動揺
「やはり生徒の動揺は大きいですね。訓練の中止を要求している人が何人かいます」
朝、シャーナたちは会議室で今後の方針について話し合っていた。
「なんにせよ、早くこの施設は放棄するべきでしょう。情報調査室ならいざ知らず、その『赤いオーケストラ』とやらに踏み込まれたら厄介です」
ライツが提案した。
老人が語った自らの身の上は、すでに本部にも送信してある。
「それとも、もう始めてしまうか?」
ザルノフが、そう提案した。
「まだ準備が完了していない」
「一端を掴まれた以上、準備が完了していなくても動くしかない。とりあえずここは、どれだけ遅くても今日の午後には奴らに踏み込まれる。全員逮捕だ」
「俺たちだけなら逃げられますが、APMC社の社員や生徒もいます。流石に全員は無理です」
ガーランの言葉に、ザルノフは頷いた。
「ああ。だが、すでに火器の散布は半分ほど完了している。現時点でも、ザルカの各主要都市を市街戦の舞台にすることは可能だ」
突然ドアがノックされ、APMC社の社員が入ってきた。
「失礼します。この施設に陸軍の歩兵連隊が向かっているとの情報が入りました。おそらく午後2時頃には到着するものと思われます」
どうやら、ゆっくり考えている時間もなさそうだ。
「『平和を愛する会』の連中を武装させて全員連れてこい。武装させて応戦する」
「全滅するぞ」
ザルノフの決定に、シャーナが口を開いた。
「構わん。これからカヤに連絡して全工作員の活動を開始させる。予定を一週間ばかし早めることになるが、その程度なら問題ないだろう」
ザルノフは、落ち着いてスマホを取り出す。
「『平和を愛する会』には、ここで殉じてもらうしかなさそうですね」
「ああ。もし奇跡的に連隊を突破したら、そのあとは下の街を占領するように指示しておく。せいぜい平和のために戦ってくれるだろうさ」
ザルノフは、そう吐き捨てた。
いくら敵国の民とはいえ、民間人を死地に向かわせる罪悪感がないわけではない。
だが、その罪悪感と安っぽい正義感で任務を放棄するような事をするような人は、特務機関にいない。
「行きましょう。とりあえず彼らに素晴らしい演説を聞かせる必要があります。ザルノフさん得意ですよね?」
「得意と好きは全く別物だがな」
ザルノフは立ち上がり、APMC社の社員に生徒を運動場に招集するよう命じた。
生徒たちには、すでに昨日の交戦について説明している。
全体的に強いショックを受けた印象だが、ザルカ帝国政府の暴力性が強調されたと解釈したようだ。
武力蜂起の暴力性とどっちが酷いかと言われたらどっちもどっちだが、そこまで深掘りされたら困るし、『平和を愛する会』もそこまで深掘りするほど頭は良くなかった。
流石に千人もいれば、数十人減ってもあまり変わらないな。
シャーナは運動場で整列する生徒を見ながら、そんな感想を抱いた。
緑の作業服で、薄茶色の運動場が埋め尽くされている。
流石に数日程度の訓練で直立不動とまではいかなかったが、私服だった時よりは動きも整っている。
自動小銃を胸元に担えた彼らは、遠目で分かるほどに緊張していた。
「皆さん。もう聞いているとは思いますが、現在ザルカ帝国陸軍の一個連隊がここに向かっています。あと数時間で到着するでしょう」
1個連隊というと、1500人規模。数でも質でも差は圧倒的だ。
向こうの目的が殲滅だったら、2,3人生き残れば万々歳。
例え逮捕が目的でも、抵抗する以上多数の戦死者を出すことは避けられない。
「おそらく、ここにいる人のほとんどが、ザルカ帝国軍によって殺されます。すでに包囲網は完成されつつあり、逃げることも難しいでしょう」
まだ包囲網は無く、逃げようと思えばいつでも逃げれる状況にあるが、それで逃げられても困るのでザルノフは言わなかった。
「隠れたいものは隠れればいい。投降したいものは投降すればいい。ですがここで皆様が平和に殉じることで、未来の子らに幸をもたらせることを、忘れないでください」
ザルノフは、演説を終えた。
随分と安っぽかったが、生徒たちには効いたようで、彼らは覚悟を決めた気になることができた。
実際の軍人なら絶対に問題だが、彼らはあくまで捨て駒。本物の覚悟など必要ない。
「では、あとは作業員の方々が指揮を取ります。彼らの指示に従ってください」
今回の作戦で現場指揮をとるのは、APMC社の社員だ。
人によっては正規軍以上に練度が高く、実戦経験も豊富な彼らなら、ある程度上手くやってくれるだろう。
演説を終えたザルノフらの背中には、大きな拍手が浴びせられている。
その音がシャーナには随分と虚しく聞こえた。
彼らは銃器や機密資料などを回収あるいは処理して、そのまま講師用宿舎の隣に停めてあるバンへと乗り込む。
訓練場から街までにはアスファルト舗装の道が作られている。
バンはスピードを上げて、走り去った。
深夜。
ザルカ帝国陸軍の迷彩服を着用した兵士たちが、等間隔に並んで山の中を進んでいた。自動小銃の銃口が静かに動く。
訓練所を襲撃するにあたって歩兵戦闘車も連れてきたが、木が生い茂っていたため侵入することができず、彼らは歩兵のみでここにいる。
訓練所のある山岳は2時ごろに封鎖を完了しており、出入りは不可能。
アスファルト舗装の直通ルートもあったが、侵入が露呈して機密情報を処理される可能性を考慮して通らなかった。
彼らは、まだ自分たちの襲撃が察知されないと考えている。
まあ本当は察知されていて、すでに中にいる全員が逮捕されても問題ないような状態になっているのだが。
そんなことはいざ知らず、彼らは慎重に進んでいる。
突然、森の中に発砲音が響いた。
狙撃銃の弾丸が、兵士の防弾ベストを貫いて突き倒す。
次の瞬間、兵士たちの目の前に広がる木々の中に、発砲時に生じる発火炎が星空のように瞬いた。
「伏せ__!」
なんとか命令を下そうとした下士官を、鉛玉の暴風が襲った。
パニックに陥った兵士たちが、銃を乱射した。
まあ、射撃している方の生徒もパニック状態で射撃をしているのだが。
防戦か攻撃かで言えば、防戦の方がずっと有利だ。
互いにパニックならば、丁寧に陣形を作って戦闘に挑んでいる防戦側が有利だ。
そもそも攻撃側は防御側の三倍の戦力が必要だと言われている。
攻撃と言うのはタイミングを選べるという利点もあるが、実際に戦えば不利なのだ。
まだろくな訓練も受けていない生徒が操作する重機関銃が、肉薄しようとした兵士を薙ぎ払う。血が、土に吸い込まれていく。
想像以上に一方的な展開に、生徒たちは興奮していた。
ヘリの轟音に気付かないほどに。
先行した一個小隊の壊滅を受けた連隊本部は、すぐさま現場付近の上空に待機していた陸軍飛行隊に攻撃要請を出した。
ほんの数分で現場上空に到着した対戦車ヘリ部隊は、ひたすら撃ち続ける作業服姿の民間人へと照準を合わせ、射撃を開始した。
戦車の装甲すら貫く弾丸に穿たれ、生徒たちが次々に血飛沫と化していく。
弾幕が兵舎の壁を貫き、中に隠れた生徒やAPMC社の社員を切り刻む。
だが、別に隠し事は特務機関の特権ではない。
APMC社の社員は、自分らがここで一切の情報を残さず全滅することを望まれていることは察していたが、その望みをかなえるつもりはなかった。
そしてそれを避けるために、必要ないくつかの装備を秘密裏に訓練場へ持ち込んでいた。
社員の一人が、弾丸の降り注ぐ階段を駆け上って兵舎の屋上に飛び出し、勝手に持ち込んだ火器の一つである地対空ミサイルを構えた。
安価な携帯式の地対空ミサイルは、民間企業が入手できるレベルの物ですらヘリコプターを難なく撃墜する性能を誇る。
加速して向かってくるミサイルに気付いたヘリパイロットは、機体を大きく旋回させた。
だがほんの数百メートルの距離は広大な空に比べてあまりに短く、ミサイルを回避するには不十分だった。
対空ミサイルはヘリの燃料タンクを食い破り、その中で爆発した。
炎に包まれたヘリが落下して、森の木々をへし折りながら墜落する。
生き残った対戦車ヘリも、続くミサイル攻撃を恐れて戦闘空域を離脱した。
その数時間後、さらに一個中隊を壊滅させたザルカ帝国陸軍の歩兵部隊は、ゆっくりと撤退を開始した。
APMC社の社員たちは生き残った生徒と戦死した歩兵の装備を集めて、訓練場に立て籠もる準備を始める。
生徒は2割ほどが戦死し他も重軽傷を負っていたが、すでに逃げ道のない状況からか、士気は高い。
夜通し続いた戦闘に、生き残った民間人たちも引き締まった表情になっている。
結局、生徒たちと社員によって防衛された訓練場が帝国軍の攻撃により陥落するよりも、特務機関の作戦が開始される方が早かった。




