殿下、わたくし王家に入ってもうまくやっていけそうですわ〜ただし、私を虐げようとする王家の女どもは排除しますけど〜
◇〜第一章:折れた誇りと、泥にまみれた薔薇〜◇
王宮の薔薇園は、一見すると楽園のように美しい。
しかし、その芳香の裏には、腐った泥のような悪意が渦巻いている。
マリエッタ・フォン・グレイロード公爵令嬢にとって、この美しさはもはや、自分を切り刻む刃の輝きにしか見えなかった。
「マリエッタ、今日も美しいね。君が私の妃になってくれる日を、父上も私も心待ちにしているよ」
銀髪をなびかせ、爽やかな笑みを浮かべるのは第一王子カリレッド。
彼は文武両道、性格も誠実で、マリエッタを心から愛していた。
マリエッタにとっても、カリレッドは唯一の光だ。
彼の前で見せるマリエッタの微笑みは、春の陽だまりのように温かかった。
「ありがとうございます、カリレッド殿下。わたくしも、殿下のお側でお役に立てる日を楽しみにしておりますわ」
だが、カリレッドが公務のためにその場を離れた瞬間、空気は一変する。
「……ふん、相変わらず殿下の前でだけは殊勝な顔をすること。反吐が出るわ」
冷ややかな声とともに現れたのは、現王妃イザベラ、第一王女サリアーヌ、そして末娘のシルビルスだった。
さらに、カリレッドの乳母であり侍女長を兼ねるロレイシアが、蛇のような視線でマリエッタを射抜く。
カリレッドの姿が見えなくなった途端、マリエッタを取り囲む【王家の女たち】の顔から仮面が剥がれ落ちた。
「さあ、マリエッタ様。昨日お渡しした『妃教育』の課題……王家に伝わる聖なる刺繍の続きを見せていただけますかしら?」
ロレイシアが、わざとらしく、しかし威圧的に手を差し出す。
マリエッタは震える手で、大切に抱えていた白絹の布を差し出した。
三日三晩、寝る間も惜しんで、指先を針で傷だらけにしながら仕上げた、カリレッドへの愛を込めた刺繍だった。
「まあ、不細工なこと」
王女サリアーヌが、その布をひったくるように奪い取った。
「見て、お母様。この鳥の翼、まるでお肉を欲しがるカラスみたいだわ。殿下の純潔な象徴を、こんな卑しい娘が汚すなんて」
「本当ね」王妃イザベラが扇で口元を隠し、冷たく笑う。「グレイロード家の教育なんて、所詮はその程度のもの。このままでは、婚約披露の晩餐会でカリレッドが恥をかくだけですわ。ねえ、シルビルス、あなたならどうするかしら?」
末娘のシルビルスが、無邪気な残酷さを浮かべて歩み寄った。
彼女は手にしたティーカップから、熱い紅茶をマリエッタの足元へ──いや、マリエッタが差し出した刺繍布へとゆっくりと注いだ。
「あら、ごめんなさい。あまりに酷い出来栄えだったから、手が滑ってしまったわ」
じわじわと茶色いシミが広がり、繊細な金の糸が熱に歪む。
マリエッタは息を呑み、膝をついてそれを受け止めようとしたが、ロレイシアがその肩を強く踏みつけた。
「動かないで。淑女は、泥にまみれたものを拾う際にも、優雅でなくては。……ほら、拾いなさい。口で」
「っ……!」
マリエッタの瞳から、耐えきれず涙が溢れ出した。
彼女がどれほど努力しても、どれほど心を尽くしても、この女たちはそれを嘲笑い、踏みにじる。
彼女たちの攻撃は、身体的な苦痛以上に、マリエッタの自尊心を組織的に、そして徹底的に破壊することを目的としていた。
「どうしたの? 泣くなんて、王家に不満でもあるのかしら?」
サリアーヌがマリエッタの顎を、靴の先で強引に持ち上げる。
「あなたはね、カリレッドお兄様が『愛』という気の迷いで拾い上げた、ただの虫ケラなの。身の程を知りなさい」
サリアーヌはそのまま、マリエッタが大切にしていた、母の形見の髪飾りを奪い取った。
「こんな安物、我が王宮には相応しくないわ。捨てておいてあげる」
サリアーヌはそれを薔薇園の深い池へと投げ捨てた。
「ああっ……!」
マリエッタが池に駆け寄ろうとすると、ロレイシアが背後から彼女を突き飛ばした。
マリエッタの体は、泥濘んだ地面に叩きつけられた。
美しいドレスは泥に汚れ、髪は乱れ、心臓は絶望で早鐘を打つ。
「明日の朝までに、もう一度最初から刺繍をやり直しなさい。今度は百倍の大きさでね。出来なければ……殿下には、あなたが『怠慢で課題を投げ出した』と伝えておきますわ。殿下も、嘘つきな女は嫌いですものね」
女たちが立ち去った後、薔薇園にはマリエッタのすすり泣く声だけが響いていた。
泥にまみれた手で、もはや形も分からない刺繍布を抱きしめる。
母の形見は池の底へ沈み、愛するカリレッドに贈るはずだった真心は汚された。
彼女を支えていた細い糸が、ぷつりと音を立てて切れていく。
(わたくし……もう、ダメかもしれません……。殿下、わたくしは……本当に、虫ケラなのでしょうか……)
誰にも助けを求められない。
カリレッドに言えば、彼は家族を疑うことになる。
優しい彼を苦しめたくないという思いが、逆にマリエッタをこの地獄に縛り付けていた。
夕闇が迫る中、マリエッタはただ、自分の惨めな姿を隠すように、冷たい地面の上で小さく丸まっていた。
◇〜第二章:牙を研ぐ公爵令嬢、あるいは小さな毒蛇の断罪〜◇
薔薇園での屈辱から数日が過ぎた。
マリエッタは、自室の隅で泥に汚れた刺繍布を見つめていた。
だが、その瞳に宿っていた絶望の涙は、すでに冷え切り、透明な殺意へと変わっていた。
きっかけは、図書室の隠し部屋で偶然耳にした会話だった。
「ふふ、お父様もお兄様も本当におめでたいわ。私が『マリエッタさんに苛められた』と少し涙を見せれば、すぐに新しい宝石を買い与えてくださるんですもの」
聞き覚えのある、鈴を転がすような、しかし邪悪な声──。
末娘のシルビルスだった。
「当然よ。あの男たちは、私たちがどれだけ贅沢をしようと、甘い言葉一つで納得する操り人形。王家の権力も財産も、すべては私たちの美しさを飾るための道具に過ぎないわ」
王妃イザベラの冷酷な声、そしてサリアーヌとロレイシアの卑しい笑い声が重なる。
マリエッタは拳を固く握りしめた。
(殿下の……カリレッド様の真心を、あなたたちはそんな風に踏みにじっていたのね)
自分を虫ケラと呼んだ女たちが、愛する人を「操り人形」と呼び、国を食い潰している。
その事実が、マリエッタの心の中の「執念」に火をつけた。
「いいでしょう。わたくし、王家に入っても上手くやっていけそうですわ。……ただし、害虫をすべて駆除した後の、清潔な王家であればの話ですが」
マリエッタが最初に狙いを定めたのは、最も若く、それゆえに傲慢で詰めが甘いシルビルスだった。
シルビルスには、ある“秘密の趣味“があった。
それは、王宮の宝物庫から持ち出した禁制品の香油を使い、夜な夜な秘密の背徳的なパーティーを開くこと。
そして、その香油の調達と資金源には、ロレイシアが管理する『王立孤児院への寄付金』が流用されていた。
マリエッタは、グレイロード公爵家に伝わる隠密のネットワークを使い、シルビルスが心酔している謎の“異国の香商人“を抱き込んだ。
「シルビルス様、今宵は特別な香油が手に入りました。これを使えば、どんな男も、たとえ国王陛下であっても、あなたの望むままに動くことでしょう」
「まあ! 素晴らしいわ。それがあれば、お父様からさらに大きな領地を奪い取れるわね」
シルビルスは、その香油が実は“使用した者の肌に、数時間後に真っ黒な痣を残す“特殊な反応液であることも知らず、喜んで飛びついた。
翌晩、王家一同が集まる私的な晩餐会。
シルビルスは、奪った香油をこれみよがしに浴び、勝ち誇った顔でマリエッタを睨んだ。
「あら、マリエッタ。今日も冴えない顔ね。あなたの家柄なんて、もうすぐ私がパパにお願いして取り潰させてあげるわ」
マリエッタは淑やかに微笑んだ。
「左様でございますか。……ところでシルビルス様、その香油、とても『特別な香り』がいたしますわね。まるでお亡くなりになった先代正妃様が愛用されていた、王宮の禁制品のような……」
「な、何を馬鹿なことを!」
その時、マリエッタが合図を送る。
彼女が密かに仕込んでいた“魔力を感知して光を放つ粉“が、天井のシャンデリアから密かに降り注いだ。
次の瞬間、シルビルスの首筋や腕が、禍々しい紫色の光を放ち始めた。
それは、王宮の宝物庫から盗み出された物品にのみ施されている“盗難防止の呪印“が反応した証拠だった。
「な、何よこれ!? なぜ光るの!?」
「これは……! 先代の形見に施された呪印ではないか!」
国王が立ち上がり、激昂した。隣にいたカリレッドも信じられないものを見る目で妹を見つめる。
「シルビルス、お前、宝物庫を荒らしたのか? しかも、その香油の購入履歴……これは孤児院へ送るはずの予算ではないか!」
マリエッタが用意していた【証拠の帳簿】を、協力者の侍従が国王の手元へ届ける。
そこにはシルビルスの署名と、ロレイシアの検印がびっしりと並んでいた。
「違うの、これはロレイシアが! マリエッタ、貴様が仕組んだのね!」
逆上したシルビルスがマリエッタに掴みかかろうとした瞬間、マリエッタはあえて力を抜き、華奢な体で床に倒れ込んだ。
「ああっ……! シルビルス様、おやめください……! わたくしはただ、殿下の大切な思い出が盗まれているのを黙っていられなかっただけで……!」
カリレッドが即座にマリエッタを抱きかかえ、シルビルスを鋭い剣幕で退けた。
「いい加減にしろ、シルビルス! 罪を犯した上に、マリエッタに暴力を振るうとは……。お前のような卑劣な娘、もはや王族とは認めん!」
「お兄様!? 違うの、これはお母様たちも知っていて……」
「黙りなさい!」
王妃イザベラが慌ててシルビルスの頬を打った。
トカゲの尻尾切りである。
シルビルスはその夜のうちに王位継承権を剥奪され、王都から遠く離れた、ネズミとカビの蔓延る廃修道院へと送られることが決まった。
一生、贅沢など許されない、祈りと労働だけの日々だ。
「マリエッタ……許して、マリエッタ! 私が悪かったわ、だからお父様に言って!」
連行されるシルビルスの耳元で、マリエッタは誰にも聞こえない低い声で囁いた。
「シルビルス様。あの池に沈んだ母の形見、あなたが笑いながら見ていたのを忘れていませんわ。……修道院での生活、楽しんでくださいね。ああ、そうそう。あそこの食事は泥水より酷いそうですわよ?」
「ひっ……ああああああ!」
絶叫と共に連れ去られる義妹を見送り、マリエッタはカリレッドの胸で再び“弱々しい婚約者“を演じた。
「殿下、わたくし、怖くて……」
「大丈夫だよ、マリエッタ。私が君を守る。あんな毒虫はもう二度と君に近づけさせない」
カリレッドの腕の中で、マリエッタの口角がわずかに吊り上がる。
王妃とサリアーヌは、青ざめた顔で震えている。
(まずは一人。……さあ、次は誰を『掃除』しましょうか?)
マリエッタの復讐という名の「大掃除」は、まだ始まったばかりだった。
◇〜第三章:偽りの国母、その栄華の瓦解〜◇
末娘シルビルスが廃修道院へと引き立てられてから、王宮には奇妙な静寂が訪れていた。
王妃イザベラは、自室の奥で狂ったように扇を動かしていた。
実娘の切り捨てには成功したものの、国王の信頼にひびが入り、何より『あの虫ケラ』だと思っていたマリエッタの瞳に宿る、底知れない冷たさに本能的な恐怖を感じ始めていたのだ。
「……マリエッタ、あの娘。シルビルスの件、偶然にしては出来過ぎているわ」
「お母様、考えすぎよ。あんな女に何ができるっていうの? たまたま運が良かっただけだわ」
長女サリアーヌは相変わらず傲慢に言い放つが、王妃は首を振った。
「いいえ、次は私たちが狙われる。……先に仕掛けるわよ、サリアーヌ。あの娘の『家柄』ごと、この世から消してやるわ」
それが、王妃イザベラの致命的な失策になるとも知らずに──。
王妃が画策したのは、マリエッタの実家であるグレイロード公爵家を『隣国との内通』という冤罪で陥れることだった。
王妃は実家の実力者と通じ、偽造された密書をマリエッタの私室に隠し、衛兵に踏み込ませる計画を立てる。
だが、マリエッタはその動きをすべて把握していた。
彼女はあえて、王妃の飼い犬である侍女の一人を買収したふりをして、偽の情報を王妃に流させた。
「……王妃様。マリエッタ様は、グレイロード家が極秘に管理している『真実を映す鏡』と呼ばれる魔法具を、殿下への贈り物として隠し持っています」
「真実を映す鏡? そんなもの、私のスキャンダルを暴くために使うつもりね! その前に、すり替えてやりなさい」
王妃はマリエッタの“贈り物“を盗み出し、自分にとって都合の良い幻影を見せる【偽りの鏡】にすり替えるよう命じた。
数日後、各国の使節が集まる建国記念晩餐会。
王妃イザベラは、絶頂期の美貌を誇示するように、ひときわ豪華なドレスで玉座に座っていた。
彼女の狙いは、この場でマリエッタが差し出す贈り物を利用し、彼女を公衆の面前で国家反逆罪に仕立て上げることだった。
「カリレッド殿下、本日はおめでとうございます。わたくしから、王家の繁栄を願って、この『真実を映す鏡』を献上させてくださいませ」
マリエッタがしずしずと差し出したのは、銀細工の美しい手鏡だった。
王妃は心中で(バカな娘、その鏡には、お前の父が隣国と密談する幻影が映るように仕工してあるわ!)と嘲笑った。
「まあ、素敵な鏡ね。どれ、私が見てあげましょう」
王妃は、マリエッタが制止する間もなく、その鏡をひったくるようにして国王とカリレッドの前に掲げた。
「この鏡に映るものこそ、今の王家の真の姿……そして、この娘の真実よ!」
だが、鏡に映し出されたのは、隣国との密談などではなかった。
『……ふふ、国王もカリレッドも、私の贅沢を支えるための財布に過ぎないわ』
『寄付金を着服して、新しい別荘を建てましょう。証拠はすべて、私の寝室の隠し金庫にあるわ』
鏡の中に映し出されたのは、数日前、王妃自身がサリアーヌやロレイシアと語り合っていた、醜悪な本音の数々だった。
それだけではない。
鏡の魔力は会場全体に波及し、王妃が長年ひた隠しにしてきた“実家への公金流用“の証拠書類が、キラキラとした光の粒子となって空間に投影されていく。
「な、何よこれ! 消しなさい! 誰か、この鏡を割りなさい!!」
王妃が悲鳴を上げるが、もう遅い。
会場の貴族たちは、自分たちが納めた税金が王妃の個人的な宝石や、実家の借金返済に消えていた事実を目の当たりにし、殺気立った声を上げた。
「イザベラ……。お前、私を利用していると言ったか?」
国王の、地を這うような低い声。
カリレッドもまた、信じられないものを見る目で母親を見つめていた。
「お母様……。僕を『財布』だと思っていたのですか? マリエッタを陥れるために、こんな魔法具まで用意して……」
「違うの! これはあの娘が、マリエッタが仕組んだのよ!」
王妃はマリエッタを指差したが、マリエッタは震える手で顔を覆い、今にも倒れそうな様子でカリレッドに縋り付いた。
「殿下……。わたくしは、ただ殿下の誠実なお姿を皆様に見ていただきたくて、この『真心の鏡』をお持ちしただけなのに……。なぜ、王妃様はあんな恐ろしいことを仰っていたのですか……?」
完璧な被害者の演技。
会場にいた誰もが、“純真なマリエッタが、王妃の邪悪な本音を暴いてしまった“と確信した。
国王はその場で命じた。
「王妃イザベラ、およびその実家であるマルグリット伯爵家に対し、国家財産横領および王室冒涜の罪を問う。……連れて行け。二度と私の前に出すな」
衛兵に両脇を抱えられ、引きずられていく王妃。
豪華なドレスは乱れ、王冠は無残に床に転がった。
「離しなさい! 私はこの国の王妃よ! マリエッタ、お前だけは、お前だけは許さないわ……っ!」
マリエッタは、引きずられていく王妃の背中に向かって、一瞬だけ、冷酷な勝利の笑みを浮かべた。
そして、耳元に届くか届かないかの声で囁いた。
「さようなら、お義母様。……泥水のお茶、これからは一生、ご自分でお淹れになってくださいね」
王妃は絶叫し、その声は閉ざされた扉の向こうへと消えていった。
王妃は王族籍を剥奪され、北の荒野にある、かつて自分が政治犯を送り込んでいた監獄へと投獄された。
そこは豪華な食事も、絹のシーツも、彼女を崇める取り巻きもいない、凍てつく石の部屋だった。
カリレッドはマリエッタの肩を抱き、深く溜息をついた。
「すまない、マリエッタ。私の母が、あんなにも腐っていたなんて。君をそんな女の側にいさせてしまった自分を恥じるよ」
「いいのです、殿下。わたくしは殿下さえ信じてくだされば、それで……」
マリエッタはカリレッドの胸に顔を埋め、残った標的を思い浮かべる。
王女サリアーヌは、母親の失脚を呆然と眺めていた。
(次は、わたくしの髪飾りを奪い取ったその『手』を、二度と使えないようにしてあげましょうか)
マリエッタの慈愛に満ちた微笑みの裏で、復讐の炎はますます静かに、そして激しく燃え上がっていた。
◇〜第四章:血塗られた薔薇園、騎士の終焉と王女の失脚〜◇
王家を揺るがすスキャンダルが続く中、第一王女サリアーヌは最後の賭けに出ようとしていた。
副騎士団長ハンス。
彼は、実力も人望も兼ね備えた現騎士団長ガイルを、激しい嫉妬と野心で憎んでいた。
「あいつさえいなければ、私がこの国の軍事権を握れるのに」
その歪んだ欲望に目をつけたのが、サリアーヌだった。
サリアーヌは深夜、秘密の接見室にハンスを呼び出した。
彼女は薄衣を纏い、香油の香りを漂わせながら、ハンスの胸元に指を這わせる。
「ハンス……。不器用なガイルに騎士団長の座は重すぎると思わない? あの女を排除してくれたら、あなたが騎士団長よ。そして……わたくしという『報酬』も、あなたの好きにしていいのよ」
「……殿下。それは、本当ですか」
ハンスの瞳にどす黒い欲望が宿る。
サリアーヌの官能的な誘惑と権力への渇望が、彼から騎士としての最後の一線を踏み越えさせた。
「あいつを事故に見せかけて殺すの。そして、その罪を『裏切りの騎士団長』ガイルに着せるのよ。彼は“お母様の失脚はマリエッタの陰謀だった“と決めつけ暗殺した“とでも言えば、誰も疑わないわ」
決行の夜。
薔薇園の奥にある離れには、事前にロレイシアから流された情報の通り、白いドレスを纏い、ヴェールで顔を隠した人影がテラスに佇んでいた。
「……いた! あれがマリエッタよ!」
サリアーヌの合図を受け、ハンスは剣を抜いた。
背後から一突きで仕留める──はずだった。
「死ね、小娘が!!」
ハンスの渾身の一撃が放たれる。
しかし、白いドレスの影は、信じられない速さでその刃を躱した。
翻るヴェールの下から現れたのは、マリエッタの華奢な顔ではない。
「……ハンス。貴様の忠誠心は、その程度だったのか」
月光に照らされたのは、屈強な体躯を無理やりドレスに押し込み、静かな怒りを湛えた騎士団長ガイルの顔だった。
「が、ガイル!? なぜ貴様がドレスを……!」
「マリエッタ様から、お前の反逆の予兆を聞かされていたのだ。……『女の格好をしてでも、裏切り者の牙を抜きたいか?』と問われ、私は騎士の誇りよりも、この国の正義を選んだ」
実はマリエッタは、事前にガイルと接触していた。
『副騎士団長がサリアーヌ様に買収され、わたくしを狙っています。それを逆手に取って、彼らの反逆の証拠を掴みませんか?』
ガイルはマリエッタの策に応じ、自らが囮となってハンスを誘い出したのだ。
「ふん、女装の騎士団長か! 笑わせるな、ここで死ね!!」
ハンスは逆上し、猛然と切りかかる。
だが、実力差は歴然だった。
ガイルはドレスの裾を豪快に引き裂き、身軽になると、一閃の下にハンスの剣を弾き飛ばし、その喉元に刃を突きつけた。
「勝負あったな、反逆者よ」
「……そんな、嘘よ! どうしてガイルが……!」
物陰で見ていたサリアーヌが悲鳴を上げて逃げ出そうとしたが、そこにはすでに国王、カリレッド、そして冷徹な微笑みを浮かべたマリエッタが控えていた。
「サリアーヌ……。実の兄である私を支える騎士たちを、色仕掛けで唆し、愛するマリエッタを殺そうとするなんて……」
カリレッドの言葉は、もはや怒りを通り越して、深い蔑みに満ちていた。
国王もまた、かつての愛娘を見捨てた。
「サリアーヌ、およびハンス。王室に対する反逆、および殺人未遂の罪により、即刻捕縛せよ。……二人を、南の果ての『不浄の泥沼』にある強制労働施設へ。一生、腰まで泥に浸かりながら、自分たちがどれほど醜い存在だったか、重い石を運びながら考えるがいい」
「嫌っ! 助けて、お父様! お兄様! 私は王女よ!!」
サリアーヌの叫びは、ガイルら騎士たちによって力ずくで遮られた。
◇〜第五章:断頭台の甘い罠、あるいは終わらぬ地獄〜◇
王妃、二人の王女、そして反逆した副騎士団長。
王家を汚していた毒虫たちが次々と“掃除“されていく中で、最後の一匹だけが、しぶとく玉座の影に潜んでいた。
乳母ロレイシア。
彼女は王家における『生きた宝物庫』だった。
歴代の王たちの秘め事、カリレッド王子の幼少期の弱み、そして王宮の非公式な資金源。
それらすべてを握る彼女は、物理的な武力よりも恐ろしい【情報の毒】で武装し、マリエッタとの熾烈な頭脳戦を繰り広げていた。
「マリエッタ様、私を消せば、殿下の『ある重大な秘密』が公になりますわよ。それでもよろしいのかしら?」
ロレイシアは、マリエッタが最も大切にしているカリレッドの地位を人質に、不敵に笑う。
だが、マリエッタはその挑発を鼻で笑った。
「秘密? ……ああ、殿下が幼少期に誤って国宝の壺を割り、あなたがそれを隠蔽したという、あの可愛らしいお話のことかしら? それなら、すでに昨日、殿下自ら国王陛下に告解し、お許しを得ておりますわよ」
「……っ!? なぜそれを!」
「わたくしの実家、グレイロード公爵家を甘く見ないことね。あなたの故郷、親族の資産、隠し持っている数々の脅迫状の隠し場所……すべて、わたくしの父が掌握いたしましたわ」
ロレイシアの顔から血の気が引く。
彼女の力の源であった秘密は、マリエッタの圧倒的な資金力と調査能力の前に、もはや無価値な紙屑と化していた。
しかし、追い詰められた老いた毒蛇は、なおも往生際悪く牙を剥く。
ここから二人の頭脳戦は、さらに熾烈を極めていった。
ロレイシアはまず、グレイロード公爵家が“平民から過剰な重税を徴収し、王室への献上金を誤魔化している“という偽の証拠を捏造した。
彼女は長年かけて王宮の文官たちを懐柔しており、その帳簿には完璧な偽装が施されていた。
「マリエッタ様、公爵家の潔白を証明したければ、この帳簿を陛下に提出される前に、わたくしに降伏なさることね」
ロレイシアは勝ち誇っていた。
だが、マリエッタは帳簿を一瞥しただけで冷笑した。
「ロレイシア様、数字というのは嘘をつきませんが、書いた人間は嘘をつくものですわ」
マリエッタは、グレイロード家の私設調査員を使い、その帳簿に使用された“インク“の産地を特定させた。
それは、ロレイシアが秘密裏に管理している私領地でしか生産されていない特殊な鉱石インクだった。
さらにマリエッタは文官たちの弱みを握り、彼らに『ロレイシアに命じられて偽造した』という自白書を書かせた。
翌朝、ロレイシアが国王に帳簿を提出しようとした瞬間、マリエッタはその成分分析結果と自白書を突きつけ、逆に【王宮公文書偽造】の罪をロレイシアに背負わせたのだ。
次いでロレイシアは、カリレッドとマリエッタを仲違いさせる最後の賭けに出た。
彼女は魔法を付与した【真実の香炉】を食事の場に用意した。
その煙を吸った者は理性による制御を失い、心の中の“最も醜い本音“を口にしてしまうというものだ。
「これであの女が、殿下を『単なる権力の道具』だと思っている本性を暴いてやるわ」
晩餐会の席、煙が漂い始める。
しかし、口を開いたのはマリエッタではなく、ロレイシアに買収されていたはずの給仕たちだった。
「……乳母様は、殿下を自分に依存させるために、幼い頃の大切な思い出をわざと壊していたと言っていました」
「乳母様は、王妃様の宝石を盗んで、それをマリエッタ様のせいにしようと計画していました」
ロレイシアは驚愕した。
マリエッタは香炉の成分を事前に察知し、中身を“標的を操る者が、自白の対象になる“ように書き換えていたのだ。
パニックに陥るロレイシアの横で、マリエッタは優雅にワインを啜り、カリレッドは、信頼していた乳母が自分を支配するために傷つけていた事実を知り、その瞳から完全に慈悲を消した。
ロレイシアは最後の望みをかけて、カリレッドの元へ縋り付いた。
「殿下! わたくしはあなたをお育てした乳母にございます! あの女は、あなたを操るために王家を壊そうとしているのです!」
しかし、カリレッドは彼女の手を冷たく振り払った。
「ロレイシア、もういい。君がマリエッタの刺繍を切り裂き、泥にまみれさせた日の夜。……私は見ていたんだ。君が笑いながら、彼女の母の形見を池に沈めるように指示していたのを」
国王もまた、公爵から提出された横領の決定的な証拠を突きつけた。
「ロレイシア、貴様に相応しいのは、泥沼ですらない。断頭台だ」
処刑当日。
広場には巨大な断頭台が設置され、ロレイシアはボロボロの衣服で、民衆の罵声を浴びながら引き立てられた。
刃が陽光を浴びてぎらりと輝く。
「……嫌。死にたくない、死にたくないわ……っ!」
死の恐怖に震えるロレイシアの前に、王太子妃の正装に身を包んだマリエッタが現れた。
彼女は執行人に命じて一時停止させると、絶望の淵にいる乳母の耳元で囁いた。
「ロレイシア様。命が惜しいかしら?」
「マリエッタ様……助けて、何でもします! お願い、死なせないで!」
「ええ、慈悲を差し上げますわ。……わたくしに、魂ごと『絶対服従』すると誓いなさい。そうすれば、その首は繋ぎ止めておいてあげます」
ロレイシアは、死ぬよりはマシだと、その蜘蛛の糸に飛びついた。
「誓います! 誓いますわ! あなたの奴隷にでも何にでもなります!」
「契約成立ですわね」
マリエッタが指を鳴らした瞬間、空中に禍々しい紫色の魔法陣が展開された。
グレイロード公爵家に伝わる禁忌の契約魔法【隷属の刻印】。
光がロレイシアの首筋に走り、そこには一生消えない黒い茨の紋章が刻まれた。
◇〜エピローグ:女王の愛玩動物〜◇
それから数ヶ月。
マリエッタは正式に王妃となり、その美しさと賢明さで国民から聖女のように慕われていた。
だが、王妃の寝室の影には、いつも一人の老いた女の姿があった。
今のロレイシアの仕事は、マリエッタの靴を縋るように磨き、彼女が歩く前の床を膝を突いて拭き清めることだ。
「ロレイシア、喉が渇きましたわ。床にこぼれた紅茶を、お前ドレスで綺麗に片付けてくださる?」
マリエッタが優雅にティーカップを傾け、わざと床に数滴こぼす。
ロレイシアのプライドは叫び声を上げ、屈辱で心はズタズタになっていた。
だが、刻印の魔力が彼女の体を強制的に動かす。
「……は、はい。マリエッタ様。喜んで……」
ロレイシアは涙を流しながら床に這いつくばり、かつて「虫ケラ」と呼んだ女の足元で、泥にまみれた生活よりも悲惨な、終わりのない屈辱を味わい続けていた。
王妃マリエッタは、その様子を満足げに眺めながら、カリレッドに微笑みかける。
「殿下……わたくし、王家に入って本当に良かったわ。……こんなに便利な『お掃除道具』が手に入ったのですもの」
マリエッタの真の支配が始まった。
毒を薬に変え、悪意を悦楽に変えた彼女の帝国は、世界で最も美しく、そして最も残酷な聖域として、永遠に君臨し続けるのである。
〜〜〜fin〜〜〜
貴重なお時間を使ってお読み頂き、本当に有難うございました。
興味を持って頂けたならば光栄です。
作者のモチベのために☆やいいねを残して頂くと幸いです。感想などもお待ちしております。
ブクマ頂けたら……最高です!




