裏切り者
その時、シャーナたちは急斜面を進んでいた。
地面に生えた草で足を滑らせないように気を付けながら、歩いている。
生徒たちは大きい狙撃銃と重いバックパックに難儀しているようで、その分歩くペースも落ちている。
太陽も沈み始めて辺りも薄暗く、そろそろテントを張ってキャンプしようと思い始めた時だった。
「あっ!」
悲鳴が聞こえ、シャーナは慌てて振り返る。
生徒たちは立ち止り、斜面の下を覗き込んでいた。
「一人滑落しました」
初老の男性が、シャーナに報告する。
シャーナが谷底を除くと、若い男性がうずくまっていた。傍らには狙撃銃も転がっている。
様子を見るに、どこか負傷しているかもしれない。
シャーナもある程度の応急処置はできるが、怪我の度合いによってはガーランのような衛生兵が必要になる。
一般的な部隊ならそういった兵士が1人程度いるが、ここにそんな人がいるはずがない。
とりあえず助けに行って、怪我の度合いを確認しないとな。
「私が行くから、皆はここで待機しているように」
シャーナはそう言って、崖を下り始めた。
斜面は酷く急で降りるのは大変だったが、山岳地帯での訓練を多く行っているシャーナにとってはそこまで難しくない。
シャーナは、すぐに男性のもとへたどり着いた。
「大丈夫ですか? 立てますか?」
シャーナが呼びかけると、男性は片足を押さえながら立ち上がることを試みる。
表情が、痛みをこらえるように歪む。
足を捻っただけならいいのだが、骨折していると厄介だ。
男性は、狙撃銃を杖代わりにして立ち上がった。
「それじゃあ行きましょう」
シャーナは、男性が転落しないように気を付けつつ斜面を登る。
負傷者をつれているせいで、結局斜面を登り切るのに30分近くかかってしまった。
すでに日は落ちて、これ以上進むのは難しい状況だ。
シャーナは無線でサリアに状況を報告した。
必要ならばガーランを派遣すると言われたが、シャーナは忙しいだろうと思って断る。
「仕方ありません。今日はここでキャンプにしましょう」
シャーナはそう宣告して、坂で野宿することになった。
テントは使わず、防水布を使って体を覆い防寒は服に任せるほぼ完全な野宿だ。
交代で警備も行い、完全に実戦を想定している。
ついでに負傷者のおまけ付きだ。
シャーナは男性の足に添木をして、包帯を巻く。
「すみません」
男性は謝ったが、シャーナは特に反応を返さなかった。
状況次第では予定のルートを諦めて、引き返す必要があるかもしれない。
処置を終えると、ちょうど野戦糧食の用意が終わったところだった。
ある程度山に慣れた人が何人かいたため、簡易加熱材を使うための水も問題なく確保できたようだ。
「教官、どうぞ」
60はこえてそうな老人に教官と呼ばれることに違和感を感じつつ、シャーナは地面に座って熱くなった野戦糧食を受け取る。
メニューは白米とビーフシチューだ。
シャーナは袋入りのドロドロしたビーフシチューを白米にかける。
美味しそうな香りが、シャーナの鼻腔をくすぐる。
シャーナはスプーンで掬い、口に運んだ。
米はやや硬くあまりおいしくないが、ビーフシチューの具は意外と美味しい。
ビーフシチューは数ある野戦糧食の中でもマシな部類に入るためか、生徒たちも喜んで食べている。
シャーナは空になった袋をバックパックに片付け、軽く横になれるように場所を整えた。
見張りは1時間交代で2人1組になって行うが、シャーナは一晩中眠らず、不測の事態に備える。
見張りではない生徒は、うまく横になれる場所を探して横になる。
最初の見張りを任じられている生徒は、周囲を確認できる場所で狙撃銃を構え、敵の姿を探していた。
シャーナは狙撃銃を抱き抱えるように座った。
辺りは真っ暗だが、見張りの生徒には暗視装置を渡してある。
シャーナも、ヘルメットに単眼の暗視装置を付けていた。
「少しいいですか?」
突然後ろから話しかけられて、シャーナは慌てて振り返る。
そこには60代ほどの老人が立っていた。
随分と手際が良く、山に慣れた感じの老人だ。
「はい。なんでしょう?」
シャーナは聞く。
「あなた、アトラ連邦の軍人ですよね?」
シャーナは狙撃銃を構えようと思って、やめた。
口封じで殺したら無用な問題を発生させそうだし、何よりシャーナが今持っている狙撃銃は、生徒と同じセミオート式のもので減音機を付けていない。
発砲音が鳴れば生徒は間違いなく起きる。死体を見られたら、最悪この場にいる全員を口封じしなければならなくなる。
「いいえ。何かの勘違いでは」
シャーナはとりあえず否定した。一応シャーナはザルカ帝国陸軍の元狙撃手という設定だ。
いくら『平和を愛する会』とか言いながら武力蜂起をしようとしている胡散臭い団体でも、アトラ連邦にいいイメージを持っている可能性は少ない。
「そうですか。では、なぜ我々の支援を?」
男性は、シャーナに聞いた。暗いせいで、シャーナはその表情を読めない。
「それは、私たちがあなたがたの理念に賛同したからと言いませんでしたか?」
「退役しているとはいえども、元軍人がザルカ帝国内での武力蜂起をよしとする可能性はゼロに等しい。とするとあなた方はザルカ帝国で武力蜂起を起こしたい団体に所属しているとしか考えられない」
老人の口調は終始穏やかだったが、シャーナの背筋には冷たい汗が流れていた。
「もちろん、アトラ連邦と関係がなくそういう団体があってもおかしくはない。ですが、1000人分の銃器を平然と用意したのは、かなり胡散臭いですよ」
山に慣れた人がいて助かったとか思っていたが、もう撃つしかないな。
可能なら誰かの許可が欲しいが、そうも言ってはいられない。
「赤いオーケストラという組織を知っていますか?」
老人が、ふと話題を変えた。
「赤いオーケストラ?」
「はい。ザルカ共産党が政権を奪取するために結成した特殊部隊で、主に非合法戦を担当しています。あの革命の日にザルカ帝国首都官庁街を制圧したのもその組織です」
シャーナは、銃口を老人に向けた。
「貴様は何者だ?」
「私は大したものではありません。ただ党に殉じるだけです」
全てを語られなくても、するべきことは分かった。
シャーナは迷いなく引き金を引く。
老人は銃口の動きを見て、体の軸をずらす。弾丸は虚空を通り過ぎ、木を穿った。
シャーナは無線機のマイクを口元に寄せる。
「こちらシャーナ。裏切り者が出た。現在交戦中。支給援軍を……」
老人が狙撃銃を構えている。
シャーナは首を動かして寸前で弾丸を避けた。無線連絡をしているような余裕はなさそうだ。シャーナは狙撃銃を構えて撃った。
老人は、どこに持っていたのか頭に暗視装置を付けている。
うるさい発砲音に気づいた見張りが、襲撃を受けたとパニックになって狙撃銃を撃っている老人に銃口を向けた。
だが彼らが射撃するより、老人が自分を狙う銃口に気づく方が早い。
老人は木の影に隠れてシャーナの弾丸をやり過ごすと、射撃した。
見張りの2人は心臓を穿たれて即死する。
発砲の轟音に、眠っていた生徒も起き始めた。自分の頭上を飛び交う弾丸に気づいて、地面に体を押し付けるように伏せた生徒は助かったが、交戦しようと狙撃銃を構えて立ち上がった生徒は、すぐに射殺された。何発か射撃した生徒もいたが、真っ暗闇の中ではろくに照準すら定められず、その生徒もすぐに射殺された。
目の前で繰り広げられる戦闘にパニックを起こした2、3名ほどの生徒が逃げ出そうとしたが、その背中にも鉛玉が送られる。
老人が殺害にためらいを持たないことを、シャーナはすぐに理解した。
この殺し方から見て、目的は皆殺しか。
「伏せたまま動くな!」
シャーナはそう指示して、まだ生きている生徒はそれに従った。
暗視装置を付けていても、夜闇の中で地面に伏せたまま動かない人を見つけるのは難しい。
そして老人も、まずはシャーナの排除を優先するつもりのようだ。
シャーナは木の影に隠れて老人を狙撃する。
状況はもう無線でザルノフたちにも伝わっているだろうから、救援は必ず来る。
可能であれば仲間たちが来る前に最大の脅威である老人の排除をしたいが、相手の練度から見てそれは難しいかもしれない。
いや。やるしかないな。
できなければ、ここにいる全員が死ぬ。
シャーナは老人の弾丸を地面に伏せてやり過ごしながら、弾倉を交換した。
中距離の銃撃戦はあまり得意ではない。
赤いオーケストラとやらがどの程度のレベルにある集団なのかは未知数だが、特務機関の隊員と同レベルならば、この老人も相当な実力の持ち主だろう。
勝ち切る自信はない。
シャーナが顔を出して狙撃銃を構えると、即座に弾丸が飛んでくる。
幸いなことに老人の持っている狙撃銃はあまり質の良くないものなので、射撃の精度はあまり良くない。多少の無理をしても当たらないだろう。だが、それはシャーナの狙撃にも言えることだ。
シャーナが再び射撃しようと木の幹から身を乗り出した次の瞬間、シャーナのあばらに銃身がめり込んだ。
「がはっ」
いつの間にか肉薄していた老人が、狙撃銃を振りかぶっている。
気付かなかった。
シャーナの体は空を舞って、地面に転がった。
激痛で体から力が抜け、立ち上がることすらできない。吐き気がするほどのめまいがシャーナを襲った。
「人体には数か所の弱点があります。そこに強い衝撃を与えることで、人間は簡単に無力化できる。分かりますか?」
老人が近づいてくる。シャーナは何とか狙撃銃を構えようとしたが、体を動かすたびに走る激痛で何もできない。
老人は、シャーナの額に狙撃銃の銃口を当て、引き金に指をかけた。
発砲音が森に響く。
森の中で、サリアが狙撃銃を構えていた。狙撃銃の銃口からは、うっすらと硝煙が立ち上っている。
すぐ横では、ライツが地面に設置した弾着観測用スコープを覗き込んでいる。
「見事です」
「警察特殊部隊にいた頃、狙撃をする機会があったからね」
「いいですね。連邦警護庁にも狙撃班はありましたが、私は関わっていないんですよね」
ライツとサリアが会話を交わす中、ザルノフとAPMC社の社員が現場に近づき、手際よく生存者の救助と死者の回収を行っていく。
ガーランは、地面にうずくまるシャーナに駆け寄った。
「大丈夫かい?」
「ううっ」
シャーナは呻いた。その傍らには、頭を穿たれた老人が倒れている。
「ごめん。まさか裏切り者が出るとは」
ガーランは、裏切り者をシャーナの指揮下に入れてしまったことを謝る。
「いや。私も‥‥貴重な人員の数を減らしてしまった」
「気にしないで。どこか痛いところは」
ガーランは、そう聞いた。
「力が入らない」
シャーナはそう言って何とか立ち上がろうとする。体に走った激痛に、顔を歪めた。
ガーランはそれを制すると、シャーナを背負った。
「大した距離じゃないし、俺が背負っていくよ」
この辺りは車も近づけないし、いくらAPMC社が大企業でも軍隊のように飛ばせるほどのヘリは保有していない。
「すまない」
「気にしないで」
謝るシャーナに、ガーランは微笑みかけた。
夜の闇で、戦闘の跡がかき消されていく。




