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心が読める僕と、実は変人な佐藤さん

作者: 柊 鰯

(蝉うるさすぎー)

(あっつーい。エアコンの温度もっと下げようぜ)

(やべ、チャイム鳴るまであと10分もないじゃん。課題終わんねー)


 教室の扉を開けて足を踏み入れると、エアコンの冷気とともに、雑多な心の声が聞こえてきた。連日続いている、うだるような夏の蒸し暑さのせいか、気だるそうな人も多い。ただ概ねいつも通りの朝のようだ。


 僕、山内大輝には秘密がある。

 人の心が読めるのだ。

 幸か不幸か物心ついた頃には他人の内心が聞こえていた。非常に便利だが、知りたくもない事実を知ってしまったり、人の腹黒さにぎょっとしたり、漫画のネタバレをされたりと、意外と不快になることも多い。

 だから、基本、心の声は聞かないようにする方がいいのだとは思う。


 だが、僕は他人の心の声を完全にシャットアウトしているわけではない。たまに面白い人を見つけることがあるからだ。


 例えば、彼女のように。


 窓側一番うしろの席にその人は座っている。

 僕の隣の席である。


 見るとその人は静かに本を読んでいた。つややかで長い黒髪。日焼けとは縁遠そうな白い肌。名前は佐藤詩織。彼女は誰がどう見ても美少女と呼ぶ存在である。

 数多くの生徒が彼女に告白、玉砕しているらしい。そして今では男子の中で協定が結ばれており、抜け駆けをしようものならクラスの男子全員、いや全学年の男子が敵に回る。そのため、男子は少し話しかけずらかったりする。

 彼女はよく一人で過ごしているが、浮いているわけではなく、高嶺の花として一目置かれている存在だ。感情が表に出なることは少ないが、そのクールさが良いらしい。女子主導の佐藤さんファンクラブもあるとか無いとか。



 佐藤さんと僕が実際に関わるようになったのは新二年生の4月からである。

 その時の僕は、新しいクラスとなりどこか浮ついた空気の教室で、ぼーっと新たにクラスメイトとなる人たちの心を読んでいた。


(友達できるかなー)

(やば、知ってる人全然いないわ)

(よっしゃ、担任当たりだ)

(勝手に私の頭の中覗かないでください。ばれてるから)

 ん!?!? と、それはもうはじめは驚いた。

 どうしてバレているんだ。向こうも心を読めるのか。こんなことを考えているのは誰なんだ――と。


 なんと、考えていた人は佐藤さんだった。

 そして、佐藤さんの心を読んでいくうちに気が付いた。彼女に僕が心を読めることはバレていない。これは彼女が“心の声を他人に盗聴されている”というシチュエーションをしているだけなのだと。


 それはもう今世紀最大のギャップだった。

 だって、表ではクールで寡黙なイメージの佐藤さんが、心のなかでは饒舌でよく変なこと考えていたのだ。そりゃびっくりするだろう。


 それを発見してからというもの、佐藤さんの心の声を聞くのが毎日の楽しみになってきている。


 そんなことを考えながら自分の席に近づくと、佐藤さんとばっちり目があった。席替えで隣の席になったので、合法的に話す機会も多い。

「あ、おはよう。佐藤さん」

「おはよう。山内くん」

 アルトの透明な声が耳をくすぐる。

(グッドモーニング。すがすがしい朝だぜ。僕のまぶしさにはかなわないけどな)

「ぐふっ」

 予期しない攻撃。唐突なアメリカンな言い回しに思わず吹き出してしまう。そういえば、昨日の夜、アメリカのコメディ映画が放送されていた。影響されすぎではないだろうか……?


 突然吹き出した僕を見て佐藤さんは眉をひそめ怪訝そうな顔をしている。

「どうしたの」

(おいおい、どうしたんだ相棒。勉強のし過ぎでとうとう頭がおかしくなっちまったのか?)

「ちょ。ふっ。なん、でもない」

 佐藤さんは僕のことを、脳内では相棒と勝手に読ぶことがある。

 佐藤さんとは、彼女がテスト中にシャーペンが壊れて焦っていたところを、僕が助けたことをきっかけに、少しずつ仲良くなった。二人とも刑事ドラマが好きでよくその話題について話している。佐藤さんは共通の趣味を持つ人を発見してあまりにも嬉しかったのか、よく脳内で僕のことを相棒と呼ぶ。

 ちなみに、佐藤さんのオリジナル脳内刑事ドラマに、彼女の相棒役として僕が出てくる。


 僕は肩を震わせながら椅子を引いて席に座った。

 佐藤さんは吸い込まれそうなほど美しい瞳で僕を見つめて尋ねてくる。

「私、何かした?」

(相棒よ、特に最近おかしいぜ。急に吹き出したりするじゃあねえか)


 またもや吹き出しそうになるが、深呼吸をして必死に耐える。

「ふぅ……ごめん違うんだ。ええと、そう、思い出し笑い」

 気持ちを落ち着かせようとカバンから飲み物を取り出し口にする。


(待って、それは午後の紅茶!? 飲んだらだめだよ! 今午前だよ! ああ!)

「ぐふっ。げほげほっ」

 飲んでいた紅茶が気管に入り、思わずむせ込んでしまった。

 

 佐藤さんのクールさと実際に考えていることのギャップが、僕の表情筋をかなり刺激する。

 清楚系のクールな美少女がこんなことを脳内で考えているなんて、誰が予想できるのだろうか……。 


 佐藤さんは静かにくすっと笑った。

(たまに山内くんおかしくなるんだよね。でもなんか楽しそうな人だなあ)

 最近はよく脈絡もなく吹き出しているので、はたから見れば僕はかなりの変人だが、佐藤さんがその奇行を気持ち悪がっていないことが唯一の救いだ。


 その後ポツポツと会話を続けていたら、スピーカーから予鈴のチャイムが鳴った。

 それを聞いたクラスメイトがわらわらと席についていく。

 40人程の男女比が半々のクラスだ。ちなみに僕は誰とでも中途半端に仲が良い感じなので、クラスカーストはよくわからない位置にいる。今のところ他人からは特徴もない無害な人間と思われている。クラスメイトはわざわざ僕の席に来て話し込んだりはしないが、移動教室のときなどで近くにいたら話しかけてくる、そんな距離感だ。


 そうこうしているうちに朝のホームルームが始まった。


「えー、文化祭まであと5日となりました。それで、劇の準備の話です。そろそろ集中準備期間が始まるから、その予定とか具体的な話をしようとおもっていて――」

 学級委員の鏑木が教卓の前に立って話し始めた。

 鏑木は顔はいいが、熱血で真面目すぎるのが玉に瑕だ。クラスで少し浮いているし、よく空回っているのを目にする。


 この高校では文化祭で2年はクラス別で劇をすることになっている。1年と3年のクラスからも手伝いが入るのもあって、毎年本格的な作品が出揃っている。

 このクラスが行う劇は、主人公の勇者が、己の正義と悪の中で苦しみながら、魔王を倒しに行くというストーリーだ。なんと主人公役は佐藤さんだ。周囲からの熱烈なオファーを受け、断りきれず主役を受けることになったらしい。初めは嫌そうだったが、最近は内心ノリノリなので問題なさそうだ。

 ちなみに僕は道具制作担当である。


 一人鏑木は話を続ける。

「それで今日も放課後の作業をお願いしたいと思ってるんだけど――」

 その瞬間明らかにクラスの雰囲気が落ち込むのが分かった。準備が順調に進んでおらず、本番までに完成するかも怪しい現状なので仕方がないのだが、やはり面倒くさいと思う人も多いようだ。


 ふと、佐藤さんのほうに目をやると、佐藤さんは全く別のことを考えていた。


(この学校は我が組織が乗っ取った。生きて帰りたければこちらの指示に従え)

(クソッ、どうすれば……!?)

(喋るなガキども。撃つぞ)


 佐藤さんは殺人犯が教室にやってきた妄想をしていた。ちなみにこれは数日前からしている妄想の続きである。

 学校を襲う謎の機関。涙なしには語れない殺人犯の過去、散りばめられている伏線。そして衝撃の事実。あっぱれとしか言いようがない。が、いや、わかるよ。佐藤さん。殺人犯が教室に突撃してくる妄想をするのは小学生の時にみんな通る道だ。もちろん僕もやった。でもそこまで本格的で解像度の高い妄想をするの君ぐらいなんだよ……。




***


 笑い声、釘を打つ音、劇のセリフ、椅子を移動させる音、誰かが好きで流している音楽。放課後の教室からはあらゆる音が聞こえてくる。

 机と椅子が端によけられ、地面には段ボールや絵の具が散乱していた。クラスの半分以上がこの時間まで残って作業している。


 僕はしていた作業が一区切りついたので、手を止め、休憩と称して教室の窓のそばに涼みにいった。点検のためエアコンが運転中止になっているのが憎い。


 頭がじんじんするほど蝉が鳴いている。案の定、窓の外からは涼しい風ではなく、うっと息が詰まるような生暖かい風が通り抜けた。

 

 窓の縁に手をかけ、外をぼーっと眺めていると、シーブリーズの爽やかな香りが鼻孔をくすぐった。

 振り返ると、佐藤さんがアンパンと牛乳を手に立っていた。ふっと満足げに微笑んでいる。

「……見て。いいでしょ」

(ふふっ。ずっと動いててお腹空いてきたから、おやつに刑事ドラマの張り込みセット買っちゃった)

「いいね。アンパンと牛乳。刑事ドラマの張り込みだ」

 癖で、佐藤さんの内心を読んだ発言をしてしまった。他人のことを理解している発言をすると好感度があがる。なのでつい、それを指摘するような発言をしてしまう。今まで生きてきて身にしみついた、自分の処世術みたいなものだ。

 僕はコミュニケーションは得意な方だ。だって何を言ったら地雷を踏むのか、喜ばれるのかがわかっているから。その人の今かけてほしい言葉を簡単にかけることができるし、上手に相槌を打ち共感することができる。

 だからあまり僕を嫌っている人間はいない。友達だってたくさんいる。教師にだって好かれてる。今まで心を読める能力を利用して上手く立ち回ってきた。

 自分はずるい人間だなとたまに思う。


「よくわかったね」

(さっすが相棒! わかってくれた)

 佐藤さんは嬉しそうな表情をしていた。


「たまに僕も刑事になった気分で張り込みセット食べるからね」

(!! 同士だ!!)

 これは嘘ではない。以前同じものを佐藤さんがあまりにも幸せそうに食べていて、それに影響されて買うようになった。この組み合わせが意外と良くて、何度かリピートしている。


 

 佐藤さんは僕の隣にある窓に寄りかかり、ぼそっと呟いた。

「……山内君って、人のことよく見てるよね」

「ん?」

「さっきも喧嘩になる前にいい感じに話を流して阻止してたし」

 佐藤さんがじっと見つめる先を僕も視線で追った。


 そこでは鏑木と一部のクラスメイトが討論をしていた。鏑木は苦々しく口をゆがめている。

「だから、これは今日中にしてもらわなきゃ困るんだよ」

「はあ、僕らだって忙しいのに。ガチでやってられっかよ」

 

 最近はよくある光景だ。本気でやりたい鏑木と、適当にやればいいという考えでさぼっている人たちとで、揉め事が起こっている。

 準備がギリギリでピリついているのも相まって、現状のクラスの雰囲気は最悪だろう。自分たちも含め、多くの人が時間を削って休み時間や放課後も作業をしている。口にしないだけで不満を持っている人も多い。


「いやいや、全然大した事ないよ」

「そう? ……でも、いつもありがとう」

 佐藤さんは少しはにかみながら言った。

(今までも皆が気づかないところで、気を利かせてるんだよね。それに山内くんの周りではいざこざとか対立とか起こりにくいし……。潤滑剤みたい)


 その言葉に、奥歯をぐっとかみしめた。過大評価だ。全然そんなことはない。僕はただ心が読めるのをうまく利用しているだけだ。

 ただ、今までそれに気づいて指摘してくる人はいなかったので、褒められた嬉しさと、それを上回る罪悪感とが綯い交ぜになって複雑な気持ちだ。

「ほんとに大した事ないから……」

 僕は苦笑することしかできなかった。


 それっきり佐藤さんが僕の言葉を追求することはなかった。

 すると突然佐藤さんはアンパンをきれいに半分に割った。

「食べる?」

 唐突に手渡される。

「え」

 佐藤さんの心の中から、子供向けの某人気アニメのヒーローのセリフが聞こえてきた。

(さあ、僕の顔をお食べよ!)


「なっ……ふふ、ありが、とう。貰うよ。ふふっ」

 手で顔を覆い肩を震わせる。急にアンパンマンが出てくるなんて聞いてない。もしかしたら、僕が元気がなさそうに見えたのかもしれない。

 大丈夫だ、佐藤さん。今ので十分に元気をもらえた。笑いを止めようとすればするほど、笑いが込み上げてきて、止まらなくなっているほどだ。


(ええ……。山内くんのツボほんとによくわからないな。やっぱり不思議な人だな)

 佐藤さんの呆れた心の声が聞こえた。


 笑いが止まらないので、意識を変えようと窓の外の夕焼け空を振り仰ぐ。夏の暑さが和らぐ気配はない。




***


 割れるような賑わいは、まるで空間を埋めつくすように、学校中を満たしていた。学校全体が色とりどり飾り付けられ、どこからか屋台の美味しそうな匂いが漂ってくる。


 とうとう文化祭当日だ。生徒は皆おそろいのクラスTシャツを身につけており、どの場所も活気にあふれ騒がしい。


 劇の準備は奇跡的にギリギリ間に合った。クラスメイト全員が心からほっとしているようだった。

 そしてついに、劇本番まで1時間を切った。全員が緊張した面持ちで準備や最終確認を行っている。

 いつもは脳内で変なことを考えている佐藤さんも、今日はかなり緊張しているのか、ずっとセリフや動きを入念に確認していた。


 僕が道具の補強を黙々としていると、突然ガラッと大きな音を立てて教室の扉が開き、クラスメイトの高松が勢いよく入ってきた。


「ちょっとまずいことになった」

 高松の顔には険しさがありありと浮かんでいて、ただならぬ事態であることが察せられた。

「鏑木が、倒れたらしい。たぶん熱中症。ずっと動いてたから」

 そういえば、さっきから鏑木を見ていない。


「鏑木、魔王役として出るだろ……劇、どうする?」

 高松が当惑した声で放った言葉に、こたえる人は誰もいなかった。

 突然の窮地に誰もが閉口してしまい教室がシーンと静まり返る。

 

「……何なんだよあいつ」


 痛々しいほどの沈黙を破ったのは誰かがポツリと呟いた言葉だった。


 それをきっかけにクラスメイトの口から堰を切ったように今までの不満が溢れだした。

「そもそも、鏑木君のやり方に問題があったよね」

「なんだよ、あいつ。あれだけ僕たちを働かせてておいて、本番これかよ」

「私ほんとはこの劇するのに反対だったんだよね」

「最悪」


 各々が心に留めておいたものが、溢れていく。

 一瞬、足元がグラつき、世界がぐにゃりと歪んでいるような感覚がした。

 ああ、僕はこの瞬間が一番嫌いだ。

 言わなくてもいいことを口に出してしまう人を見るたび、強烈な嫌悪感と人に対する諦めの気持ちが湧き上がる。

 僕は、他人が胸中で人をどう思おうがそれはその人の勝手だと思っている。罵詈雑言を吐いたっていい。だが、それは心の中に封じ込んでおくべきだ。それを口にして、その人を爪弾きにして非難する事になんの意味があるんだ。


「おい、鏑木だけを責めるのは違うんじゃないか?」

 そう遠慮がちに口にした僕の方を、鏑木を責め立てていた一人がジロリと見た。

「山内さあ、この状況でもお前はいい子ぶるのかよ。気色悪い」

 吐き捨てるように言われて僕は閉口する他なかった。

 鏑木は人一倍動いていた。鏑木が倒れた責任は僕たちにもあるんじゃないのか。自分の後ろめたい気持ちを隠すために、責任転嫁して、罪を押し付けようとしているだけじゃないのか。

 そう言い返したかったが、固く閉ざした口は開きそうになかった。


「もう終わりだよ」と誰かがぼそっと呟いた。

 本当にこのまま終わってしまってもいいのか。本当に……?

「代役誰かできる人いない?」そう誰かが言ったが、それに返事をする人はいなかった。

 ここで立候補するやつなんかいない。誰だってしたくない。


 その時、突然佐藤さんと目が合った。じっとこちらを見つめるその深い黒色の目は非常に冷静で、ここにいる人の中で唯一前を向いていた。

(できる?)

 そう僕に聞いてきた。勘違いかもしれない。でも確かにそう聞いてきた。


(私、山内くんとならできると思うよ)

 心臓を掴まれたような感覚だった。


「……やるよ」

 そう言うとクラスメイトの顔が一斉にこちらを向いた。

 僕は汗ばみ震えそうな拳を強く握りしめる。

「……僕が代わりにやるよ。僕は役ないし、流れもセリフもわかる。鏑木が出る予定だった魔王役は、主人公の佐藤さんと対立する最後の場面しか出番がないから、佐藤さんと息が合えば何とか形にはなると思う。どうかな?」


「わかった。私がサポートする」

 佐藤さんが頷いて答えた。


「息を合わせるって言ったって、あの場面相当難しいよ。簡単にはできないよ」

「大丈夫」

 否定の声がでたが、佐藤さんは躊躇うことなく口を開いた。


「私が絶対成功させるから」

 彼女は、そう言い切った。


 スッと伸びたその背筋は、必ず成功させるという確固たる自信を感じさせ、迷いは一切見られなかった。

 僕はその姿に息を呑んだ。


 佐藤さんの淀みのない言葉に、クラスメイトの不安が和らいでいく。


 心を読める僕にはわかる。佐藤さんは人前に出るのは好きではなく、イレギュラーな事態が起こった今も実は緊張でいっぱいなことを。自分も不安なのに、この場の空気を変えるために、わざと成功すると断言していることを。

 彼女が人を惹きつけるのは外見だけが理由じゃない。彼女のこのようなところが、人を惹きつけるのだ。


「それに、鏑木君が頑張ってくれたおかげで、どのクラスよりも完成度が高いものが出来上がってる」

 佐藤さんは皆を安心させるように軽く微笑んだ。


「よし、始まるまでまだ時間があるから、少しでも打ち合わせておこう。ここまで佐藤さんに言われたら、失敗できそうにないからね」

 僕は時計をちらりと見たあと、わざと明るい声で笑って言った。


 気まずさを緩和しようとしてか、高松が僕の背中を強めに叩く。

「そ、そうだぞ山内、へますんなよー」

「大丈夫だ山内、舞台上ではみんな佐藤さんに注目して、お前のことなんか全然見ないから」

「いや、それはそれでなんか悲しいな」

 そうツッコミを入れた。


「ちっ。んなもん成功できるわけ無いだろ」

 と、勢いよく扉を開けて教室を出ていった人もいたが、僕は気にせず準備に走り出した。





***


 舞台は順調に進んでいた。観客の盛り上がりも最高潮を迎えている。


 そろそろ自分の出番だ。鳥肌が立つほど緊張しているのに気づかないふりをしながら、暗い舞台袖から明るいステージへ一歩を踏み出した。

 僕の役は魔王で、人々を混沌に導いた存在。主人公の佐藤さんに倒される役だ。黒を基調としたいかにも悪っぽい衣装を身に包み、大股でゆっくりと歩いていく。コツ、コツと歩く音が体育館全体に響いているような気がした。

 舞台照明は明るく、思わず目をつぶりそうになる。


 客席は暗くよく見えないが、大勢の人がいる雰囲気がひしひしと伝わって来る。


 そしてついに舞台の中心で佐藤さんと対峙した。佐藤さんは胸当てを付け、マントをたなびかし、剣を携えて颯爽と立っている。あまりにもかっこいい。


 佐藤さんと視線がぶつかる。

(おい相棒、へますんなよ。僕たちで一発かましてやろうじゃねえか)

 そう心の中での強がっていた。いつも通りの佐藤さんで緊張の糸が解れるのを感じる。


 僕は勇気を奮い起こし大きく息を吸い込んだ。

「よくぞここまでやってきた―――」


 そうして、主人公の佐藤さんと対話を重ねていく。

 ここまでは順調だ。


 そして、ついに問題の場面がやってきた。

 佐藤さんの、いや、この劇の最後で最大の見せ場。剣戟、つまり刀剣の戦いである。

 息が合わないと、小学生のお遊びのような滑稽なものになってしまう。


 佐藤さんは腰に吊り下げた剣を、ゆっくりと引き抜き、美しく構えた。

 観客席から女子の悲鳴が聞こえてくる。


(じゃあ、いくよ)

 佐藤さんは心の中で言うと一気に走り出し、剣を振り下した。僕はその場を跳び退き、持っている剣を強く握りしめる。

 その後も二人の攻防は続いた。

 佐藤さんの動きは、惚れ惚れとするほど素早くて力強いものだった。それでいて凛とした美しさが残っていた。


 佐藤さんはセリフを間に挟んでいく。

「神は永遠の輝きの中にいて、悪魔は暗闇の中にいる。そして私たち人間には夜と昼とが入れかわる!」

(次は右によけて、次左! しゃがんで!)

(少し後ろに下がる感じで。さっきと同じように剣を受け止めて)

 彼女の心の声のお陰で、面白いくらい息が合う。


「私は私の心の闇と向き合わねばならない!」

(これが最後、私と距離をとって一気に中央まで走って。いくよ、今!)

 舞台中央で交差する。体に当たらないギリギリのところで剣が走る。

 そして僕は切り伏せられ、地面に膝をついた。僕は自分の最後のセリフを口にする。

「こんなところで、負けるとは……」

 そして地面に崩れ落ちた。


 佐藤さんが剣を天に向かって突き上げ、大きく息を吸った。

「敵は私が打ち倒した! この国に救う闇全てに光をあてよう! 私はもう迷わない! 私の命ある限り、一切の悪の存在を許さぬ!」


 大音量の拍手が鳴り響いた。圧巻の演技だった。



 舞台が暗転していく中、僕は中心に立っている佐藤さんの姿を見ていた。その姿はあまりにもカッコよくて、誰よりも輝いていて、見惚れてしまうほどだった。


 劇は見事、最優秀賞に輝いた。




***

 

 文化祭の閉会式も終わり、明日の通常授業のために一斉に片づけが行われていた。

 僕は佐藤さんと黙々とごみの分別をしていた。

 家に帰るまでが遠足です、という言葉と同じように、片付けし終わるまでが文化祭です、と言わんばかりで、文化祭の余韻を一切感じさせないことに内心苦笑する。


 他のクラスメイトは、他の場所の片づけにかり出されたり、ゴミ捨てに行ったりしているらしく、教室にはなぜか佐藤さんと僕の二人しかいなかった。


 作った道具を分解し、燃えるゴミとプラスチックに分け、それぞれゴミ袋に入れていく。

 ダンボールに張り付いたプラスチックのテープも剥がさないといけないらしく、面倒に思いながら、ちまちまと剥がし続けていた。


 一ヶ月以上かけて作ってきた物が、いとも簡単に壊され片付けられていくのを見ると感慨深いものがある。


 佐藤さんはなぜかさっきから、こちらをちらちらと見てくるのだが、僕は気づかない振りをして無心で作業を続けていた。

「ねぇ」

 佐藤さんが手を止め、こちらを振り向いて口を開いた。


『もしかして山内君、心読めるの?』

「え、いや、全然読めないよ!」

 僕は焦って突然の質問に早口で答えた。

「え?」

 佐藤さんはきょとんとした顔をしていた。

「あ……」

 やってしまった。佐藤さんは声には出さずに思っていることを口パクで言っていただけなのだ。まんまとはめられてしまった。

 今回の劇でやはり不審に思われたのだろうか。

 バレるのが突然のことすぎて、心の準備が何もできていない。


「本当に読めるの?」

(やっぱり、劇本番おかしかったよね……! あんなに息が合うことって普通じゃありえないよね……!)

 佐藤さんは子供のように目を丸くする。

「え、いや、まあ」

 しどろもどろになりながら答える。

(嘘!? 嘘でしょう!? そんなことってあるの!?)

 佐藤さんの心の中は大騒ぎのようで、いつものクールな表情もどこかに行ってしまったようだ。


「えと、じゃあ、今、私が心の中で考える色当ててみて」

(ど、どうしよう赤色……いややっぱり紫色にしよう。よし、紫色)


「ええと、紫色……?」

「当たってる……!」

「最初、赤色にしようとしてたよね」

「ほんとに読めてる!」

 目を真ん丸にしている。興奮しているのかいつもより饒舌である。


「待って、じゃあ私が今まで考えていたこと知ってるの?」 

 僕は躊躇いがちに頷いた。

 佐藤さんの顔が真っ赤に染まっていく。


「……じゃあ、たまに思考を読まれてることがバレてる風な演技してたことも?」

「うん」


「……脳内刑事ドラマで山内くんのこと相棒として出演させてることも?」

「うん」

 佐藤さんは耳まで真っ赤になっている。


「……さっき『見ろ、分別すればゴミも資源のようだ』って、ムスカごっこしてたことも?」

「ぶっ……い、いや、それは知らないかな。常に心を読んでいるわけではないから……」

 佐藤さんは明らかに、やってしまった……! という顔をしていた。墓穴を掘ったらしい。


 話していくうちに僕の顔も赤くなっていた。

 暑さのせいと、誤魔化すように服の首元をパタパタとして風を送る。


「ごめん、もう勝手に心を読まないって約束するから」

 真剣に謝った後、僕はふと思ったことを口に出していた。

「……軽蔑するよな」

 僕の心臓が今までにないくらい激しく波打っている。

「……?」

「心を勝手に覗かれるの」

 平常を装ったが、声は自分でもわかるほど上ずっていた。


 佐藤さんは少し考える間を開けたあと、口を開いた。

「すごく恥ずかしかったけど、軽蔑はしてないかな」

「気遣って言ってるわけじゃなくて……。それに、今私がどう思っているか私の性格知っているならからわかるでしょ……?」

 そう言って微笑んだ。

 救われた気がして、一瞬目頭が熱くなった。


 気恥ずかしくなって急いで話題を変える。


「あ、あと、なんで劇の代役、僕で大丈夫だって、言い切れたの?」

「なんとなく。たぶん山内くんとなら行けると思ったから。ずっと、隣の席だったし、たまに話すし、なんか信用できそうだったし、本番も、思った通り……」


「思った通り……?」

「な、なんでもない」

 気恥ずかしそうに目を逸らした。

(思った通り、劇の山内くん、とんでもなくかっこよかったし……)

 癖で心を読んでしまった。


 一気に僕の顔が赤くなるのを感じる。


(待って、今心読んだよね!? 絶対読んだよね!?)

「よ、読んでないよ」

「やっぱり読んでた……!」

「ごめん癖で! もう絶対しないから……!」





***


 そうして文化祭も終わり、僕たちは普段の学校生活に戻っていった。

  

 佐藤さんが僕の秘密を知ってから、僕たちの関係が変わったかというと――。

 ”他の人から見れば”変わっていない。


 実はなぜか佐藤さんが、今まで勝手に心を覗いてきたんだから、これぐらいいでしょう? と言って話しかけてくるようになった。心の中で。


 時折、今、彼女がしているように、こちらを向いて目をぱちぱちさせて必死にアピールしてくるのである。

 ちなみにこれは心を読めという合図だ。

話しかけてくる内容は、例えば(ごめん! この問題の答え教えて! 問3の答え)(このプリントの提出日って、明日だよね?)(先生、いつまで怒ってるのかなあ。早く授業に戻ってほしいよね)などと、多岐にわたる。


 そしてたまによくわからないことを聞いてくる。今みたいに。


(人食いザメか野生の熊。どっちと仲良くなりたい?)

 ん? と、声に出してしまいそうになるが、佐藤さんの表情は真剣そのものだ。


 ノートの端に書いて見せる。

(あーそっちか。参考になる。ありがとう)

 佐藤さんは、静かに頷いていた。


「はあ……」

 僕はため息をついて机に突っ伏した。

(どうしたの?)

 佐藤さんが僕の顔を覗き込む。彼女の長い黒髪がはらりと流れた。陶器のような白い細面が露わになる。


 一見するとクールな佐藤さん。でも、実はお茶目で、天然で、とても変わってる。

 それを知ってるのは僕だけだし、僕が心が読めることは佐藤さんしか知らない。


 そして、こうやって佐藤さんと話していることを、クラスメイトの誰も知らない。

 この関係性に僕だけが一人ドキドキしている。この気持ちはバレてはいけない。


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