命の価値B10
いつも歩いているグラディオスの廊下が、やけに長く感じる。
体は痛まないが、重い。
「人間が、人間たる所以………」
それが俺が倒れた原因だとすぐわかった。
極度の睡眠不足と栄養失調とオーバーワーク。これらに一切の危機感を覚えなかった。「きっと大丈夫だろう」と言い聞かせて、後回しにしていた。
でもダメだった。ついに体が限界を突破した。
足を引き摺るように購買部に向かい、レジを担当している補給科の人間が恐怖しながらも食べ物を買い、自室に戻る。
これでも、なにがあったのかはすべて把握していた。ハルモニが会話記録を付けてくれていたのだ。俺が強引に睡眠を取っている間に、誰がなんの発言をしたか、これで知ることができる。
自室のベッドに座り、頭のなかでカイドウとレイシアの会話を再生する。
何回も繰り返し聞くと、なるべくなら忌避したい事実が露呈する。
「アンノウンは人間が討つべき………そうか。俺は脳内チップに侵食されて、合理的な思考をするようになっただけでなく、体内でナノマシンを飼うことで半分くらい人間をやめていたのか。確かにこんな思考と体じゃ、ケイスマンの理想を叶えられるはずもない」
カイドウとレイシアの分析が、今の俺のすべてだ。
この時点で俺は「まあいいや」や「どうにかなるだろ」といった、自分のことなのに他人事のように考える癖を改めて、久々に自分自身を見つめて、俺が今後どうあるべきかを考えた。
おそらく、ケイスマンの理想がすべてではない。あのケイスマンに限りなく近い思考は、理念を押しつけているようで、俺のなかのある、俺が示した指針を見極めようとしているのだ。
俺がどうしたいか、俺がどうあるべきか、その姿が試されているのだと思う。
残る問題は「俺の独立」と「人間が人間たる所以」を知ること。
「俺はなんで、こうも合理的に動こうとした?」
発端を辿る。タキオンの製造が決定した時から。脳内チップとインターフェースは過程に過ぎない。
俺がそのためにどう動いてきたのかだ。
「パイロットになるため。ビーツに対抗するため。推し活のため。………推し活は俺のすべてであるけど、独立と所以に………関係は、していない?」
推し活のすべてはソータとアイリがイチャイチャラブラブして、ゴールインをした時のため。
それはつまり、俺の原動力であり指針でこそあるが、独立と所以に関係しているのかと問われれば、肯定できない。
なぜならそこに、俺自身が関わっていないから。ソータとアイリの関係だ。あくまで俺は部外者。ふたりのことはふたりが最終的に決める。それこそ、俺とケイスマンのような関係。ケイスマンの問答に対し、俺が答えを出すのと同じだ。
「………ケイスマンは、俺自身の行動を見たかった? こうしてナノマシンを体内に飼うことになっても、機械に呑まれない俺の、人間としての意見………脳内チップに呑まれない確固たる意思を持つこと。そうか。これが独立! 機械にならないこと。非効率であっても人間であることをやめないのが、俺の人間としての独立だったのか!」
アンノウンを討つのは人間であるべき。3つ目の課題が、思いの外にも主題となる。
その主題に沿って仮説を立てると、案外ひとつ目の課題の解答はすぐに出た。
「機械に負けない精神力を持つことが独立。俺はあくまで人間。………なら、ふたつ目の人間が人間たる所以も、これと同じ解答が出せる………いや待て? 相手はあのケイスマンだ。そんな安直な答えで納得はしない。………クソッ。ふたつ目の課題が一番の悩みどころかよ」
悪態ついて、顔を手で覆う。機械化された右手と、肉体の左手。どちらも俺だ。
煮詰めていても答えは出ないだろう。まずは一息つくことにした。
購買部で購入した、インスタントコーヒーのチューブを出す。部屋に備え付けている調理器にセットすると、熱湯が瞬時に満たされて内容物が溶けてホットコーヒーが完成した。
ストローを刺して飲む。………最近は水以外飲んでいなかった。独特の苦味が、ふくよかな香りとともに鼻腔を突き抜ける。
「………うまい。けど、前よりもこれを飲みたいとは思えなくなった。コーラもそうだ。………はは。欲がなくなってん、な………」
脳内チップを移植する前だったら、毎日でも飲みたいと思えるようなこの味を素直に楽しめなくなったことに悲観し、寂しさを覚え、そして───
「………欲?」
とある仮説に辿り着く。
それこそ、ふたつ目にして最大の壁となった、人間の人間たる所以の答えを知るための、最後のピースだった。
「あ………ぁあ………っ」
全身が震える。
答えを知った俺の感情は、納得と、そして絶望に満たされた。
「そうか………だからビーツは………あんなことを………あんな、ひととして許されない、クズなことを………くそっ! だからあいつ、あんな余裕をかまして………俺がこうなることも、それに気付くことも最初から、わかってたのかよ!」
最低な気分だった。
脳内チップとハルモニを駆使して、回避手段を探る。
何度も、何度も、何度も───。
しかし、残念ながら………代案を見出すまでは至らなかった。
また絶望する。
これだけはしたくなかった。
けれども、するしかないのだ。
そう結論付けてから、そうであっても動くつもりにもなれず、何時間もベッドの上に座って葛藤する。
助けてくれ。そう願うのは簡単だ。
けれどもそれは、最悪彼女たちへの裏切りを意味してしまう。
本当にそれでいいのかと通う。されども時間もない。
呆然とするなかで、気付けば───呼んでもいないのに、部屋のドアがノックされていた。
「エー先輩、お部屋に戻ったんだよね? お見舞いに来たよぉ………って、うわぁ。酷い顔だねぇ」
「ちゃんと食べて、寝ることをレイシアさんに約束したばかりなのに」
「あら。でも食べ物はあるわね。独自に改善しようとしているのは、いいことだわ」
ヒナ、シェリー、ユリンが部屋を訪れた。
ベッドに座り、壁に背を預け、手足を投げ出して呆然としていた俺に歩み寄る。
彼女たちを見た。途端に、俺のなかで長期間停止していたものが、ズグンと音を立てて動き出す。
「………どうしたの? エー先輩………っ!?」
ヒナがベッドに上がり、身を乗り出して頬に触れて───息を呑む。
こんな顔をさせたいわけじゃなかった。
でも、彼女たちは俺を想ってくれる。そりゃあ、驚かずにはいられないか。
触れられた瞬間、俺の目から自制もきかない涙が溢れれば。
「まだどこか痛い? レイシアさんのところに行く?」
「いや………そうじゃないんだ。俺のことで………本当、情けなくて」
「もしエー先輩が情けなくても、私たちは受け入れます」
「ま、そうね。エー先輩って頼れるようで、やっぱりどこか脆いから。でもそれを踏まえて、私はエー先輩を気に入ったんだもの。構わないわよ。別に」
シェリーとユリンもベッドに上がる。
これじゃ、夜泣きしてしまう赤子の世話をする構図じゃないか。
甘えられないのに、俺は本当に情けなく、彼女たちの好意に甘えなければならない。それがどうにも悔しい。
「ごめん………俺、ちゃんとみんなに向き合わないといけないのに………これじゃ別の目的があって、その作為のためだけに利用してるみたいで………」
「えっと………話が見えないんだけ、ど?」
いきなり泣き喚かれて、自分のことだけを語れば、疑問しか残らない。
でも俺は、言わなければならない。
きっと嫌われる。軽蔑される。そんなことのために利用するのかと蔑まれ、殴られても文句も言えない最低なことを。
「………性欲だったんだ」
「へ?」
「だから………性欲。俺が機械化しないで、独立を促し、俺が俺でいるためのたったひとつの条件………それが………性欲だったんだ………」
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次回からお祭りが始まりそうですが、私にどれだけそれを表現できる文才があるのやら………頑張ります!←
明日はお下品な仕上がりになりそうですね!
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