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「君の地味な顔を見ると蕁麻疹が……」と婚約破棄されたので、前世のコスメ知識で別人級に派手になって王子に「もう遅い」を叩きつけます

作者: 後堂 愛美ஐ

⏬後堂愛美の作品リストは本文下にあります。

「君の地味な顔を見ると蕁麻疹が……」


王宮の夜会、その喧騒の中心で、私の婚約者であるリチャード殿下の口から放たれた唖然とするほど無神経な言葉は、まるで鋭い氷の刃となって私の胸を貫いた。


「イザベラ、君の隣にいると腕にこんな発疹が……ああ、もう耐えられない!」


殿下は金刺繍の施された豪奢な手袋を脱ぎ捨て、赤く腫れ上がった腕を衆目に晒す。周囲の貴族たちが息を呑むのがわかった。私は完璧な秘書役として、彼のスピーチ原稿の最終チェックから、次に挨拶すべき相手のリストまで、全てを滞りなく準備していたはずだった。それなのに、なぜ。


私の思考が停止している間に、殿下は畳み掛けるように続けた。


「これは呪いだ! 君のその地味な顔、地味なドレス、地味な存在そのものが私を蝕む! よって、イザベラ・ヴァレンティ! 今この場をもって、貴様との婚約を破棄する!」


高らかに響き渡る宣言。地味、地味、地味。その言葉が、私の頭の中に反響する。確かに私は、殿下を引き立てるために常に控えめな色合いのドレスを選び、装飾品も最小限に留めてきた。それが侯爵令嬢として、王子の婚約者としての務めだと信じて疑わなかったからだ。


絶望に染まる私の視界の端で、ひときわ華やかな真紅のドレスが揺れた。


「リチャード様。ご決断、お見事ですわ」


声の主は、ロゼッタ伯爵令嬢。炎のように燃える赤髪を揺らし、金粉のあしらわれた扇で口元を隠しながらも、その瞳は勝利の輝きに満ちている。彼女が殿下の隣に寄り添うと、殿下は待っていましたとばかりに彼女の手を取った。


「皆に紹介しよう! 私の新たな婚約者、ロゼッタだ! 彼女のこの華やかさこそ、次期国王の隣に立つ者にふさわしい!」


ああ、そう。そういうこと。


拍手と囁き声が渦巻くホールで、私はただ一人、世界の音から切り離されたように立ち尽くしていた。向けられる好奇と侮蔑の視線に耐えきれず、私は声もなくその場から逃げ出した。これが、私の十八年間の献身の結末だった。


◇ ◇ ◇


自室の分厚いカーテンを閉め切り、ベッドにうずくまる日々が続いた。涙はとうに枯れ果て、残ったのは虚無感だけ。婚約破棄され、社交界から事実上の追放を受けた私にもはや未来などない。


(……でも、おかしい)


ふと、思考の片隅に小さな棘が引っかかった。殿下の症状。あの蕁麻疹は、本当に私『だけ』に向けられたものだったのだろうか。


夜会の記憶を反芻する。殿下は、私の顔を見た時だけではなく、私の隣に控えていた地味な服装の侍女を見た時も、テーブルに置かれた簡素な銀の装飾品に触れた時も、無意識ではあろうが同じように腕を掻いていた。


(まさか……)


そのとき、前世の記憶が脳裏で閃光のように弾けた。


そうだ、私は前世、とある化粧品メーカーの研究員だった。毎日毎日、アレルギーの原因物質を特定するため、何百という成分を組み合わせ、パッチテストを繰り返す日々。あの地道な社畜作業によって培われた、知識の結晶が蘇ったのだ。


アレルギー反応は、特定の『原因物質(アレルゲン)』に対してのみ発現する。今回の呪いは、私という個人ではなく、もっと別の、抽象的な概念に反応しているのではないか?


例えば……『地味』という概念そのものに。


「……ありえる」


無論、前世の科学の世界ではありえない話だ。しかし、今生は魔法が実在する世界。特に概念と魔法は密接に繋がっている。一度回り始めた思考は、もう止まらない。これは、私の研究対象だ。スイッチが入ってしまった。


私はベッドから飛び起きると、埃をかぶっていた外出用のクロークを羽織った。真相を確かめるためには、呪いの専門家の協力が必要だ。向かうべき場所は一つしかない。王都の職人たちが集う、魔法道具ギルド。


身分を隠すため、フードを目深にかぶりギルドの扉を叩く。雑多な魔力の気配と、金属を打つ甲高い音が入り混じる場所。貴族の令嬢が来るようなところではない。


「何か用かい、お嬢さん」


カウンターの奥から現れたのは、無精髭を生やした青年だった。平民の服装だが、その瞳は鋭く、全身から放たれる魔力の圧は並の宮廷魔術師を優に上回る。彼こそが、このギルドを一代で築き上げたマスター、ケイン・オルブライト。切れ者という評判通りの男だ。


「呪いの鑑定をお願いしたいのです。ただ、少し特殊な案件で……」


私はこれまでの経緯を、個人名を伏せて説明した。アレルギー反応と呪いの類似性、そして『地味』という概念に反応する呪いの可能性という私の仮説を。


最初は訝しげに聞いていたケインの目が、次第に強い興味の色を帯びていく。


「面白い……実に興味を惹かれる仮説だ。検証のしがいがある」


彼は顎に手を当て、ニヤリと笑った。


「普通なら、呪いを解く『呪い返し』の術式を探すが…あんたの仮説が正しいなら、アプローチは全く逆だな」

「逆、ですか?」

「ああ。呪いを解くんじゃない。呪いの『発動条件』を逆手に取るんだ」


彼の言葉に、目の前が拓けるような感覚を覚えた。そうだ。解呪が難しいなら、そもそも呪いが発動しない状況を作り出せばいい。


「つまり……私が、『地味』の対極……超絶『派手』になれば、呪いは私を認識すらできない……?」

「その通り。前代未聞だが、理論上は可能だ。あんた、面白いじゃないか。俺が協力してやる」


現実主義ながら大胆なケインの発想は、私の研究者魂に火をつけた。


「ありがとうございます! でしたら、私に考えがあります。前世の……じゃなかった。私の知識を使えば、魔法と化粧品を融合させた、全く新しいメイクアップ術を開発できます!」


光る鉱石を砕いて顔料に。魔力を帯びた植物から抽出したオイルを基材に。肌に直接、魔法陣を描くような、そんなコスメを。


「呪いが絶対に反応できない、魔法的、概念的な意味での『派手』な化粧品を……!」


鏡に映る私の目は、もう悲しみの色を映してはいなかった。そこにあるのは、未知の調合書を前にした錬金術師の狂気にも似た輝きだけだった。


◇ ◇ ◇


数週間後、王都は建国記念パーティの熱気に包まれていた。王宮のホールは、着飾った貴族たちで埋め尽くされている。その中に、誰もが息をのみ、振り返る一人の女性がいた。


夜空の星々を閉じ込めたような、深い瑠璃色のドレス。歩くたびに光の粒子を振りまくそれは、ケインが最高の魔法織物で仕立ててくれた特注品だ。そして、何より人々の視線を集めているのは、その顔。


金色の光る粒子を散りばめたアイシャドウは、瞬きするたびに星が流れるように煌めき、唇には魔力を帯びた宝石から抽出した深紅のルージュが濡れたように輝いている。肌には、肉眼では見えないほどの微細な防御術式が、ファンデーションに混ぜ込まれて描かれていた。


今の私の名前は「ベラ」。かつての地味な侯爵令嬢、イザベラ・ヴァレンティの姿はどこにもない。


「……美しい。まるで月の女神だ」


呆然と呟きながら近づいてきたのは、リチャード殿下だった。彼は私の正体に全く気づいていない。それどころか、その瞳は露骨な情欲と独占欲にぎらついていた。


(あらあら、現金な方。私の『地味』な顔は蕁麻疹の原因ではなかったのですか?)


心の中で毒づきながら、私は淑女の笑みを完璧に貼り付けてみせる。


「お褒めにあずかり光栄ですわ、殿下」


殿下は完全に私に夢中だった。私の手を取り、ダンスに誘い、甘い言葉を囁き続ける。その様子を、少し離れた場所からロゼッタが鬼のような形相で睨みつけていた。嫉妬に燃えるその瞳が、私……ベラに向けられる。


(来るわね)


私は内心でほくそ笑んだ。ロゼッタが、私に対して再び、しかし微妙に異なる呪いをかけようとしているのが、肌に描いた魔力検知術式を通して手に取るようにわかる。


小賢しい女だ。万が一、王子にかけた呪いの発動条件に私が気付き、『派手』な衣装に身を包んでリベンジを挑む可能性を想定していたのだろう。しかし、そのロゼッタの浅知恵こそ、私とケインにとっては予想済みであり、その悪行を暴く最良の好機だった。


彼女の指先から放たれた微弱な魔力が、私に向かって飛んでくる。しかし、その邪悪な魔力が私の肌に触れる寸前、ファンデーションに仕込まれた防御術式がまばゆい光を放って起動した。


「キャッ!」


呪いは完璧に弾かれ、行き場を失った魔力は暴発してロゼッタ自身に襲いかかった。彼女のドレスの胸元に刻まれていた、魔女である動かぬ証拠──禁術の紋様が禍々しい光を放ち、白日の下に晒される。


「まさか……! ロゼッタ様が、呪術を!?」


誰かが叫び、ホールはパニックに陥った。だが、悲劇はそれだけでは終わらない。人を呪わば穴二つ。禁術を使った報いが、今まさに発動したのだ。


「あ、あぁ……腕が、顔が、痒いぃぃ……!」


ロゼッタは自らの腕を掻きむしり始めた。見れば、彼女の肌は見るも哀れな蕁麻疹で覆われている。


「どうして……!? なんで私のほうが……!!」


そう。反射された呪詛の効果は皮肉なものだった。『地味』ではなく『派手』なものに対してアレルギーを発症させる呪い。ロゼッタが身につけている豪華なドレス、宝石、そしてけばけばしい化粧。その全てが、彼女自身を苛む『原因物質(アレルゲン)』と化した。


「いやああぁぁぁ!」


悲鳴を上げて床を転げ回るロゼッタの姿は、まさに自業自得。最高の逆転劇だった。


(ざまあみなさい)


私は、胸中で毒づく。全ての真相が明らかになった今、リチャード殿下は私の前に駆け寄り、手を取ると、みっともなく泣き崩れた。


「イザベラ! 君だったのか! すまなかった、私は騙されていたんだ! どうか、どうかもう一度私と……」

「お断りいたします」


私は彼の言葉を、冷たく遮った。自分の声と思えぬほど静かで、揺るぎなかった。


「今更もう遅いのです。あなたのその能天気なお顔を見ると、私の心が蕁麻疹を起こしてしまいますので」

「そんなことを言わずに……!」


王子の華奢な手を払い、背を向けて歩き出していた私は歩を止めて、一度だけ振り返った。


「殿下は、女の外見ばかり見て、その内側を一度たりとも直視しようとはしなかった……今宵の私のコスメと同じものを、後日、お送りいたします。それを適当な侍女にでも使わせてごらんなさい。そこにいるのが、ベラですわ」


私は未練がましい王太子にきっぱりとそう言い放つと、驚きと絶望に固まる殿下に今度こそ背を向けた。リチャード殿下が力なく膝をつく音が聞こえる。もう、この男に何の未練もない。ホールの入り口近く、柱の影でケインが腕を組んで待っていた。彼は私の姿を認めると、満足そうに口の端を上げた。


「見事な逆転劇だったな」

「ええ。晴れ晴れとした気分だわ」


私は彼の隣に並び、差し出された手を取った。熟練の職人に相応しい無骨な手は、私の価値を、私の知識を、何より私自身を認めてくれた手だ。


「さあ、行こうか、イザベラ。俺たちのブランドの最初の製品、名前はもう決めてあるんだろう?」

「もちろん。『リバーシ』というのは、どうかしら……逆転、という意味を込めて」


私とケインは、手を取り合って王宮を後にした。後に、リチャード殿下は禁術を使ったロゼッタを止められなかった監督不行き届きを国王から厳しく叱責されて、無期限の謹慎を言い渡された。さすがに表沙汰とはなっていないが、王位継承権も剥奪されたという話も風の噂に聞いた。


一方のロゼッタは国外追放となったらしい。派手なものを一切見られない呪いにかかった彼女が、その後どうなったのかは知らない。自分で自分にかけた呪詛に『呪い返し』は使えないのだ。


そして私はもう、誰かのための地味な飾り物じゃない。


ケインという最高のパートナーと共に、魔法と科学を融合させたコスメの新ブランドを立ち上げ、自分の力で人生を切り拓いていく。私の未来は、あの日の魔法のメイクのように、どこまでも華やかに輝いている。

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