第9話 コンフェイト
ルイス・フロイスと別れた後、俺は兵たちが詰めている寺へと向かった。住職にルイスの話をしてみると、「無学で喧嘩早い、今の僧は情けないですな……」と深く嘆いた。
挨拶を済ませて兵舎へ向かうと、例の坊主がいた。
「貴様、ここの坊主か。住職に話してやろう」
そう告げると、奴は顔色を変えて土下座した。
「仏道修行に励みます! どうかお許しください!」
「いや、信じられんな」
にべもなく切り捨てると、奴は泣きながら何度も頭を下げる。
「俺は那須資晴だ。ここの皆が見ているぞ。二度目は死と思え」
そう脅しつけると、奴は情けなくも股間を漏らしていた。近くの者に「あいつを見張っておいてくれ」と言い残し、その場を後にする。兵の管理責任者を集めて山賊の配当金を渡し、ようやく屋敷へと戻った。
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夜、やよいの部屋を訪ねた。
彼女は正座して丁寧にお辞儀をし、「優しくお願いいたします」としおらしく言った。耳から顔まで真っ赤になっているのが見て取れた。しばらく世間話をして過ごす中で、やよいは十五歳で俺より一つ年上だということがわかった。体格も良く態度もでかい俺を、てっきり年上だと思っていたらしく、実年齢を教えると驚いていた。まあ、中身は三十を超えているのだから、自然とそう見えるのだろう。
翌朝、目が覚めると、やよいが俺にしっかりとしがみつき、あろうことか俺の下のものを握っていた。俺が少し身動きをすると彼女も目を覚ましたようで、自分が何を握っているかを悟った瞬間、慌てて手を離した。
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自室に戻って身支度を整え、今日の予定を確認しながら食事を取った。食後しばらくして、来客があった。藤姫の実家である九条家からの使いらしい。
「藤姫を救い出したこと、礼を申す」
それだけ言い残し、使いの者は去っていった。
「何だ、それだけかよ」
呆れもしたが、礼を言いに来るだけまだマシかと思い直した。
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次に現れたのは鷹司様だった。
「どうなされましたか」と尋ねると、彼は困り果てた様子で首を振った。
「どうもこうもありません。九条家では藤さんを引き取れないと言うんです。理由を聞けば『家の恥になる者を家に入れることはできない』と。お宅様には立派な後ろ盾もいることだし、嫁にしようが妾にしようが構わないという言い草です。本当は家計が苦しいのが一番の理由でしょうが。たまたま那須殿との縁があったことで、やっかみもあるのでしょう。来年から息子夫婦も帰ってくるというのに、困ったものです」
鷹司様は縋るような目で続けた。「彼女の処遇を何とかできないか」と。
「それは大変ですね。ですが、我が家では何の役にも立たない人は雇いません。武士の嫁とは格式も身分も違いすぎる。例の大和屋利平なら何とかできるかもしれませんが、坊主の妾が関の山でしょう。嫁としては……やはり無理ではありませんか」
「無理無理。あの娘はとんだ『狐』ですよ。私では手に負えません」
仕方がない。「本人に聞いてみましょう」と言って、数日ぶりに藤姫と面会することにした。
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「お加減はいかがですか? 鷹司様からお話を伺いました」
問いかけても彼女は無言のまま、ひどい顔で泣いていた。
「ご気分が悪いようですので、また後ほど伺います」
俺が立ち上がろうとすると、彼女は「までー……ずでないでー……!」としがみついてきた。
「姫。この世は戦乱の世です。自分が強くならなければ生きていけないことは、ご存じですね?」
彼女はコクリと頷いた。
「口先だけで生きていくには、力の裏付けが必要です。力は銭から始まり、武力、そして権威へと繋がる。ごまかしで生きれば必ず躓き、この世の地獄を見ることになります」
俺の言葉を聞く姫の表情は、実に神妙なものだった。馬鹿ではない。こちらの話を理解しているはずだ。
「今この瞬間の判断が、落ちるか留まるかの分かれ道です。現実では、今日から平民と同じ身分。それを受け入れられますか?」
沈黙の後、俺は再び問うた。
「どのように生きますか?」
「平民として……生きます」
弱々しいが、確かな声だった。
「では、藤には何ができる?」
「……和歌、儀礼、それに日記です」
また沈黙。
「それはすべて鷹司様から教えていただけるものですね。家事や掃除はできますか?」
問いに、彼女は俯いて首を振った。
「学問や和歌、儀礼について、鷹司様に関連して十名ほど国元へ派遣してもらう予定でした。女子はいないので、藤を加えて二名で送るのも手か……。あるいは、男の家族に単身赴任を含める案も……」
独り言ちると、彼女は切実に訴えてきた。
「ぜひ、そうしてください。もう、京にはいられません」
「我らの先祖も京から流れた藤原の一族。中には帰農した者もおります。身の丈に合った生き方を願います。これは、私の生き方でもあります」
そう言い残し、俺はその場を後にした。
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鷹司様に経緯を話すと、「そうか、そういたしましょう。女子にも作法は必要だ。家族持ちの単身赴任は寂しいものでしょうし、それは良い案だ」と、どこか安堵した表情で言った。
「父より、春には公家屋敷が完成するという文が届いています。那須の兵六十名が護衛しますから、安心してください」
そうして、慌ただしい一日が過ぎていった。
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翌日、大和屋利平が手揉みをしながら手下を引き連れてやってきた。
「殿様、いつもお世話になっております! 今回は奮発しますよ!」
興奮気味にニコニコと笑っている。
「なんだ、気持ち悪いな。お宝でもあったか?」
「まさにその通り! 名物が三点もございました。一つは刀。雑な拵えでしたが、あれは殿様が持つにふさわしい名品です。それともう一振り、これも名品。あとは茶器でございますな」
「ほう、そうか」
「織田様御懇意の大店に目利きをしてもらったら、これが……大変儲かりました!」
「次も当たりが出るかもな」
俺が言うと、彼は「では、当たりが出ますように」と祈るような仕草をして、一両金が入った小袋を置いて帰っていった。
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午の刻を過ぎた頃、また来客があった。ルイス・フロイスだ。布教に来たのだろうか。
「お邪魔します。今日は世間話とお土産を」
包みを持参していた。奥の座敷に案内し、中身を拝見する。
「コンフェイト(confeito)か……」
思わずポルトガル語で呟くと、彼は驚愕の表情を浮かべた。
「甘く、手間のかかる菓子はここでは手に入りませんから。大変ありがたいです」
「今、那須様はポルトガル語を……!?」
「神から賜った言語の才能です」
「神! イエスですか!」
「ここ日ノ本には八百万の神がいます。私は女神イネスから授かりました」
「イネス? ギリシャ神話の……?」
「分かりません。気がついた時には目の前にいました。日ノ本には八百万もの神がいる。まだお会いしていませんが、イエス様もどこかにいらっしゃるのでしょう」
適当にはぐらかして、本題に入った。
「私どもイエズス会は『理性』と『知識』を重視し、西洋の天文学や医学、地理学などを通じて日ノ本の知的好奇心に応え、キリスト教への理解と関心を高めようと参りました」
その信念と努力には素直に感心する。さて、いくつか質問をして、彼の反応を試してみることにした。




