リックの復讐心
「えー、あなた方は今回が初めての授業でしたっけ」
「では魔術の基礎をおさらいします」
「教科書の3ページを開いて」
(あちゃー教科書忘れちゃった)
彼女は天然だ。忘れ物も彼女の特性の一つである。
「すいません、教科書忘れちゃいました」
「シーン......」
当然ながら初めから忘れ物をする者の登場に度肝抜かされた教師であった。
(またこれなの。学校ってこんな感じなの?)
(いやー、お家に帰りたーい!!)
絶体絶命とまではいかないがその前段階には入っているのかもしれない。繊細な彼女にはそこそこに効いているのだ。
「メリー、教科書あげる」
聞いたことのある声が彼女の頭の中に流れ始めた。
「その声は?」
「その声まさかネヨ?」
「私の奥義テレパシー。存分に味わって」
ネヨだったようだ。テレパシーを使える者は珍しい。
「でもここまで教科書持ってこさせるの悪いよ」
メリーは人の力を借りることは好きではない。助けを拒んでしまった。
「いや、私の奥義、転移魔法で送ってあげる。心はひとつ」
ネヨの心の中にある親切心の存在を彼女ははっきりと確信した。
「ありがとう。ネヨちゃんは転移魔法も使えるのね」
「じゃあ必殺、転移ー魔法ー!」
「ポ―――――」
これまでに聞いたことがない音に戸惑いながらも教室中に流れているので焦りが止まらない。
「なにこの音?」
「私の必殺奥義の転移魔法だけど」
しかしネヨは平気そうに魔法を続ける。
「この音なんか恥ずかしい」
「あと少し、大丈夫。私がついてる」
「あなたが出してる音なんでしょー」
メリーにそろそろ限界が迫っている。羞恥心の限界が。
「そこ、静かに!」
教師の堪忍袋が今切れてしまったことが確認できたようだ。
「すいません!」
「ポ―――――」
ひたすらに大きく恥ずかしい音が教室中に流れていく。
「ボンッ」
「あ、これが教科書ね」
ネヨはメリーの焦りを気にしない。彼女は使い勝手の悪い羞恥心というものは持ち合わせていないらしい。
「先生、教科書あります」
やっとこさメリーは教科書を手に入れることが出来た。
「大丈夫、代わりに読んでもらってるからいいよ」
途中からはわかっていたのだ。しかしこのまま何もしないわけにはいかなかったのだ。
(あちゃーまたやらかした)
(私のここの評判が悪くなっていく)
当初の目的であるスローライフからは遠ざかってしまったのかもしれない。しかしメリーは諦めない。
「教科書届いた?」
ネヨがメリーに問いかけた
「うん」
メリーがネヨの問いかけに相槌を打つ。
「ちょっといい?」
メリーにネヨについて知りたいことがあった。何処から監視していたのかというものだ。
「なに、メリー」
「なんで私が困ってることわかったの?」
「これが探偵団のお仕事。困ってる人助けること」
「そうじゃなくて何でわかったの?」
「探偵団で秘密は禁句。みんな情報共有を望んでいる」
ネヨの探偵団には事情があるのだろう。なにか狂気的なものを感じる。
「さっきは秘密保護大事とか言ってなかったっけ」
メリーがネヨに聞いてみた。
「これも探偵団のお仕事。仲間の詮索はしないこと」
「そうなの?」
はっきりとしない返答にメリーは不満げのある仕草を見せた。
「じゃあ私は行くよ」
「プツン」
これまで頭の中に流れていたネヨの声が途切れたのを機に彼女の意識は現実世界に戻った。
(ネヨちゃん、ちょっと変なところあるけど中身は優しい女の子なのね)
「さっきから私語が多いんじゃないか、メリー」
教師は先ほどから機嫌が悪い。
「イラッ」
「私だって用があって私語してるんだからいいでしょ」
メリーにも短期的な部分が垣間見える。天然であり短期的な側面も備えているという厄介な性格だ。
「おう」
教師は虚無感情に支配されていた。
「キンコンカンコン」
「これで終わりです。課題はオンラインで送る」
授業時間が終わると同時に真っ先に私語を開始した者がいた。
「終わったぜー」
「この学校の授業って案外簡単なんだな」
紹介する。この発言をした愚か者はリックである。魔術学校入学試験の上位だったからといって下位で入学したものを入学早々バカにしていた男だ。
しかしこのマキュール魔術学校は天下のマキュールというだけあって講師も授業も一流である。基礎をおろそかにするのはリスクがとても大きい。
リックは上位だけあって優秀な頭脳を持ち、数々の事件を彼の頭脳と魔法能力で解決してきた。なかなかバカに出来ない男だ。
もちろん彼は魔術師試験の免除を望んでこのマキュール魔術学校を志望して入学した。彼は魔術師に最短でなりたくてこの学校を選んだ。
魔術師というのはとても人気のある職業だ。彼も人気に釣られて志望した。彼には事情もあり、これが彼の魔術師への執念をより強くした。
彼には友人がいた。リックは友人に散々バカにされたのだ。お前の父親は何年も魔術師試験を受けて落ち続けている。俺の親父は30で魔術師になれたんだぞって。
あろうことか、友人に散々罵られた挙句に彼はリックを見捨てたのである。彼に散々罵られても真摯に彼に接していたリックを否定するように。
以降、リックは魔術師に対する執着が人一倍膨れ上がり、魔術師志望として猛特訓猛勉強の毎日だ。きっとあの日の復讐を果たしてやるといわんばかりに。
訓練によるストレスからか、リックは変わり果ててしまった。自分は魔術師になることだけが夢であり、それが彼の生きがいに変貌していたのだ。
もちろん、父親のことを全く考えていないわけではない。しかしリックは復讐心の方が圧倒的に彼の心に支配的だったのだ。
それゆえリックの心は真っ赤に染まって、魔術師試験一辺倒。訓練によるストレスや世の中に対する憤りが積み重なり、見違えてしまった。
彼も自分がおかしくなってしまったことはわかっている。周りの対応の変化で察している。
しかしそれでも彼は魔術師を目指し続けている。理由なんて何でもいい。どんなことが起きてもいい。自分が魔術師になりさえすればそれでいいのだと。
果たして魔術師に対する彼の熱望が、彼自身に際限なく魔術師としての情熱となって、彼の魔法の技術を押し上げる。
その結果、リックの魔法レベルは同年代においてはトップクラスに落ち着き、更なる高みへと歩みを進めている。
生まれつきの才能も当然影響しているだろうが、なにより彼の魔術師に対する異常なまでの執念がなにより彼を飛躍させた。
しかし、いくら魔術師として世間に名を挙げたとしても、彼自身や周りの友人や家族はその恩恵を受けられるとは限らない。
著名な人物や大金持ちの生活を我々のような庶民から覗いてみると、彼らの人生は一見充実しているように見えるのかもしれないが、現実はそうではないに違いない。
実際、一躍有名になった芸能人や俳優や有名企業の社長であれ、他人よりもはるかに幸せそうというには到底見えない。
もちろん、貧しいものと比べると、相対的には優れている部分もあるだろう。
しかし、重要なのは彼らの世間に及ぼした影響と与えた影響がうまくマッチングしていないという点にある
例えば、あなたは偶然自分がつくった映画が空前の大ヒットを叩きだした監督だったとしよう。彼らはきっと連日連夜自分の作品についてああでもないこうでもないと頭を振り絞っていたに違いない。
こうしてできた作品が映画の視聴者に届けられたとして、視聴者はたった1000円のチケットと少し割高なポップコーンなどを持って映画館に向かえば、彼らは1000円と食事代で監督が悩みに悩んだ作品を視聴することが出来てしまう。
もちろん、彼らにも利益は支払われる。ここで問題になるのは、監督が順当な利益を適切に受け取っているのかという論題だ。
単純に利益と言っても、お金も、愛情も、幸福も利益と言っても様々な物があり一概にこれだとは言い難い。
順当な利益は何もお金だけではないということだ。お金で愛は買えないし、幸福はいくらお金があっても自分を真に愛することが出来ない限り、決して得ることはできない。
このように、リックが魔術師になって全国で活躍できるようになったとしても、十分な収入と、魔術師という大層と高い地位のみだ。
これまで彼の捨ててきた時間と青春や家族や友人に対する愛情は、帰ってくることはないだろう。魔術師になったからといって、素晴らしい人生が保証されているとも言えないのが現状だ。
彼の魔術師への執念は彼をどのような場所へと誘うのだろう。地獄か天国か、それともそれ以外か。
しかしリックが何もすべてを捨てて魔術師に賭けているという訳ではない。彼も自分を見失いそうになった時はあった。
だが、もしも自分が昔とは違う人物になったとしても、自らの意志だけは悪魔に明け渡さないと誓っていた。
彼はどうやらすべての心を悪魔に奪わせなかった。彼の意志が悪魔からの誘惑を断固として拒んだのだ。
どうせ奪われるくらいなら奪わないと。こんな感情が彼の心の片隅に、悪魔のような彼別個の制御不能の意志が語り掛けてくる。
絶望的な苦痛を味わうくらいなら、いっそこの世界に盾突いて自分の意志を否定してほしい。悪魔が着実にリックから心を奪おうとしている。
だがそれを食い止めるリックが間違いなくそこにいる。彼自身が憎んだ地球の大地をしっかりと踏みしめて、世間を愛している。
莫大な量の悲しみと憎しみが交じり合うカオスな彼の心の中で、悪魔に魂を奪われながらも確かに彼は立っている。
リックはすべてを知っている。自分や世間に対する怒り、それによって離れていくかつての仲間。それにより加速する怒りや悲しみ。
止めどない怒りや悲しみで自分自身を例え愛せなかったとしても、世間を憎んでしまわないように。
されど世間に対する憎しみが完全になくなっているわけではなく、彼がどうにか抑え込んでいるのだ。
ある転換点を迎え、彼は悪魔へと変貌してしまうのかもしれないという恐怖に苛まれてるリック。
彼はすべてを知っている。世間の自分に対する評価も、心の中の悪魔も。怒りを止めることが出来ずに、すべてをぶち壊してしまうのかもしれない。
支配的な悪魔。魔法の復活によって、人間の心中に存在する悪魔がより活動を始めやすくなる。
彼の心中に潜む悪魔は、悪魔を所持している人間のそれよりもはるかに大きい。
もし彼が悪魔を開放してしまったら、身近な友人や家族にまで大きな影響を及ぼしてしまうのだろう。
頭でわかったところでどうしようもない。彼が選んだ人生をすべてなかったことにするわけにはいかず、彼は魔術師に絶対になるだろう。
絶対的な支配力を持つ魔王の復活は、悪魔に近い存在を悪魔と化す。だからこそ魔王の復活というのは恐ろしいのだ。
元々の肉体の能力に比例して悪魔の能力も大きくなる。リックは現時点でも魔術師の中間くらいの実力を持っているので、彼の悪魔化した悪魔はおそらく天才魔術師イーレット以上だろう。
そうなってくると、リックの悪魔化と魔族侵攻が重なってしまうと、イーレットが魔族に対抗する戦力として期待できず、だいぶ戦局は読みずらくなる。
イーレットの存在はマキュール魔術学校だけではなく、この国の安全を守る役割を果たしていた。
悪魔と化す魔術師はごくわずか。彼らは元々裕福な生まれの場合が多く、悪魔の付け入るスキがほとんどないのである。
しかし彼は例外で、随分楽勝に悪魔が侵入してしまった。
どうか魔族侵攻とリックや他の魔術師の悪魔化がなされないことを祈ることが、市民のできるわずかな事だろう。
「もう少し俺に見合った授業とかないのかよ」
「まあまあリック、次の授業3-4教室だぜ」
「ああ、そうだな」




