離れる妹を見て、これは本当に俺と血が繋がっているのかなと、祐介は思わざるを得なかった。
一言で言えば美人なのである。まだ15才にも関わらず顔立ちがはっきりしている。手入れのされてある髪は青くて背中まで流れるように伸ばしていて、目はパッチリと大きい。身長は小柄な部類に入るが、背筋が綺麗なので少し大きく見える。性格はしっかりもので優等生だ。
しかし祐介が思う乙音は、とにかく可愛いのである。彼女は心を許した人に対し、甘える時に上目使いをしながら小動物みたいに小さな口をきゅっとさせる。もちろん、昔からどちらも天然でやっている。
そんな乙音は男性からはもちろん、女性からも人気がある。ファンクラブがある程だ。
────その妹から優しく朝を起こしに来るシチュエーション。人類なら必ずと言っていいほど喜んでいい状況だが、祐介は浮かない顔をしていた。
「なあ乙音よ。まさかとは思うが、俺のことを好きになった訳じゃないよな?」
「ふふ、兄さんまだ寝ぼけているんですかね。そんなことは無いですよ」と、急な問いにも関わらず優しい声で言う乙音。
振られた? も同然の事を言われ、逆に祐介は落ち着いた表情を見せた。
「そうか。なら良かった。変な勘違いしてすまんな」
「そうですよ兄さん。私は兄さんを好きになるぐらいなら、亀を踏み殺しながら険しい道を進み、病原菌が繁殖していてもおかしくないドカンの中に入り、その辺に落ちてるキノコを食べ、毎回さらわれてる姫様をバカみたいに律儀に救いに行くヒゲ親父を好きになった方がマシです」
「なぜか知らんが、そのオッサンの顔がはっきり浮かぶんだよなあ……」
乙音はいたずらっぽく「ふふ、冗談ですよ兄さん」と、言った。
更に乙音は「私が兄さんを思う気持ちは、普通の妹が兄に対する感情と一緒ですよ。それ以上でもそれ以下でも無いです」と、いつもの淡々とした口調で言った。
最後に『今のところね』と、笑顔で付け加えた。
妹は冗談を言うことはあるが、正直者である。それもバカがつくほどの。だからこのやり取りに特に深い意味はなく、そのまま受けとることが出来る。
要するに、兄の評価は普通と言ったところだ。
そして彼女は部屋を出て食卓へ向かい、食器を並べる作業へと入った。
祐介は自分の手に相当の汗をかいている事を気づいた。それを見ながら、
「はあ……、ああやって兄に尽くす乙音か、それとも妹にドキドキしている俺か。どっちが変わってるんだろうな」と、言ってため息をついた。
すると兄がなかなか来ないと思った乙音が、ドアの隙間からひょっこりと半分ぐらい顔を出し「兄さん、本当に起きてますよね」と、ジト目で言ってきた。
祐介がはいはいと受け流すと、乙音は少し不満そうな顔で帰っていった。祐介はそんな妹の顔も可愛いなと思いながら、
「俺は、幸せ者って事で良いのかな?」
と、天を仰ぎながら呟いた。確かにこれだけなら神様も壁を叩くレベルであろう。
祐介は部屋を出て廊下に出た。廊下には乙音の書いた絵と、小瓶には季節ごとに旬の花が添えられている。床はツルツル滑るほど綺麗に掃除されていて、昨日祐介が廊下に投げた部屋のゴミも無くなっていた。
綺麗な状態が好きというより、綺麗にする事が好きな妹のおかげで、毎日家の状態は美しく保たれている。勝手に兄の部屋に入り、ティッシュがたくさん入ったゴミ箱を捨てて怒られた事もあった。
食卓には既に妹が座って待っていた。美味しそうな和風ハンバーグであるが、祐介の席にナイフとフォークは置かれていない。不器用な祐介が使えない事を考慮して、予め箸しか置いていないのだ。
「おいおい、俺の嫁か」
「いいえ、誰の嫁でもありません。みんなで食べた方が美味しいですもんね」
みんな──とは言っても家族団らんで食べているわけでなく、この家には乙音と祐介しかいない。両親は数年前から別居している。
2人しかいないものの、綺麗に4つ並べてる椅子に座り、祐介はいつものようにテレビのスイッチを入れた。
すると第一に飛び込んできたのが……昨日の爆破事件である。
今年になって既に10件目。
深夜の犯行。
被害者は3人。
3人とも近い場所。
全員が全治3ヶ月。
そして後遺症等は特に残らない──と。
明るい食事風景から一変、祐介は一気にドーンと重い空気になった。
──なぜかというと、
「あのさあ、もはや聞くまでもないが……」
「はい、私ですよ」
犯人が目の前にいるのである。それもいつもと変わらぬ様子で行儀良く食べている。
妹は変わったクセ? を持っていて、自分と付き合った異性の人と、これ以上やって行けないと思うと最後に──手榴弾を投げて別れるのである。当然いくつかの疑問が上がる
手榴弾をなぜ投げるのか。
どうやって作っているのか。
またどこで仕入れているのか。
致命傷な怪我が無いとはどうしているのか。
全てが謎である。
祐介も初めは必死に止めもしたが、治る気配を見せなかった。大義名分というには程遠いが、彼女には理由が一応あるらしいので、強制的に止めさせる事は出来なかった。
しかし今、祐介は兄として取りあえず何か言葉をかけなければいけないと思い……
「乙音、夜は危ないから早く帰ってこいよ」
「はい、兄さん」
お前の存在が一番危ないけどな──という言葉を熱い味噌汁と一緒に飲み込んだ。
祐介と乙音は同じぐらいのタイミングで食べ終わり、乙音が兄の分まで食器を流し台まで持っていった。そして軽く水を浸した。こうしておくと、家に帰って洗う時に汚れが落ちやすいのである。
乙音は制服に着替えるために部屋に入った。祐介はいつものように適当に早く着替えて、妹が部屋のドアが開く音が聞こえるまでテレビを見ていた。
乙音が部屋から出ると、祐介は乙音の首元を中心に制服を確認するように目視した。乙音が毎回ちゃんと制服を着れているかを尋ねてくるので、毎朝の恒例となってしまった。
祐介が良いぞ、というと乙音は嬉しそうに笑った。
「それじゃあ兄さん、行きましょうか」
「ああ、そうだな」
空は雲一つない晴れ模様。緑が並ぶ並木通りに心地良い春風が肌を伝う。学生はもちろん、忙しそうな人や散歩をしている人も引括めて、のどかな町の風景である。
乙音は凛とした姿勢で歩きながら「兄さん、昨日は夜遅くまで起きてましたけど、勉強でもしていたのですか?」と、言った。
「俺はお前とは違って試験前以外は勉強しない。まあ、色々とやってたんだよ」
「兄さん、何かやましい事をやってたんじゃないですよね」
「お前にだけは言われたかねーわ!」
学校の前の大通りを歩きながら、兄弟仲良く? 話をしていた。毎日途中まで2人で行っている。
彼らの行っている学校は青凪学園といい、中高一貫の男女共学で、祐介が高2、乙音が中2である。学校の特色は特に無いが、選抜クラスという学年で選び抜かれた賢い人だけのクラスがあり、そこに妹が入っている。そして妹に及ばずも、祐介の学力もそこそこぐらいはある。
2人で通学するいつもの時間、祐介は嫌いではない。兄が語っている時は妹がうんうんと頷き、妹が語っている時は兄が半分ぐらいを聞き流している。この空気感は長く一緒にいる2人でないと、なかなか出せるものではない。
祐介がそんな空気に当てられ、ゆっくりとアクビをした時、後ろから元気な声が聞こえてきた。
「乙音ちゃーーん、おはよー」
その子は少し離れた位置から手を振りながらこっちに向かって走って来た。妹と同じ制服を着た美少女である。更に走りながら近づいてきて、
「おはよー、お兄さんもおはようございます」と、祐介にもしっかりと頭を下げた。
「ああ、おはような」
スカートの下にはしなやかな足が見れる。これが走るとまるで下にバネでもあるかのように軽やかに進むのである。
彼女は乙音に負けず劣らずの可愛い顔をしていて、こちらはとにかく元気である。短くて天然の茶色の髪にツインテールが特徴。テニス部に所属していて、最近賞を取ったとかで妹が自分のことのように嬉しそうに語っていた。
名前は小鳥死希。祐介が初めて名前と漢字を聞いたとき、100回ぐらいは聞き直した名前である。乙音とは小学校からの友達であって、妹が内向的な性格だったのを変えてくれた人物でもある。
「それじゃあ兄さん、行ってきますね」と、乙音が言うと祐介は「ああ、行ってこい」と見送った。
希ちゃんと乙音は2人で歩いて行ってしまった。彼女達は2人でただ歩いているだけなのに、普段見慣れた通学路も華やかな物に見える。
そして妹を奪われた祐介が、特に寂しいと思う事はない。むしろ可愛らしい2人が歩いているのを見て微笑ましく思うぐらいである。
祐介はいつものように学校へ登校した。
午後4時、祐介にとって気だるい授業が全て終わり、校門へと出ると、少し先に乙音の姿があった。
──そしてその隣には男がいた。妹とは似ても似つかないタイプである。髪を金に染め目付きが悪く口元がだらしなく、女を性処理としか見ていないような感じさえする。
「ねえ、乙音ちゃん、一回俺と遊ぼうぜ! 一回だけで良いんだ。一生忘れないぐらい楽しい日にしてやるからよ!」と、周りの目も気にせずにゲスな顔を浮かべながら言った。
本来なら妹は周りに友達がたくさんいる状態が普通ではあるが、その時はその男の野獣のような臭いに皆が引いていた。
乙音は少し「え?」と驚いた様子を見せたが、すぐにいつもの彼女に戻った。
祐介はその様子を見て頭を手で抑えてため息をついた。
そして乙音は、祐介以外の……誰もが予想していなかった返答をした。
「良いですよ。はい、お付き合いしましょう」
さも当然のように言う乙音に、その男自身も驚いた表情を見せた。そして更にニヤけた顔をしながら、「えっ、マジで! マジ良いの? やっちゃうよ! ってか彼氏とかいないの?」と、言った。
基本的に乙音は誘いを断らない。今まで付き合ってきた人数は──本人も分からないであろう。
まあ手っ取り早い数え方は、被害者の数を数えるという方法もあるのだが……。
「はい。あと彼氏は今はいません。昨日までいたんですけどね」
「へえー、乙音ちゃんって結構遊び人なのかな? まあいいや! ちょっと支度してくるから6時にビックリカラオケで待ち合わせな!」
男は浮かれながら帰っていった。祐介は彼のために止めようと思ったが、その不良が道に唾を吐くのを見てそれを止めた。
そしてその数分後、また違う男が乙音に近づいていった。
「あの、乙音さん。今時間良いですか?」
「そうですね、この後予定があるのですが、まあ少しなら大丈夫ですよ」
乙音の周囲は、急に声をかけられても淡々と言葉を返す乙音を見て、流石だなと思った。
それもそのはず、いつも一緒にいる祐介でさえ、取り乱している妹をほとんど見ていない。
その男はほっと息を吐いた。そして真剣な表情で乙音を見つめた。
今度の男は体育会系であった。髪は短髪で表情は真面目そうで、はきはきと喋り、誰が見ても好印象を受けそうな男であった。
体育会系の男は唾を一つ飲み込み、決心するように
「あの、乙音さんの事が前々から気になっていました。良ければ一緒に遊びませんか!」と、言った。
まさに単刀直入。気持ちもしっかりと伝わり、前の男とは雲泥の差である。
──しかし、妹は横に首を振った。
「すみません。今の私は彼氏がいるので。ごめんなさい」
いつもと変わらない声ではあるが、乙音はキッパリと断りを入れた。
乙音は付き合っている人がいると、逆にどんな誘いが来ても断る。それも全く寄せ付けない程に。
男は逆にすみませんと謝り、がっくりとうなだれて帰っていった。そして祐介はその男の後ろをこっそりと付けていき、後ろから見ても分かるほど落ち込んでいる男の肩を叩いて、
「良かったな。真面目なお前は神様が見てるんだよ」と、どこか満足そうに言った。
「は?」
うんうんと頷いている祐介に対し、その男はクビを傾かしげた。
そしてその日の夜、案の定──というのは失礼であろうか。再び爆発事件が起こった。