入隊試験
首都郊外には、巨大な工業地帯が広がっている。
年間数十兆円分の金を動かすそこは多くのトラックや作業員が行き交い、首都中心部に負けない賑わいを見せていた。
シャーナの乗る車は業務用の大型トラックで賑わう表通りから外れ、薄暗い裏通りに入った。
小さな工場が密集する裏通りをさらに進むと、やがてほとんど人のいない区画に辿り着く。
開発に取り残された町工場が、平日の昼間だというのにもかかわらずシャッターを下ろして沈黙している。
誰にも目を向けられず剥がれかかった閉店の紙が、冷たい風に吹かれていた。
この辺りは煤煙が酷い。シャーナは、窓を閉めていても車内に流れ込んでくる煤の匂いに顔をしかめた。
硝煙の匂いをより濃く濁らせたような悪臭だ。
運転手は道路脇に車を停車させる。
二人は車を降りた。微かに工場の作業音が聞こえた。それを除けばほとんど静かだ。
「この辺りは元々小規模な町工場の並ぶ工場街だったのですが、大規模開発に取り残された影響でほとんど廃業してしまい、今はアーク民間軍事会社が保有しています。APMC社と言った方がなじみ深いでしょうか?」
その社名は、ほとんど軍で生活しており、休日に外出することもほとんどないシャーナですら知っていた。
テレビやインターネットでも頻繁に広告を出し、軍にも商品を卸している大企業だ。探偵業務からサーバー運営、製造業、兵士の派遣まで手広く行う多国籍企業で、世界各地に事務所や工場を構えている。
だが、なぜこんな土地を買ったのだろう?
シャーナは首を傾げた。
あまり経営には詳しくないが、この区画にはわざわざ投資する価値があるほどの将来性があるようには見えない。
「あの会社は、特務機関のフロント企業です。普通に営利団体として活動しているので、今や特務機関を上回る規模を持っていますが」
運転手は白手袋を外して、道に並ぶ工場の一つに近づくと、シャッターを開けた。
埃を被った設備が雑然と並んでいるかと思いきや、中は意外にも小洒落た内装がされていた。
床には絨毯が敷かれ、角の方には観葉植物まで飾ってある。
まるで都心のオフィスビルみたいで、古びて廃墟になった工場という外観とは全く似合っていない。
ただ机やパソコンなどオフィスに必要な物は何一つとしてなく、その代わり部屋の一番奥に穴があり、そこから地下へと階段が続いていた。
階段のそばには古びた丸椅子が置かれており、濃紺の戦闘服を着た大柄な黒人男性が1人座っている。
男の腰には自動拳銃が吊られていて、すぐ側にはポンプアクション式の無骨な散弾銃も立てかけてあった。どうやら、彼は警備員らしい。
シャーナたちが中に入ると、シャッターがガラガラと音を立てて閉まった。
微かに聞こえていた遠くの工場が鳴らす音はシャッターで完全に遮断され、床に敷かれた絨毯が音を吸い込むせいで、中は奇妙なほど静かだ。
「どうしたライツ?例の客か?」
男が口を開く。
「ええザルノフさん。昨日話していた新人のシャーナさんです」
ザルノフと呼ばれた黒人男性は、目をシャーナに向けた。
シャーナは一瞬、自分が虎に睨まれていると錯覚した。
自身の実力を推し量るような、静かな迫力のある瞳だ。
撃ち殺される。
思わずシャーナは太ももに手を伸ばす。そこに拳銃はないというのに。
「いいのを連れて来たな。人事部もやるようになった」
ふと気迫から解放されて、シャーナは我に帰った。
「ええ」
「まあ、ここで殴りかかってくるぐらい骨のある奴がいると、もっといいんだが。ライツ。お前ぐらいのを連れて来れないのか?」
「殺気に対して即座に拳を振り翳していたら、世界は暴力だらけになってしまいます」
ライツと呼ばれた運転手は、軽く肩をすくめた。
「殺気が来たら、次の瞬間には撃たれているがな」
「そういえば、世界はすでに暴力だらけになっていましたね」
「ああ。政治だの金だので暴力を振るうよりは、ただ殺気を感じて振るう暴力の方がまだマシだと思うんだがな」
ザルノフは腕を組んだ。
危ない人たちだな。シャーナは少し引いていた。
「それじゃあ、私たちはこれで行きますよ」
「ああ。そいつなら面接も大丈夫だろ。頑張れよ」
「はい」
ザルノフの応援に、シャーナは敬礼した。
「ははは。俺は軍属じゃねから階級もねえよ」
シャーナは、驚きで数秒ほど固まった。この人は軍属じゃない?
明らかに軍人並みの戦闘訓練を受けている。
実力で言えば、特殊部隊の隊員すら凌駕するかもしれない。
「彼はAPMC社の社員で、公務員経験はないんです。ほとんど書類上の話ですが」
ちなみに私は連邦警護庁のドライバーですと、ライツは補足した。
地下へと降りる短い階段は、狭くジメジメしていた。
ライツが先頭を歩き、シャーナは天井に設置されている蛍光灯の弱い明かりを頼りにゆっくりと降りていく。
階段の下には短い廊下があり、左に錆びた鉄製のドアがあった。
上の部屋とは違い、内装もなく薄汚れている。
「これは侵入者対策です。この廊下は薄暗く狭いので、武器の取り回しが難しいんですよ。それに遠隔操作可能な指向性対人地雷があちこちに仕掛けてありますので、侵入してきた敵は逃げ場もなく全滅します」
ライツはそう断言しながら、鉄扉の横にある黒いカバーを上に上げる。
そこには、廊下の様子とは不釣り合いな最新の静脈認証が取り付けられていた。
ライツが指を当てると、機械が動く音がして鍵が開く。
外観の割にはずいぶんとハイテクだ。
ライツはドアを押し開けた。ドアは外観に似合わず静かに開く。
特務機関本部が、シャーナの瞳に映った。
SF映画に出てくる作戦室のようだと、シャーナは思う。
部屋は全体的に薄暗く、濃紺の戦闘服を着た職員たちが壁に並べられたパソコンの前でキーボードを叩いている。
正面には巨大なディスプレイが設置され、防犯カメラの映像や、赤い点の表示された地図などが映っていた。
その中央には、宇宙船の艦長席を彷彿とさせる座席が据え付けられている。
その座席が回転して、シャーナたちの方を向いた。
「ようこそ特務機関本部へ。私は本部長官のイヴァンだ。よろしく」
そこには、痩せた初老の男性が座っていた。立派な座席に対して、老人は妙に小さな印象を受ける。
その顔に、シャーナは見覚えがあった。
「情報本部副長官殿」
シャーナは反射的に敬礼した。自分より階級が上の人間に対する敬礼は、新兵時代から徹底されている。
初老の男性は、一応礼儀として敬礼を返しながら苦笑した。
「まあ、一応そういう肩書きもあるね。ほとんど書類上の話だけど。君の戦闘記録を見させてもらったよ。見事な狙撃の腕だ。我々の組織、特務機関に所属する戦闘員と比べても、全く遜色ない」
「ありがとうございます」
シャーナは礼を言う。
「早速試験に入ろう。この施設の出入り口とされている廃工場。あの床材についてどう思った?」
イヴァンは、口調を事務的なものに変えて、試験を開始した。
「はい。黒い絨毯で、足音を消すのに適していると思いました」
シャーナは記憶をたぐりながら答える。
「待ち合わせ場所はどこだった? できるだけ正確に答えてくれ」
「はい。官庁街の入り口から300m、情報本部から500メートルほど離れた場所でした。法務省の正面玄関から40メートルほど離れた場所だったと記憶しています」
意外と簡単だな。シャーナはそんな感想を抱いた。
「8時ちょうどの時点で、その場所にはどんな人がいた?」
「はい。国防省の官僚と外務省の官僚がそれぞれ1人ずつと、観光客4名、貴族院の議員が1人いました」
ほおと、ライツが驚いたように声を漏らした。
「国防省の官僚は何を持っていた?」
シャーナは記憶をたぐり寄せて官僚の姿を思い出す。
かなり体を鍛えた官僚で、不自然なほどに辺りを見回していた。
手には‥‥。
「確か黒のブリーフケースだったと記憶しています」
「それはどちらの手だった?」
「右手でした」
試験は、そんな調子で30分ほど続いた。
「これが最後の質問だ。君は今日、何人に尾行されていた?」
「尾行はされていませんでした」
数秒の沈黙が、辺りを満たした。
「合格だシャーナ君。君を歓迎するよ」
イヴァンは言う。
「帰りはライツが君を駐屯地まで送る。書類上の所属は国防陸軍のままだから、いつも通り過ごしてくれていい。君の今後については追って連絡するよ」
「了解」
シャーナは鋭く返事をする。
「それじゃあ、君の活躍に期待している」
「ありがとうございます」
シャーナとライツは敬礼して、本部を出る。
イヴァンは口元に笑みを浮かべて、2人を見送った。




