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茜色の向こうへ

作者: 一色みらい

「私って、学校好きだからさ」

 

 そう言って笑う少女は、私の目にはひどく憎たらしく映った。

 こげ茶色の髪を撫でる手。まばたきの合間に揺れる瞳。胸元で結ばれたリボンの形はとても綺麗で、彼女を否定できる理由なんてないはずなのに。

 

 由夏といると、いつもこんな気持ちにさせられる。

 由夏は成績優秀、眉目秀麗。あるべき中学生の姿をそのまま映しとったような少女だ。それに対し私はいつだって少し足りない。成績は人並みだし、見た目には気を遣っているつもりだけど別にモテる方じゃない。

 由夏の隣を歩いていると、いつだって由夏が正しくて、私は間違っているのだと思い知らされる。相談するのは、愚痴を吐くのは、弱みを見せるのはいつも私。由夏が笑顔以外の表情を見せることは滅多にないし、脆い部分を見せてくれはしない。


 私は静かに唇を噛んで彼女と同じような笑顔を振りまく。


「たしかに、学校ってなんかいいよね」


「そうそう、私、ずっと理央と一緒に学校にいたいもん」


 少女はまだ分からないようだった。

 私も分からないふりをする。


「えー本当?」


「ほんとだよ」


 君が何も知らないなら。分からないなら私が教えてあげる。


「そっか、まあ私たち親友だもんね」


 笑いあう二人は、ほとんど理想的な友達。これが正しい形だった。




 その日から、私は彼女に学校を教えてあげることにした。

 友達や先生には嘘を、そして彼女の所有物には泥を塗りたくれば、数週間もすると空気は変わり、由夏から笑顔が消えた。今まで幾度となく見た手口だから、私にも簡単にできた。由夏は何でもできて完璧だからこそ、それを壊したいと思う奴らはどんどん湧いてくる。


「おはよ、由夏!」


 いつも通り背中を小突くと、由夏は体勢を崩して机にもたれかかった。


「っ……」


 私の後ろからは数名のクラスメイトの笑い声。日課になりつつある由夏へのいじりはすっかり私の手

に染みついて、心を満たしていく。

 うなだれた由夏を覗き込むと、その悲痛な顔が見えた。

 そう。それでいいの。


「大丈夫?由夏」


 私が笑顔で聞くと、由夏は何も言わずに上体を起こして席に座る。

 別に、これは遊びであって本気じゃない。由夏と私の仲だからできること。


「ねえちょっと理央ひどーい、やりすぎだってば」


 クラスメイトはそう笑いながら、由夏のバッグを蹴って通り過ぎる。これもいつものこと。

 由夏が蹴られたバッグをはたいて汚れを落とそうとしたので、すかさず遮ってバッグを持ち上げる。


「っ……」


 由夏は取り戻そうと手を伸ばしたが、私は素早くバッグを後ろの席に置いた。


「ちょっと中身見るだけだって~」


 由夏が立ち上がるより先にクラスメイトと席を囲んでバッグのチャックを開ける。


「何入ってるかなあ、えーと……」


 中身を探っていると、由夏がクラスメイトを掻き分けてバッグの持ち手を掴んだ。


「やめて」


 ぶっきらぼうに言ってバッグを引き戻す。その瞳は真っ直ぐこちらを睨んでいた。

私は目を細めてその視線を受け止める。


「えー何で?」


 首をかしげてみると、由夏の目が少し赤くなっていることに気づいた。


「え?泣いてる?ごめんって~」


 肩を掴むと振り払われた。

 おかしい。私と由夏の仲なのに。


「由夏ー?」


 名前を呼んでも答えない。


「聞こえないのー?」


 クラスメイトの煽る声。そしてほんの一瞬、由夏が首の向きを変えてこちらを意識したその隙を、私は逃さない。


「なんだ聞こえてるじゃん」


 そしてみんなと笑い合う。そんな日常が続いていった。



 私が教育を始めて三か月ほど経った頃、由夏が学校を休んだ。しかし由夏がいなくとも関係はない。

 私たちは由夏の机の上に砂をかけて遊んだ。汚す対象は、由夏が関係するものなら何でもよかった。


 帰ってきたら、由夏驚くかな。


 それから二週間経った後、放課後に帰ろうとしていると、一通のメッセージが届いた。


『502のベランダに来て』


 由夏からだった。

 私は少し期待していた。由夏は私がやったことを怒っているだろうか。悲しくて、もうどうしようもないくらいに傷ついているだろうか。そして彼女が大好きだった学校を、疎ましく思っただろうか。由夏の言葉を聞くのが楽しみで仕方なかった。


 夕焼けに染まった教室に入ると、揺れるカーテンの奥に、見慣れたこげ茶色の髪がなびいている。

私はワクワクしつつも、ほんの少しの緊張感をもってベランダに出る。


「来てくれたんだ」


 こちらを振り向いた由夏の顔は、あの日と同じように晴れやかだった。久しぶりのその表情にどきりとする。


「う、うん……」


 なぜだか居心地が悪い。由夏はどうして笑っているのだろう。


「覚えてる?」


 由夏は夕日を睨むように見つめる。


「私って、学校好きだからさ」


 私は反射的に視線を横にやる。そして自分の行動原理を思い返す。


「ずっと理央と一緒に学校にいたいんだ」


 その言葉は私に深く押し込まれる。それは、私が始めた教育が何一つとして意味をなしていないことを示していた。この三か月間は、私がやってきた仕打ちは、正しいものを形作ることはできなかったのだ。

 由夏はまだ学校が好きだ。

 私ははっとして由夏を見上げる。


「だからさ、そうしようかなって」


 少女はそう言うと、ベランダの柵に手をかけてその上に座った。その行動の意味が、私には分かっていた。何故ならそれは、自分がそちらに立たされた時、真っ先に思い付いたことだったからだ。

 柵の上から私を見下ろす由夏は背後から夕焼けに照らされて、表情がよく見えない。


「いいよね?だって私たちは」


 ただ呆然と由夏を見つめることしかできないまま、右手が強い力で引かれるのに抗えずに体が柵に強く打ち付けられる。

 鈍い金属音と重なった乾いた言葉は、私の心を溺れさせた。


「親友なんだから」


 由夏は柵の向こうで宙づりになった。私は重力に逆らえず、柵が体に食い込んでいく。


「っ……」


 固く掴まれた右腕は、由夏の重さを受けて抜けてしまいそうだった。


「早くおいでよ」


 由夏の向こうには小さな校庭が広がっている。沈みかけの太陽に視線の先を照らされて眩暈がした。しばらくそのままでいると、由夏の手は段々と私の腕から滑り落ちていく。


「ねえ理央……一緒に来てくれない?」


 私はそれに頷けなかった。それは自分の命が惜しいからでも、由夏へのいじめに終止符を打ちたくないからでもなく。


「学校楽しいよ?」


 由夏の目が怖かった。丸い目には何故か光が宿っていて、希望さえ感じた。今となってもまだ、由夏は学校が好きなのだ。学校が好きだから、ずっと学校にいたいからこの場所を選んだ。死ぬならばもっといい場所がある。飛び降りるならもっとふさわしい場所がある。学校なんていう最悪の場所ではなくてもっと納得できるような、そんな場所。私はそう知っている。


「ごめん……」


 こんなのはおかしい。いじめられたら誰かに助けを乞うべきだ。苦しいと、辛いと泣き叫ぶべきだ。君が笑っているなんて、そんなのはおかしい。


「いけない……っ!」


 思い切り手を振り払う。重さが消える。反動で後ろに倒れそうになり、柵を掴む。由夏は落ちていく。


 カン。


 鼓膜に届く金属音。そして柵を通じて下から伝わる振動。

 落ちていく由夏は、確かに柵を掴もうと手を伸ばしていたのだ。

 一瞬、目が合う。

 今度こそ由夏は、絶望に満ちた顔で落ちていった。




 学校のこと、嫌いになったかな。


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