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戦場の葬送曲  作者: 曇空 鈍縒


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29/33

告白

 宿の外観は、写真と変わらずかなりひどかった。

 3階建ての石造りで、歴史を感じるといえばそうなのかもしれないが、少なくとも進んで泊まりたいとは思わない。

「ここですね」

 この辺りの区域はほとんど開発されておらず、こういった昔ながらの建物が立ち並んでいる。

 観光ならばそれなりに楽しめそうだ。

 シャーナは、明日には自分たちの手で破壊することも気にせずに、そんな感想を抱いていた。

 ガーランが木製の古びたドアを開けると、ドアベルの乾いた音が鳴る。

 こんなホテルがWebサイトを運用できていることに、シャーナは驚きを禁じ得ない。

 小さな玄関ホールには擦り切れた絨毯が敷かれ、昔は小洒落ていたことを窺わせる。古びた細い花瓶に挿された薔薇だけが、唯一新鮮だ。

「すみません」

 ガーランは、カウンターの老人に声をかける。

 カウンターの老人はパソコンから顔を上げて、ガーランを見た。

 古びたカウンターの上に置かれた最新型のパソコンは、かなり浮いている。それを気難しそうな老人が使っているのだから、なおさらだ。

「すみません。今満室なんです。予約の方ですか?」

 老人の言葉に、ガーランは頷く。

「はい。302号室のサクリアです」

 予約は、もちろん偽名でとっている。

「はいはい。これ鍵ね。ごゆっくりどうぞ」

 老人は、古びた真鍮の鍵を木目の美しいオーク材のカウンターに滑らせた。

 ガーランはそれを受け取って、狭い階段を登る。

 シャーナは、その後ろに続いた。

 一見すると平均的な体格をしているガーランだが、後ろから見ると肩幅が広く全体的にがっちりしている。

 格闘技には背筋も重要だし、衛生兵であるガーランは訓練でも実戦でも、フル装備の重い人間を持ち上げることが多い。

 普段は特に体格を感じさせないので、シャーナは少し意外に感じた。

 2人は、そのまま三階の廊下を進む。

 古びた赤絨毯と色落ちした橙色の壁紙は、よく合っている。

 ガーランは、302号室のプレートが取り付けられたドアを開けた。

 二台のベッドが設置された狭いベッドルームと机、バスルーム、トイレなど、ホテルの2人部屋として最低限の機能が備えられた部屋だった。

 だが、別に汚いと言うことは無く、むしろ几帳面なまでに清掃されている。

「ザルノフさんからいつ連絡が来てもいいように、交代で起きていましょう」

 ガーランはそう提案した。シャーナはうなずきながらコートを脱ぐ。

 戦闘服姿で町中を歩くのは目立ちすぎるので、彼らは私服に着替えている。

「シャーナさん。一応風呂ありますけど入りますか?」

 ガーランが、そう聞いた。

「私はいい」

 シャーナは断って、さっさと寝ようとする。

「入れる時に入った方がいいですよ」

 ガーランは入浴を勧めた。

 最前線では、風呂に入れないことも少なくない。

 後方支援部隊が運用しているが、最前線まで出てくることは少ないし、もし出てきても使えるとは限らない。特殊部隊は敵地の後方で活動するため、入浴など夢のまた夢だ。

「分かった。入っておく」

 シャーナはベッドから起き上がり、浴室のドアを開けた。

 浴室は左にシャワーとバスルームが一緒になった区画があり、右には洗面台がある。

 シャーナはドアを閉めて、鍵をかけた。

 手持ち無沙汰になったガーランは、文庫本を取り出してページをめくる。

 服を脱ぐ衣擦れの音が聞こえ、続いてシャワーの流れる音が天井を打つ雨のように響く。

 部屋の壁は薄いらしく、音は思いのほかよく聞こえる。

 ガーランはページを捲りながら、じゃんけんではなくサリアとシャーナに泊まらせるべきだったと後悔していた。

 普段の先頭は男女関係なく活動しているのであまり意識することは無いが、2人きりとなるとそうもいかないし、好きな人ならばなおさらだ。

「参ったな」

 こういう時に何か聞くべきなのは誰だろう。

 ザルノフ、サリアは論外。ライツは正直あまり頼りたくはない。

 カヤは別任務で忙しいだろうから、まあ特に気にせず普段通りに行動するべきか。

 そもそも何を聞くべきなのか、あるいは聞きたいのか分からない。

 どこが分かっていないのか分からないという致命的な状況に、質問は大して役に立たない。それは自身の脳の限界だ。

 ガーランが思考を止めて読書に戻ろうとした時、ポケットのスマ―トフォンが鳴った。

 誰からだろう。ガーランは本をベッドの上に置いて、スマホの画面を確認する。

 カヤからだった。

 何かトラブルでも発生したのか、あるいは任務の開始時刻が早まったのか。

「はい、ガーランです。どうかした?」

「今、シャーナといる?」

 カヤは、ガーランの語尾に覆いかぶさる勢いで、そう聞いてきた。

 シャーナさんに要件があるのか。カヤは割とシャーナのことを気にかけていたので、任務前に先輩として伝えたいことでもあるのかな。

「今風呂に入っています。多分、すぐに出ると思いますよ」

 ガーランはそう答えた。

「好きな人の入浴中って、ドキドキしたりするの?」

「は?」

 まずガーランが考えたのは、情報の流出経路だった。これは職業病と言うべきだろう。

 本来であれば動揺してしどろもどろになるべき局面でも、脳が自動で冷静さを保ち、追及するべき点を見つけ出してしまう。

 最も、これに関してはすぐに分かった。

「ライツから聞いたんか?」

「まあね」

 カヤはあっさりと肯定した。確かにガーランは他人に言うなとか念押しした訳では無いが、流石に口が軽すぎるのではないだろうか?

「とりあえず、さっきの質問の答えを教えてよ」

 カヤは、ナイフ並に鋭く切り込んでくる。

「いや。そこまで気にはならないよ。拗らせているわけじゃありませんし」

 ガーランは平静を装いつつ慎重に答えを返す。

 完全に俯瞰できる事務的情報よりも、俯瞰が不可能な心情的情報の方が取り扱いは難しい。

 ザルカ帝国を中心に、全世界を覆う情報網を運用するカヤは、両方の扱いに長けている。

 それこそ、世界でも5本の指に収まるほどの天才だ。

「まあ君の趣味に口出しする気はないけどさ、僕はいいと思うよ。アトラ連邦の刑法に触れない範囲だったら何の問題もない」

 カヤがにやにや笑っているのが、目に浮かぶようだ。

「明日死ぬかもしれない状況で、何言ってんだよ」

「明日死ぬかもしれない状況だからだよ」

 もし目の前にカヤがいたら、とりあえず投げていただろう。

 男だったら殴っていたかもしれない。

「言葉遊びがしたいだけだったら切るぞ?充電の無駄だ」

 ガーランは、苛立ちを隠そうともしなくなった。

「いいよ。もう十分冷やかせたし」

 内容が何であっても、こいつに質問するのは論外だな。前職は民間のデジタルエンジニアらしいが、随分と話をぼやかすのが上手い。

 ガーランは、電話を切った。

 仕方ない。いつも通り気にせず過ごそう。

 表情を隠す訓練を受けているガーランにとって、それはそこまで難しくない。

 ガーランは表情を消して、本に没頭するふりをした。

「出たぞガーラン。入るか?」

 ゆっくりとドアが開いて、浴室からシャーナが出てきた。

 湿って艶を帯びた金髪を目に入れて、ガーランはすぐに目線を伏せる。

 目線は合わせられない。シャーナも感情を読む訓練を受けている。

 内心を悟られたら、戦闘時の連携に支障が出る可能性がある。

 実際は恥ずかしいだけなのだが、ガーランはそれを認められるほど恋愛について経験を積んでおらず、自分自身にそう誤魔化した。

「そうですね、入りますか。先に寝ていていいですよ」

 ガーランは奇妙なほどに自然な動きで立ち上がり、本をベッドの上に置いた。

 風呂へ向かうガーランとすれ違い、シャーナは自分のベッドに潜り込む。

 甘い香りが、ガーランの鼻腔をくすぐった。

 深紅の瞳に、吸い込まれてしまいそうだ。

 でもそれは一瞬のことで、シャーナは毛布にくるまってすぐ眠りに落ちる。

 野外でも一瞬で寝れるよう訓練を受けている戦闘員は、総じて寝付きがいい。

 ベッドなんて贅沢な物があれば、横たわった瞬間に寝れるだろう。

 ガーランは浴室のドアを開けて、服を脱ぐ。

 洗面台に取り付けられた鏡に、自分の体が映った。

 時として歩兵以上に過酷な任務を担う衛生兵だからか、彼の体つきは引き締まっている。

 シャーナは筋肉がある方が好きなのか、無い方が好きなのか。

 そんな事を考えて、ガーランはかぶりを振った。

「くだらないな」

 ガーランはシャワーを浴びる。

 暖かい水が彫刻のような筋肉を滑り落ちて、排水口に流れていく。

 ガーランは適当に体を洗って、風呂を出た。

 ベッドの上に、シャーナが座っていた。赤い瞳が、いつも以上に鋭い。

 ガーランは立ち止まる。

「なあ、ガーラン」

「どうしたの?」

 ガーランは、戦々恐々としながら聞き返す。

「お前は私に、家族の仇を討つために戦えと言ったな。覚えているか?」

『家族の仇を、打ちたいんじゃないの?』

 ガーランは、かつて自分がシャーナを鼓舞しようと言った言葉を、思い出した。

「少しだけ、昔話に付き合ってくれないか?」

 明日を生き延びられるかすら分からないのだから。

 掠れるように続いた言葉を、ガーランは聞き逃さなかった。

「いいよ。たとえどんな結果になっても、明日には終わるんだ。それがどんな結果になっても、君には悔いのないようにしてほしい」

 ガーランは、ベッドの上に座った。

 ダブルベッドではなくそれぞれ別のベッドなので、2人の間には妙に距離がある。

「私の家族は、それといった特徴もない普通の家だった。父は普通の会社に勤めて平均的な給料をもらう毎日を送っていたし、私も弟も、特別頭がいい訳では無ければ特別悪いわけでもない、普通の学校に通っていた」

 彼女に弟がいるという情報は、ガーランも知っていた。

 シャーナの声色には、微かに懐かしむような響きがある。

「弟とも、たまに喧嘩をする程度で普通の関係だった。本当に、ごく普通の生活を過ごしていたよ」

 ガーランは相槌すら打たなかった。一度でも切ったら、彼女はもう話を続けられなくなるような、そんな気がしたからだ。

「あの日、私は学校のタブレットでニュースを知った。ザルカ帝国が攻めてきたと。私の町は国境に近くて、本当はすぐに逃げなきゃいけなかった。でも、国防軍も国境警備隊も電子攻撃で機能不全に陥って、避難命令すら出せない状態だった」

 シャーナの赤い瞳が、見開いた。

「私は普通に授業を受けて、帰宅しようとした。だけど、もう遅かった。巨大な爆撃機が轟音を鳴り響かせながら市街地に焼夷弾をばらまいて、辺りは一瞬で炎に包まれた。発砲音も聞こえていたし、悲鳴も聞こえた。肉の焦げる臭いも」

 シャーナは、ガタガタと震えだした。恐怖をこらえるように。

「死体もあった。運悪く炎に巻かれた黒こげの死体が。私は恐怖に駆られて家へと走って、でも、やっぱり私には何もできなかった」

 シャーナの息が、浅く粗くなってきた。

「家には‥‥火が。燃えていた。全て」

「もういい」

 ガーランは止めた。PTSD、心的外傷後ストレス障害を知らない衛生兵などいない。

 暴露療法など、トラウマに正面から向き合ってそれを克服する治療法はあるが、シャーナの様子を見るにまだそれができる段階ではない。

「大丈夫」

 ガーランは、シャーナの隣に座って、背中を優しくさすった。

「ずっと抑えてきたんだ。全てをザルカ帝国への憎しみにすり替えて、理性を保とうとしてきた」

「それは間違っていない。逃げたいときに逃げるのも、また勇気だから」

 ガーランは、穏やかな口調でそう言った。

「いや。もう駄目なんだ。私は純粋に憎むのにはこの国を知りすぎてしまったし、それに、もうこの国は消えてなくなる。向き合えない。向き合えないんだ。向き合わないといけないのに」

 シャーナが、ガーランを相談相手に選んだ理由は、彼が衛生兵という兵士を精神面でも支える兵科に所属しているから。

 それだけではない。

「向き合えますよ。あなたは十分に強いです」

 彼は、シャーナの瞳に含まれているのが憎悪だけではないことを知っていた。

 燃えるようなザルカ帝国への憎悪の中に、垣間見える優しさや真摯さに、ガーランは惚れたのだから。

 ガーランはやや躊躇いながらシャーナの耳元に唇を寄せる。

「私は、あなたの事が好きです」

 シャーナが、驚いたようにガーランの顔を見た。

 ガーランは、自分でも何を言ったのかよく分からなくなっていた。予想もせずに溢れてしまった内心は、どこに着地するべきなのか分からず空中浮遊している。

「どうしても言っておきたくて」

 ガーランは気恥ずかしさに顔を背けて、そう言った。

「私のことを?」

 シャーナは、躊躇いがちにそう聞いた。

 手のひらに、シャーナの鼓動を感じる。

 それは、熱を帯びつつ速度を上げていた。

 湿った白いTシャツに、鍛えられた体が浮いている。

「はい」

 ガーランは、心臓が跳ね上がるのを感じながら、返事をした。

「私も……」

 シャーナは恥ずかしそうに言う。

 ガーランは、シャーナを躊躇いがちに抱きしめた。鼻腔を、シャンプーの香りがくすぐる。

 シャーナは少し恥じらいながらガーランの耳に唇を寄せて、口を開いた。

 ガーランのポケットで、スマートフォンが鳴った。

 2人は、即座に固まる

 数秒後、ガーランは慌ててシャーナから離れた。

「ごごごめん」

「あっ‥‥」

 シャーナは思わずガーランの袖を引っ張って、ふと我に帰ったように離す。

 その真意を問いたい気持ちはあったが、電話を優先するしかない。

 ガーランは受信ボタンを押して、スマホを頬に当てた。

 熱を帯びた頬に、スマートフォンのディスプレイはひんやりと心地いい。

「もしもし」

「ああ、ちょうどいいところだったら悪かったガーラン。今すぐ駐車場に来てくれ。明日の朝にはもう首都を出れなくなる」

 ちょうどいいところだったら?ああ確かにちょうどいいところだった。

 ガーランはザルノフに文句を言いたくなったが、今が社員旅行中ではなく任務、つまり仕事中であるということを思い出して、やめた。

 むしろ告白するなら帰還してからの方が良かった。

「分かりました」

 代わりに、丁寧に返事をして電話を切る。

「誰からだ?」

 シャーナはすでに事態を察したようで、白いTシャツの上からコートを着ている。

「ザルノフから、今すぐ来いだってさ」

 ガーランは、コートを羽織った。

「いくよ」

「なあ、ガーラン」

 ドアを開けたガーランの背中に、シャーナは声をかけた。

「何?」

 ガーランは、振り返らずにそう聞く。

「帰ったら、ちゃんと返事を言わせてくれ」

 緊張と恥じらいの混じったシャーナの綺麗な声に、ガーランは振り返りたくなるのをこらえた。

「分かった」

 ガーランは部屋を出て、その後ろからシャーナが続く。

 2人は慌ただしくホテルを出て、夜の闇へと消えた。


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