始まりの日A01
独特な香りが鼻腔をくすぐった。
芳香剤六割、オイルのようなもの四割。オイルのドロッとした、沈澱したみたいな匂いをどうにも消せていない。
どこかの工場だろうか。それとも商業施設。悪臭を苦労の末に消そうと試行錯誤し、結局は諦念したような。
それに空気も温かい。まるで春の陽気。おかしいよな。やっと寒くなってきた季節なのに。
風に乗って視覚的ではない情報が運ばれてくる。風があるということは家のなかではない。外だ。
ワイワイガヤガヤと人々の営みの声も聞こえる。雑踏───とは違う。遠くに聞こえるのだから。
おかしい。
多分、夢なんだろう。でも夢にしちゃ、情報が随分とリアル過ぎやしねぇか?
なんだか怖くなってきた───
「どうしたの? エー先輩。変な顔して突っ立ってさ」
「は? え、あ、ぁあっ!?」
「わ。びっくりした。大きな声出さないでよ。俺だって寝てたんだから」
俺が奇声を発すると、声をかけてきた少年───にしてはあのベテラン男性声優の声に似てる───が、クスクスと笑っていた。
やっと目を開ける。
息が詰まった。そのまま止まった。心臓さえも。
俺は今、なにを見ている?
夢? 夢なら、まぁそうだ。夢は自由だ。法律だって縛れない。個人で見る夢に規制はない。
それにしちゃ………都合が良すぎだろ。
なんで俺の目の前に、俺がついさっきまで憧れた、『天破のグラディオス』の主人公であるソータ・レビンスがいる?
試しに歩いて───夢なのに妙にリアルだ。夢ってさ、自分の思うように体が動かないことがあるし、鮮明だったり曖昧な部分があったり、スキップしたり巻き戻したりできるし。巻き戻せるのは稀だけど。
一歩踏み出したにしては、靴底の感触だってすごい。木の根を踏んだ時の凹凸感が伝わる。まるで本当に歩いてるみたいだ。
これは夢だ。すっごい夢。近年稀に見る神作たる『天破のグラディオス』に出会えた時と同じくらい稀な夢。
夢なら………なにしてもいいよな。悪夢じゃないんだし。いつかの悪夢、同性の友人と密室に閉じ込められてチョメチョメする吐き気を催すはずが普通だと錯覚して、目が覚めて物凄い自己嫌悪したあの時とは違うんだ。
「せ、せんぱひ? あにふんの? いはいぉ………」
ソータの頬に触れ、摘んだり、伸ばしたりする。
すごい。本当に。語彙力がバカになるくらい。なにもかもぶっ飛ぶくらい。俺は今、自分の夢でソータ・レビンスに触れている!!
「すげぇ。マジすげぇ。夢ってすげぇ」
「痛いって。………もう、なんなの? さっきから。てか、先輩夢とか言ってるけど、進路相談がどうとか悩んでたじゃん。ここ出たら、やっぱり地球に行くの?」
「ああ。帰らなくちゃな。どうせ数分後には目が覚めるんだ。明日にはまた課題山盛りの講義に。劇場版を待ちながら、社会人になって、ブラック企業に勤めて満員電車に揺られてパワハラ受けて………そんな東京のなんてことのない生活に、戻らなくちゃならねぇんだ」
「はぁ? 東京って………夢見過ぎでしょ。東京どころか、日本は汚染が広がって、もうひとの住めない国になったって数十年も前から言われてるのに。行くならアメリカとか、ドイツとか? そういう巨大軍事国家があるとこなら、まだ住めるって話だけど」
「うんうん。そうだな。そう言われてるよな。俺も去年知った」
「………やっぱり先輩、変なもの食べたでしょ?」
ああ………なんていう奇跡。
愛おしいぞ、ソータ・レビンス。その侮蔑が若干混じったジト目でさえ、許可があれば舐め回したいくらいだ。でもどうせ夢なんだし、舐めちまおうか? 夢なんてそんなもんだ。
個人間で見る夢に法律なんかあってたまるか! 全部俺が許可してやる!
さぁ、舐め尽くしてやるぞソータ。ぐはは。ソータ受けで様々な男子とカップリングしオモチャ同然にグチャグチャにする同人誌を描いた腐女子たち、済まないが俺が諸君らの夢を一足先に叶えてやろう。どんな味かな? メロンかな? イチゴかな? それとも汗みたくしょっぱいかな?
「ちょっとソータ! いつまで寝てるの!」
「あ………アイリ」
「くあっ!?」
俺がアーンと口を開けた時だった。
芝生と巨木のある、ソータの指定席同然たる中庭の一角にて奇跡の邂逅を果たした俺の心に、爆撃が降り注ぐ。
なんていう奇跡パート2!
後ろから迫るは、なんとなんと、我らがヒロイン、アイリ・ナカダ様ではありませぬか!
ヤベェ。肉声がヤベェ。ソータと同じく実力派の有名な声優というキャスティング。いつもはスピーカーやイヤホン越しだったからそれに慣れていたが、夢とはいえ実際に耳で聞くのとは臨場感が段違いだ。
殺す気か? このふたりが揃うとか、どんなご褒美だ?
俺はこの主人公とヒロインという、幼馴染カップルが大好きで、最推しで、二次のイラストだろうが漫画だろうが小説だろうが愛でていた。
「………エー先輩、どうしたの?」
「さっきからこんな調子。きっと変なもの食べたんだよ。放っておいてあげて?」
「ふーん」
「がっ、ぐぎぎ………ひぎぃ」
ぬぁぁああああああああああああ!
アイリが! アイリが俺の名を呼んだ! 実際は違うけど。瑛亮なんだけど!
でも意識してくれるだけで、もう、ね。もっと語彙力バカになるぅぅうう!
神様本当にありがとう! こんなご褒美を俺に用意してくれて!
「ソータ。課題終わってなかったよ」
「え………マジ?」
「マジ。ケイスマン教授のレポート。提出しなかったら留年確定かもね」
「ゲッ………うわぁ。どうしようアイリ」
「はい。参考書類。ソータならこれだけあれば余裕でしょ? 今日中が期限だけど、できるよね?」
「キッツ………」
そうそうそう!
天破のグラディオスの記念すべき第1話。ソータとアイリのこの会話から始まったんだよなぁ。よく覚えてるじゃねぇか俺。再現度高ぇぞ!
ていうか………ふたりの共演をこうして間近で見られるって、夢とはいえ贅沢だよなぁ。
なんていうか、アイリがすごい。すごく良い香りがする。どんなフレグランスにも負けてない! てか美味い! 匂いが美味い! 距離にして1メートルもないのに。集中しろ俺。夢から覚めてもこの香りを忘れるな!
ああ………願わくば、次に見る夢は最終回のあと、劇場版のあと、ふたりが結婚したとして、そんな夫婦が飼っている犬にでもなりたい!
だって犬になれば、今すぐにでもアイリの胸に飛び込めるじゃん?
合法ってやつ………違う。これは夢なんだから、人間の姿のままアイリを抱擁して舐め回してもセクハラに問われることは、ないッ!
「行くよ。みんな待ってるから。………じゃあね、エー先輩。エー先輩も単位落とさないようにね」
「あ、あいよぉ………でゅふふふ」
「病院が先かな?」
ソータだけじゃなくて、アイリにも心配されちゃった。声をかけられるだけで心臓が爆発しそうになる。
………でもなんでだろう。さっきから、夢なら飛び起きても不思議じゃないくらい鼓動が早いのに、全然その気配がない。
芝生から起き上がって、ふたりが去る背中を見守る。数分くらいそうして、やっと起き上がる。
「………夢から覚めないなら好都合。それならそれで、覚めるまでこの世界を味わい尽くして───え?」
ソータとアイリは友達のいるところに向かったはずだ。それなら全キャラコンプリートする勢いで鑑賞してやる。
その一歩を踏み出した、次の瞬間。
俺の頭上で爆発が起きた。
熱波が全身を叩く。轟音で鼓膜が破れそうになる。飛び散った破片が頬を掠め、指で拭うとピリッとした痛みと、指先が血で濡れていた。
「痛い………熱い………え? 夢………じゃ、ない?」
これからが本編です。
アニメの世界に転生したのはいいですが、転生先はまさかの名も無きモブという。
エー先輩の活躍にご期待いただけるのなら、まずはジャブ代わりにブクマや評価やいいねを押していただけると幸いです。
最近、gemini を勉強しておりまして。Xの方でAI生成で恐縮ではありますが、タイトルロゴやキャラクターなどを載せる予定であります。そちらの方もチェックしていただけると幸いです!




